第十五章 こどもたちの国

 市街地から少し離れた場所。


 さかずきに支えられるように在る街と街の中間には、大小、様々な抜け穴が空いていた。その先は、山脈を血管のように張り巡る洞窟に通じていた。


「なにしてあそぶのー?」

「今日は外に出られないチビ達が多いからね。ここで鬼ごっこをしよう」


 小さい子達を引率していた三つ編みの少女が振り向きざまに言った。洞窟は鍾乳洞になっており染み出た鉱水が絶えず地面を打つ音がしていた。


 殿しんがりのエイルが、一行の先頭にいるシノの眼を通じて、その光景を認識できたかというと。


 三つ編みの少女を始め、子ども達が魔力で生成した光が列を囲うように散っていて、水滴に淡い光が反射していたからだ。


 開けた場所に出ると、皆、環をつくり向かい合った。


「あの、シノさん」


 雑談をしながら休憩する子ども達の声に混じって、丁度、隣にやってきたシノに尋ねるエイルのひそひそ声。


「どうして、あの方……シノさんを先頭に指名したんでしょうか」

「――アオイが、気になるか」


 シノの目線が“アオイ”と呼ばれた三つ編みの少女に向かう。


「セツナが彼女に寄せる信頼は、アカガミに次いで高い。――その理由が“これ”だ」


 洞穴で列の配置を決めたのはあのアオイだった。先頭にシノ、その後ろに子ども達を背の高い順に――アカガミ、そしてエイルが一番後ろという順番。


 呪いで絶対服従しているとはいえ、魔族を殿に置くわけにはいかない。背後から攻撃されれば列全体に乱れが生じる。列の中間でも同じか、もっと大きな被害に繋がりかねない。


 幸いここは、自分達の故郷。


 鬼人オーガも洞窟の内部を熟知している。、訓練にならない。だが飼い主を殺すほどの牙は、鬼人単体にはなかった。


 最も弱く信用できないモノを列の頭に置き、随伴する順に、強く、戦闘の思慮に長けた者から。


 そして最後に、あの人類種にんげんセツナによれば回復魔法だけで戦いの知識はないらしい。


 仮に戦闘向けの魔法を使ってきても、前にアカガミがいれば彼が封じてしまえる。


 なにせ、あのアカガミなのだ。


「……“ただ歩く”だけで、そこまで」


 説明を聴いたエイルがシノの眼で見るアオイの印象は、話の前と後とでがらりと変わった。自分とそう大差ない外見をしておいて、その観察眼は魔族の長に引けを取らないほどに高い。一人ひとりの戦力差を十二分に理解し、考え得る事態を最低限に収めようと気を配れる。


