第十四章 ドレスアップ

 エイルが目を開ける――気が付くとベッドの上で眠っていた。


「……ん。く、はぁ」


 天蓋つきのベッドの、触り心地のよいシーツに手を伸ばしながら寝返りを打った。シノに見せてもらった洞窟にある国で陽の光は届かないはずなのに、漠然と身体を包んでいた幸福感の正体はこれだったのかと唸りを上げた。


 ここに来てから、気を失う機会がずいぶんと増えたように感じる。この国に来る時も意識がなかった。


 二度目は、睡眠とは違う明確な意識の消失。


 だからか、覚醒までの時間が体感にして短かった。


「…………」


 そして――窓辺に反射する、大穴からの日光。街を出てから数時間も経過してはいなかった。


 確かに、気絶と睡眠とは無意識に落ちる過程が違うもの。


 だがエイルの覚醒が以前からずっと早くなっていたのは、スキルがその身に馴染んできた結果であることを彼女自身は、まだ、気付いていない。


 エイルの注意が今向いているのは、もっと別の、曖昧ではなくより言葉にしやすい感覚だった。どこか懐かしく、伝わればほろほろと、涙を零してしまいそうな……。


 誰かが、自分に、覆い被さっている。


 ふと身体を起こせば、すぅすぅと寝息を立てて眠る少年の姿があった。太ももに顎を載せている小さな影はまるで子犬のようで。安らかな寝顔を見ていると、失せた寝息がまたぶり返してきそうにエイルはなった。


「……? ――あ、エイルおねえちゃん、おきたぁ」


 手の甲でヤニの付いた瞼を擦りながら、目ぼけ眼の少年は口許を半月の形にして微笑んだ。


 一体、これは、どういうことだろう。

 どうして自分は、こんな小さな男の子と添い寝を?


 あれこれとエイルは思考を巡らせようとしたが、少年同様こちらもまだ起きたばかりで泥が流れるように頭が働かなかった。


 そんなエイルのもどかしさもお構いなしに、少年は下半身から上半身に、エイルの身体を登ってきた。


「おねえちゃん、もうだいじょうぶ? 元気になった?」


 少年の碧眼はしきりにエイルの状態を看ようとした。透き通る瞳を鏡にしたエイルはまくし立ててくる少年に一言も発することができなくなる。


「あ、……アカガミ」


 そうだ、とほとんど無意識で呟いた少年の名で、エイルの記憶を覆う氷が段々と融けていった。


 アカガミ。この子の名は、アカガミ。街に出たエイルとシノに声を掛けてきた。


 少年――アカガミは、動揺したように目を瞬かせてくるエイルに問う。


「アカガミのこと、わすれちゃったの?」


 前後の記憶の消失をアカガミは疑い落ち込んだような声を洩らしたが。


 エイルは、はっきりと脳に刻み込まれていた。彼がヨトゥン=ハイの首を持ってきたこと、今自分に触れているその手で、彼の首を落としたこと。


 自分に施した――言葉にするのもおぞましい所業の数々も。


「……よかったぁ、おぼえてるみたいで」


 警戒されているというのに、アカガミはエイルの記憶から自身が消えていないと知って無垢な笑みを浮かべた。


「傷はきれいにふさがっている。おねえちゃんのスキル、すごいね!」


 エイルのスキルに興味を隠せないアカガミはしきりに傷の具合を確認しようとした。服越しからぺたぺたと触ってきたり指の隙間を垢を見ようとすれば、袖をまくって注射針の痕がないのに驚いたり。


 柔らかい指の腹の感触が、下半身を隠す布地――パンツの裏側の肉にまでしたので引きつったような悲鳴をさせながらエイルは観察するアカガミを引き剥がした。


「だっ、だめ……!」

「あだっ!?」


 エイルに突き飛ばされたアカガミは後ろに回転しながらベッドから落ち床に頭を打った。


「ひどいよぉ、なにも言わずにいきなりつきとばすなんて」

「しっしかたないじゃない……! いきなり、あんなことされたら」


 耳まで色を付け下着を戻そうとするエイルがどうして怒っているのかアカガミには判らずき返す。


「“あんなこと”……って?」

「えっ?」

「おねえちゃんが言ったんだよ、ちゃんと答えて?」


 じぃー……なんて擬音がアカガミの頭の後ろにちらつくような視線だった。アカガミはアカガミでエイルの怒りの意図は、子ども心には摑めない。


 自分から声を上げておいてなんだったが。


 エイルの目線が、見上げれば宙を扇ぐように高い屋敷の天井に泳ぐ。


 性知識に抵触しかねないことを、子どもにどう説明したものか。


 ぱっと見からアカガミの年齢はそういった知識を学ぶにはまだ成長しきってはいない。どこか抗議するような眼差しは、知らない情報を出し惜しみしようとする相手の心意を探る意図さえエイルは予感していた。


