第二十四章 伝言

「“シノが〈鬼人〉として本来の能力ちからを取り戻せば、この停滞を打破できる”――そのために囮を買って出るとは。見上げた根性ですね」


 肩から脇腹にかけ袈裟斬りに両断されたヨトゥン=ハイに、スキルで瞬間的に鍛造した魔剣を握るセツナは斬り捨てようとした直後の姿勢のまま微笑んだ。たっぷり血塗られた顔から、青天の如く双眸は光を湛えていた。


 鉄をも溶かすアカガミの魔力にき切られた上半身は腰の辺りでかろうじて繋がった状態。赤髪せきはつをさらなるあかで濡らす臓腑は、ヨトゥン=ハイの断裂した肋骨からぼろりとこぼれ落ちていた。


「体内に剣が残っていては再生もままならないでし…………ほう?」


 これは興味深い、と嘆息したセツナの先でヨトゥン=ハイの傷は塞がった。


 実に頑丈な細胞だった。再生するだけならまだしも、両断を躊躇した魔剣を包囲するかのように包み、肉壁の圧迫に耐えられなくなった剣身は粉々に砕け散り鞘も消滅、セツナは撤退を余儀なくされた。


「魔力とは、魔法を生むのに欠かせない力の源。このように……元から生まれ持った魔力が高ければ自然の法則さえ書き換えてしまう恐ろしいモノなのです」


 血流に乗ってアカガミの体内には魔力が循環している。セツナの意識が念じると、熱に転換された魔力の流れた血管は緋色へ光った。


 沸点に達したヨトゥン=ハイの返り血はアカガミの柔肌の上でぶくぶくと沸騰し、大気と混ざる水蒸気は赤土のように舞い上がった。


「血まみれで動きにくくなるのも煩わしいので、勝手ながら消させてもらいました。それに決着が付かない方が、あなたにとっても都合がよいでしょう?」


 噴き去られる血潮を突き破る〈角〉。百度を超えた熱が流れたというのに、焼けただれるどころか火傷の一つもない。


 軽い笑みを浮かべる余裕があるからエイルのスキルで治癒したのではない。


 熱如きでは、意識の奥にいるセツナはおろかアカガミの身体に傷一つと付けられとこれで証明された。


 対して『死刑宣告』から、オレは何度、奴に殺された――?


 息付く暇もない剣戟にもこの肉体はエイルのスキルで耐える事ができる。正直なところどうやったら死ぬか試してみたくなるほどの自己修復能力だった。


 だが、と破裂した肺から気管に昇ってきた血を口許に垂らしたヨトゥン=ハイの見る先。増殖する細胞と魔剣の魔力が拮抗していた。セツナの放棄したものがたとえ破片であってもしばらくは魔力を維持するらしい。


 やがて解けるように破片が完全に消滅すると傷も塞がった。


「肩透かしを食らった気分です。前に剣を交えた時は、そんな顔は見せなかった」


 あの地上に墜ちた太陽のようにすべてを滅さんとしていた巨人の記憶は、アカガミの記憶にも深く刻まれていた。頭がなくともえ、小さな命に容姿なく鉄塊を振り下ろす化物と再びやり合える。


 セツナの意識に、アカガミの身体は期待を伝え、それに答えんとセツナも全力だった。


 それが――親として当然であろう。


 挑発するようなセツナの視線は癪に障るが、彼の落胆にヨトゥン=ハイも納得するしかない。


 繰り返される痛みは精神を崩し、やがて影響は肉体に恐ろしい反動を返してくる。斧を握る手は魔力を打ち返した衝撃ではなく、恐怖に震えた。足の末端神経も痺れ、ヨトゥン=ハイの片目はまだ、気絶した時の白目を剥いたままである。


 絶望は、ヨトゥン=ハイの脳細胞を焼き切った。


「『七戦福滅マハーカーラ』」

「ッ!」


 アカガミの毛穴から汗腺を伝って放出された魔力が〈鬼人〉の角で強化された肉声の干渉を受け無数に分割、武具の形を成し治癒の終わったヨトゥン=ハイに降り注いだ。その数、速度は、まさに横殴りの雨。


