第二十一章 欠席

『アースミガルト』には神に創造された主とする三つの人型種族が住まう。


 その一つである人類種にんげんは、海と土――自然を湛えた球体の世界で最も多い領土を保有する軍事国家だった。


 種を代表する都市『キルス・トタテリス』は東方の平野に位置する。西側の貿易都市『ゴンド―』と比較すれば明るい活気は霞むが、国家の礎を種族の勃興期から支えてきた軍事国家の首都には凪のような穏やかな空気に包まれていた。


 

 だが、創造神の恩恵と甘い蜜のような平和を甘受し蕩けた表情で闊歩する民の下、都市のはらわたに隠匿された『新界教』騎士団本部の教会。


 ゴシック様式に煉瓦表現主義の建築様式を投影魔法の一種である画面スクリーンの瑠璃色がかった光に照らされる中、七つの内各師団長は思い思いの表情で会議に臨んでいた。


「以上が、トール第七師団長が遭遇した未確認の魔族現象でありマス。当師団の分析アナライズの結果――AAA級大規模固有ユニークスキル・誘百神イザナギであると愚考するでありマス」

「“イザナギ”? でも、それは〈鬼人オーガ〉しか取得できないスキルでしょう。絶滅した魔族があの山にいたってこと?」


 怪訝な面持ちで卓から身を乗り出す第三師団長。


「バートリー卿の憂いは最もでありマスが、……当師団が導いた推測は、と、絶対、となりマス」


 目深に被った外套のフードの下で分析を担当した官は、黒縁のロイド眼鏡をくいっと上げた。


 七つまである『新界教』の師団は主に二つの役割に分かれる。


 このトネリコが長を務める第六師団は、内部での活動を目的に組織された。各師団が持ち帰った情報を分析、分野ごとに編纂を行う。目下の現象を骨の髄まで調べ上げ、今後、師団や教会、人類の脅威となる存在の排除の第一歩とする。


 彼らは師団の中で、唯一、武器を携帯しない。第六師団の武器は、情報分析――未知を既知とする、断固としたその執着だった。


 僅か十一回誕生日を迎えた少女が求められる才覚を全て見出され師団長に抜擢された。


 大人に対し、自信さえも失せた顔で平然と己の正しさを主張する分析官に古参である第三師団長の女は席に戻った。


「報告を続けマス。〈鬼人オーガ〉と思われる種族は、第七師団長が長距離魔法にて残らず掃討――死体は一つも確認されなかったでありマス!」


 スクロールのように広げた投影魔法を畳む。密度の増した光に、第六師団長の少女の表情は満足そうに緩んでいた。


 神の敵である魔族が殲滅されたのは確かに喜ばしいが、根本的な問題の解決にはまだ一手足りない。


「トネリコさん、それで……鬼人オーガの発生原因は? 一体、どなたが人類種の目を逃れ神に討たれた“虫”をかくまっていたのでしょうか」

「魔族はあの山の工房で造られ、人類種にんげんの奴隷として出荷されていたでありマス。報告のあった“先の騒動”も、今回が発端だと思われマス」


 笑顔に瞳を細め質したのは白の祭服に身を包んだ長身の女だった。何時間も費やしいた髪は薄明かりの最中に天の河ミルキーウェイの輝きを伴う。


「私は悔しいでありマス……! 偉大な神の傑作でありながら、賜った技術を魔の物に使うなど、裏切り、冒涜」


 周辺諸国は長きに亘って『新界教』の目を欺き異界からの知識を隠匿していた。


 次元を越えてもたらされる恩恵は、神からの賜り物。断じて自国の利益としてはならない。『新界教』の教義の及ばない地だったとしても被造物に刻まれた遺伝子に従わねばならない。


 魔族の製造拠点であるプラントはた。分析によって人類種と複製体の素体オリジナルの死体も発見されている。


 各地に出荷された鬼人オーガの何匹かは捕獲に成功した。力の源である〈角〉も折られ単体としての力は低位の魔物並。そう設計されたのか――外部からの命令に忠実なので縛につける際も無抵抗だった。


