第三十一章 弩級と度胸

「これ、イタメリさんが?」


 壁を見上げたエイルが感嘆を呟いた長剣の他、イタメリの工房には様々な武具が飾られていた。双頭の黒斧。それと対角線上の鎚は、日陰にありながら舞う土埃を日輪のような光沢で照らしていた。


 吊るされている武器で壁ができたのかとシノもエイルも言葉を失った。


「すごい数だな」

「シノもありがとよ。だが、ここは親父の工房で。おれはただ棲み付いているだけさ」


 居候という言葉さえ使おうとしないイタメリのひねくれた性格にシノは呆れ笑いをした。


「鼠みたいなことを言うもんだな。家族だろ」

「親父もお袋も冒険者で、実家といやぁ、ギルドから出る援助金で泊まってた宿なもんでね。暴力女将と家族はおれが産まれる前から付き合いがある」


 この世界でギルドに登録すれば、冒険者は色々な待遇を受けられる。依頼から職を斡旋して貰ったり、住居を合わせた生活費をギルドから捻出もされる。


 もちろんギルドの指定したランクに応じ援助金は変動し、報酬も差し引かれるという制限を設けられるけれど。


体系に才能を測られるのを嫌いフリーで活動するような気の荒い冒険者もいるが、武器や防具の修理費用も自己で負担しなければならないので、生存率は低い。


 高額な報酬が約束された依頼ともなると、住民の安全を脅かすような危険な達成条件が行政から付く事や、報酬を払うのが身分の高い人間の場合が多い。どちらを取っても信用に関わる仕事を、ギルドは限られた冒険者にしか紹介できない。


 冒険者を一番殺しているのは、モンスターではなく、生きるための身銭なのだ。


「こんな工房を建てて貰えるなんて、すごく、立派な方だったんですね……」

「ここにギルドの金は、一銭も絡んじゃいないよ。炉の設計から石材の確保まで親父がひとりでやったんだ。自由に使える金を減らされる羽目になったガキは、当時こそ親を恨んだが、大人になれば、はらわた煮えくり返りながらも、感謝してるよ」


 苦笑するイタメリは重油を吐くようだった。


「しかしだ、これほどの武具なら、売り捌けば高値で買い取ろうとする者は、品数の十倍は出てくるのでは。貴様は、なぜそれを拒む?」


「おれだって許されるならとっとと処分してぇよ。武器の下になんざ、おちおち布団も敷けやしねぇ」

「許される許されない――の問題なのか」

「街で武器を売るには、ギルドに登録して、許可を取らないといけないんです。処分するにも」


 エイルから説明を受けても、腕を組むシノはまだピンときていないようだった。


「他の種族や街がどうかまでは知らないが、法なんてあってないここの〈岩削種ドワーフ〉はその点だけ、締め付けが厳しくてな」

「やっぱり、危険な冒険者に武器を売ったら、治安が危ぶまれるから、ですか」

「そいつぁ“建前”だよ。お上はギルドと組んで、上等な武器、その武器をてる腕をロハで手に入れたいのさ」


 種族に限らず、職人というのは気性が荒く皆我が強い。絶対の自信を置いている最高の技術は金では動かせない時がある。


 法を破った鍛冶師の権利は国家の管理下に置かれ、造りたくもない武器を格子の中の炉で死ぬまで鍛えなければならない。


「登録したら、職人はギルドからの注文を断れなくなっちまう。ギルドの注文は、お上の注文だ。ここにある武器や鎧は、親父が自分の趣味をちょちょっとでも加えたばかりに鍛え直されもせず……振るい手からも鍛冶師からも見放された、失敗作なんだよ」


