第十八章 僕が守るから
ただ、救いたいだけだった。魔物というだけで蔑まれ、害され、容易く殺されていく仲間達を残酷な運命から助けたい――一心だったんだ。
「“〈
『そんなはずない』と少女は後退りながら頷く。
きっとこれも、いつもの冗談なのだ。アカガミは昔から相手を揶揄うのが好きだからこうやって動揺する反応を楽しんでいるに違いない。
だってそうだ? 戦に勝った
「“だから絶滅させない”……ええ、確かにその通りですとも」
心を見透かすように眉根を吊り上げたアカガミは、薄く笑って。
「ではシノ、産まれた労働力を……
『タイサイ』には誕生した〈
それは最早、誕生というより“量産”である。
アカガミは、何も間違った事を言ってはいない。
おかしいのはむしろ、街中を闊歩する自分の顔を判別できなかった――――。
「とても悲しそうなお顔だ。初めて正直な気持ちを見せてくれましたね、私は嬉しいですよシノ? あなたはいつも私に心を閉ざしていましたから…………一つになった時でさえ」
「貴様は…………いや! ありえない!! 貴様はアカガミだ、
幼い顔を柔和な笑みで歪めながら。
アカガミはシノと身体を重ねようとした。
シノの言う通り、エイルもそこにいる少年はアカガミに
だが
――“セツナ”――
――“はい、私ですよ?”――
鳴動する心拍を共有し脈打つ血の温もりを抱擁したその瞬間。
互いは互いを明確に認知する。
「……でもどうして、アカガミに」
「移植した〈
〈
個体別で経験に差異があろうと得られるステータスは常に“同時”であり、戦に一度も出た事がない子どもでも無双の戦士として活躍できる。
バラバラなように見えても、彼らの魂は同じ場所に在った。
「ではアカガミの魂は、貴様に乗っ取られ消滅してしまったのか?」
「『多重的な人格を持つ脳が個々の肉体と繋がっている』といった――あなた方の世界での“ネットワーク”でしょうか。……エイル様?」
シノの背後に手を回す
百分の一も理解できなかった情報が彼の流暢な
「この
多少は“こちら側”の手を加えなけければ動きませんでしたけどね。――アカガミを苦笑させたセツナ。稼働音とカプセルを満たす酸素の湧く音が静かに響く中、施設については多く語ろうとしなかったが、彼がこの世界で最も異世界に関する情報を持つ賢者であるとエイルは確信した。
「では、教えてください……シノさんについてです」
「ええどうぞ?」
シノに関してセツナは全ての情報を開示する気で、エイルを待っていたようだ。
「アカガミ君がどうして強いのか、なんとなくですが
ほう、と感心したようにアカガミ――セツナは気を吐いた。
「私の気持ちを汲んでくれたのですね、嬉しいですよ」
「ありがとうございます……って言っていいかわからないんですけど。いえ、やっぱりちゃんと説明してください!」
今しがたセツナはアカガミの口で“自分と彼だけが移植された〈角〉を顕現することができた”と言った。極めて限定された説明の裏腹に――二人以外にも角を植えたのだとそこまではエイルも納得した。
煮え切らないようなエイルに、セツナは彼女の疑問を言語に表した後に説明した。
「あなたは私が思った以上に、魔物への情が薄い――のですね。“たとえ育ての親からの頼みでも魔物の一部を移植されるなんてまっぴらごめんだ”――私は彼らに無理強いはしていません。一人、一人、きちんと事情を話しました。私のわがままを聞いてくれるなんて……本当に、いい子達ばかりで誇らしいです」
「認めるんですね、危険は、承知の上だったと」
「〈
「……“理論”……?」
そこでエイルの口はわなないたままで静止した。
「エイル様の考えた通りでございます。最初に〈
だから、と後悔の表情を滲ませた
「望みを叶えるため、私は、挫折を認めざるをえなかった。私の血を分けた後継者に願いを託すしかありませんでした。
「こ……“子”?
