第三十三章 一対多

 首尾よく作戦が成功し、冒険者一行は顎を低くさせた。


下衆ゲスが」


 上唇の無精髭に太い舌で唾を付ける。互いに頷いて、欺かれた〈岩削種ドワーフ〉の門番を笑う背後の彼らに振り返るシノが向ける軽蔑は獣のと同じだが、実際はヨトゥン=ハイに注ぐそれより、籠ってはいなかった。


 森の木々を揺らす風が一触即発の前兆を攫っていくのを、先頭を歩く冒険者のリーダーは錯覚と疑いながらも感じた。


 利用されたのが自分ではなく、奴隷が側に置いた彼女だとすれば。


「きゃ……!?」


 積もった落ち葉が視界の許に隠した小岩は、一つや二つに留まらない。

 元より、森の中を歩けるのはここで生まれ育った獣か、それと同等に戦えるような強者つわものだけ。


 転ぶ前に何度も助け、助けられたこの二人は、どちらか。


「何を見ている?」

「み、見てません……!」


 少なくとも。奴隷に凄まれ目を逸らし、嘘までついている騎士の成り損ないは本来、こんな場所に来れるようなモノではなかった。


「しっかしまあ、こんなにうまく入れるとは、神域とか世界中に触れ込んでおいて。あいつらの頭は飾りで付いてんですかね」

「なに馬鹿こいてんだよ。頭が岩? …………全身岩でできてっから、俺達をすんなり通しちまったんだろ?」


 先頭の三人になど気に留めず、激しい音の出る熊のような手で鎧を叩く。


「エイル」

「そんなんじゃなくて。おかしいな……歩くのには、慣れてきたって自信あったのに」


 身体を圧す疲労は自分に体力がないせい。背後の喧騒に殺気で威嚇しかけるのを制そうという腹づもりは見え見えだった。


 しかしそれでも説得に応じたのは相手がエイルという、シノの個人的な動機に加え。エイルほどではないにしろ。同伴者もまた、膝が折れそうな誘惑を森の内側で捉え、耐えていた。


「魔力か」


 共に過ごした時間がまだ浅く独り言か怪しいため応答は差し控えたが、リーダーの少女は首肯の意を足音を続けることで示す。


 そもそも。『鋼骸鉱炉ステルヌム・オス・コスターレ』の外は、この世のまさに原風景と伝承されてきた。一帯を呑む魔力の質、天地創造の鍵を握ると『新界教』の教典に記された日より、仮説が改訂されてこなかった。


 土着し文化を土地に根付かせてきた種族さえ、どこまで在るかも掴めていない禁域を開拓する技術は今もってない。


『アースミガルト』への永住権を神から賜った全ての種は、陽の光の及ばぬ闇の森を犯さず、僅かな干渉的行為にも強い制限を設けられている。


 ギルドでは、最高級ランクの冒険者が複数で立ち入るのみを定めた。


「だから、感謝してるぜ! リーダーってのは仲間の役に立つもんだよな」

「ばーか。おめえも調子のんじゃねえよ!? 行くあてねえガキが、安い金で買ってもらえて、リーダーになれたんだ。慈悲深い冒険者様に感謝しろよッ!」

「ひっ、あ……ありがとうございますぅぅ……!」


 彼女とて別に団員の笑いを誘おうと。脅しに引き攣った声に、裏も表もなかった。


 弄ばれる程度の利用価値だけなら、彼女の胸に値札は貼られない。


 人を売買できる資金があるというのは、冒険者界隈では大きなアドバンテージになる。これは馬車を引く牛や馬も同じ。労働力に使われるとは、即ち消耗品。いつかは使い物にならなくなる。


 購入費に所有物の寿命を永らえさせるための出費。労働力が長持ちすれば、潤沢な資金源が長期的な目で確保できている。その日暮らしな冒険者としての箔がぐんとつき、他のパーティーとは大きな差が生まれるという寸法だ。


 人は、他の家畜よりも使い勝手がいい。


「あの門をくぐる度、いい買い物をしたって実感するぜ」


『新界教』の紋章には、教団の管理する全ての関門を通過できる特別な権限が与えられている。破門されれば当然登録も抹消されるが。街から森へ出る門の監視は共同責任者のギルドの直轄。