 彼女をそこまで鍛えたというセツナは、一体、どんな想いを託したのか。


「じゃあ、前やったのと同じように。二手に分かれて、年長のチビは探して。小さいチビ達はアオイについてくること」


 アオイは二つにチームを分けそれぞれの役割を配役した。


「アオイー、アカガミは?」

「あなたじゃチビの練習にならないでしょう。焚き火の火が滴で消えないよう見張っておいて」


 ピンと張ったアカガミの手をアオイは胴々と宥めながら下ろさせた。


 アカガミは頬を張ってあからさまにむくれてみせたが、仕方ないと火を起こせるものを探しに列を離れ洞窟の奥に消えた。


「よしそれじゃあ――“オニごっこ”はじめ!」


 アオイがパン! と手を打つのを開始の合図にチームは別れた。


「おねーさん、おなまえは?」


 チームのリーダーを任された男の子にエイルは声を掛けられた。


 エイルとシノは年長組のチームに参加した。これもアオイの指示で。


「エイル、です」

「“です”だってー、へんなしゃべりかたー!」


 けたけた指を差され子どもに笑われる。洞窟に声変わり前の幼いはしゃぎ声が反響した。


「こっこれは敬語といって、他人をうやまうちゃんとした言葉づかいで」

「ケイゴ?」

「知ってる?」

「ううん。なにそれー?」


 先を進みながら傾いだ首で向き合う子ども達。


 小さい子相手に一体なにをムキになっているかとエイルは落ち着こうとするが、その純粋な子ども心が大人の言葉遣いに対し抱く疑問に、エイルはどうも腑に落ちない。


 エイルの身体を支えるシノは、申し訳なさそうに視線を反らしていた。


 エイルを庇いたいが、ここでも勝手な発言は許されない。


「……し。いた」


 リーダーの子が指を口の先に添え皆に止まるよう言う。


 静かに目線を動かした洞窟の先には、赤に黒のまだら模様の尻尾が波打っていた。


 エイル達に伏せるよう、両手を上下に下ろすジェスチャーをするリーダーの少年。


 仲間の一人である少女が前方を窺いつつ呟く声は、目の前の魔物に悟られないよう最小限に抑えられていた。エイルにも聴き取ることができないほどに。


「……どうする?」

「今までで一番大きい。けど、いつもどおり、誘い出そう」


 リーダーの少年が魔物に向けて飛び出すと、背後から突貫する気配に魔物の頭が伸びた。鎌首をもたげた蛇の魔物は、洞窟を這うには億劫に思えるほど長く、首を持ち上げても後ろからはぎらつく眼光しか確認できない。


 瞬きのできない鱗のはまった眼の上には、硬そうなエナメル質の角が天井を擦っていた。


 はあッ! と吸い込んだ息を吐き、距離を詰めた少年は跳躍した足を魔物の肉に穿った。めり込み、変形した衝撃に、魔物は蛇という外見にはとても不揃いなけたたましい雄叫びを上げ、縄張りを犯した虫に懲罰を与えんと尻尾を上下に振るった。


 鞭のように振り下ろされた衝撃に水飛沫が飛ぶ。


「びっくりしたー」


 額の汗を拭きながら少年は言うが。


 エイルシノが見た限り――背後に退いた少年には一切の無駄がなかった。頭上に届くギリギリのタイミングを計り、大人でも触れれば木端微塵になる魔物の攻撃を、一瞬たりとも臆さず見続け、完璧な瞬間で動いた。


「GAァアアアアアアアアアアア!!」


 魔物は方向転換しようと身体を捻った。だが寝床に向かう途中で向きを変えるには、その体躯は成長しすぎ、苛立ちの声を上げる。


「魔法!」

「まってました!」


 少女が柏手を打つと魔物の腹の下に魔法陣が展開し、雷撃が鱗を一枚一枚剥がしながら魔物を焼いた。


 このままでは分が悪いと踏んだ魔物が、のたうち回りがら洞窟の奥に潜ろうとした。


 エイル達は、魔物の誘いに乗ることにした。


 魔物が通った下には、洞窟の壁に擦れたことで剥がれた鱗、それに薄い皮が散乱していた。あの蛇の魔物、どうやら脱皮をするつもりであそこで休んでいるところを攻撃された。


「あんな大きいへび、見たことある?」

「ない! おおものだ!」


 子ども達の歓喜に湧く声が上がる。


 洞窟が合流する開けた場所に出ると、そこは魔物の巣だった。爬虫類独特の湿った臭いが充満し、食べ掛けと思しき肉塊もあちこちに散乱している。魔物と同じまだらの肉もあった。


 共喰いしてまで、まだ大きくなろうとするそのがめつさ。


 この魔物が、この洞窟一帯の領主なのは間違いなかった。


「みんな気をつけて! 脱皮直前の蛇は気が立ってるから」


 巣穴では別の洞窟から合流したアオイ達が、エイルのチームに陽動された魔物に攻撃を加えている真っ最中だった。


 陽動の担当は、オニごっこ――狩りの経験を一定期間詰んだチビだった。最初の狩りで魔物の動向、それぞれの特徴クセを覚え、それから魔物をおびき寄せる担当を任せる。そうすれば、経験値を詰めて、生存率も上げることができた。


