二つの権能を治め(させられ)ている幼き女神

イノナかノかワズ

二つの権能を治め(させられ)ている幼き女神

天海治沢目之日陰神あまうなおさめのひめがみさま! 東のアレールバラク地方にて嵐が発生しておりまする!」

天海治沢目之日陰神あまうなおさめのひめがみさま! 南東のレレル海峡周辺にてつむじ風が発生し、また予定にない渦潮が発生しております!」

天海治沢目之日陰神あまうなおさめのひめがみさま! 西の大地全域にて天が荒れています!」

天海治沢目之日陰神あまうなおさめのひめがみさま!…………天海治沢目之日陰神あまうなおさめのひめがみさま!………………………天海……………………………………………………………さま!」


 どんどんと教え寄せる精霊たち。お前たちだって、天と海。どちらかに関わる権能をもっておるのだから、小さな問題はお前たちがやってくれ! と叫びたくなるが、グッとこらえる。


「はぁ」


 執務室が煩い。美しきも幼い容貌をした天海治沢目之日陰神あまうなおさめのひめがみはそっと溜息を吐いた。その溜息の重さから彼女が見た目通りの年月を辿っていないことは明らかで、また苦労を背負っているのも明らかだ。


 蒼穹の瞳を一度伏せた天海治沢目之日陰神あまうなおさめのひめがみは柏手一つ執務室に響かせる。しゃなりと鳴り響いたその柏手に押し寄せていた眷属精霊たちが一斉に黙り込んだ。ジッと紺青の長髪を纏めた天海治沢目之日陰神あまうなおさめのひめがみを見つめる。


「東に関してはシシオノツチとツムアワレチに、西はコモアメノツチとウズメキアチ、嵐はクモアゲノアメツチとクモコネノラクツチに尋ねよ! その他はミズノクサウミノカチとカゼノヤマオロカチのところへいけぃ! あと、誰か手が空いているものがおれば、あのあほんだらなテンテンテンバシラノラクサチの小僧をひっとらえよ!」

「「「「「「「はい!」」」」」」」


 しゃんと鈴を鳴らしたように可愛らしい声音には似合わないほどの覇気が執務室に響き渡ると、精霊たちが一目散に散っていく。


 静寂に包まれる執務室。天海治沢目之日陰神あまうなおさめのひめがみはその幼いほっぺにてのひらを押し当てて肘を突く。呆れるほどに積み重なった書類に目をやっては溜息を吐き、執務机に突っ伏した。


「ああ、もう! 父上も母上も千年近くどこに行っていらっしゃるのか! 異界に旅行などと仰っておったが、普通旅行は二百年で十分であろう! 千年も私に二つの管理を任せるなど!」


 天と海を治める天海治沢目之日陰神あまうなおさめのひめがみは、天を治めていた天治雨泣之陽神てんちあわなきのおかみと海を治めていた海治猛陰神うなおさもうめがみの間に生まれた一人娘である。


 彼女は千年前までは雲を治めていた。しかし、父と母が異世界に旅行に行くため、彼女に自分が治めていた天と海を任せたのだ。


 通常、神々が二つを治めることなどない。まして、天と海は、この世の天候を司る最大の権能。いわば、春と夏、秋と冬、などといった二つを管理するに等しいほどに難しい。


 そしてさらに天と海の性質は真逆。


 天は静。優しく温かく特に雨という恵みを与える静かな権能。


 対して海は動。強く荒れ、この世のあらゆる水を操る猛々しい権能。


 全くもって真逆の性質の権能を管理するなど、普通の神ではできない。治めようとした瞬間に体が神性の矛盾で崩れさり、消し飛ぶだろう。


 だが、その二つの権能の間に生まれた天海治沢目之日陰神あまうなおさめのひめがみは違う。治めよう・・とすることは可能だった。


 実際に治められるかどうかはおいておくとして。


 忙しいのだ。多忙に多忙を極め、彼女はここ五百年近く一睡もしていないのだ。疲れていているのだ。


 だから決壊した。


「怨むぞ。怨むぞ父上っ、母上っ!」


 ドスの効いた恐ろしい声が執務室に響いた。もし周りに神がいたのであれば、その執務室から恐ろしいまでの荒魂の気が放たれているのが分かるだろう。地上を見れば、彼女の怨念に反応して幾つかの邪悪な国が大嵐か津波かで消し飛んでいるだろう。