 人手が少なく委託を頼られた〈岩削種ドワーフ〉に、奴隷市に流された没落貴族の子息の顔なんて回ってこない。


「無法者を罰する手間は、森が代わりにやってくれるから、ザルでいいってか?」

「俺達は特別。ああ、特別さ。なんたってリーダーがいるんだからな!」


 どうやら他にも彼女を買った理由があるみたいだと。

「自己紹介しても? ……金澤恵理子かなざわりえこです」

「!? え。……三宮さんのみや、真央ですぅ」


 歩幅を広げ背後から忍び寄ってくる気配に戸惑いこそされたが。同じ境遇の出だと判った途端、緊張が緩んだ兆候が顔に表れエイルは鼻を膨らませた。


 打ち解けたがっているのは後ろからでも察せられるが、話の内容は知らない言葉なのでのけ者にされる不安だけが心を駆り立てるだろう。


 シノに募らせた罪悪感は後で謝罪に替えるとして。


「一か八かだったんですけど。変人だと思われたらどうしようって思いました」


 わざと笑いで釣ろうしたエイルの企みが真央には透け透けだった。


「……へんな人ねぇ。私、悪い事たくさんしてる、あの人達とおなじ悪い人なのに」


 子どもを金で買うような連中と程度は同じ。真央は躊躇う素振りはおろか、まるで自分こそが彼らの代表とでも豪語するようエイルに言いつけた。


「ま、街には、イタメリさんの世話がないといられないけど。恩返しするようなもの、これくらいしか私には思いつかなかったんです」


 親近感を餌に近づいたのに功を奏し調子に乗ったエイルは、深堀りして詮索した真央の感情まで模倣し、切羽詰まって思ってもない失言まで。


「責任感が強くて、優しい人なんですねぇ」


 真央は自分を自覚していない。それが、団員の望むリーダーとしてあるべき姿なのかまではエイルにも。


「うるせーつってんだろ、聞こえてねえのか。頭にもう一つ耳穴いれるぞ」

「エイル!?」

「おーっと動くな……? ここじゃあ目撃者は動物か、木くらい。連中は俺らの味方だ」

「下郎ッ!」

「そうだよ。みぃんな、なかよしこよしの悪者さ。街にチクりにいく奴なんかいないんだ。イタメリじゃなきゃ、呪いも発動しないし?」


 こめかみに鏃を突きつけられたエイルを見せしめにする冒険者の喉を裂きたがるシノの口は塞がれた。


「こいつらは後でイタメリに使うんだ。それまでは綺麗に扱え。来たぞ」


 これから訪れるであろう物騒な展開を示唆する冒険者の舌打ちに、エイルを見据えたシノは脳に一つの思考を浸透させた矢先だった。


 突撃に繋がる陣形を察知したとみて間違いない。


 悠然と獣道を横切ろうとした一頭のイノシシは両目を転がすと、武器を構えた冒険者に、自分には知性があり、この局面で、鉄はなんの役にも立たないと冷ややかに諭す。


は……あれが、貴様らの獲物だと。

「豚をブチ殺せ! 武器に血が付いてなかった奴は分け前ゼロだからな」


 息遣いの間、毛皮と同色の銀の残像に紛れ過ぎった魔猪は陣形の背後に回っていた。両端にしゃくれた下顎から伸びたなまくらの牙は、叫んだ冒険者の腸を咥えていた。


「あ――――」


 空いた内臓がどこに行ったか見つけると、粘り強い血糊に溺れる悲鳴。懸命に生きようと燃える魂が、ゆっくりと冷たくなっていくような。


「真央――でも、どうして!?」


 エイル同様に魔獣も当惑したようで、シノ本人も驚いた。


 冒険者の放った弓が魔獣の隙を突いた。猪の鼻がぶるりと息を立て、鼻頭から眉間に集中した殺気が光る。知性体の司る魔力の刻印にあり得るような光は、矢の羽を射手に帰らせた。


 鏃が貫通しようと弦を絞る男は、短気な猪の集中が切れるのを誘い続けた。


 己が複数の敵意に囲まれつつあるのを感じ取った魔猪は、蹄を地面にかき鳴らし鬱陶しい火の粉を蹴散らす。地面に顕現した顎に冒険者は身動きを取れないでいるが、笑うのをなお止めない。


「すげえ、A級の魔法を詠唱もなしに!」

「武器の刃も通るか?」

「弱点は額の紋章、そうじゃなきゃ……殴り殺すのみよ!」


 身体が壊れるのも厭わず拘束から脱出した冒険者は、金の塊である命を忙殺すべく走る。


 魔獣から繰られる斬撃を相殺する防御力は、冒険者の武装にはないというのに。骨肉から鮮血が噴こうと、臓物が臀部に溢れようと武器を振るい向かってくる。


 やがて攻撃を突破した冒険者の乱撃が始まった。陣に退路を断とうが、致命傷をもたらすには火力が不足していた。


 いっそ、一息に殺し切ってくれた方が、救いだったろうに。よほどの名工に鍛えられた武器の刃は連戦で丸くなっていた。


 毛皮を打ち筋肉をあと少しで断ち損ねた鋼が身体に残り錆の毒に猪は悲鳴を上げた。

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