第三十四章 金切りの森
しばしざわめいた森に、次は重い呻きが間延びする。
「おい。こいつまだ生きてるぞ。気色わる」
「お前らじゃあ致命傷は無理そうだな。分け前は俺が一番多く貰うぞ」
腕で締め上げた猪の額を、団員で最も屈強を自慢する冒険者の斧が削り落とした。
魔力源を身体から切除された魔獣は、涙を讃え知性を感じさせるも、最期はなんの変哲もない獣のように大口から血を吐き零していた。
「よし、討伐成功。これで俺達もAランク冒険者の仲間入りだ!」
原初の時代を残す禁忌の森に、
「大金が掛かったデカい仕事の割には、案外呆気なかったな」
解体道具を荷物から出すのを横目で眺める。
獲物に対しても尊厳を払えるような知能がある熟練のハンターなら、猪にはまだ意識があり、これ以上の苦痛は望まなかった。
蟻のように群がる冒険者に牙を抜かれ。皮を剥がれ。
食用に薬用と取引すれば一年は食うに困らない金に代わる肉と内臓を抜かれしばらく経っても、脳と目が残っていれば、生命力は猪の死を遅らせるだろう。
「手当てして……ッ!」
エイルが喉を張ったから戦利品に眩んでいた目が覚めたわけでもない。薄弱な本心を丸裸に緩慢と嘆息するこそ、パーティーの日常のあるべき風景。
「ほっとけきゃ血は数分で止まるさ。心配なら魔法を掛けてやれ? 初級の回復法くらいはお前らもやれるんだろ」
シノとてエイルへの加勢を抑えられなかったように回復魔法で済む状況でないのは賛成だったが、発言者が一人増えようと、回復薬を分ける気がないというパーティーの総意を覆せないのは目に見えていた。
「待っててください。すぐ……回復魔法を掛けますから」
「平気、ですぅ。仕事、ですから」
鬱血や裂傷、それだけなら。しかし言い訳の直前、真央は服を内出血を起こした内臓の一部をエイルに吐いたばかり。
〈
「エイルは、正しいことをした」
シノは心から賞賛したが、エイルの苦渋は唇をなお噛んでいた。ここで血が止まるのを見られればせっかくの葛藤も無駄になると知りながら、冒険者を隠すのにエイルをどさくさに抱き締めるという行為に恍惚を見出す自分が、今は少し嫌になった。
「なんだ、森の中でイチャつくとは若者はお盛んだこと。しかしすげぇだろ、俺らのリーダーの
「部外者にスキルの情報教えんじゃねえ!」
拳を頭に見舞われた若い衆は解体作業に戻る。鳥頭な
娘の傷の具合を見るに、団員の受けた傷害を自分に負わせるスキル。編成で従属関係のある者にしか発動しないのはエイルと同じ。
とはいえ、やはり完全な自己犠牲というわけではない。受けた傷が娘に具現する過程で、スキルそのものが威力を減耗させ、効果後が傷となって表れるといった辺りか。
イタメリの炉で暴力を受けていた。娘に危害を与えたのが編成員なら効果の対象から外れる。
斧の呪いが発動した冒険者から娘に害が移らなかった理由と考えるに、
連中の腹は、シノの嫌悪の許容を斜め上にいく黒さだとこれで証明された。パーティーに有益なスキルのためなら、奴隷をリーダーに強制させ使い潰す輩に、エイルの〈
友人と勘ぐっているイタメリと連中の関係も良好ではない以上、力づくで奪うのが自然な流れだった。
無論、娘の居場所はなくなる。それが判ってエイルは、自分の才能に他人を巻き込むまいとした。
築いた友情が目の前で闇に消える恐怖が、まだ癒えていない。
「治ったか。だったらこっちを手伝え」
「それなら私にもできます――!」
血で濡れた剥ぎ用の鎌を取ろうとエイルの手がぴたりと強張る。
「そういや、イタメリの力になりたくて来たんだっけな。嬢ちゃんにできんのか? 震えてんぞ」
「娘の回復でパーティーにはすでに十二分尽くした。それに彼女は目が見えない。荒事は奴隷であるわたしに押し付けるんだな」