 職人ではないエイルもシノも、イタメリの話に同調はしてやれなかったが、武器の光に眩しいと思った工房が、墓地のように物悲しくなったと漠然に思った。


「じゃあ……も?」


 冷えた煙突の逆風に舞い上がった炉の灰に曇る鍛冶場に零れたシノの疑問に、彼女と同じ光景を見るエイルも心を打たれた。


「これは……弓ですか」


 剣に斧に、フルプレートのアーマー。工房にありふれていたのは近接用の武具だった。

 部屋の隅で埃に埋もれているわけでもないのに、壁に掛かっていた唯一の遠距離用の武器にエイル達が勘付けなかったのは。


 素人の目を濁らせるほど、イタメリの父が鍛えたという武器の放つ輝きが強過ぎたためだった。


「ああ、これは……なんと言えばよいか」


 実父の失敗談を語る時は饒舌だったイタメリのペースは、そこでなぜか突然崩れる。


「確かに、そうだな。これをなんと言えば正解か」

「……大きい、です」


 壁から吊り下げているというより、末弭うらはず本弭ほんはずの長さで工房の天井を支えていると錯覚しそうだった。


 規格に外れているのは、大きさだけでなない。


「まさか、素材に金属を!?」


 違和感の真偽を鑑定しようとシノが目線を急接近した事で、弓が単一の木製ではなく、複数の部品を継ぎ合わせているのがエイルにも判った。


「……工房に余ってた素材じゃあ、単体でも合金でもいい武器にならなかったんだよ。で、木製の本体を二つに分けて、金属同士で継いでやりゃあ、発射の威力もついでに上がって一石二鳥と思い、造り始めてみた……もののねぇ」


 壷に刺していたスクロールの束から一本抜き、卓上でイタメリが紐を解けば弓の設計図に早変わりした。


「これの、どこに問題が」

「武具の鍛造に〈岩削種ドワーフ〉は代々、魔石を好んで使うんだ。魔力の含有量が高いと素材の不純物も少ないし。しかし」

「“しかし”、なんだ?」

「本来の素材だと、魔石の魔力に本体が持たないんだよ。素材に切り出したヤドリギを使ってみたら、一応、火だるまになることはなくなったんだが。魔力に耐えることばかりに気を割いて、気が付けば、こんなに大きくなっちまってた」