 ヨトゥン=ハイが払い落している間にも、セツナを取り囲む魔力の粒子は次々と剣や槍と姿を変え飛び掛かる。純粋な魔力で構成できているとは到底思えない音がした。


 どうにか距離をつめたい。だが剣筋を変えようとすると軌道上で武具は変速し包囲網を脱する事を阻まれる。


“無限の鍛造”と“未来予知”――それが奴の能力スキル。脳内で戦法を考え、身体が実行した段階で


 決定した未来と逆に行動しても勝利するとは限らない。こと戦場においてはあらゆる可能性と不確定の混乱する坩堝。偶然を操るなどどんな大魔法でも不可能である。


 それができるのは、一摘みにも満たない、絶対の強者だけ……。その才能を持つ一人に、スキルを与えた神は無限に兵器を創り出す能力まで与え、魔物の強化とエイルの回復力。


 対立するのは誰が鍛えたのかも定かではない無銘の斧。治癒能力に請わなければ防ぎ切れなかった剣先が掠った時点で死んだ。擦過も頸の筋を撫でれば致命傷だ。


 かつての自分は、本当に、奴と対等に戦ったのかいよいよ怪しい。――嘘だったら、殺すぞ……〈鬼人オーガ〉め。


「どうしたんです、そんな怖い顔をして」


 疲労に手足の骨は折れたが攻撃が止んでもヨトゥン=ハイの足裏は地面に食らい付いていた。


「エイル様がいつまで経ってもこないので、さすがにイライラしてきましたか?」


 馬鹿げた妄言で警戒心を割こうとするセツナに、はっ、と歯を吐いたヨトゥン=ハイは嘲笑した。歯は食いしばった拍子にもう何本か折れた。


「これ は ………… “みえ” だ !」

「『見栄みえ』を張ってみせた、と?」


 そんな表情もできるのだとヨトゥン=ハイへの興味をセツナはますます強くなった。


 勝機がないのは散々思い知ったはず。成長途中の子どもの身体でも防戦一方。疲れを覚えなければ空腹も感じない。


 魔力を栄養素に変換するアカガミの背は、今も少しずつ、ヨトゥン=ハイを追い抜かさんと伸びている。大人になったアカガミの身体で、一体何が為せるか。セツナには想像もつかない。


「興味ついでにもう一つ、……どうして私の本体を攻撃しないのですか? 私はアカガミと違ってこんなに速くはありませんよ」

「せなか みせたら ころそうと する くせに」

「背後から襲うなんて、一騎打ちの相手に私がそんな卑怯な事をすると疑われるとは。……するんですけどね」

「みとめる のか !?」

「私は騎士でなければ、紳士でもないので。しかし、飛び道具もいい加減飽きてきましたね。性に合わず、剣を振るってみるとします――――かッ」


 スキルの詠唱――から水平に投擲された直剣の柄を掴まえたセツナの澄まし顔がヨトゥン=ハイとの距離を瞬時に縮めた。


 小柄な身体を生かしたセツナの剣筋。ヨトゥン=ハイの股先の空気を抉る斬り上げは前髪を一刀両断、空中に浮遊すると長剣の先は鎚に形状を変質、高度から頭蓋を叩き割ろうとする一撃を斧で受け流した。


 拡散する気迫に設備を整備する奴隷は吹き飛ぶ。立ち上がり再び作業に戻るのを一瞥したアカガミは下半身を海老のようにしならせヨトゥン=ハイの延髄を両足で拘束。


「ぶほっ ! こんの !」


 頸の骨を折ろうとしたセツナはさらに足に力を込める。だがトロルと食生活を共にしたヨトゥン=ハイの筋肉は太く発達し、成長期を迎えたばかりの力では折るのはむずかしい。柔軟に跳ねるアカガミの筋肉に、絞め技は不得手だった。


 眉根を寄せるセツナの顔面に掴まれた際に吐き下したたんをぶち撒けたヨトゥン=ハイは斧で挟撃する。防ごうとしたアカガミの腕は飛ばされ、頭に直撃した奴隷の一体は引っくり返った。


「子どもにも容赦しませんね? 味は、アカガミのと同じなのに」


 ヨトゥン=ハイの唾を舐め取ったセツナは苦笑した。ぺらぺら喋るその舌ごとヨトゥン=ハイはぶった斬ろうしたした。


 アカガミの一角が妖々と瞬いた。

 

