第二十三章 死刑宣告

 複製体製造プラントの側面内部のほとんどを占めるのは空洞だった。瀕死の魔族を生かす目的にセツナが最初に設けたのは、生命維持装置の本体と魔術で稼働する小規模の機関部のみで、霊山に移住を始めて初期の頃は廃墟を行き来し経過を観察していた。


 奴隷売買の構想を練り始めてからは、設計した装置の生命維持にオリジナルから剥離した細胞を培養する機能――地下から汲み上げた栄養素の高い水ができるだけ羊水に近い成分になるよう調合した。


 施設の拡張に伴い、機関部品も一部交換、運用効率の優れたモノに改めた。


 ある程度利益率の望める生産ラインの確率に成功すると、量産した‶娘達〟に物資を調達させ運搬用の荷馬車を作らせた。そして、魔族が奴隷として望ましい肉体に成長するのに相応しい環境――衣食住を整えた設備も同時期に区分けされ、防風と防音、洞窟内の苛酷な状況下で独自の進化を遂げた原生の生物の攻撃に耐えられる防壁と屋根はこの時代に造られた。


 それから、数百年余りの月日が流れた。もっともこれはセツナの体感で測った時間によるもので、実際はさらに経過している可能性もある。自分が一体いくつになったのか、彼にたずねてみてもいいかもしれない。


「その後も、製造過程の見直しや機関部の改修は行われてきましたが、施設内の空洞が埋まることはありませんでした。なぜだと――君は思います?」


 彼らが逃げた中心部の抜け穴からここまで内部を巡ってきたであろうヨトゥン=ハイにセツナは踵を返し微笑を含ませ呟いた。


「この場所こそが、彼女達にとっての『母袋ぼたい』だからです。中心とカプセルから出た複製体が集まる場所は最も静寂でいられるよう、私自ら設計しました。すごいでしょう?」


 まだ声変わりしていない甘酸っぱい少年の声色は己の功績を讃えるように弾んでいた。


 二人の対峙した場所は、エイルとシノのいる施設の中心部から外周壁へ直進にして百メートル進んだ区画。廃棄され今は照明の切れた空間には鋼鉄の寝台が錆びた状態で当時のまま残されていた。


 ベッドには拘束用の革ベルト、血尿を流すための排水口があって、取り出した臓器を載せる盆と保存用の瓶を一時的に置くカップホルダーが血液とホルマリンの乾いた瓶を抱いていた。


「廃棄されたこの区画で私は〈鬼人オーガ〉についていろいろな実験を行いました。絶滅した種族には書物では知れない未知の部分が多くどこから始めればよいのか手を焼きましたが。!」


 ご覧あれとでも言うように実験所を背後にしたセツナ。取り憑いた少年の頬を桜色に染めた様はまさに、初恋を思い出して赤面する壮年の顔であった。


 男は想いを馳せるが、陶酔したその記憶が一体どれほどロクでもないものかヨトゥン=ハイは披露された彼の思い出の場所を前に悟った。


 湿った空気に、閉鎖された現在も濃厚に染み付いた血と涙の乾いた匂いは、セツナの愛とやらの犠牲になった鬼人達の怨念すら感じた。


「アカガミと戦った時から、ずいぶんと回復されたようですね。こころなしか呼吸も以前よりずっと軽やかに聞こえる。ああ、あの時あなたには呼吸する首はありませんでしたね」


 笑みを浮かべたアカガミの口から飛び出た冗談に対しヨトゥン=ハイの呼吸のリズムは平衡を保っていた。生まれて初めてジョークを言ったつもりだが場をなごませるのもなかなか才能がいるものだ。


『肉体の換装』で影響を受けるのは記憶だけではなく、精神にも作用を及ぼす。その感覚は自分の意志とはあずかり知れない領域――口や目、鼻や指先に“魂が引っ張られるよう”とでも言うか。