 些細なことである。


「私はまだ六千歳だぞ! 知っておるか、巷ではタピカラーとやらが流行っていて若い女神たちには人気なのだぞ! タピカラーの企画書も私に届いておるに私は一口も口にしたことがないどころか、見たこともないのだ! 見る暇も与えられずに仕事をしてるのだぞ! 

 火炙山耶陰神ひあざやめがみが私のことをなんて言ってるか知っておるか! 書類決済機だぞ。書類決済気! 私、機械じゃなくて女神! 人間でいったら生娘だぞ! 

 皆が読んでる異界ファッション雑誌、天棚機姫神あめたなばたつひめがみコレクションに載ってた服だって着て見せびらかしたいし、異界の天才パティシエ男人神、田道間守命たじまもりのみことが作ったお菓子を食べたいのだ! 

 神界共通金は巨万の富をほどあるのに、休みがないのだ! 休みを取ろうにも私の代替をできるものがいないなど!」


 どんどんと執務机を叩く。天井に届くまで伸びていた書類の束がバラバラと崩れて天海治沢目之日陰神あまうなおさめのひめがみに積もるが彼女は気にしない。泣き喚き、泣き叫ぶ。


 ちなみに巷で流行っているのはタピカラーではなく、タピオカである。しかもその流行りはとっくの昔に終わった。丁度三百年前だろうか。


 当時の技術では作るのに二週間かかるのだ。なのに高々味のしない団子にそんなに時間をかけるなど馬鹿の所業である。貴族の間で道楽として流行っていたそれは、経済が傾きだした途端廃れた。あっさりと廃れた。


 まぁ忙しすぎてそんなことを知る由もない天海治沢目之日陰神あまうなおさめのひめがみは、書類の海の中でとうとうわんわんと泣き出してしまった。


「どうせ、どうせ、私なんてただの機械なんだ! 私の神生じんせいなどどうでもいんだ!」


 途端、執務室に強大な雨雲が発生し、どこからともなく海水が流れ込んだかと思うと荒れに荒れる。


 雷が落ち、嵐が発生し、海水が猛り渦潮を作り出す。


 が、天海治沢目之日陰神あまうなおさめのひめがみはそんな事を気にせず、わんわんと泣き喚く。そのうち、執務室だけでなく、彼女の宮殿が荒れた海で沈没し、太陽の一切を遮る分厚い黒雲が天を覆っていた。


「ちょ、何よこれ!」


 と、そんな様子に驚愕したのは天海治沢目之日陰神あまうなおさめのひめがみの幼馴染である火炙山耶陰神ひあざやめがみ。荒ぶる深紅の長髪を嵐にたなびかせながら、必死になっているであろう天海治沢目之日陰神あまうなおさめのひめがみを探す。 


 文字通りの血眼と思ってしまうほどの鮮血の瞳をきょろきょろと動かしながら、その妙齢で美しい顔を歪めている。


 そして見つけた。


天海治沢目之日陰神あまうなおさめのひめがみ! 天海治沢目之日陰神あまうなおさめのひめがみ! 落ち着きなさい!」

「……ケッ、ボンボンお嬢様ですか。私を機械っていったお嬢様ですか」

「その件は本当にごめんって。てか、アンタの口調そんな感じだったけ?」

「うるさいです。私は閉じこもるんです。ストライキです。一人だけの労働組合です。ストストストストストストストストストストストストストストストストストストストストストストストストストっ!」

