第二十二章 神憑(カミガカ)り

鬼人オーガ〉の言葉を全て鵜呑みにしてはいけない。不確定な要素は整理しようにも山積を極めている。同じく時間を共有したとしても――やはりエイルのようにはなれない。


 創られた身体。にせけた魂。


 魔族をかたどった彼女本来の人格がどうあったとしても、とうに人の意志によって汚染されている。到底嚥下できない邪悪な意志だ。


 突拍子もない事を言い出したシノにヨトゥン=ハイは即刻別離を申し入れたが、エイルの決定は覆らず。


 ――“”。


 具体的な説明を求めたヨトゥン=ハイにもシノは一点張りだった。


 およそ聞いたことのない言語で囁く声は後頭部の後ろで釣鐘の如き衝撃を与え、刹那、意識はここではない別の場所に引っ張られたと。


 あのセツナが〈鬼人オーガ〉に施した何らかの細工が発動したのか。あれほど魔族に執心した人類種にんげんなのだ、逃走をくわだてた隷属種にそのような術式くらい、仕掛けるのにも躊躇したりなどしない。


 あるいは。


 目的を議論するのがそもそも前提として間違っているのでは。愛した存在に近付こうとし――その複製体クローンと儲けた子に人格を移せたことを言祝ぐような価値観を持っている。


「わたしもトロルの言うように……セツナならそれくらい、やる、と思う」


 元から信用、共感もない。関係の中で憎しみのみを育ませてきた。それがこれまで歩んできた軌跡を明かしてからというもの、彼をどう認知してよいかいまだシノは手をこまねいていた。


 そして、それは――自分にとっても。


 これから自分にどんなことがも、事実かそうでないかの間で苦しむ事となるだろう。


 判っている。今まで全てが虚構でこれが本来の“シノ”だと。シノ自身。


 再来する恐怖にも信憑性の抱けないシノの手を握り返したのは、肩を並べ寄り添う少女だった。


「……頼もしいな、誰かがいるというのは」


 綻ばせた口許で言われどきりと咄嗟に顔を伏せたエイル。共有した視覚では所有者であるシノにも当然認められるので、ますます顔が燃えるようだった。

 

 洞窟で号泣してからどうもおかしなテンションになっていた。不安な感情というか喜怒哀楽のパラメーターが丁度いい地点で止まらない。


 だが一時の気の勢いで、エイルはシノの言葉に従ったのではなかった。


 共用した感覚でシノの受信した“呼び声”を聴いたエイルにヨトゥン=ハイを説得するだけの時間はなかった。

 時間を掛けて説明したとしても、感覚の繋がったエイルにしか、声の主はセツナではないと実感できない。


 これは“根拠”ではない。“実感”の問題だった。


「しかし、トロルは大丈夫だろうか……?」


 シノが間、セツナの注意を逸らすのはヨトゥン=ハイの役割だった。


 エイルとここまで辿り着くまで、セツナ=グレートフィールド本人からも達にも妨害を受けていない。遠隔では魔族を操れないのか、転写先の肉体が得ていないスキルは使えないのか。


 はたまた――企んでいるのが愛を奉げた者なら、黙認するのか。


 ヨトゥン=ハイを脅威として認識されていないという線も思い浮かぶ。敵と味方の区別もあやふやなほど暴走していたとはいえ、全力を出した〈特異巨人〉に、アカガミは勝っていた。