 そして五感の届かない変化を感じる度、セツナは哲学者になった気分になる。


 魂が睡眠を摂るかは、施設内の技術と自身の魔術の才能では解明できないが、推測するにアカガミの心は今は、眠っているような状態にある。しかし無意識で時々セツナ=グレートフィールドの本来の性格とは齟齬のある言動を肉体は取ろうとしていた。


 継承した記憶こそ、人が魂と呼ぶモノの正体なのか。精神ではなく人格は肉体に宿るのか。


「いつか解き明かしてみたいです。と、こうしてわざわざ会いにきてくれたのに私ばかり話してしまって大変失礼をしました。今度は、あなたの話が聞きたいです」


 裏返した掌で示し、場の主導権をセツナは相手に譲った。だが屈強な戦士はお喋りよりも闘争の方がお好みなのか口を利く気もないとでも言うように口の中に舌を仕舞い込む。


 肩を竦める仕草を取って敵意のないのをセツナはアピールした。


「“誘いに乗って口を開くと魔術にかかる”と思っているのですか。そのようなスキルはありませんよ、……私にもこの子にも」


 だが『回復師の守人』である戦士はあくまで警戒を解かないつもりらしい。赤土色の髪の毛先は燻るかのように逆立っていた。会敵した目の前から繰られる一手一手に対応するため全神経を集中させた戦斧を握る手が小刻みに震える。


 セツナから放たれる全てを、戦士は弾こうとしていた。


「では、付いてきてください。あなたにはまだ見てもらいものがたくさんあるんです」


 軽い足取りで実験所の隅へ消えたセツナを追おうとしたヨトゥン=ハイは四方形の入口に肩をねじ込み電灯の赤熱する明かりを天井に浮かべたかね折れ式の階段を駆け下りた。実験所の血生臭く澱んだ空気を吸う階段にはアカガミの体臭が微かに匂っていた。


 天日干しにした生地のような少年の香ばしい匂いとはほかに、腐った肉の膿んだにおいにヨトゥン=ハイは眩みそうになった。実験所に充満した臭いの一部は、ここから階段を伝って漂ってきたのだった。


「施設をのは、あなたがはじめてなんですよ? 街の住人だと知られると面倒ですし――『外からのお客様』も滅多にないですから」


 とりわけ研究室の直下は施設全体に留まらず、子ども達のいる居住地や屋敷に必要不可欠な電力を生産する“山の心臓”。旧区画と、あとは施設の機関部から点検用に行き来き可能な螺旋階段。出入り口はこの二つだけ。


 点検と補修を担当する一部の奴隷も市場に出回っている汎用型とは別の知識を与えている。精密な機器を取り扱える彼女達は――文字通りそれしか取り得がなかった。


 声の主には見向きもせず交換用のパーツを両手に抱え運ぶシノの髪に付いたふけを、セツナは指で取り払った。感謝、汚れた身体を恥じらう魂を与えられていない奴隷は、脳を占める使命感に従い黙々と動く。


 その原動は命令に忠実な奴隷というより、この施設を構成する歯車の一つに近い。それでもセツナには――彼女達も愛する女性の一人だった。


「あなたを無視するシノについてはご容赦を。案内役は引き続き私が仕切らせていただきます」

「ここに ひと こない …………なら なぜ !?」


 声を張るヨトゥン=ハイの正面と背後が接近した〈鬼人オーガ〉の気配を感じ取った。しかし事前のセツナの説明通り、奴隷の周りではヨトゥン=ハイの声に反射する気配すらない。


