第二十八章 鋼骸鉱炉

「イタメリ。この街で鍛冶の真似事して食い繋いでいる〈岩削種ドワーフ〉だ。よろしくなくともよろしくな、お嬢さん方?」


 石橋の欄干に背を預けながらイタメリは早急に挨拶を済ませた。


「エイル=フライデイ、人です。先ほどは本当に、ありがとうございました」

「…………」

「おいおい、そちらさんはこの話題には無口になったなぁ。いらんお節介を焼かせてもらうが偽名でも名乗っておいた方がここじゃ過ごしやすいぜ? ここの連中は沈黙を嫌うんでな」


 水路に裂かれた都市を一瞥したイタメリは小気味よく声を弾ませ、シノも目線を彼女に併せた。


「……シノ、だ」


 煮え湯を吐くような気分に顔を曇らせる。


「あの、私達のことは」

「そんな命乞いみたいな声出さんでもいいよ、このおれがあの騎士と同じに見えるか?」


 食い下がってくるエイルに両手を突き出すイタメリ、その酷く迷惑そうな動作にシノもエイルと顔を見合わせた。


「名前を言ったらあとはもう十分だ。それ以上は訊くつもりも、知りたいとも思わねえ。少なくともおれはな、全く、勘弁してくれ」


 警戒された。だがエイル達の予想に反している。エイルやシノの名に関して確かめた行為自体にはイタメリは動じようとはしなかった。


 だが岩削種ドワーフの嫌悪から演技の気配をシノは察知できなかった。


「知り合ったばかりの他人を知り尽くそうとする奴は、高潔か、自分はそうだと完全に信じ切っている奴――要は、馬鹿だけってことさ」


 友好を築くには呼称を決めるのが第一歩だ。自己紹介の時間を提案した岩削種ドワーフの談だった。


 思惑に乗るべきか、シノはまで迷い、エイルは即決だった。二人の差異は、選択肢の多少。


 エイル自身にとって、名とはそれほど重要な価値を持たない。口で誤魔化したところで外見の特徴から連想するのは逃亡中の異世界人。セツナ=グレートフィールドも本名を確認する前にエイルだと知って捕まえた。


 一方で、シノには最大の特徴である〈鬼人オーガ〉の角が折られている。顔の露呈についても、奴隷を一掃したトール本人は気付かなかった。いちいち記憶する価値も、最初からないのだ。醜い奴隷の顔などに。


「まるで自分は違うと言いたいような口振りをするな? ただの馬鹿の方の方が性質タチがいいと、わたしは思うぞ」

「癪に障る皮肉だなぁ……だが。気分がいい、無鉄砲な威勢じゃねぇ。面の皮の厚い連中の汚ねぇ裏の顔を嫌と見てきてうんざりした眼をしてやがる」


 一人目の衝撃が強過ぎただけさ、とイタメリに倣い肩を竦めるシノが共感した通り、嫌気が差しているのは彼女もまた同じだと、釘を刺すように呟いたイタメリに何となくだがエイルも気付いた。


 この岩削種ドワーフの少女もまた、彼女なりの理不尽に取り憑かれていた。粗野な態度は素のようである。小柄な体躯と相まった性格は種族特有な気もした。


 けれどここまでの会話で、イタメリは他者の頭に自分を据え置くような発言を微塵とも見せてはいない。


 執拗な追及は支配だと軽蔑、高貴で犯し難い騎士と自分を同列にはしてほしくないと懇願までしてきた。


「最初にはっきりさせておくが、おれはお前さんらを気に入ったよ。街の裏路地を大手を振って歩けるくらいの安全は保証してやるから安心しな」


 頬の筋肉を緩ませたエイルに不思議な雰囲気の岩削種は片手の上で振り回した斧を掴んで言った。


「さて、街を案内する報酬に一つ確認させてくれ。これについて、なんか知ってるかい?」

「その斧の持ち主――彼女達とわたしはつい最近知り合った。答えに値するような事など持ってはいない」

「そっちの眼帯の嬢ちゃんも、目に痛い恰好の嬢ちゃんと同じかい?」


 ちらりと反らした目線の先をイタメリは確かめたが、板挟みに喉を詰まらせるエイルに、追究にく気を削がれた。


 エイルも、あの“盗人”のトロルの素性に詳しくはないようだ。


「参ったな……こりゃ、直接本人に訊くしかねぇじゃねえか、! ――街を案内する。他の連中にもお目通りさせるからちょっと付き合ってくれ」


 服の内に斧を仕舞い込んだイタメリは左右の肩にエイルとシノをそれぞれ抱えた。街の中央へ向けて橋を渡れば絢爛な景色が到来する。


 石を用いた建築は豪奢ではないが、煉瓦の色を調和させる事で歩行者の目は前方から反れる。吐息のように掛かる風には石を接着する泥の乾いた匂いが漂っていた。近世、あとはヨーロッパという言葉を連想したエイルの耳は自身の靴音に耳を澄ました。