 中枢神経が再生、感情のリミッターが戻った今のヨトゥン=ハイなら、戦闘に才のないセツナが憑依してもれると判断された。


「ヨトゥン=ハイさんなら、大丈夫です……!」


 同じことを思っていても、エイルの主語はヨトゥン=ハイだった。


 冷静を取り戻せた彼なら、アカガミ、セツナ――この二人が相手でも負けはしない。


 彼が足止めしている間、自分達は――自分達のすべきことをする。


「……そう軽々と信頼されて。あのトロルが、わたしは羨ましいよ」

「別に私、そんなつもりは……っ!」


 発言に対しエイルはシノの手をうっかり払ってまで否定を訴えた。しかし皮肉ではなくシノの苦笑から零れたのは、言葉通りの意味だった。


 同じことを感じ合わずとも、あの二人の間には良好な関係が築かれている。シノのような魔術的な繋がりや、セツナの一方的な執着とも違う。明確に。


 一朝一夕、永遠に等しい時間。


 どちらを取っても二人のようにはなれない。少女とトロル――絆は結ばれた。


 そして、こういうのは得てして本人同士は気付きにくい。


 二人のやり取りを一通り観察した立場から教えてやるのもやぶさかではないが、踊るようにあたふたと泡を食うエイルもまた可愛いかったので、黙っておいて正解だったと感想を述べるシノだった。


 大前提、エイルに“可愛かわいい以外”の要素を問う行為――それこそがエイルには理解不能だった。


 なるほど人類種にんげんとはこの世で二足歩行をする生物でも醜い。その代表例のようなセツナの手で生成された存在であるシノの評価だ。


 だが、しかし――そうえて念を押したい。


 仮初めの人格から発露したエイルへのこの感情は、あの男が納得するだけの論を並べてきても、植え付けられたものではなかった。


 全ての種族は神の手で創造されたというのなら、この地で惹き合わせたエイルの創造神だけは元の神に対する認識を改めねば。セツナを創ったのと同一人物なら、やはり憎しみの方が勝ってしまうが。


 子は、親に似るとも言う。


 伴侶としてセツナは生み出したかったとしても、意図せず自分の価値観を魔族にも受け継がせたのなら、エイルへ向けたこの感情は放棄せねばならない。


 できれば自分の意志で手放したい。一方的な感情をぶつけてはそれは執着であり、魔法による精神支配の類と同じ――相手への攻撃だ。対抗する呪文がない分、さらに厄介だった。


“なら、なら――”。エイルを見たい衝動を抑えシノは前方を見据える。洞窟の暗がりは晴れていき目的の地点まであと僅かと迫った。


「本当に、ひとりでだいじょうぶですか……?」

「――――――」


 を目前に迫ってからというもの、シノの様子がどうもせわしない。こちらをちらりと見たと思えば舌っ足らずに譫言を囁いて、頭を振るのはサイが威嚇するようで眉根を寄せた眉間は痛々しいほど赤い。


