第三十二章 ばか

 工房に戻るやいなや、イタメリは炉を温め出した。点火で生まれた熱が作業に取り掛かれる十分な温度に育ち切るまで機嫌を側で窺う。暖まった空気が、燃焼に必要な酸素を煙突内部から捕まえるのだ。


 しばらくすれば、炉が合図を送り始める。燻す様にどことなく印象の近いそれこそ、完成された形こそが本来の姿と思い込んでいる者が生涯聞けない音。


 イタメリが鎖を引いた途端、工房にせり出した武具の鋳型へ、赤熱絢爛と煮えた金属が流された。


 炉に熱が湛える前に投入したエイルは、これが採取した魔石の最終形とは信じられない。


「奇跡でも見たって顔になってんぞ。お前達が使っているスプーンとかフォークの、これは元の形ってだけなのに」

「全ての現象に感動し、涙を流せるこそエイルは清い……。鉄とばかり戯れる無骨な貴様には逆立ちしても得られない心だな」

「逆立ちなら得意だぞ、鍛冶師は腕と、頭に血が上っても鋼を仕上げようとする心意気が大事だからな!」


 逆立ち勝負を持ちかけるイタメリ。勝敗を競う気がないにしてもだ、顎から唇が融けるような態度を見せつけなくても、とエイルは思った。


 些細な事でいつまた喧嘩が始まるとも予想がつかない。仲裁から早々エイルは切り出した。


「溶かした魔石は、放ったままでいいんですか?」


 珠のような汗を腕で掃ったイタメリは炉の火を鎮めると、不思議と呟くエイルに首肯で応えた。


「……魔力が、消えた?」

「なにを!?」


 シノによぎった微かな異変。それは遮熱用の作業手袋を外したイタメリに対するエイルの悲鳴に同調し消えた。


「この魔石はな、熱をすぐ食っても、液体から個体に戻らない性質を持ってんだよ」

「熱くないん、ですか」


 ドロドロに化したあらがねへ、イタメリが直に手を突っ込んだ時にはシノの目を強引に塞ぎたくなったが。二人の様子に専門家が笑っている。仕掛けたドッキリが、見た目ほど過激じゃないという言い分は本当らしい。


「危険はないと」

「魔力を操れれば、に限った話だけどな」


 初見の二人が驚く顔は満足に楽しめたイタメリは鋳型に引き返すと、掃った手を手袋に装入、忘れないようにとでも得心いくように、火ばさみを得た。その先端に挟んだ坩堝で、イタメリは鋳型を掬ってみせる。


「おれ達がこの魔石を接着剤として重宝すんのは、言ってみりゃあ……こいつらにしかない取り柄は魅力だと、おれ達だけが評価できるからだ」


 熱に形状を変えられた魔石が再び形を取り戻すには、魔力が不可欠になる。だが、洞窟から採掘された魔石には、鉱山由来の不純物が混ざっていた。様々なそれと共に同じ炉に溶かされた魔石はもう、二度と元の状態にはならない。


 魔力なしでは、形の維持できない不安な性質を持ってしまう。


「だからか。わたし達に、魔力を制限してみせたのは」

「できないと取れなくなっちまう」


 シノの疑問に説明したイタメリから魔石が零れない。鋳型に使った坩堝には魔力を帯びた素材が使われているとみて間違いない。


「身体の魔力の調整、それがイタメリさんのスキルなんですね」

「そんな大層なもんじゃねえって! 練習すればエイルちゃんも覚えられる」

「なにがそんなにおかしいんだ」


 シノに睨まれながら、作業台に用意された弓の部品に、イタメリは溶かした魔石を塗り込んでいった。弩級は部品単体でもイタメリの手には余る。ほんの数秒の感覚で全身に疲労が圧し掛かってきた。


 イタメリの設計に誤りはなかった。ここまでの工程は接合を最終目標に組んだ。あらかじめ削っておいた凹凸、精密な、頭の中のイメージ通りに部品同士が完成するよう削った。だが、弩級が精密な機構を果たすために必要なパーツも含めれば、指で摘まむのもやっとな質量になる部品があった。