 体重の乗った堅い足音も、こういう場所で聴けば楽器が音色を奏でるように癒しを感じた。


「おれのじいさんのじいさん……そのまたじいさんあたりの時代に設計されたんだと?」


 背後を目尻に捉えたイタメリに嘆息され、上の空がばれていたと知った後続は距離を詰め視線から外れるように足を速めた。


「エイル、わたしの側から離れるな……嫌な気配だ」


 恥ずかしい本心を別の気持ちで埋めようと駆け寄ってきたエイルをさらに引き寄せたシノは建物の支柱から遠ざけた。


 軒下の他、路地裏の壁にも何人かがたむろしているのが確認できた。歴史ある建物に寄り掛かる街の住人は一行にこれという興味も示さない。彼らのほとんどの行動は会話だった。鬼人の鋭敏な聴覚で探った限り、雑談の内容は酒が美味いだの、あそこの娼館の女は上手いだの。


 一人鎧を纏い背中に大剣を背負った男に集中したが、男は剣をエイルではなく取り巻きの男に引き抜いて見せびらかしただけに終わった。人数、装備、上下関係を明確にした口調から冒険者だと判断する。


「そんなにビクつくのは新参だけだぜ? 堂々としていれば連中は迂闊に手ぇ出したりなんかしねぇよ」


 笑顔なイタメリは気さくに住人に手を振ってみせた。ここで振り返すかとシノの予想とは大きく外れ、武器に手を掛けた冒険者の腕は太く膨らんだ。


「連中は手も足も出す構えのようだぞ!?」

「おれが付いてんだから殺されはしないって。シャイってのはかわいいと思ってやるのが相手のためだぞ」


 と、イタメリは同意を求めようとエイルに顎をしゃくってみせるが。鬼人オーガの本能が訴えてくるシノには誤魔化せない。四方八方の暗がりから窺う殺気、標的は三人の少女だった。


「信用していいのだろうか……」


 斧が不調の原因なら、治す手立てをイタメリは知っているかもしれない。それに『新界教』の騎士のトールにも正体を秘密にしてくれた。


「私、頑張ります……! ヨトゥン=ハイさんのために」

「今のエイルならあのトールって騎士にも勝てそうだ」


 街の中心に差し掛かろうとするのを察知したシノに立ち塞がった構造体。街から抜きん出た頂上は目を見張っても見えないくらい高い。見上げる者を寡黙に見下ろすは、かつて存在した神の都を支えていた柱の残骸か、街を喰らわんと突き立てられた巨大なあぎとのようだった。


「風が強いから柵にしっかり掴まれ!?」


 構造内から抜けたエイルを突風が襲いかかる。大空へ攫おうと足許を掬うエイルの手を引くのはシノだった。


「ありがとう!」

「こ、これくらい、エイルのためなら……」


 肩に触れた鬼人の少女の手が、かすかに熱を帯びたようだった。


 シノと視覚を共有しているエイルには、シノが伏せようとした自分のはにかんだ顔しか判らない。エイルには見えないというのに、感謝に打たれたシノがどんな顔になったか。


 視線を追い掛けようとするエイルの揶揄いたい気持ちがつい顔にあらわれていた。


「太陽が頂上にくる、……


 イタメリが上機嫌に振り返る。絶好の機会に立ち会えたというのに、肝心の二人は足場の隅から出てこようとしない。


「? ……おーい! ったく、せっかくいいタイミングでおがめんのにそんなとこいたらバチが当たるだろ!?」


 回り込んできたイタメリの石頭に背中を小突かれた二人は倒れ込みそうに前へ躍り出た。


 崩れる姿勢に驚こうとした悲鳴は、感動によって空砲となった。


「ここなら眺める分には、綺麗なんだがなぁ」


 ぼやくようなイタメリの言が山脈から吹く風に散り散りになり街へ降る。そこに陽が当たれば光の粒子となり家々の屋根は建てられた当時の明るい赤を取り戻す。水路から漂う湿気で重苦しかった無法者の溜まり場などどこを探してもなく、太陽と雪の香りに歌う鳥の飛び立つ華やかな都市が広がっていた。