 ヤドリギは、魔法使い職が携える杖の素材に使われる神聖な樹木だ。エイルの杖も、村の風習でエイルが産まれた時に植えたヤドリギを使われていた。


「七年掛かったが、完成まであと一歩だ」

「いや掛かり過ぎだろ、他にやる事なかったのか」

「余りの魔石だけじゃ足りずに、素材にどの種類が合うかも一から調べなきゃだったんだ。それに、これ、おれよりデカくて運ぶのもたいへんなんだぜ!?」


 イタメリの広げた手の痛々しい肉刺マメの痕が、制作がいかに命懸けかシノに語った。スクロールにも、膿の交じった血の手形がべたべたと。


 二人の好奇心に負け白状したイタメリはそんな有様でも、父親の失敗談より、活き活きと話を披露したのだった。


「完成したら、試し撃ちはわたしが引き受けよう、……丁度いい『的』も、幸いあるしな」


 弓をつがえる動作をしたシノの見据えた展望には、トロルのいる安宿が。


「貸すのはいいけど、最後といっても材料の調達は明日の予定だから、ちょっと待たせるぜ? それまで、シノの正気が持つとは、おれはどうしても思えんが」

「……あの、イタメリさん。突然のお願いで、申しわけありません。でも……イタメリさんにしか、頼めない事なんです!」


☆★☆


「なあ。エイルと盗人くん、ひょっとしてなんかあったか、喧嘩とか」


 朝からこんな調子でイタメリに詰められ、眉間からつま先までシノは不快でいっぱいだった。


「あの、イタメリさん! ……ちょっと……休んでもいいですか? 足が痺れちゃって」


 最後尾で足を擦るエイルにイタメリはふと懐中時計を確認。坑道で魔石採集を始め一時間が経っていた。


「入口からここまで、かなり集めたしな。おれが持つよ」

「おんぶだ、エイル。それともだっこ? わたしはだっこ派だ」


 疲れたと肘に手を突き息を荒くさせておいて、魔石を詰めた肩掛け鞄を奪おうとしたイタメリの腕をエイルは猫のように身を捩り避けてみせた。


「あ、そのっ! ……手伝うって、イタメリさんに強引に約束させたのは、私ですよ? そんな私から、シノちゃんまで仕事を取ろうとするなんて。あっはは、ひどいなぁ全く」


 肩口にずれた鞄の帯を首筋に張り、二人を追い越したエイルは壁に埋め込まれた魔石の鑑定を〈岩削種ドワーフ〉の少女に頼んだ。


「これは、どうですか?」

「純度も安定しているし、結晶と不純物の比率も申し分ない。これで、魔石の方はノルマ達成でいいだろう」


 イタメリの振るう片手用の鶴嘴ピカクスの金切り音が魔石を坑道から削り出す。


 ガス灯の連なった大穴では、何十人もの〈岩削種ドワーフ〉がトンネルの腸を道具で抉り、地面に落ちた石ころ相手に、汗水垂らし保護眼鏡の奥から目で会話をしていた。


「こっちにトロッコまわせぇ! 魔石零すんじゃねーぞ!」

「どいつかピカクス貸してくれねえか!?」

「やったぜ、こいつは上玉だ!!」


 少ない酸素で興奮状態になった鉱員の汗が洞窟に流れ落ち、または飛び散り。蒸発した〈岩削種ドワーフ〉の汗水に坑道はサウナと化していた。


「〈岩削種ドワーフ〉の荒らし場でうっかり足を止めると、胃袋が丸ごと飛び出るぜ!」

「鼻……わたしの鼻は! ――よかった、ちゃんとある」


 シノが走り出すのが二秒遅ければ、鼻以外に両目も涙で滑り落ちるところだった。


「貴様らは……よく笑っていられるな。特別な訓練、魔法で鼻の神経を殺しているのか」


 嗅いだだけで冷や汗が全身から噴き出すと訴えんばかりの顔でふり返ったシノに、イタメリは湿った人差し指を立てた。


「歩くよりも、親の顔よりも先に、岩の掘り方を憶える。それが〈岩削種ドワーフ〉っていう生きモンさ」

「? それ、ちょっとおかしくありませんか?」


 親の顔を知らなければ、イタメリは誰を手本に採掘の技術を習得したのだろう。


「冗談抜きで、なあシノさんよ。エイルって嬢ちゃんは、ホントは活発な子なのかい?」

「汗臭い、寄るな岩女。ふんだ、戯れ言しかさえずれない貴様なぞ、エイルの性格を量ろうとするのがそもそもおこがましいのだ」


 イタメリがなにを吹き込んでこようが、主従の契約以降、シノの五感はエイルに全幅の信頼を置いた。確固として断言する。


 土竜モグラの肛門のようなむくつけき男共に囲まれ、イタメリを圧倒するほどの質問を繰り返すのは断じて。


 なんてシノの虚勢も契約上、主であるエイルには曝け出し伝わった。それは概ね正解だと、自分を含めた全員、当然、昔話は尻切れトンボにあれから会えていないヨトゥン=ハイにも認める訳にはいかないので大仰に振る舞っていた。


「あの、この魔石……初めて目にする種類なんですけど、弓にどう使えるんですか」

「これが魔石だとは、わたしはまだ貴様を信用していないからな。適当な石を詰めさせわたし達を苦しめる魂胆なのはお見通しだ」


 朝露あさつゆのような水滴にしっとりしたエイルを庇うシノときたら、毛嫌いしていたはずの体臭も白衣の少女なら、むしろご褒美と言わんばかりに鼻を鳴らしていた。


「おいおい、お嬢さん方〈森棲種エルフ〉みてーなこと言うのはよしてくれよ。“石”の価値ってのは、外面そとづらで決めるんじゃねー」


 採掘用に厚手にあつらえた手袋の上で、エイルの採った魔石を一つイタメリは砕いてみせた。ただの岩壁の欠片だと油断していたシノもエイルも、その断面に奔る血管のような跡に瞳孔が開く。


「魔石の使い道は、魔法の触媒や使用者を美化させるためだけじゃない。このクォーツはそれをおれたちに教えてくれた。こいつを熱せれば、筋状の結晶だけが粘り気のある液体になる。魔石だから、物体全体の魔力の伝導性を高めてくれるんで、おれたちは魔道具の接着に使う」