故郷の山でも動物の解体はするのも、されるのも経験済みな分、自信も大きい。
「労働だけが用途なんて、勿体ねえぜ? どうだ、嬢ちゃんが主じゃ、いろいろと、溜まるだろー。だからそんな服で誘ってるくせに」
「これは主人と奴隷、双方が同意し着ている。あのチビの面目もあるからこれ以上は口を閉じてやるが」
「シノちゃん、それじゃあ私が趣味でシノちゃんに無理やり着せたみたいじゃ――そうでした」
庇ってくれる時くらいは主人の意を汲んで諍いを起こさないよう努めたシノ。それに、いつだって全力。平常でも怒りに駆られても、エイルとの思い出に嘘などつこうものか。
話題が横に横にと反れ、作業中の冒険者まで会話に巻き込まれていく気配を感じる。
「おい娘、邪魔するな」
「邪魔は、どっちですかぁ。ずっと、この時を待っていたんですよぉ」
解体道具を取り上げられるなり悪態をついてきた真央に、シノはたじろくように憤りにわなないた。
「こんな時でしか役に立てねぇと自覚してるからって、せっかくの親切を無下にするなんて、どんだけ卑屈なんだよ! ぎゃはは――――は?」
「こんな性格にしたのは、だれですかぁ?」
戦闘に負った疲労で白く泡立ち濁った唾を飛ばしてくる冒険者に、赤黒く錆びた鎌が振り下ろされた。使い古され切れ味が落ちていようと、剣も弾く魔獣の生皮を削ぐのに特化した道具をもろに受けた。
暑苦しくて甲冑を脱いで無防備になっていた優男の三枚目が、筋肉からべろりと剥がれ落ちた。
「魔猪の系譜にある動物の血には、強力な毒性があるんです。私の故郷も繁殖期になると出没して退治していたんですが。死体の処理は細心の注意を払っていたんですよぉ」
「くだらねぇうんちく垂れんならこっち代わってくれよなぁ。そもそも、てめぇの故郷はもうねえだろうが――」
周囲の警戒に当たって射手は矢籠ごと背中を断たれた。部位に傷をつけないよう出来る限り上等な状態で売ろうと欲をかいたばかりに、軽装の弓取りが倒れた音に仲間は気づかなかった。
パーティーで遠距離の担当者は一人だけ。短気な団員が集まる中でも、彼だけは思慮が深く冷静に状況を見るのに優れていた。
「でも。まさかここまで、うまくいくなんて」
「――どういうことだよ!!」
「だから……聞いてませんでしたぁ? 猪を狩っていたって。騎士見習いの同期でも、弓だけは褒められていました」
久々の弓羽の感触に緊張し、最後の一人は肩へ反れてしまった。太い血管があり致命傷になる位置だが。猪の首も締め上げるほど元々筋肉が太く届かなかった、と呟く真央に。
「なんで〈
「みんなが私を攻撃しても、スキルで傷がつかないのと同じで、私が団員を攻撃しても、なにも起こらないんです。逆に、私はリーダーとして、みんなのことをよく観察して、調べましたよ、たとえば。討伐した獲物を解体する時、武器を遠くに置くって」
「一番油断する瞬間を、ずっと狙っていた!? 上級モンスターを狩りに俺達が森に入ると言われてから、……なんてことしてくれたんだ! 今日まで食わせてやったのがだれだとおもって」
そう言う。最後に生き残ったのが彼ならば。もしもの時に、真央は返事を考えておいた。
仲間を殺され、これから殺される事を非難する彼はこれで、最も理不尽に思ってくれる。
「私です。私がいなかったら、みんなはここまで強くなれなかった。なのに。奴隷として、私を一番いじめたあなたが、なんで私を上目遣いに怒ってるんですか? なんで、私は、あなたを見下げているんですか?」
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