「アオイ、あの子に母の記憶はありませんが
「……お尻?」
「アカガミと
ほら、シノも…………。
耳元で囁き、アカガミの腕でシノの身体をぎゅーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーと強く。
「抱き締めてあげてください――――私とあなたの子ですよ」
「う…………うそだ」
「家族の前で嘘などつきませんよ」
「うそだ、うそだうそだうそだうそだー!!!!!!」
突き飛ばした勢いで体勢を崩したシノをエイルはすかさず保護した。
「どうしたんですか、そんなに怖い顔して。ああ、力が少々強かったですね。この身体になってまだ間もないですから。ほら、今度はちゃんと加減しますから」
ハグしてと大きく手を広げてきたアカガミからシノを遠ざけたエイルは、押し殺すように叫んだ。
「本当に、あなたとシノさんの子なんですか――?」
重々しい問い掛けがシノの胸を貫く。
その真実は少女達にはあまりにも痛く、泣いてしまいそうだった。
「どうです、そっくりでしょう?」
セツナはアカガミの顔をぐりぐりと弄った。
そのどこか自慢するように口“
シノに視力を完全に委ねているエイルに二人が――一体どこまで似ているのか知れないが、休眠状態のオーガの少女を視線がぐるりと巡って、無意識に共通点を探してしまった。
「わたしにそんな……
「思い出せなくてもよいのですよ、
本能に準じた自己防衛か種族としての誇りがそうさせるのか特定されていないが。子を産み落として間もなく
人との子を孕んだ記憶を『切除』すれば正常に戻る。
「だからシノさんに感情……心を与えたんですか?」
「エイル様は“廃人になったシノに私が心を植え付けた”と考えておられるのですね。ですが………………逆です。心があるから、彼女達は壊れるのですよ」
「じゃあなんの目的で――どうしてこんな酷いこと、シノさんにしたんですか!?」
慟哭するエイルの胸の内で、シノは彼女の心臓の音を聞いた。
激しく躍動した心の叫びは、今にも蒸発しそうなシノの意識を肉体に繋ぎ止めていたのだった。
肩で呼吸するエイルに。
はて? ――とアカガミは。
「私がシノに酷いこと…………そんなことしませんよ?」
「魔物に対する怒りですか、怯える姿を見て愉しんでいたんですか!?」
――――
「は…………
「
あの日を思い出すと、今も私の胸は愛に焦がれる……。
そう――胸に手を添えもがくように揺れ動くセツナ。
舌っ足らずに囁く少年の姿の彼は、愛という――歯の浮きそうな一文字の概念に苦しみ身を焦がすかのようで。向き合う者は羞恥に頭を掻かずにはいられない。
「こう見えて、昔の私はとても病弱でした、剣も握れない。騎士の家に生まれた私の妹は六歳で木剣を片手で振れたのに。魔法の道に進もうにも才能がありませんでした」
最初こそ気に掛けてくれた両親も下の兄妹が成長するに連れ世間体を気にするようになり出し、両親も進んだ騎士見習いとなり高い成績を収めるようになると、何の取り得もない長男を他の貴族から隠すようになった。
「故郷にあった魔法学校に入学した私は、絶滅した魔物を研究する分野に進みました。他の学科では魔法を使い、馴染めませんでしたので。ですが私は、それを幸運と思っています。あなた方――〈
魔法を操りながら武に長けた種族。この世に産み落とされたその瞬間から鋼のような肉体と完成された精神を兼ね備えている。
「私は確信していました。この文献は間違っている――“〈
この山にはかつて小さな〈
「〈
荒廃した洞窟を眺めながら、この、恐ろしくも気高い種族が
「その時でした! ――瓦礫の底から聞こえたのです。家族を殺され、逃げようとする四肢を切られ、泣き叫ぶ喉を潰され、生きたまま焼かれ岩に埋められ――それでも生きようとする声を!」
〈
それは時として生きながら地獄を味わう耐え難い苦痛となるのに。時間が何かを忘れた彼女自身も、百年、千年もの間続くとは思っていなかっただろう。