「――『小聡明く捻れてサンサーラ』」


 ぴたりと止まる斧。直後に腕から抜けてヨトゥン=ハイは地面に這いつくばった。


 天上で空気が乱れるのを感じたらこの有様。手は二本とも潰され足に力を入れても膝は曲がりもしない。伏せた瞬間に下顎は皮膚の中で砕け散った。


 うつ伏せになるヨトゥン=ハイを見るのはひらりと着地したセツナだった。


 アカガミの身体は立てている、という事は山脈内の重力は変化していない。


 だがセツナがヨトゥン=ハイに何かしたのは間違いなかった。


 毒か、精神に作用する類の魔術か。だが発動したとしてもここまでのダメージは受けない。エイルのスキルは転倒で発生した外傷を治癒するのみで依然としてヨトゥン=ハイは身動きが取れなかった。


「突然の事でさぞ驚かれましたね。〈鬼人〉の角でここまで威力が増大するとは、〉ながら、私も驚きを隠せません」


 肩を竦めたセツナの態度、それを見た〈固有スキル〉を獲得していないヨトゥン=ハイも今度は悟り、事実から驚けた。


「――――ッ!?」

「おや、トロルの言語ことば。意味は、『スキルを同時に!?』といった感じかな。ええ、使えますよ。本来はここまで強力ではありませんでしたけど」


 家族の期待に応えようと、あの頃のセツナは必死になれた。才能のなさをどれだけ哂われても教本から知識を書き写すのを止めず、実技訓練の才能でも、周囲と距離が開く一方でも弱音を吐かなかった。


 そんな限界を超えたセツナの努力を天界から見守っていた神は、上限で三つまで獲得できる〈固有スキル〉を、一つしか開放を認めなかった。物体や生物の知覚する重力に影響を与えるDランク相当、気概があれば発動中も対象は動く事ができる。


 諦めるしか他に道のなかったセツナは、少しして、絶滅した魔族に関心を移すようになる。


「あるいはあれも、運命だったのでしょう。弱くなければ、シノに出逢う未来もなかった」


 セツナ=グレートフィールド“だった”頃の懐かしい記憶に浸るうち、またもう一つ思い出した。


“サンサーラ”、異世界で『輪廻転生』を表す言葉。


 神が与え給うたスキルの名をなど、いかに小聡明あざとく、世界を敵に回す冒涜行為か。


しかし、強化されたスキルの発動条件は、セツナの言葉。魔族への想いを神は許さない。


シノへの愛に目覚め生まれ変わったら、強くなれた。


「それに比べて、あなたは弱い。やはりエイル様への愛が足りていないからなのでしょうか?」


 スキルにされたヨトゥン=ハイは、畳んで覗くセツナの前で全身から血を噴いた。


 黒い鉄板の上に生地を引くように、こうも薄くなっては、反撃もできない。


「こう見ると、勝利というのも存外……面白くありませんでしたね」


 シノやアカガミを愛するセツナの力は無敵なのだから、勝っても全然嬉しくなかった。


「しかし、どうしてこのような結果になったのでしょう。あなたのエイル様に対する想いは私の愛と互角と見込んだのですが」


 セツナの想定では相打ちになるはずだった。拮抗する力に時間だけが無駄に過ぎ去り最後は両者とも力尽きるものだと。


 想定を裏切られ、こうもあっさり勝ててしまっては不快感すらセツナはヨトゥン=ハイに不快感すら覚えた。強い愛が勝つのは当然だけれども、勝利を実感できないほど圧勝させる愛は、逆に浅く感じた。


 好敵手には対等な愛を、それに辛勝しなければ。軽々しい圧勝、それすなわち想い人に捧げた愛を、双方ともにけがす行いだった。


「エイル様に対するあなたの想いは、これほどのものなのですか。私の愛に破れて悔しくはないのですか。……よもや……のですか、あなたの本当に愛した人は」


「 …………おまえ だけはッ おれ お かたる なぁ!!!」


  愛を代弁しようとしたセツナをヨトゥン=ハイの唸り声が制止した。


  頭の中で、あの声がする。


 ――――『“おにいちゃん”』


 記憶の中で、その顔は、いつも助けを求めヨトゥン=ハイに手を伸ばしていた。自分より何倍も大きく太い腕が何本も小さな身体を馬車までさらい、馬車は森へ一瞬で

消えていった。


 愛した親も、大勢いた兄弟姉妹も、皆殺された。


 首を刎ねる時、奴らは、生き物を見る目をしてしなかった。糞を足の裏でうっかり積み潰した時のような不快に満ちた表情で剣を振るあの目が、鼻の奥に残る焼け焦げた臭いとまだ燻っている。