 だが、今回釣り上げた獲物は、アオイの予想を超えていた。


 あの蛇が、あそこまで成長する種だったとは。


 威嚇で身体を上げただけでも『魔犬ワーグ』を五匹、縦に同時に丸のみにできそうに高い。さらに中級の魔法では、抜け殻を被った柔らかい皮膚に掠り傷一つとつかない。

 口に収まり切らない牙。以前狩った蛇の全長よりも長かった。あの蛇の毒はアオイも咬まれた経験があるから知っているが、大きさから計算して。


 咬まれれば――骨までゲル状に溶かされる。


 「っ…………!」


 ずきりとうずく腕の古傷。押さえる服の袖の内には、一対の牙の咬み痕から拡がる蚯蚓ミミズ腫れ。


 セツナが処置するのを遅れていれば、腐食箇所から下の腕部を切り落とす羽目になっていた。


「きゃ!」

「うわっ!?」


 この穴蔵を自ら選んだこともあって、蛇は侵入者のあしらい方も実に手慣れていた。とぐろを巻いて尻尾をしならせ往く手を遮り、逡巡した隙をついて、間接を外した口を子ども達の頭上に降らせた。


 壁との間隔を理解した攻撃に、シノと壁際の骨塚に隠れたエイルは蛇に知能を感じた。それはアオイも。


 チビ達も今日までこの洞窟で、同種の魔物で訓練を積んできた。だが巨躯が繰り出す攻撃に回避と初等の防御魔法でなんとか凌いでいる状況。


 気になるのは、蛇の攻撃の仕方だ。

 本能に従って侵入者を捕食しているように見せかけ、所定の位置に誘導するような……。


 そして――負傷により狩りから退き、セツナから兄弟達の指導を仰せつかった少女の洞察は、蛇の口から呼吸のほかに、詠唱時に洩れる魔力の揺らぎを察知した。


「きをつけて! がくるッ!」


 咄嗟にアオイは叫ぶが、そのせいでチビ達の注意は、蛇から外れる。


 がぱりと開いた蛇の口に魔法陣が展開する。二重三重とそれは重なって――不気味な魔力が集束していった。


 手足のない洞窟の蚯蚓ミミズと侮ったのが運の尽き。出鱈目に見えた攻撃は魔物の“体術”であり、魔法は必中の切り札。


 彼らがこれまで対峙したのは、魔法を獲得する前の赤子。


 蛇には狡猾な知能があり、生まれついて理性もそなわっていた。


 魔物が息を吐くと、魔法陣から放たれた光が生命反応に照準を合わせ射出された。蛇が魔法を使ったのは驚きだが、自分達より上位で洗練された魔法を発動され、筋肉が萎縮した。


 ――“これでも喰らえ”。


 地面に倒れる矮小な生物の怯えた表情に、蛇は口角を上げた。


 魔物と視線を合わせたのはアオイだった。


 感情を理解する蛇だが、同族への恨みなどなかった。所詮この世は弱肉強食。弱いから狩られるし、強いから狩れる。子どもだとか大人だとか、言い訳が通じるほど運命は甘くない。