「あなたを一目見た……瞬間、私は憧れから、恋に変わりました」
身体の大部分が炭化し、セツナでも出せるほんの少しの力で粉々になりそうな鬼の少女を抱き上げたあの時の感触を思い出す。
「あそこまで力に注意を払ったのは、あれが初めてでした」
死に掛けて
「――“よくぞ、生きていてくれた!”」
セツナは、少女に『シノ』と名を与えた。古文書に唯一名の記されている鬼人の姫の名だ。
「山に籠った私はそれから、あなたを生かす術を必死に学びました。あなたが側にいる――それだけで力が
その果てに、この国を創った。誰の力も借りず――一人で。
「たった一人で……国を!? そんな」
「“馬鹿な”? ……愛は全てを可能にするのですよ、エイル様」
まだ恋をした事のないであろう少女にセツナは
「だったら、どうしてシノさんを奴隷に……!?」
牙を剥いたエイルのその叫びは、己と同類かもしれない男に対する純粋な疑問であった。魔物を排斥するこの異世界で、セツナは、転生者であり――同種であるエイルに魔物への愛を説いた。
エイル以外の者が聞いたならおよそ正気を疑いかねない言葉を、嬉々として。
しかして、セツナは転生者ではない。この世界で生まれこの世界の価値観に染まった人間だ。
そんな彼が魔物に愛を叫ぶまでの感性を得た。世界を亘る経験もなく。
ところが彼の扱いはおよそエイルの知る“愛”とはほど遠いものだった。
嫌悪の表情でアカガミの身体を借りた男を睨むエイルに
「エイル様はこの私を歪んだ愛情の持ち主だと思うでしょう。確かに世俗には愛する者を強引に屈服させ悦ぶ輩もおります。ですが…………私は彼らの愛に、
「……憎悪……?」
「この私だけが、愛というモノを理解しています、世界の誰よりも。シノに出逢い、私はこれまで灰色だった心で思い知りました……。食欲のように腹が膨れれば落ち着く事は愛にはなく、睡眠欲のように眠る事もなければ、性欲のように肉体の接触で昂りを抑えられるモノでもない。エイル様、……“愛”……それは『満ち足りる事のない
祈るが如く天を仰ぎ。
大勢のシノに、涙を流しセツナは宣言した。
「
そのシノ全てと、子どもを設けたい。山を、街を、世界中を私とシノの子どもだけにしたい。
夫だけでなく――シノの子どもになりたい。貧弱な身体を捨てて、強くて可愛らしいシノの子どもになって、バケモノになりたい。
したい、したい……したいしたいしたいしたいたいたいたいたいたいたいたいたいたいたいたいたいたいたいたいたいたいたいたいたいたいたいたいたいたいたいたいたいたいたいたいたいたいたいたいたいたいたいたいたいたいたいたいたいたいたいたいたいたいたいたいたいたいたいたいたいたいたいたいたいたいたいたいたいたいたいたいたいたいたいたいたいたいたいたいたいたいたいたいたいたいたいたいたいたいたいたいたいたい――――――――アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!
「……ハァ、ハァ、ハ――――ァ。…………
「…………」
「…………」
「おや。どうしたんです二人とも、そのように驚いた顔をされて?」
痙攣した肺臓を一拍置いて整えたセツナは、深い皺と青白い血管をこめかみに浮かべたまま、くすりと笑った。
アカガミの声は今も残響している。子どもとは思えぬ肺活量が生み出した振動は壁を突き抜け山に地鳴りを起こした。
近くで彼の叫びを聞いた低位の魔物は気を失っていた。意識があるモノもいたが、恐怖に慄いて身を出せない。
エイルとシノの体内で『
「さあ、シノ。参りましょう?」
「……どこに?」
一拍の隙もなく、アカガミの鼻頭はエイルを掠めるにまで接した。
セツナはシノに、アカガミと手を繋ぐよう腕を伸ばし出でた。
「この身体、思った以上に元気でしてね。さすがはアカガミ。そこで――
冗談でも言うように肩を竦める
そう、笑った少年の薄い衣の
――――パァアン!!