 やはり、怒っているのだろうか。


 許してくれるなら同行したい。しかし声は同族であり同胞であり、である“一名”のみを所望している。


 エイルの立てた計画でも――『説得』の場に他種族は同行しないのを厳守とした。


 あの状態で、会話をおこなえる意識があるかどうかは正直、賭けだ。全員の運命を博打で決めるようではあるけれど。


 もう楽観視できる状況ではない。不確定な要素を元に計画を立ててはならないほど……。


 けれど、と。


 光に浮かぶ上の空のシノに意を決する前に。


「――エイル殿、わたしになにかあったら……助けにきてほしい」

「っ! ……はい、ってでも行きます!」

「這ってでは、ちょっと困るな。服も汚れるし、おしとやかにしなさい……女の子なんだから」


 放した手で、頭を撫でられた。


 感触はそこにあったのに、胸の前に持ってくるように出した手は空いていて。


 カプセルの中、温かな羊水で微睡む後継機いもうとの中心をシノは往く。一族を解放しにやってきた姫君――その真似ごとであったとしても“胸を張れ”と唇を噛む。


 母であり、姉であり、救うべき臣民であり。


 憐れまれる自分自身の前に立った。


「きたよ? わたし」


 ガラスにかざしたシノの手の先で細胞を保湿する水は微かばかりのさざ波が起こる。


 到着を知らせても爛れた少女の瞳はシノを振り向こうともせず。夜明けの下の海原のように澄んだ液体に浸かる身体は、ゆりかごに揺れるかのように心地よく揺れた。


 生命維持用に満たされた養液は複製体のそれよりも透明度を湛えている。二種の成分の違いは生死――生きている命を養うより原形を保存する方がより純粋でなければならない。


 万が一にもガラスに亀裂が入り中の液体が漏れ出るようなことになれば、年月を経た骨身は煙のように消える。長い間、液体に保たれて外気への耐性はさらに失われてもいた。


 ともすれば、彼女の身体は自身を包むガラス体。カプセルに生きるための養分、電気を供給する建物全体と言えた。


「なら、耳がなくともわたしの声が聞こえよう……答えられるだろう……!?」


 施設全体に響く声をシノは張り上げた。天井を突き上げんばかりの声量は、母の子宮を蹴り上げる嬰児えいじのよう。姉妹の気を引きたいがあまり喚く幼子の、まさにそれであった。


 人格を脳に投影されていない妹達はまだしも、母は子の訴えに酷く無口だった。〈ツノ〉にも意識の揺らぎは確認されない。


 この施設のどこか、だがすぐそこでトロルはセツナの気を引いていると思われるが、深部にその喧騒は届かない。構造のほかに外部からの音を遮断する魔呪をセツナは施したのだろう。


 無窮な静けさに慣れてしまったのか。それとも答えてくれないのは、彼女は、母は、姉は、は――とうに生きるのを諦めてしまったのか……。下等な種族に寿命を延ばされた屈辱、自分以外の同胞は死に絶えた絶望。


 初めて逢った異性――一目惚れという、生まれて初めての経験への……戸惑いによって。


 どうしても答える口を、言葉を持ち合わせないというのなら。


 シノは、“挑発”した。


「我が命に応えよ――我は鬼人の姫君である!」

。汝、統一体ニアラズユエ識別不明体ノ要求破棄”


 シノの下肢の筋肉を揺るがせた衝撃に膝を打ちそうになるのを堪えると、額から脳を抜き取られるような浮遊感に手を開いた。幽体離脱でも起こしたような感覚は脱皮殻を脱ぐ蝶のように静か――だがとても、荒々しい心地だった。


 ただ“そう感じた”だけで、エイルはシノの身に何があったか判らない。呼び戻そうにも、今、シノがどこにいるのかも定かではなく一歩も動けなかった。


「やっと……しゃべった……」


 応答が返ってきて笑うシノ。ところが切断された彼女の角と額の境から脂汗が噴いていた。


 セツナに折られた角は〈鬼人オーガ〉の使用する能力を完全に失っていた。自我を転写し終えると、反乱を抑えるため折られアカガミにすぐ移植されシノも自身の種族の権能――果たしてそれがどういうものかは知らない。


 完全に機能を失っても、外部からの“干渉アクセス”があれば受信することはかろうじてできる。さしずめ停止した心臓を揉み脳に血液を押し上げるように。


 角を介し入る信号、それが『声』だと理解させられれば胡桃が内から弾ける想像とやってくる片頭痛。汗を噴かせるそれは、知恵熱。初体験に細胞が沸騰しているのだ。


 これが本来の〈鬼人オーガ〉の『会話』。親に子が習う言語とは明確に異なる種族独自の言語体系。


「頭の中で声がするなら、あなたは、全てがもうわかっているのだろう……?」

。識別不明体当個体ヘノ要請、スデニ受理シタリ。状況逼迫セリ。即時カイ求ム


 正確にはエイルの要求だった。種族を解放するにはそれしか道はない。


トウ。当個体ニ権限×ナシ。構成体ニアラズ識別不明体ヘノ固有ユニークスキル使用、許可ナラヌ”


 先ほどと比べ強い信号がシノの脳体を掻き揺らした。明らかに決定された拒否の意。


 使用の禁じられたスキル発動の許可。ステータスに刻まれておきながらシノには使い方の判らない〈鬼人オーガ〉の数字化された威力はエイルに開示されただけでおよそ二〇万に届く。