 だが慢心するあまり“彼”は――岩壁を砕きながら巣穴に一直線に向かってくる強者に、まだ気づいていなかった。


「だから誘ってほしかったのに」


 ひどくむくれた声が降ってきて、アオイは目を開けた。


「……アカガミ……」


 姿の見えないアカガミの声はアオイにはやけに遠く、おまけにくぐもっていた。


 中空で旋回したアカガミの手には斬馬刀のような剣が握られており、魔物が放った魔力の光線を、弾いていた。


 軌道はアオイだけでなく地面に向く全てが歪曲し、魔族の視線を辿って頭に当たった。


 直撃した閃光と爆音に蛇は咆哮し頭を振るが、アカガミの姿はどこにも認められない。


 魔力が弾着する予定だった場所には、逆三角形の物体が浮遊していた。知性生物が『盾』と呼ぶ防御用の武具に近い形をしている。


 魔力で構成されてはいる――が、攻撃を防ぐには厚さが足りない。


 アオイ達の攻撃を魔物に“おかえし”するには、打ち返すための『足場』が必要だったが、なにぶん時間がなかったため、つい盾を、アカガミはイメージしてしまった。


「まったく……無茶苦茶だよ」


 盾の上を跳ねるアカガミをアオイは見つけた。空を駆ける影を魔物はもどかしそうに喰らおうと首を伸ばすが届かない。


 魔物の頭より高い場所に着いたアカガミは、今までとは反対に足場を現出させ逆さまに立った。


 魔物は結局、最後までアカガミを捉まえることができなかった。


 これまで一度も遭遇してきたことのない強者の出現に驚いた蛇の頭が、宙を舞う。司令塔を失った胴体はしばらく脊髄反射にのたくっていたが、やがて落ち着きを取り戻すかのように静かになる。


 ――どうして、この、俺が……。あんな、チビに……。


 地面を転がりながら敗北の原因を知りたがる蛇は、泣きたくても涙腺がなかった。


 けれど、瞬きもできないので――どうして自分が負けたのか、少年との力の差を嫌と言うほど見せられた。


 アカガミの額には、魔物のそれよりもずっと立派な〈ツノ〉が二本――天に向かって雄々しくそそり立っていたのだった。


☆★☆


 アカガミが洞窟で一刀両断した巨大な蛇の魔物は『ガンド』という種類だった。牙から滴るその猛毒は呪いの儀式にも使用される。反面、肉は栄養素が高く滋養強壮にもいいとエイルはアオイから聞いた。


 アオイ達がシノに持たせた肉は、アカガミが切り落とした頭のさらに下、尾に近い部分。

 

 蛇の毒は頭部にある唾液の袋で生成される。魔蛇ガンドの毒は強力で胃に入っても危険、おまけにどこまでが頭でどこからが胴か判らないのが蛇という生き物が忌避される所以ゆえん。よって食用に使うのは舌の腹回りのみで、毒に汚染されていると思しき箇所はすべて落として持ち帰る。


 持ち帰った肉は、街に着くなり洞窟から最も近い場所にある広場で、アオイ達の手で調理される。


「おいしそー」


 新鮮な肉から染み出た脂の香ばしい匂いに誘われた子ども達が家から出てきた。


 シノが引き摺った袋に縛っていた肉は馬車くらいもある大きさだったが、火を噴く薪の上に突き立てた串に刺さった肉は細かく切り分けられている。運搬の途中で傷んだ部分をアオイが切り取って、食べやすいサイズにカットした。