 外部からの侵入を全く想定に入れていない。この部屋は、領主であるセツナの許しさえ貰えば、誰でも入れてしまえる。


 来る者を拒まない、霊峰で最も神聖な場所――その最深部。湛えた闇は地中に根を張り静かに獲物を待つ食虫植物の胃液のようだった。


「どうやらあなたは、闘争というものにかなり慣れているようだ。――“わざと”なのでしょう?」


 暗がりで跳ね返った音響を五感で拾って今いる位置から広さを把握する。弓や遠隔魔法で狙撃しようとする相手が隠れやすそうな位置を捉え対応に備える事が可能になる。


 だが大声は現在地を探る手掛かりになってしまう。隠れている敵に魔術の長けた者がいれば索敵の魔法も同様。まして、施設の規模を事前に知り尽くしている相手にとって大声を上げるなど。人同士の戦いではまず使わない愚策だった。


 彼の振る舞いは、肉食獣に近い。


 鎧や身体についた悪臭、この地上で最も重く頭ののろい――生き物。


「過去を知る力はありません。けれど――あなたと私はなんだか気が合うかと思いまして。これを見て、ぜひ感想を聞かせてほしい」


 アカガミの額から生え揃った二本の角。篝火かがりびのような光を帯びる力の象徴は、まず角の現出に伴い散った額の血しぶきを紅く彩らせた。


 次第に威力を増していく光に共鳴するように空間全体の闇は差した光に一筋に斬られた。

 仕事に従事する奴隷の無表情を撫でた光は留まる事を知らず扇状に拡大し、あるものを披露させた。


 空間の天井と地面を固定させる物体。それは“柱”としか形容できない異形だった。腫物のような壁面の凹凸には高電圧の電気を送る配管が体毛や触手のようにいくつも繋がれ、施設内と山に送電される電流が迸ると、肉柱から生えた突起物が鳴動と共に光を放つ。


「紹介しましょう。霊山郷『タイサイ』の領主――セツナ=グレートフィールドです」

「『これ』 …………  !?」


 ヨトゥン=ハイの視覚に輪郭がはっきりすると、肉の柱の形は正確な立柱ではなく歪にぼこぼこしていた。両手をももの上で揃え俯く正座した人の形――セツナの仕業か、“ひと”と囁いてしまったせいか。


「はい、ちゃんと人です。生きているし飲食も摂りますよ? そろそろ今日の分が送られてくる時間です」


 柱の頂上部に接続された配管が送電用とは違うリズムで振動した。呑み込むような音が空完全土に響き一瞬光が強くなり収まった。


「ここまで大きくなる前はあなたを連れていったあの部屋から『加工』したシノを


 味覚は感じなくなっていて、どんな味だったか思い出せませんが、と言う少年に、ヨトゥン=ハイは衝動を抑えられなかった。


「なぜ こんな」

「…………我慢できなかったんです」


 アカガミの瞳の瑠璃色の輝きを曇らせたのは、移植された父の過去の記憶。追憶した記憶は歴史と呼ぶに相応しいほど古いが脳が若返ったからか、感傷に浸るセツナにはついぞ昨日の事に感じた。


「彼女の複製に成功したのは、今では奇跡だと私は思っております。けれどここに来たばかりの私はあまりにも若く、成功は実力だと驕り……つい欲をかきました」


 魂の宿っていないシノの肉体。火傷の痕もない瑞々しい肌、四肢の欠損もない艶めかしくしなる手足に呑んだ息の喉ごしを今も憶えている。


 だが、シノの額から生えた肉角を目の当たりにした瞬間、彼女と自分の間にある圧倒的な“差”に――心を失った。絶望という騒々しさもない、量り知れない虚脱感。


「何に取り組んでも生きている心地がしなかった。人である限り私の想いは報われない。シノとの差に苦痛を感じるようになった私は――――ついに、神を裏切る決断をしました」


 最初に造った複製体には傷付いたシノから魂を移し替えるつもりだった。


 本来の目的を見失うほど、セツナは病んでいたのだ。


「〈角〉を根元から折られた複製体は数日で死にました。人格を映す前に交信器官を失うと死ぬと知ったのはこれがきっかけです。〈鬼人オーガ〉の角を移植して初期こそは私の体調に問題はありませんでしたが、異変は目に見えない部分――細胞の一つから既にはじまっていたのです」