 切られ落ちた角に異様な風が触れた。おもむろに視線を振ったシノは自分達が来た山脈とは反対方向に森があるのをった。その森の木々の葉は、黒く、陽の光すら呑み込まれた。月が太陽を抱くように、森は街の外周を高い壁を隔て覆っていた。


 見渡す限り平坦な樹海、しかしここからならその中心に在る“それ”を見る事ができた。


 黒い岩の塊が幾重にも等間隔に折り重なっている。半月状に曲がるアーチには山が一つすっぽり収まりそうだった。森は、あの黒い岩から養分を吸って太陽を跳ね返すよう独自の進化を遂げたようだ。


「ようこそ、おれの故郷――『鋼骸鉱炉ステルヌム・オス・コスターレ』へ! 歓迎するぜ、エイルにシノ、あとくん――!」

「あぶないですって!?」


 柵の上へ飛び上がると、街を背景に〈岩削種〉の少女は高らかに両手を上げた。石柵は頑丈そうだが幅は狭くイタメリでもつま先と踵ははみ出していた。


 エイルは助けようとしたが、手を出せば誤って落ちてしまいかねず、手を伸ばしたまま固まる。


 乞われても――シノがエイルに手を貸そうとしないのには、わけがあった。イタメリに死ぬ気はない。むしろ、溢れんばかりの感情に身体は震えていた。


「いっやぁ悪い、やる気はなかったんだが。気持ちよくてついはしゃいじまった! 行こうぜ」


 発散し終わり石柵から着地したイタメリの顔から熱が抜ける。


“とうとう、手掛かりを見つけた”


 一方でシノも、イタメリを惑わせたのは景色ではないと悟り、エイルに対する同行に注意した。


「出鱈目にでかいが。ここは一体」

「街の教会というか寺院というか。とかく神聖な場所ってんで街の連中でも寄りつこうとしねぇ」


 螺旋階段をイタメリは大股で下る。イタメリの推測は、恐らく構造体の内部から来ているのだろうとシノは首肯した。外壁と内壁に刻印され文様は、シノに継承された〈鬼人オーガ〉の歴史にも登場しない未知の情報だった。


「……冷たい」


 壁に彫られた模様の一部に指で触れたエイルの囁き。


 外観は石工だが、内部の壁は黒い。指に伝わってきた冷徹な感触も、躍動ある岩ではなく金属体に近かった。

 

 そして、黒同士が反射、反響し合う内壁には、繋ぎ目がなかった。


「見て判ったと思うが、この街は広い。とても広い。もし迷子になったら人に頼らずここに走れ。喧嘩すんのは勝手だが、おれがいない時はおすすめはしねぇ。正々堂々拳で殴り合ってくれるいい奴なんて、ここには来ないからな」


 肝に銘じるよう釘を刺すとエイルもシノも素直に頷く事にした。


「じゃ、次はおれの番だ」

「その前に、確認しておきたい。先の“盗人”――あれはトロルの事を言ったのか?」

「名前が判んなかったから。気に障ったんなら謝罪する」

「不要だ。別にどう呼ぼうと。ただ、だ。その由来は? 奴は貴様から何を盗んだ?」


 寺院を出たイタメリは斧を再び取り、太陽に透かした刀身を指でなぞった。


「ここに模様が刻まれているのが見えるだろ。同じのが、この街にいる冒険者のほとんどの得物にある。――これは言わば、呪印だ。〈岩削種ドワーフ〉の鍛冶師が最後の仕上げに彫る」


岩削種ドワーフ〉の鍛えた武器に斬れない物はなく、貫けない物はないと『アースミガルト』では評判だった。盾は呪いも弾き、その鎧に袖を通せば赤子も竜の火の中で無傷でいると。


 それが、彼らの神が与えた、岩と鉄、熱を操る力だった。しかしそんな武具でも斬れず、貫けず、防げない『例外』があった。


 それは、武具に掛けられたノロイ――製作者自身と、その血縁だった。


「だから連中は血縁者のおれに手を出せない。呪いが発動するからな」

「そうか、だからトロルは」

「でも……盗人って」


 エイルの呟く声に答えたイタメリは、歯がゆい心を抑えるようだった。


「これは、親父の銘だ。最高の武器を鍛える最高の職人で冒険者だったが、それしかないあいつが、おれだけは嫌いだった。ところが、やっぱり血には逆らえないのかねぇ。いなくなったら、やっぱり探しちまう。これを、外から来たお前さんらが持っているとしたら、親父に最後にあったのは……あのトロルだ」

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