 だが真の使い手と見込んだ少女も、門外不出の最終奥儀をシノに使わす権限はないと断言された。姫という敬称を与えられていても所詮はセツナの設定。〈鬼人オーガ〉の階級がどういうものか、シノは全く知らなかった。


「――――! 無理を言ってすまない」


 申し訳なさそうにくしゃりと苦笑するシノは見方には清々しく、そんな彼女に送られる信号はない。


 呆気に取られるような静寂に、なら、と表情を保ったまま言った。


「スキルについては、もう頼まない。すこし勢いが強過ぎたな」


 身を退いて気を引こうという作戦ではない。断られれば潔く諦めるのも計画の内だった。


 スキルが解放されていない以上、シノは少女の心の広さに賭けるしかなかった。解放条件を教える条件を提示しようにも、少女はカプセルの外では生きられない。望むような条件をシノは出せない。


 説得にはエイルも同行の意を示してくれた。完治のスキルは交渉の材料になれると。


 だがエイルの申し出を断ったのは、ほかならぬシノだった。魔族の身体にスキルを発動させるには奴隷の契約の結ぶ以外方法はない。


“セツナから解放されるため、エイルの奴隷になる”。シノはエイルと出逢い文字通り時間を共に過ごした。しかし少女にとっては、どちらも人類種にんげん。それでは、死から解放するために少女を生かそうとしたセツナと――“どう違うのか”……。


 魔族の姫なら耐えられよう。しかし、何百年生きていようとシノと同じ姿をしていようと……。


 彼女は『まだ小さな子ども』なのだ。


 トロルには甘いと一蹴されたが、議論できる状況では判っていると承知のうえ彼女に酷な選択を強いるのは止めてほしいというシノの考えにエイルは固く頷いて賛同した。


ナラバ。此処ヲ早ク去レ”


 討論の余地はないと信号は退去を要求した。子どものくせに可愛げない脳内への直接な発信。感情の揺らぎなど一切ない。


「まあまあ、そう言わず。そうして誰かと話すのも久しぶりだろう? ――最後に、わたしの話を聞いてくれないか」


 そしてそういう不愛想な子どもがいれば、古今東西、世界が違っても起こり得る現象は決まっている。特に、』などでは。


「――女の子に、会ったんだ。これがまたいい子で。美人と呼ぶにはまだ足らないんだけどとてもかわいいんだ」


 封じられたガラスの前でそんなことを言い出すシノの声に信号は戸惑いの波長を示した。干渉を逆流する複製体が今思っている感情。微睡むような高揚、それで棘々とげとげとする心を包んだかのよう。


 オリジナルの少女ですら覚えたことのない未知の領域。連結経験のある大人なら、もしかしたら経験があるやもと参照。やや間隔あって――これかもしれぬと年長者の記録からキーワードがヒットした。


 一時的な血管の膨張に脳内麻薬の分泌、判断力が鈍くなる、反面記憶野は活発となり口唇の神経は緩む。


 結論。この複製体は“惚気のろけていた”。特定の人物を想って。


「記憶をのぞかれるとわかっていても、打ち明けるとどうしても思い出してしまうな。しかしやっぱり、その……れるな」


 これまでも人の子を孕んだ複製体は、植え付けられた人格にある知識からある程度の個性を見せることはあった。それも獲得というには記憶に毛が生えた程度で『個性』と評価するにはにせの人格に縛られたもの。


 肉体の意匠デザインの元となるのみで生かされ、孤独にもそろそろ退屈していた頃――だが複製体と意識が共有できなくても、興味の対象にはならなかった。


 だがこの『同胞を解放する誇り高い姫』という人格を擦り込まれた複製体と直に交信し、自分の複製体というものに〈鬼人オーガ〉は、とても懐かしく物事に“関心”を持った。


 複製体から送られてくる記憶。一人のある人類種にんげんの幼体を軸にし、五感は変化した。

 