 手伝った時にエイルは訊いたが。生で食べると、内側が腐っていれば腹を下して大変なことになるらしい。


 この世界の香辛料で薄く味をつけて、焼き上がった肉串をエイルはアオイから受け取った。


「あの、私……」

「アカガミから聞いた。強い味はつけていないから、たぶん食べられるでしょう?」


 心配するシノの眼に映るエイルは、そっと蛇の肉を食んだ。塩気を含んだ脂にコーティングされた肉を咬むと歯の上でじわりと音もなくほぐれ、旨味がじんわりと舌を温める。


「――おいしい」

「あたしが味つけしたんだから当然ね!」


 アオイが自慢気に鼻を擦る。お姉さん肌と思いきや、歳相応な表情もちゃんとできる。


「あたしの方こそ、治してくれてありがとう」


 アオイが捲った袖に、古傷は綺麗に消えていた。


 エイルに治してもらったお陰で切断された神経が再生し、こうして久しぶりに料理ができた。


「すげー! これがあの蛇かよ!? 竜かとおもった!」


 普段滅多に見れない大物に街は大賑わいだった。


「アカガミにいちゃんがたおしたんだぞ!」

「アカガミにいちゃんやっぱ最強だな!」


 岩に腰掛けながら楽しそうな子ども達の姿が焚き火に映るのを見ていると、エイルはついトロルの村を思い出した。


「アカガミくん、人気者なんですね」

「あの子――“最強”だから」


 アカガミを囲む子ども達。


 だが彼らに引率する親と思われる大人の姿は、一つもなかった。


「……やっぱり」


 とエイルは呟きながら、街全体を見渡した。


 傷を治してくれたこともあって、エイルに懐いたアオイはこの国について色々と語った。


 大人のいない、子どもの国について。


 街にいる子どもは三百人強。全員が領主のセツナに保護された彼の“息子”で“娘”であり、アオイもその一人。冒険者だった両親が魔物に殺されて、山に引き取られた、といつかの誕生日にセツナから聞かされた。アオイのほかの兄も姉も、弟と妹も似たような境遇で集まってきたと伺っていた。


 大半が、本当の両親を知らない子どもばかりだった。


「さびしくないよ? あたしも、産んでくれた両親の顔は知らないし、故郷がどんな場所か思い出せないけど、チビたちの面倒もみないとだし………………パパだって」


 セツナを口にする度、アカガミもアオイも本当に綺麗な目をさせた。


 だがこの国の領主は鬼人オーガを奴隷にし、労働力としている。


 そして住人は奴隷を平気で使い捨て、殺す時もまるでゴミをポイ捨てするかのように平然としている。


「…………」


 エイルは、じっと――エイル自身を見つめていた。


「そーだ! アカガミ、パパからたのまれていたんだった」


 子ども達の環をかき分けながら、串を咥えたままアカガミはエイルとアオイの前に立った。


「エイルおねえちゃん。アカガミを編成パーティーに入れて?」

「え、……アカガミくんを、私の編成パーティーに……?」


 肉で膨れた腹の内をエイルが探ろうとする前に、アカガミは、シノを見た。


 脅しとも取れるアカガミの行動は、彼の親であるセツナの意思のようにもエイルは感じた。


 この肉を食べれば判った。


 アカガミは、強い。街のAランク冒険者――あのアルバートと名乗った新界教の騎士と同等。彼を倒したヨトゥン=ハイを断頭したということは、もしくは、それ以上かもしれない。


 エイルが聞いたアオイの話によれば、一定の年齢を過ぎた街の年長者は訓練の場を領内の洞窟から山に映す。猟犬にした『魔犬ワーグ』を連れて何日も戻らない訓練もあるのだとか。


 エイルがシノと邂逅したあの山小屋も、逗留先の一軒だと話で判った。


 あのような戦いを外で繰り返せば命がいくつあっても足りない。だがアカガミの強さに、エイルの回復スキルは組み合わされば、この世界の一の冒険者として名を馳せる――そんな夢も、もはや夢ではなくなる。


 エイルへの拷問でシノの傷の具合を確かめたのも、スキルの本来の持ち主であるエイルが負傷した場合、編成パーティーメンバーにどこまで影響があるのかセツナが、自分の目で確認したかったゆえ


 手配書を見た時から、セツナは、すでに思いついていたのだろう。


 なら――奴隷が逃げたのも、運がいいという言葉だけでは済まなくなってくる。


 アカガミとアオイ、子ども達の目が人類種にんげん鬼人オーガを捉える。


 炎の熱に浮かされ、肝心なことをエイルは忘れ掛けていた。確かにここは元居た村にそっくりで、そこに暮らす人々は平和の中にきている。が。


 ここは、トロルではなく――人の世界だった。エイルが逃げた、彼女の追う。




「……エイル殿」

「シノ、さん……?」


 シノに身体を揺り動かされ、エイルは眠ろうとした目を開けた。


 セツナに無理言って、屋敷に戻ったエイルはシノと一緒のベッドで眠る許可を取った。来賓用のベッドに魔物の臭いがつくのが嫌なら、馬小屋でも便所でもシノが行けるならどこでだって。