 発光する人型の肉像に手を置いてセツナは言った。


「移植した魔族の細胞は驚異的な自己再生能力で私の細胞を取り込みながら増殖しました。角があっても人の脳では細胞を抑制できず、歯止めの利かなくなった細胞は数ヶ月で施設の天井を支えるまで巨大に膨れ上がりました。それが、この“セツナ”です」


 膨張する細胞に耐え切れず足の骨が折れる音をセツナは激痛の中で聴いた。


 残りわずかな時間で判ったのは、セツナの細胞は〈鬼人〉の細胞を摂取し増殖を抑えなければ、末端から崩壊する事。セツナの脳に植え込んだ角の細胞は人類種にんげんの細胞と融合して莫大な電気を放出する事。千切れた脳細胞は血管内を通じて別の場所からも不規則に生えた。


「言ったでしょ――“施設の拡張に伴い『動力源』も新しくした”って」


 シノのオリジナルが施設の脳なら、セツナのオリジナルはまさに『心臓』だった。


「だから その からだ」

「エイル様から聞いたのですか。彼女と会っていたのも、アカガミの兄にあたる私の愛息子なんですよ。魔術に長けたとても優秀な子でした」


 そんな彼は今、外で弟や妹達の死を兄弟姉妹と共に悼んでいる。ヨトゥン=ハイが殺した子ども達だった。


「みにくい」

「おお、あなたがこの私を否定しますか!? シノといるあなたが」

「オレ は えいるとは …… !」

「では聞きますが。あなたは、どうしてそんなに……トロルくさいのですか?」

「なにが いいたい」

「アカガミの記憶が教えてくれました。あなたは――人類種にんげんだ。私と同じ。しかしトロルの身近にいる。関わりは私……あるいは、それ以上。例えば……?」


 はっとするヨトゥン=ハイに、アカガミの後ろで巨大化したセツナが波打つように揺れる。


「おやおや、カマをかけたつもりでしたが、図星ですか!? 魔物に育てられたあなた、魔物が産んだアカガミ、魔物を取り込んだセツナ=グレートフィールド…………いや。『


 セツナの思い付いたのと同じ人物を想像したのだろう、緊張状態のヨトゥン=ハイの目は溶解する氷のように見開かれていた。


「とても面白い方です。あなたやシノの心を開いた。あの方ならきっと私達の力になってくれると信じています」

「やはり えいる の ちからが もくてきかッ !?」


 語気を荒げるヨトゥン=ハイに、セツナは息子の口を借りて。


「当然でしょう、私はシノ一筋ですから。ですが。エイル様も、あなたも魔族を愛している。愛とは、抱いた者の身も心も歪める……この世界でも最も恐るべき魔法なのですよ」


 もしかしたら、シノが自分ではなくエイルに付いていったのを嫉妬して意地悪をしているだけかもしれない。顔色を見る限り、ヨトゥン=ハイも先の発言は戯言としか捉えていないようだった。


 仮に、そこまであの二人の行く末を本気で心配しているなら、一生手元に置いておけばよかった。


「私の相手をするよう、エイル様に言われてきたのでしょう? 私を足止めしている間、オリジナルを説得してスキルを使わせるつもりですね」


 シノに刻んだ奴隷の印はオリジナルを示していた。


「だったら どうする ?」

「時間稼ぎなんか中途半端な真似はせず、脅威をここで倒してはいかがですか? 角を通して操っているのは私の本体。本体を殺せば、アカガミの中にいる私も死にます。その方がずっと平穏ではありませんか」


 セツナに移植されたのも元は複製体の角。本数はそのまま鬼人の力の源となる『霊力』に比例する。


 転生のからくりなんて、タネを明かせばこんな簡単な理屈だった。


「あなたに私を殺す権利をあげる代わりに、私が勝てば、二人を貰います。?」

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