 脳が描ける想像が、いかに陳腐か、痛感する瞬間。覚悟を成功させるには全神経が求められ、魔力を操作する余裕なんてない。


 魔石が肌に付かないよう手袋をめての作業は、脳がぐちゃぐちゃになる葛藤を押し殺しながら続けられる。


 完成は、遅延でもなければ、二日を跨ぐ予定だった。


 一息、二息と経過した時間を測れば、舌が口を緩ませた。無意識にそうでもしないとイタメリは窒息する。


「無機物にだって魔力は宿る。由来が違うだけさ。エイルちゃんだって、どっかで魔力の操り方を習っているに違いない。そうさなぁ……たとえば」


 親。友人。他者。種族が違っていようと、魔力の操作が自律的にできないのは、加減もなく常時魔力を持つ魔石や神樹、それが根差した土地そのものくらい。


 たとえ魔力が扱えない存在がこの世にいたとするなら、そのモノの起源が元々、魔力がないとしかあり得ない。


 それが種として、単なる自然界にありふれた風邪の免疫、や知識の継承もままならない肉体と知性。


 この世で最も脆弱な生き物にも、劣ろう。


「エイルさえ望めば、わたしが手ほどきしてやろう」

「シノちゃんは、魔力を意識して操れるの?」

「強化の類でよければ心得がある。限界は、認めるがな」


 歴戦の武人も、始めは己の力量の把握から。しかしそれも〈ツノ〉が折れた紛い物の血筋。故に赤子同様の無理を強いられるとシノはエイルに自信を示せない。


「機会があれば、また」


 肉体の強さに見合わない鉄火場に臨む度胸がシノのように持たなエイルは、教えたいという前向きな気持ちだけありがたみを感じ、今は自重した。絶望を眼に焼きつけたような表情になり切れなかったのを知るに、無理をさせたくない優しさはどうやらシノに届いたようだ。