 食い下がるエイルにセツナは思いのほか肯定的な態度を取った。シノがいなければ、深夜、トイレにも行けないだろうと。


 だが、先に起きたのはシノの方だった。


「どうしたんですか、トイレ、ですか?」


 だとしたら、目が視えるシノがエイルを起こすのは不自然だった。


 上半身を起こしたエイルと向き合うシノは、神妙な面持ちで迫ってきた。


「エイル殿、……正直に答えてくれ。彼等を見て、貴殿はどう思った? ――この国の子ども達と会話をして」

「“”って、そんな」


 唐突に起こされそんなことを訊ねられてもエイルは反応を躊躇ってしまう。今日、アカガミ達の訓練に参加し心身ともに疲れ切っていた。一度寝て、疲労を吐き出した直後に叩き起こされたもので声を出すのにも体力を消耗する。


「彼等を知って、それでもなお……エイル殿は、わたしの……“わたし達”の友達でみてくれるか……!?」


 ひどく怯えた、震えた叫び声。強さの内に、弱ったシノの本心が包まれていた。


「私は、シノさんの友達ですよ……?」


 少なくともエイル自身はシノをそういう目で見ていた。


「……ちゃんと、わたしの質問に、応えてくれ!」

「ちゃんと……シノさんの質問に答えましたよ?」

「エイル殿は、やはりなにもわかっちゃいない!! 人類種にんげんのエイル殿に、鬼人オーガのわたしの気持ちなんか理解されてたまるかッ!」


 爆発する感情を前に、エイルは返す言葉もなかった。


 不快な思いをさせたのなら誤解を解きたい、それがエイルの本心。


 だがシノはひきつった声で泣くばかりで、エイルは謝ることしかできなかった。


 ひとしきり涙を流してすっきりし呼吸を整えたシノは、ベッドを絶ってドアの前で踵を返した。


「……わたしとしたことが、取り乱してしまったな。不快な思いをさせて、エイル殿にはすまなかったな」

「シノさん――――笑って」


 瞼の腫れたその笑みがエイルには。


 儚げに映った。


「悪い夢にうなされただけだ。ちょっと――顔を洗ってくる。すぐ……戻るから、待っていてくれ」

「シノさッ、……だめ!」


 閉まり切った扉を再び開けるとシノの気配はすでにエイルの近くから消えていた。


 共有した視界で最後に見えたのは、廊下を灰の光で照らす月明かりだった。


 もう一度、目を覗けばシノの居場所が判明する。視界に加え反響する足音を追えば発見に数分もいらない。


 けれど、エイルは音のみで、シノを探したかった。感覚を共有すれば彼女が一体どんな『悪夢』にうなされあんな笑顔をつくらせたのか、知るのが怖くなって。


 壁を伝って痕跡を頼りにシノを追い掛ける。一人で歩くのは、目が視えなくなって、これがなにかと初体験だった。


 と。どこかでシノの名を囁く声がした。


 声を頼りにやがてエイルはある部屋に辿り着き、その部屋の中からは、シノとは別の声が混じっていた。


「どうかなさいましたか?」

「っ!? あなたは――」


 耳の側で声がしてエイルがびっくりすると、扉の前に立って来訪者を見張っていた屋敷のメイドに言った。


「シノさんは、この部屋にいるの?」

「質問の意図が判りかねます」

「この部屋に、オーガの女の子――私の、奴隷が入っていかなかった……!?」

「――はい。エイル様が来られる数分前に。領主様と共に」


 となるとシノの声に混じって聞こえた声の主は、セツナ。


『――ああ!!』

「ッ! シノさん!」


 苦痛にひっ迫するかのようなシノの悲鳴が扉を隔てた室内から聞こえてきた。


 考えたくはないが、自分と同じように、セツナに拷問を受けている――?