「あい が ない だと ? おまえたち が うばっておいて!!」


 愛では、大切な人を守れない。目の前にはいつも死が横たわって足を掬おうと狙っている。


 セツナの〈固有ユニークスキル〉が物体の操作、ならば……。


 ヨトゥン=ハイの背中を突き破り出てくる、血まみれの全身骨格。


 落ち窪んだ眼窩がんかに納まる肉眼がぎょろりと回るようにセツナを見失わないよう両目でしっかり睨む。


 声帯のない無音の咆哮を上げ、くびを絞め上げた。


 ・・・・・・・・・・・・

「            !!!!」


 絶対に振り解けないよう、指先の骨を十本全て頸筋に刺し全体重を掛ける。


――〈固有スキル〉が物体の操作ならば……、余計なものを取っぱらって、動きやすくするまで!


 エイルが戻ってくるまで時間を稼ぐと約束した、何時間でも何日でも、何年でもヨトゥン=ハイは戦い抜く覚悟だった。


 だが内心では、貧乏くじを引いたと後悔し出していた。〈鬼人〉に出逢うあの夜まで時間を戻したかった。


 一族の誇りだの愛だの、そんな事を悠長に議論している時間はなかった。凶暴なトロルと裏切り者の冒険者を殺そうと世界中が追い掛けてきた。


 だがヨトゥン=ハイは、絶対に許せない奴らに遭遇した。そいつらのうち一人は逃亡中だったエイルを彼女とは関係のない争いに引き込み、エイルのスキルに勝手に高値を付け利用しようとした。


 それだけでは飽き足らず……ヨトゥン=ハイとエイルの関係にまで名を付けた。信じていた同種に裏切られ、命を弄ばれ、新しい居場所まで奪われ、どんな思いでヨトゥン=ハイと旅をしているのかも知らず。


 すぐに回復するとしても、一回くらいは、殺しておかないとヨトゥン=ハイは気が済まなった。


 そして、ヨトゥン=ハイが今日まで一体……。


「……そう……だったんですね……。……


 己を繕っていたもの全てを取り払った彼と、やっと向き合えたセツナは憐憫れんびんの意を述べた。


 全てを燃やさんとする、怒り。喜びに哀しみ、世界が風で野に咲く花を見て、ふと芽生える――そんな心の機微もべて。絶体絶命の中でも決して諦めない。そう視えたのは、巣食った闇がどれほど深くてもそれを絶えず照らす光があったから。そして彼を照らす光の根源こそ、あの少女だと。


 ああ。けれど……違った。このトロルの名で呼ばれた人の子は、全てを燃やして猛り続ける。目に入ったものは骨まで燃やす炎をより大きくさせるための燃料。


 そして、きっと、とセツナは高温の血に赤熱したヨトゥン=ハイの手の感触に両腕を投げ出した。無抵抗の子にもヨトゥン=ハイは手を緩めようとしない。どころかもう片方も頸に掛けさらに強い握力で絞めてきた。