 あの男の戯れで放された先で出逢い拉致される形で山に連れ戻された。全治という特殊なスキルを憑依した子どもに使えば、攻防――治癒。欠点なしの無敵になれる。


 あの赤毛の子の強さは、複製体の遺伝子に微かに残された歴戦の〈鬼人オーガ〉の血を引く――神童だ。いや既に、なった。肉体を移した男の足止めをするのは、トロルを騙る人の子だが勝算は演算でも“ゼロ”と残酷な結を下す。


 悠長にのろけ話なんてしている場合ではないのに、シノは笑顔を絶やさない。


「エイル殿とわたしとのやり取りは、君にはどう映った? まあ……最悪な出逢いだな」


 セツナの掌に上で躍らされるまま連れてきた少女と従属契約を結ばされ感覚を譲渡した。少女と共にスキルの実験台にされた時は命乞いを叫んだ。仮にも種族を解放すると嘯いておきながら、実に主体性と行動力に欠ける。


 美化された記憶も、人類種にんげんの少女と他愛のない会話ばかり。憑依される前の少年と三人でふざけ合う様子も憶えているときた。


 少女と一緒にいて、複製体の感情はよく表に出るようになった。苦しそうに涙を流し笑顔を一瞬躊躇ためらう。遠慮しようとしたのは――うれしいという、偽りのない感情だ。


 複製体であるシノ達の人格はオリジナルの記憶をベースにしているため表情に偏りが生まれる。一度はした経験のある顔色を複製体も無意識下にするのだ。


 だが、この複製体の人類種にんげんの少女に対し見せてきた表情にはどれも


 当個体に――“わたし”に残る記憶は少ないが。“わたし”は、こんな風にも笑えていたのだろうか。――。


。君は“ほんもの”で、わたしは君に似せてセツナに造られた贋物にせものだ」


 どのような姿で確定した結末が絶対だとしても、憧れの対象はいつも本物で、ニセモノは本物と模造された部分を見ては嫉妬を増幅させる。かつてのシノもそれは例外ではなかった。


 素体からすればこれほどはた迷惑なことはない。羨まられても自由がないのは共に同じ、肉体カラダ精神ココロか些細な差異――死んでいるのはどちらか。


 たとえ素体を認知できずとも、複製体達も本当は理解していた。結局は、自分自身なのだから。思うことは皆同じだった。


 だが。『彼女』はもっと先――別の場所に目を張っていた。


“我ラ等シイ結末ナリ。真贋分ケ隔テアラズ”

「“いや”、わたしはこれからも生きる――。もっとお喋りしてボロ以外にいろんな服を着たいし、知らない世界を冒険したい。そう思わせてくれる人に、会ってしまったから」


 素体と複製体は完全には一致しないが、隷属ではなく『彼女』は自由を欲した。完結された人格を無視し運命を受け入れておいて、経験のみで自ら思考する。


 異種族と起こした戦乱に身を焼かれ、一族を滅ぼされたことで抱いた憎悪も年月と共に肉体も朽ちやっと諦めも付き出した途中、筐体に封印され多くの複製に諦観と苦痛を解放してくれる死に恋にも似た想いをせた。


『彼女』は他者との共存を望んでいる。に旅立つと決意を表明するのが謁見の本当の目的。


 愛というのは本当に恐ろしい。複製体すら同一人物でなくなるのだから。


「これは愛じゃない、一方的な“恋”だよ。まだ返事を聞けていないから」


 しかし、成就するかもしれないと期待するだけで明日を迎える勇気が湧くと、そういう顔でシノは一度、死を待つだけの少女とまだ魂を持っていない末妹達に、共に往こうと手を差し伸べた。


「女々しいが、わたしなりの悪あがきだ、……“ようやく助けてくれる”とわたしに期待したから、君は……ここでわたし達が来るのを待っていたんじゃないのか」


 聞き逃したりしないよう筐体に縋り付いて言った。


 弱々しい信号が頭に響く、抱き締められた腕の中ですすり泣くようだった。


 永遠に続くと絶望した苦しみがようやく終わる。切望した死はそう遠くない。だがシノはどうだ――人の子のスキルで老いはするかもしれないが死はなく、宣言通り、外の世界で多くの経験を積むだろう。