 解説に一区切りつけると、手の上の魔石から流血のような輝きが失せると、イタメリは割った魔石を二つとも放り捨てた。


「捨てちゃうんですか?」

「空気に触れると結晶だと魔力を失うんだよ。わりぃ、せっかく採ってくれたのに、一個無駄にしちまった」

「使い道を知ってるイタメリさんがそうしたんです。教えてくれて、ありがとうございます」

「でも貴重な素材なんじゃ」

「部品の接着に使う分が欲しくて、ついでで、道すがら立ち寄っただけだよ! 今日集めた魔石ぜんぶ溶かして売っても銀貨一枚も貰えねぇってのに」


 からからと喉を鳴らすイタメリは、手を突いた壁から捨てた分の魔石を鞄に補充した。


「いるなら採ってやろうか? ここらへん突起、ぜんぶそうだから」

「いい」


 賢くなったのに、損したような。シノは不思議な気持ちにされた。


「じゃあ、ここにはなにを採りにきたんでしょう?」

「もうちょっと進めば見えてくる」


 作業場を後に、途中分かれ道を三つ越えてイタメリに案内された。


「この先はこれを持って進んでくれ」


 坑道の脇に立っていた〈岩削種ドワーフ〉からイタメリがエイルに渡した鳥籠には一羽の鳥がさえずりを歌っていた。


「エイル、カナリアを見るのは、ひょっとして初めて?」

「実は……はいっ」

「洞窟に鳥がいるのは、あの蜘蛛の巣が理由か」


 笑みを繕うエイルからさりげなく鞄を受け取ったシノの鼻頭の先には、坑道を白く覆う蜘蛛の巣が広がっていた。


「ジェム=アラネウスの幼虫の巣だよ。巣立ちの季節になると、ああして子蜘蛛同士で群れを作って集団で巣を張るんだ。Eランクの小型モンスターで成虫も〈岩削種ドワーフ〉の頭ほどしかないが、石工野郎にとっては厄介の種でね」


 巨大な海蛇『ヨルムンガンド』の近縁である地の王『ヘル』を祖とする大蜘蛛アラネウス属は、全ての種が毒を持つ危険な魔物だ。鋏角から滴る一滴の毒で、森を涸らし、そこに棲む生き物を全滅させるなんて伝承もある。


 そんな恐ろしい同種と比較すれば弱い性質のジェム=アラネウスの毒は、同じ体積の獲物にしか左右しない。しかし脱皮回数の少ない幼齢期にだけ、毒は気化する性質を持つ。群れ全体で放出させた毒霧で外敵を撹乱するのだ。


「毒の濃度が危険値かどうかを知るのに、おれたちはカナリアを連れて行くんだ。毒霧が濃くなってきたら、そいつが鳴いて報せる」


 採集用の木の棒にイタメリは巣の先の蜘蛛糸を巻きつけていた。


「魔石を含んだ岩に強靭な巣を張る生き物は、アースミガルトでもこれ一種、幼虫の時だけでな」


 初期の構想では通常の弦と同じでいいと絹糸を揃えたイタメリだったが。直前で発覚した重大な問題によって完成は大幅な遅延を余儀なくされた。


 ヤドリギはすぐに調達できたけれど、魔石由来の自然発生の魔力にも耐え、蔓上に編める製糸ともなると、土地柄当てはあったが時期を待つ必要があった。


「弓の弦用に、この時期が来るのをずっと待ってたんだ」


 綿菓子のようになる棒を、一息ついたイタメリはシノにバトンタッチした。


「おい、わたしも集めるとは聞いてないぞ!?」

「エイルのあの目じゃ、採っているうちに蜘蛛に見つかっちまうよ。連中は臆病だから慎重に進まないといけない。それとも……虫が怖い、わけないよなぁ」

「…………だまって貸せッ!! 根こそぎ採ってやる!」


 根こそぎ採ってしまうと、子蜘蛛を結果的に怖がらせるでシノにはイタメリは自重して貰いたかった。


「エイルはシノの後ろにゆっくりついて行ってくれ」

「イタメリさんは?」

「おれ、足がたくさんある生き物、駄目なんだわ!」


 蜘蛛より先にシノが憤慨しそうな本音をさらっと言ったけど、肩を抱きながら地団駄なんて、女の子らしいイタメリの一面にエイルはくすりと噴いた。


「よろしくおねがいします」


 エイルの挨拶に、ちゅん、とカナリアは応えた。


 シノと同じ視点だと、自分が蜘蛛の巣を採っているようにエイルは錯覚した。


「……ヨトゥン=ハイさんを、避けているんじゃ、ないんです」


 イタメリに同行を許可されるとは、内心思っていなかった。断れれば潔く引き下がろうとしていた。


「やっぱり、避けているんでしょうか」


 ヨトゥン=ハイは命の恩人だ。彼を置いてイタメリと行動を共にしている今この状況が危険を孕んでいるのはエイルも重々覚悟していた。


 イタメリの父。トール。自分では癒せないほどの復讐を抱えている。


 旅を通して一面をさらに知れば、ヨトゥン=ハイは、エイル=フライデイの恩人ではなくなってゆく。


 なにも返せず、完璧に共感もできない。だけ。


「そんなの、……あんまりですよね……」

「ちゅん?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る