空気を割るような音が轟く。
頬を押さえきょとんとシノを窺うアカガミ。
呆けた唇から一筋の血が滴り落ちた。
「し……シノさんに、ちかづかないでくださいッ!」
中空をふり切ったエイルの掌は赤く腫れ上がって、所々が切れていた。叩いた際に当たったアカガミの歯が傷付けた。
だが、真にエイルを切り裂いたのは痛みではない。
一途な愛という――シノを生きたままに苦しめていたセツナの心意だ。
この山全体に充満する愛。それは岩を削り、かつて〈
「私のシノを連れて、どこに行くと?」
「あなたに見えない、聞こえない、嗅げない、触れない場所です……!」
シノを抱きながら後退るエイルを、セツナは追おうとしない。
ああ――なんてピンときたように。
「彼女に奴隷紋を刻み、あなたもシノの事が好きになったんですね。同じ気持ちを分かち合うのはたいへん喜ばしいことです。では、…………エイル様もここでシノ達と暮らしましょう。私達、きっといいお友達になれるはずです」
元来た洞窟に、二人で引き返そうとするエイル。
「――『
躊躇なくアカガミにスキルを発動させる。手荒いが、エイルを引き留めるにはこれくらいの強行を取らねば逃げられてしまう。
集束した魔力の渦が槍の束となり二人に迫る。軌道上にあった空気は焼き切れ黒煙が吹いた。
しかしふり返ったエイルはスキルを発動させたどころか、セツナが攻撃を自分達に放った事にも気付かなかった。
「――ヨトゥン=ハイさん!」
「あなたですか」
ねっとりと粘着性のある視線で舌を転がすセツナ。
「まさか地中の岩盤を突き破ってくるとは。予想外過ぎて気付きませんでした」
じゃきり……、静寂を断つ
「なるほど、魔力を弾く斧。特別な鉱物から鍛えられた〈
アカガミとの相性の悪さを苦笑するように呟いたセツナは側の床をヨトゥン=ハイに示した。
地面から壁面に至るまで周囲は赤銅色の鉄板に占められ、ぴしゃりと差す指の微かな振動にも呼応する。
「この施設の材質にも山から削り出した同じ金属を使用しています。〈
断っておきますが、ここでその斧を
先の攻撃は武器という実体があったのでいなしやすかった。だが液体のように流動しながら迫り来る魔力の奔流は斧で斬れてもヨトゥン=ハイの後ろにいるエイル、シノは呑み込まれてしまう。波に剣で対抗しても周辺の岩は呑み込まれるのと同じ理屈だ。
だが、セツナには微かな期待があった。
アカガミと互角にやり合えたこのトロルが、このような単純な攻撃を防げない、…………わけがないと。
ヨトゥン=ハイは斧を魔力ではなく、彼が今しがた指し示した魔力を弾くという鉄板に振り下ろした。
渾身の一撃――剛腕が鞭のようにしなやかにしなり、そこから生み出されたエネルギーに床面と地面を固定したボルトは瞬きの内に弾け飛び、剥がれた床が隆起する。鉄板に含有する鋼はアカガミの体内から流れ出た破格の力を
「…………あ」
視界がやけに眩しいので、シノが薄っすら瞼を開くと。
拡散した魔力の光を浴びて――広く逞しい背中が自分とエイルを守っていた。
「トロル」
「……ヨトゥン=ハイさん」
波動を受けるヨトゥン=ハイの足はじりじりと後退し、その背がどんどん大きくなってゆく。
「――ああ――
そんな声がどこからともなく聞こえたかとシノが思うと。
緊迫した閃光が萎むように弱くなり、やがて光は完全に絶えヨトゥン=ハイの押さえた鉄板が地面を跳ねながら転がった。
これを絶好の瞬間とヨトゥン=ハイは片方の斧を放棄した手でエイルを――エイル“だけ”を抱きかかえ掘り進んできた穴に
「シノさん……」
エイルに抱え締められたシノは呼びかけに身じろきの反応も見せようとしない。
だが彼女は、伸ばしたエイルの手を、胡乱な眼差しでも、必死に掴もうとあがいていた。シノの視点で見たのだ、間違いじゃない。
彼女の心は、まだ死んでいない。
――よっぽどひどいのは、むしろ。セツナからの攻撃に守ってくれた時。
“彼を突き飛ばした手を、もう一度その背に伸ばし存在を確かめようとした、私だった”
がっしりとしたヨトゥン=ハイの腕がエイルを安全な場所へ運ぶ。
込められた腕から伝わる、ぐっ、とくる力。それは優しさか、裏切られた事への恨みか確かめられない。
エイルは、ヨトゥン=ハイの再生した顔をまともに見れなかった。
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