「ここを開けて頂戴!」

「かしこまりました」


 淡々としたメイドが扉に掛かった鍵を回す音がし、エイルは突入した。


「セツナさん、やめてください――!」

「……エイル、どの……どうして……!?」


 嗚咽を堪えたシノの声がエイルの名を呟く。


 遠いていた距離が縮まったことで、主人と奴隷の感覚が自動的に――両者の意思とは無関係に繋がる。


「――――みないで――――」


 汗と涙に霞んだ鬼人オーガの視界でエイルが視た、部屋の中は、淡い月の光に包まれており。


 奴隷は奴隷でも――“肉”奴隷に全体重を掛け手を伸ばし薄布を剥こうとする、上半身を脱いだ領主の荒い息使いが部屋を支配していたのだった。


「おや、エイル様。――ああ失礼。お見苦しいところを」


 跨った鬼人オーガの少女と視覚を共有しているのを悟った全裸のセツナがシノから退いた。


「ふ、ふたりは……その、なにを……」

「“なに”をと面と向かって聞かれるとこちらとしては返答に困ってしまうのですが。ほら、…………“愛”って、一概に言葉では顕せないものでしょう?」

「あ……“愛”……?」


 苦笑する彼の瞳の奥には、羞恥心はあれど罪に関する感情は一切宿っておらず。


 エイルの本能に近い部分が、強烈に慄くのを感じ取った。


「シノ、さ」

「こないでっ!!」


 セツナに引き剥がされた服で前を隠しながら、シノは。


「せ、セツナ……エイル殿のせいじゃ、ない。悪いのは、わたし、……だから、彼女には…………!」

「もちろん、大切なお客様を傷つけるような真似はしません。シノも、今日はよく頑張りましたね。もうエイル様と部屋に戻っていただいて結構ですよ?」

「ありがとう、……


 そうして、エイルと一度も目を合わせようとしないまま、シノは部屋を――屋敷を飛び出した。


「まって、シノさん――!!」


 今度は感覚が切れる前にエイルはシノに追いつけた。


「なんですか――なんなんですか一体!?」


 セツナがシノにおこなっていた行為。


 蒸れた汗のように肌に吸い付き、脳に浸透する生々しい光景。


 命と命のやり取りを、少女は、異世界で初めて体感した。


「……エイル殿……わたし」


 出る間際にエイルが玄関で引っ張った外套コートを羽織り、シノはひっくり返った声で言った。


「わたし……きれい?」


 セツナは行為の度に言っていた。シノの名を耳元で囁きながら、綺麗、きれいと嬉しさを噛みしめるように。


「きれいだから、毎日、こんな目に遭うんだ。鬼人オーガが奴隷だから!」


 笑顔で『すぐ戻る』とセツナの許に向かったシノの顔は、今度は涙に崩れた表情カオで叫んだ。


「――、たすけて――もういやぁあ! ほかの鬼人オーガなんてどうなってもいいから、わたしだけでもたすけてぇ!!」


 セツナの匂いがまだ残るシノの裸を、エイルは覗き込んでくる月明かりから隠した。


 少女がどれだけ強く抱きしめても、憐れな魔族から男の体重が消えることはない。


 ずっと、シノは叫んでいたのだろう。初めてエイルと逢った時も、花に囲まれ眠る先祖を憂いた時も。挫けて“本当の願い”を言い出しそうになる度に強気な笑みを張り付けて。


 でも、本当は、シノ自身ずっと前に気が付いていた。


 種族全体を救ってほしいと宣うほど、自分の心は純血ではなくなっていたことに。


 アカガミと繋がっているのを見て、エイルが、なんだか遠くに行ってしまうような気がした。


「ごめんなさい……強く当たって……ごめん、な――――え?」

「? ――シノさん?」

「街が……燃えてる……」


街を支える岩盤が崩壊し家々に降り注ぐ。その様は、まるで停滞する星が銃り重力を失うかのよう。


 轟々と街を呑む炎から飛ぶそれを、二人は、見た。


 子ども達と戦う――首のない巨人トロルの姿を。


 


  


 

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