 肉が骨から生え、怒る顔が現れる。


 怒りも……心がなければ保つ事はできない。それは、愛もまた。二つはどちらも他者に向け初めて成立する。


 愛する心を焼べた彼は、怒りしか向けるものはない。


 彼と、彼と共にいるあの少女の行く末が、セツナは、ただただ不憫でならなかった。


 そんなセツナの憐みなど激昂したヨトゥン=ハイの目には映らず、無視して地面に叩き付けた。


 剥き出しの神経に頸の骨の捻れる感触、あと少しで縊り殺せると確信した――が。ヨトゥン=ハイは背後に覚える激痛に、あろうことか咄嗟にセツナから手を放してしまった。


 姿勢をやや背後へ反らし後退りつつ、後ろ手にまわした腕で、ヨトゥン=ハイは痛みの正体を捕まえた。


「ア”ァ”ーーー! ァ”ァ”ア”ーーーー!!」


 首根を掴まれた事で窒息に手足をばたつかせる小柄な影。八重歯から濁りのある唾が滴っていた。


 どこからどう見ても、それは、あの〈鬼人オーガ〉でヨトゥン=ハイは驚嘆した。エイルと共に分かれた彼女が、セツナを庇うとも取れる行動をここで取ろうとしている。


 あれだけエイルが気に掛けていたにも関わらず、結局最後は、創造主である人類種にんげんの味方に付いた。


 怒りの矛先、それが裏切り者に向く。だが。


 言葉を交わしたあの娘と全く同じ顔をしたこの〈鬼人オーガ〉は、ヨトゥン=ハイの見知ったものとは似ても似つかない形相を露わにさせている。暴れている様子にも知能は感じられず、これではケダモノだった。


「――そうですか。……シノ?」


 何かを確信して呟いたセツナに、機器の整備に没入していたはずの複製体シノは一斉に群がった。そこにヨトゥン=ハイが下ってきた階段から〈鬼人〉の一団が殺到した。


 二足歩行の方法も忘れ飢餓に充血した眼を剥いて押し寄せる大群にヨトゥン=ハイは逃亡を決断した。手を離したシノも群れに加わった。


七戦福滅マハーカーラ』の斬撃よりも多い一群はヨトゥン=ハイでは回避し切れなかったが、群れの〈鬼人〉のどれもがヨトゥン=ハイを避けた。川の水が岩を裂けて流れるように。


「あなたとの競い合いに勝ち負けはありません、しかし、こうなっては……敗北を認めるしかありませんね」


 自らが創り出した想い人の面影に肉体を食われるセツナはヨトゥン=ハイに言った。回復する暇を与えず食われる身体の体積は徐々に小さくなってゆく。岩盤は子どもの血で染まり、稀少な鉱物を含んだ神聖な地は穢れていった。


「最後の最後で、あのスキルを受け継ぎましたか。ああ……叶うなら、その場所に立ち会いたかった……」


 伝承に残る〈鬼人〉の究極奥儀。戦場いくさばで発動したのはたった一度、生き残った兵士は精神を病み、死ぬまで、自分が何を見たか惨状を譫言うわごとのように呟いたのを伝承として記した――存在さえ疑われた魔族固有のスキル。


 その現場に立ち会えたエイルに、セツナは、嫉妬すら覚えた。


「…… しぬ のか ?」

「再生できないほど小さく貪られ、ここにある本体もじき狙われるでしょう。私は……彼女に嫌われていますから」


 セツナは言う。


 己の愛を全否定しかねない独白に反し、仰向けになって宙を仰ぐ顔は実に穏やかであった。


「いいんです。愛した彼女達が、全員一致で決断した事です。私は、誇らしく思いますよ。それに、私は……ひとりではありません」


 外にいる子ども達、奴隷に売られた地上――敵とみなしたあらゆる存在を全力で抹殺しに掛かる。セツナの得意先にしていた領地は再建が不可能になるだろう。


「愛する者に囲まれて、大切な子達と逝ける…………男として、父として……これほど素晴らしい事はありません」


 世界に死が蔓延する中、ただ一人許された幸福をセツナはもっと噛みしめたかった。


「最期に。…………どうかエイル様に。もし、外で奇跡的に生き残っている子がいたら。“その時は、心暖かく仲間に迎えてください”と」


 我が子の幸福を願うセツナの口をシノの牙が引き千切った。芳醇な匂いは息を詰まらせるほどに濃厚で、柔い肉を咀嚼する音は聴けども途絶える事はなかった。


「 えいる 」


 セツナの命が絶える瞬間を最後まで見逃がしたくなかったが、エイルの安否がヨトゥン=ハイには気掛かりだった。〈鬼人オーガ〉はエイルのいる場所からやってきた。


 シノがエイルを『敵』と認識した場合は……――ヨトゥン=ハイの闘気が再び身体に流れる。


 階段をのぼろうとし、ふとあの巨大なセツナの本体のあった場所を振り返る。蟻が像を倒すかのように崩れる本体。土煙に混じってあかの水蒸気が頬を叩いた。


 まだ到底実感はヨトゥン=ハイには湧いてこない。自分達が、いや――作戦を考えたのは彼女だから、ここを滅ぼしたのは、エイルだった。


 彼女を苦しめた奴の最後の伝言など、ヨトゥン=ハイに伝える気はなかった。ただの、一文字たりとも。



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