「ちょい休憩、あ~肩いてぇ。目も疲れた」


 熱い湯で眼球を洗い流したいイタメリはエイル、シノの間に割って入るようにへたれた。


「宿に戻って、食事でも摂られます?」

「あそこだと腹空くし、眠たくもなるから……。ガッツリ休むと、日が落ちた後、集中続かなくなるんだよ」


 徹夜をほのめかしたという事は、普段からイタメリがそういった予定を組む性格で、今回もそれで行こうとしている。


「似た者親子だな。だったら、作業が増えるのはむしろ好都合だろ?」


 ノックもなく神聖な工房に押し入った連中に、イタメリの疲労に滲んだ額に不快が混ざった。


 礼儀も弁えない態度は身なりにも表れ、背後に控えた連中も堅気とは縁遠かった。


「何の用だよ、こんな大勢で押し掛けて。おれがいるところが酒場になるんじゃねえんだぞ」

「俺らが嫌いなら、合図に煙突から煙なんか上げるなよ。いい加減、俺らの武器を鍛え直しちゃくれねえか?」


 またその話かと。聞き飽きて辛辣を吐く唾もとうに枯れたと伝えたのに。


 おい、と大柄な冒険者に倣い取り巻きがイタメリを差したのは武器。よほど長い間使い古されたらしく業物か、なまくらか判別できるのは鍛冶師の心眼くらい。


 一つエイルがシノの目を借りて言えるなら、錆は見た目だけでなく、武具の発揮できる威力も損ねていた。


「炉はもう消した。砂鉄一つまみだって溶かしゃしねえよ」

「……釣れねえ事吐かずに。前言ったろ、金を払えばやってくれるって」


 言ったのは、やってほしけりゃ大金を積め。冒険者がAランクを達成しても足りない額は要求を拒否した方便だった。


「Cだって手に負えないのに? 銀行の馬車でも襲ったか」

ツラで負けてるが、平和主義がモットーなそんな事しねぇよ。…………早く持ってこい、なにトロトロしてるウスノロ!?」

「はっはぃいい……!」


 非難の視線に刺されながら冒険者をかき分け顔を出した小柄な少女。


「こいつの名は……まあいいや。イタメリは初めて見るな、俺達の新しいリーダーだ。家が金持ちなんで、こいつが武器の修理費、全額払ってくれるんだとさ」

「か……ご確認、ください……」


 紹介を済ませた男に背を叩かれ、萎むように出された巾着袋の中身より、イタメリは少女の素性を詮索した。


『新界教』の騎士見習いだけが着用を許された制服で貴族の出だとすぐにピンときた。泥をはたけば新品だが、腰に提げた長剣は、どう見ても教会の技術で鍛えたのではない。


 おおかた、没落して売られた貴族の娘が、安く買い叩かれた、といったところだろう。金は、恐らく万が一に用意した隠し財産。それでも、少女自らの命には代えがたい。


 とはいえ同情はしない。ここは、そういう場所だ。

 だからはっきり、交渉が失敗した後を想像し怯える少女に、イタメリは言ってやれた。


「安いな」

「そいつはあんまりだろ。せっかくリーダーが、俺達のために、用意した金だってのに。こんな幼い子にまだ払わせる気かよ」

「これはお前らにくれてやる。最初から欲をかいたから、断れないように頭やらせてるくせに」


 イタメリに金を突き返された少女は、かちかちと歯を鳴らし、配下の顔色を窺った。


「……シノちゃん」

「エイルの気持ちは尊重したいが。それだけは違う。あの人間は、エイル=フライデイじゃない」


 助けてはならない。同情すべきはトラブルを持ち込まれたイタメリだと諭すシノは、視線を閉ざす。シノ。少女。二人の人物に同調したエイルは闇の中で懸命に、納得しようとした。


「お前の親父は、仲間の俺達のために道具背負しょって遠征に付き合ってくれたぜ。職人の娘なら、親でもあり師でもある親父さんの意志を継ぐべきじゃあねえのか」


 イノシシの首骨も簡単に外せるような腕は、柔らかい少女の身体を蛇の腹のようにねっとりと締め上げた。酒焼けした喉を塞ぐ事も許されない耳に触れる位置で、成す術もなく、泣く事もできない戦慄をいかにしてもてあそぶか、イタメリに見せつけてやった。


「ここまでされて、貴様は」


 毒を調味料に泥を煮るような。弱肉強食などと聞こえもよくできない。存在がただ一方的に嬲られる醜悪な光景にエイルが弱っていくのが、シノは耐えられず声を荒げてしまった。


「シノちゃんはお優しいねぇ。こんな親子の区別もついてねぇ目が壊れた連中に向かって。全く、鉄の相手以外はとんと才能がないんだからあの人は。おれは御免だね、人間じゃねえ奴らの武器を綺麗にすんのは」


 修理は断固拒否。返事がより伝わりやすいよう、イタメリは、人の形をした害獣の臭いに鼻を摘まんでやった。


「このガキ、手足斬り落としてトロルのケツん中ぶちこんでやらねえとわからねぇか!?」


 リーダーの少女を蹴り倒した冒険者の痩せ男が、腰の剣の柄を取る。

 

 攻撃の意思。イタメリを切り刻みたい欲求への悦びを持ち主の男が持った、それだけで剣は呪いを生み、創造手である〈岩削種ドワーフ〉の娘に触れようとした事を後悔させた。


「ちっ。くそぎたねえな」


 抵抗できない少女を解いて興が冷めた場を見下した冒険者の他、イタメリもため息をつく。冒険者の命は、武器があろうと賞金首の掛かった魔獣に喰われる。だから、安い。忠告なんて親切な真似は期待できない業界で、先輩の武器を徒に振るった男がそもそも馬鹿なのだ。


 武器もちゃんと扱えない無能に心が動くような低能は、ここにはいない。だが、諦めるのはまだ早いと。いきなり前に出てきた二人は、どうやらイタメリの大事な客だったようで。


「エイルちゃん、なに勝手に!」

「ごめんなさい、でも……あの、イタメリさんを説得するのは、私にはできませんが。でもみなさんは、この街の冒険者、なんですよね。でしたら、イタメリさんの代わりに、私が力になれる用はありませんか!?」