 だが――一斉に暴れ出した奴隷の攻撃が止んだとされるのは、第七師団の攻撃から一夜明けた頃。スキルを発動させた魔族は逃亡した、と第六師団は見解している。


「魔族が逃げた事が判ったのはトネリコさんのお手柄です。 魔族を量産する技術を開発した国がどこなのか、見当はついていらっしゃる?」


 首肯する幼き師団長。同じ種族から神に背く裏切り者を出してしまった屈辱に震えつつも頑なな信念は砕けない。


「なら、もうそんな悔しい顔で俯くのはおよしになさってください。美人のトネリコさんにそのようなお顔は似つかわしくないですわ」


 ハンカチで濡れた頬を拭き取ると、少しずつではあるが元気を取り戻したトネリコは呟いた。


「……ベガ卿」


 親しみを込めて彼女には“アン”と気軽に呼んでほしいと常々願っているが敬遠されている節が見受けられる。これも“職業柄”と、いい加減諦めてしまった方がいいのか。


「ほらほら笑って。その顔が相応しいのは、このわたくしですわ?」


 踵を返す第四師団師団長の湛えた兇暴な笑み。害虫をこの足で踏み潰す快感を思い出し歩む膝が疼く彼女の神に対する陶酔さ、捻じ曲がった性癖に同じ思想の師団長さえ身の竦む思いだった。


 分析担当の第六師団と共に騎士団内で割れる第四師団の役割。それは――“外交”。


 神が如何に偉大かその威光を私利私欲に奔った異境に知らしめる代行者。越境の都合により護身の武器は携帯するが、彼女達の真の武器は、同族の過ちを正す事を悦びとする――敬虔な使徒で在ろうとする不屈の性癖こころ


 第四師団長・ベガ。彼女の故郷である世界の夜に輝く星の名を女神に貰った。


 が、その星の由来こそ――降下する猛禽アン=ナスル。腐敗し切った者共に信仰を骨の髄まで伝える恐ろしさに因んで囁かれる異名を彼女自身も最高の誉め言葉と自負している。


「そのカオさえなけりゃあべっぴんなんだがねえ」


 円卓で苦笑する男は、夜を零したような静寂には些か似つかわしくない身なりをしていた。使い古されたフルプレートには敵から受けた傷が目立ち、兜を脱いだおもてにはふけのこびりついた無精髭に男の普段からの不摂生さを強調させる。


 男は、彼が暖めている席の本来の主の代理で遣わされた木端の冒険者だ。その騎士団の“性質上”、本隊の殆どは金で雇われた粗暴な連中が占める。


 素性の知らない者を招くというリスクがあるが、彼らはその日暮らしの生活を送っている分、魔族に対する知識に聡く忌避する側には得難いものを提供してくれた。


 魔族の蔓延る地で尊い神の使徒の血が流れずに済み――“代わりはいくらでも用意できる”のが本音であると判っていても、依頼をちまちまこなすより羽振りがいいので雇われる側も縁は切れない。


 だが、彼らも近いうちに教会からの援助を受けられないかもしれない。


 政策を提案した第五師団長は、神の許に向かってしまわれた。

 

「口の利き方に気を付けろ。「本来なら対等に息を吸って吐くのも不敬に当たる……」立場を弁えるのだな」」

「へいへい、わかりましたよ。――第一師団長殿?」


 芝居がかったへりくだる態度を取る中堅冒険者。


 彼の身据えた円卓に座る第一師団長の不満に曇る顔は、認識阻害の魔法で隠され視認されない。


 不快極まる無神論者に、神に選ばれた崇高な使徒たる顔を見られるのを想像しただけで気色が悪かった。


「グラム=スヴェル卿。よろしいのです、この方も神に創造されし我らの姉弟きょうだい。子はなかよくしないと親に叱られてしまいます」


 ふん、と鼻を鳴らし第一師団長は怒りを収めた。


誘百神イザナギで壊滅した周辺諸国はどうする「辺境の村には信徒もいよう」」


 第六師団の調査では周辺国には数百名の『新界教』の信徒がい、先の災害に遭った辺境の村の村民を合わせるとかなりの数になる。


 魔族を奴隷にした神の怒りに触れた――そう第四師団が流布すれば彼らも援助を諦めるかもしれない。しかし魔族と神罰を混同すれば『新界教』の騎士が神に捧げられる信仰心を堕とす結果に繋がりかねない。

 