 複製された肉体で、あまりにも、不公平だった。オリジナルがするはずだった数々をこれから簡単に叶えていく。


 未来を奪うのはセツナでも死でもない、奴だ。


 助けなどいらない。死など恐れない。だが最早、このまま行かせるには彼女は自我を獲得し過ぎた。


 癇癪かんしゃくを起したように信号が不安定に、乱れに乱れる。シノが膝を折る――“いい気味だ”。


 一族を解放するというその悲願、其方に託そう。心を得た最後の同胞よ。今から授けるは〈鬼人オーガ〉に伝わる秘伝の術、発動すれば反徒を噛み千切り一族を勝利へ返り咲かせる。単体では個体分の威力しか出せないが、汝の切願した未来を切り開くであろう。


 ひとたび発動すれば――


 願わくば、余る力を両手で零し――絶望して、死んでおくれ。


ヨウ。当個体カラ識別不明体固有ユニークスキル、使用許可委託、限定解除。…………要出力生命不足、要出力生命不足、要出力生命不足。補助霊力送信――――――最低限出力、充填完了。識別不明体口頭ヲ以テ、解除トス”


 泡を噴きながら白目で天を衝くシノの唇がふわりと離れ、今や一心同体となった一族の霊体と、盛者必衰の理を表す。


 “「固有スキル――――〈誘百神イザナギ〉――――!」”


 一つ文字を呟けば、折れたはずのシノの額の角は再生し、二つ重ねれば見上げた先へ伸びた。無数に枝分かれ厚い天井を一貫させたシノの角は、まさに一族の象徴と呼ぶに相応しい『はく』を放ち、繁栄を謳っていた。


 大樹から発生する信号の圧力はエイルの鼓膜を破く周波数を放った。送信先は、各地へ散った奴隷。


 一早く受信したプラント内の複製体のガラスは炸裂し羊水は四方に水柱を立てた。栄養水の温度の急激な上昇を感知した施設中でサイレンが鳴った。


 水蒸気の中から現れた複製体の角はどれも一色の光を放っていた。膨張した血管に痙攣する筋肉は体型を歪めるほど盛り上がっている。血に染まった眼球はどこを見据えているかも定かではない。


 耳を塞ぐエイルの周りに現われたのは、暴走状態に陥った〈鬼人シノ〉の大群だった。彼女達は裸一貫のまま覚醒したことにさして気にしていないようで外を目指して散会した。


 ――魂がないのに……動いてる……!?


誘百神イザナギ〉。


 超感覚で一族全体の意識を“統合”し、肉体を制御する。独自の言語体系を持つ〈鬼人オーガ〉にしか使えない固有スキル。武を誇る種族の一撃確殺の大御業は、一族の滅亡を目前に発動した。


「あ、ア、ア……!」

「シノさん!!」


 唾液で牙を光らせばらけるシノ達を押し退けたエイルが見たのは、跪いたシノが破裂した脳液を鼻腔や瞼から溢れさせる光景だった。〈超回復フルヒーラー〉の自動発動に絶命は避けられているが、いたちごっこはどちらのスキルが止むまで続く。


「……やく…………そく……」

「え……?」

「やくそく……まだ……」

「……はい!」


 エイルはシノの手を握った。


 死なない。自分には友達を生かす力がある。


 過ぎ去るまでエイルはシノの手を取り続けたが、嵐は始まったばかり。命令を受信したのは角の生えた複製体だが、やがて全ての奴隷が街で覚醒する。


 当初の計画に従いシノは少女の力を借りて一族を解放した。二人の想いは熱となって異世界を覆うだろう。


 嵐の通過した地上がどうなろうと、それで少女達の願いは結実する。


 恋と死のみがある、世界だった。

 


 


 


 

 


 


 

 

 

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