 剣を持った男が全身の血管を膨らませて気絶したのがショックで、少女は泣いていた。騎士の恰好しながら立っているのもやっと。だからこんな街に売られる。


「これ、よかったら」

「あ……ありがとう、ございます……」

「――いいぜ、俺達のリーダーを庇ってくれたんだ。それに免じ、今回だけは嬢ちゃんの提案に甘えるとしよう。なあ、みんな?」


 生きるとはどういう事か知る知能がそもそもないから、泣いて悪い状況が過ぎ去るのを待つ。


 そんな奴にハンカチを渡して、涙を止めようとする奴も、笑ってしまうくらい馬鹿と決まっているものだ。


 +++


 暮れなずむ無法者の街に、黒い森が絶音の風を吹かす。閉めた戸を侵食せんと突く魔の手を感じたイタメリは、汗を身に帯びてずいぶん時間が経った、と渇いた喉を下した唾で舐った。


「それは、ジェム=アラネウスの仔の糸だな」

「ほう。おれの手つきを見てわかるとは」


 これくらいとでも、入口の許で作業に没頭するイタメリの具合を見学するトールは懐に手を突っ込む。


 守手もりてとして神の脇に立つべき高潔な騎士が、じめついた穴蔵のモンスターをぴたりと言い当てたのもそうだが、無粋にも上から目線に評価する鍛冶師へ横顔を、笑って見せるなんて。


「ひとりだったか」

「ああ。見ての通り今夜は手が空いてねぇんだ。作業を手伝ってくれるって申し出なら、気持ちだけ頂戴させてもらわぁ。お前さんじゃ、手が大きすぎる」


 洞窟に張られる糸は蜘蛛の体重を支えうる柔軟さと強度を兼ね備えると謳われるが、前例のない無謀の素材にしたイタメリにしてみれば、逆に集中を欠きこれまでの苦労がご破算になる耳の痛い話だ。


 目線に届くよう机に固定した糸同士を編み込んで、太くする。髪の毛程度だった生糸で目指すは、弩弓から射す矢の弾速、矢羽根からの魔力の劇出にも切れない世界最高の弦。


「ここで手を貸してやれば、街で一かたい君に恩を売れて、武器を鍛えてくれたかもしれないね」


 雷霆を轟かせる神から授かった祝福を力に戦う赤神の騎士が俗物な欲望を語る。皮肉を吐くのに頭を捻ってやりたがったイタメリは、嘆息で堪える。力が、髪の毛ほどでも変化すれば、糸が切れる。


 緊張と平穏の間に張った綱の上で、絶妙なバランスを取らせた。


「森で冒険者が全滅した。先日、武器の修繕を頼みに君を訪れた者たちだ」

「…………」

「私が訪ねた時と同じく、やはり動じない。隠す気はないんだな」


 近くに複数の足音。冒険者の残党が街に戻った彼女らに追いついたとトールは視る。

 冒険者の死を振れ回ったこの街のギルド長は、外で売り買いした人間を冒険者にして、商談で損失した自分の代金を稼がせる外道だが、末端でも教会に名をつらね、人材の『再利用』に貢献している以上は、彼の商品である冒険者も、教会の所有物。


 要請を受ければ、殺した嫌疑を掛けた彼女達の捕縛に騎士として協力しなければ。


「君の処遇は、私が便宜を図ってやろう。その才能は、我々に多大な貢献をもたらす。ここで失うには惜しい。に付き合ってくれた礼も、したいしな」


 二人の少女の逃亡を手助けする男の特徴。


 およそ人間離れした体躯に、魔物の臭いを放つ。


「なんだ、私を止めたりするのかと」

「俺は職人だ。いい道具を作って、人に渡すしか能がねえ。……追えよ、お前さんとあのトロルにどんな因縁があるかどうかなんて、おれの仕上げる逸品には作用しねえ。急がねえよ、どうせ――あと少しでできあがるからな」


 すでに剣を抜いたトールの姿はなかった。


 雷鳴が街に迸り、轟きに、夜の帳は無慈悲に裂け落ちた。


「しっかし。どうして、こんなことになるんだ。エイルちゃんよー」

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