「ひぃ!」


 荒れた海の上で体育座りでブツブツと怨念をまき散らす天海治沢目之日陰神あまうなおさめのひめがみの蒼穹の目は虚ろだ。カクカクと顔が動き、ガタガタと壊れた人形のように震える。


 火炙山耶陰神ひあざやめがみがそんな彼女に怯える。


 と、天海治沢目之日陰神あまうなおさめのひめがみが顔を上げた。


「カネがあればなんでもできるって、アレは嘘。カネならある。カネカネカネカネカネカネカネカネカネカネカネカネカネカネカネカネカネカネカネカネカネ。けど何もできない。あ……あ……あ……あ……あ……あ……あ……あ……あ……あ……あ……あ……あ……あ……」

「ヒィィィィ!」


 膝を押せていた両手から金貨がザックザックとあふれ出る。天海治沢目之日陰神あまうなおさめのひめがみの顔が虚無になっていて、顔という顔がない。


 火炙山耶陰神ひあざやめがみはさらに怯えるが、一瞬だけ息を飲み、決意を秘める。


 すると、荒れていた海が静かになり、代わりに猛々しい炎が巻きあがる。


「聞きなさい天海治沢目之日陰神あまうなおさめのひめがみ国創龍理母之神くにつりゅうりぼのかみ様が遣いを出してね、アンタの両親が帰ってきたわよ! これからは一緒に神高等学校に行けるわよ! 私たちとも一緒に遊べるわ!」

「………………………………え」


 天海治沢目之日陰神あまうなおさめのひめがみが呆然とする。


「う………………嘘だ! 嘘だーー!」

「ホントよ。帰ってきたのよ!」


 叫んだ天海治沢目之日陰神あまうなおさめのひめがみが首を傾げた。


「………………どう………………して?」

 

 彼女だって何度も頼んだ。旅行にはっちゃけているのか彼女では両親と連絡が取れなかったため、あらゆる神々の母であり繋がりを持っている国創龍理母之神くにつりゅうりぼのかみに連絡を頼んだ。帰ってこいと。


 だが、国創龍理母之神くにつりゅうりぼのかみは忙しいお方で高貴なお方。そのような雑事を煩わせるなどと、周りの側近が頼みを聞き届けてくれなかったのだ。


 なのに、何で遣いを出した? 仕事自体は回っていたし、自分がストライキをしたところで、やはり神性の問題で機械のごとく勝手に体が仕事に取り組む。歯車は問題なく回るはずだ。


 そんな疑問を感じ取ったのだろう。火炙山耶陰神ひあざやめがみが頬を書きながら言った。


「お詫びよ。いくらアンタが遊んでくれなかったとはいえ、書類決済気はホント言い過ぎたわ。だから、お詫び。私、最優秀高校文学賞を受賞したのよ。その表彰式の時に国創龍理母之神くにつりゅうりぼのかみ様にお目通りできてね。その時、頼んだのよ。そしたら」

「……あ……あ……あ……あ……あ……あっ!」


 天海治沢目之日陰神あまうなおさめのひめがみがその太平の蒼穹を輝かせながら火炙山耶陰神ひあざやめがみに抱きついた。ガッシリとしがみつく。


「私、好きな服を着る時間ができるの!?」

「そうよ」

「ずっと食べたいと思っていた田道間守命のショートケーキが食べられるの!?」

「ええ」

「タピカラーを飲むことができるの!?」

「タピカラー? なに……ああ、タピオカかしら。あれ、もうとっくのとうに廃れたわよ」

「え……」


 天海治沢目之日陰神あまうなおさめのひめがみがキョトンと傾げた。けど、すぐに破顔する。


「ありがと、ありがと、ひーちゃん! ありがとひーちゃん!!」

「お詫びって言ったでしょ。けど、まぁ、これからはいっぱい遊びましょ」

「うん!」


 こうして神々の中でも非常に稀な二つの権能を治めていた二刀流の幼き女神の苦難が終わった。


 そしてあまりに余った金を使いながら、仕事で失った日々を取り戻すために目一杯遊び倒したという。

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