「救います。先も申したように、我らは、神の子、なのです。のは神の敵である魔族と、魔族と一瞬でも関係を持った――ヒトだけです」


 また歯茎を見せ表情を崩す第四師団長にグラム=スヴェルは認識阻害の靄の中で嘆息した。


「俺達の大将を殺った、あのトロル――とか――?」


 うっかり口を滑らせ、その魔物の名を滑らせた男の――最期に見た光景。


 認識阻害の消し飛ぶかすみに顕れた姿。これまでに何度か代理で会議に出席した事はあったが霧の張れるのはこれが初めてだった。


 二つの議席を重ねて座る一人の男。


 まるで影を纏うようなローブの底から覗く両の眼は虹色に輝き――神々しいにも程がある美しさ。


 それを目の当たりにしただけで、男の心臓は止まり、血の巡りは滞り、酔い痴れた魂は本来の形を忘れ霧散した。


 第一師団長は魔法を使わなかった。


 衝撃を受けたようにひっくり返った男を殺したのは――罪深き神の敵の名を挙げた事による、ただの“怒り”であった……。


「グラム君、スヴェル君、だめじゃない、……殺すなら教会の外に出してからじゃないと」

「こいつが勝手に死んだ!「……ごめん」」


 再び自動発動したスヴェルの認識阻害から、怒鳴り声と肩を落とす声が微かにした。


 本心は怒りを抑制できなかったグラムにこそ皆の前で謝って欲しかったバートリーだったが。素直じゃない“グラム”もだが、先に謝ってしまう“スヴェル”の癖は二人の幼馴染みとして改めてほしいと思う。


「もう、あとであたしが片付けておくから」


 と、そういうバートリーも常々この“双子”に甘い。


「でもこれ以上騎士団内の欠員は看過できないわね。お父さんに頼んで新しい子を入れてもらうよう頼んでみる?」

「それは難しいですわね。第七師団の編成からまだそう経ってもいませんし……お父様もそう次々寄越してはくれないでしょう」


 そうよね、と歳も近く妹のように想う第四師団長に第三師団長は首を捻った。


「補充は追々つめていくとして――あたしたちが考えないといけない最初の問題は」

「“特異巨人ヨトゥン=ハイ”……アルバート卿を討ったとされる、トロル、でありマスか……?」


 口に出すのも憚れるトネリコ。だが現場の惨状から自らの分析した事実は受け入れねばならなかった。


 その噂は冒険者界隈を通して以前から把握はしていた。トロルでありながらB級の強さを持ち鈍重なトロルからは予想もできない身のこなしと武具の扱いに長け、高い知能を持つとされる。


 トロルに敗れた新人冒険者の負け惜しみによる根も葉もない作り話だとこれまで議題に挙げてこなかったが。


「……トール卿の言った事は、本当でありマシた……!」


 固唾を呑んだトネリコ、その視線の先には。


 円卓で唯一席の空いた師団長の座があった。


「「そのトロルの名をこの中で最初に口にした師団長殿はどこだ」」


 第一師団長は末席に霧の方向を傾けながら言った。師団長に抜擢されてから会議に出席せずふらふらしている放浪娘だが、弟子でもある第五師団長の死を聞いても顔を出さないとは。


「今日も……巨人狩りでありマシょう」

「こんな時にも、「飽きないな」」


 父の一番のお気に入りの『新界教』最強の騎士も、存外薄情なものだった。


 さすが……巨人トロル殺しの英雄様だった。


「ところで、これはどうするでありマス」


 冒険者の抜け殻に目をやった師団長面々は、処理を彼を同胞と言った第四師団長に押しつけようと見た。


「わっわたくしがですか!?」

「アンちゃんが庇ったんだから、最後まで責任取りなさい?」

「バートリー卿…………さっき任せてって」

「トネリコは分析官ゆえ、日頃から清潔には心掛けているのでアリます」


 第一師団長が頼み事を聞いてくれるはずもなく。


 義姉あねに裏切られ、義妹いもうとに見放された第四師団長は肩を落とし、死後硬直の始まった冒険者を一瞥しながら。


「――神の敵が、穢らわしい」


 これから汚物に触れ、汚物を引きり、出口で他の信徒や外で待つ部下に汚物を投棄する一部始終を見られる恥辱極まりない未来に、唇を歪ませながら顎を蹴り飛ばした。


 その口は、仲間の仇でもあり彼女の最も忌み嫌う怪物の名を囁いた口だった。

 

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