 セツナを“パパ”と慕っていたあたり、彼にとってもアカガミがただならぬ関係性なのは推察しても問題はない。


 合意もなく、他人の子に、そういった知識を教えて、果たしていいものか。


 確かに、先ほどのアカガミの行為は異性に対しては少々度が過ぎていた。同性にしてもアウトだろう。


 エイルの“だいじな部分”には、まだ子どもの指の感触が残っていた。


 だが注意するとなると、一連の流れを再度、思い出し、言葉にしてアカガミ本人に言わなければならない。彼が知らないとなると――具体的に“どういったことがいけなかったか”を。


 それは、触られた側としては――身を切るような恥ずかしさだった。


 しかし相手が、もし――シノだったら。セツナの実子ならアカガミもまた屋敷に住んでいる。シノにしているからエイルにした――自分の方が後の可能性の方が高い。


 となると、セツナはアカガミに対し、間違った教育を行っている節さえあった。


 シノのため、と。エイルは腹をくくった。


「……あ! あのね! アカガミくん、女の人の、その……からだは、べたべたさわっちゃいけないの」

「なんでぇ?」

「“なんで”って……あ、アカガミくんだって、私に、べたべたされたら、いや……でしょう?」

「アカガミはおねえちゃんに触られてもぜんぜんイヤじゃないよー!」


 屈託なく笑う少年。


 純粋な子の笑顔を曇らせるようなことを言いたくはないが、覚悟を持って臨まなければ真実が伝わらない。


 ジレンマだった。


「どうしたら……」

「エイルおねえちゃん、アカガミにさわられて、や、だったの……?」


 質問からエイルの本心を若干異なった角度で捉えたアカガミが、今にも泣きそうな声で訴えてきた。


「べべべッ、べつにそうじゃなくて! ほら、ええと? あれだ。――女の子って、男の子より感じるところが多くて、いきなりさわられるとついびっくりしちゃうの」


 自分でなにを言っているのかさっぱりだが、男の子に嘘を吹き込んでいるのはエイルは理解できた。


「そうなんだぁ。あれ、でも、おねえちゃん――おちんちん、ついてなかったよ? アカガミに“どこ”さわられてびっくりしたの?」


 納得してくれたと思ったのに、説明量がより増えてしまった。


 そういえば、とアカガミ。


「おちんちんついてないのに、おねえちゃんおしっこしてた。どこから出てたの、おしりから?」

「ええッ!?」


 エイルの背後に回って覗き込もうとしたアカガミに、エイルは腰に力を込めた。


 思い出したアカガミの言い分に、しかしエイルは全く心当たりがなかった。


 人前で催したとあっては、そんな記憶、忘れないはずなのだが。


 アカガミだけが知っているとして――エイルが思い当たったのはあの地下室での出来事だった。どれだけ思い出そうと首を捻っても、一部分……シノが注射器を持ったアカガミになにやら叫んで、それから前後の記憶だけが雲を掴むように思い出せない。


 あの注射を、アカガミはどうやら自分に打った。回復し記憶を失くしたとあっては定かではないが、強烈な尿意を催すような薬物、あるいは毒物を。


 股間にじんわりと残る湿り気が、話の途中からアカガミが冗談を言ったのではないという、動かぬ証拠だった。


「……そんな」


 がくりとエイルが肩を落とすのに連動するように、入口の扉が開く。


「あの、アカガミ……エイル殿の様子――エイル殿ッ!?」


 エイルが意識を取り戻したと知ってシノは即座にベッドに駆け寄った。


「どうした!? 傷が塞がっていないのか――まだ媚薬が抜け切ってなかったのか!」


 エイルを抱きながら取り乱すシノに、アカガミは彼女が入口で放り捨てた物品を眺めつつ呟いた。


「もう治っているように見えたけど」

「……っ!」


 エイルからアカガミを一瞥するシノ。だが彼が気付くより早く目線を元に戻す。


 エイルを、自身の“訓練”の道具にしたアカガミの台詞をシノは信用してはいけなかった。奴隷契約を結んでいるのはアカガミの親であるセツナと、エイル。感覚が繋がっていない者の心を量ることもできないから、疑いたがる所作がシノはどうしても身体に反映されてしまう。


「シノさん、私……わたし……!」

「傷が痛むのか、どこか具合の悪いところが!?」


 理由を問い質そうとしても、追ってくるシノの目線にエイルは顔を赤らめながら逃げるばかり。


「……やはり」


 エイルは、シノに反感を抱いて避けている。


 アカガミの帰還のタイミングを事前に予期していれば、セツナに察知されるとしてもエイルを街の外に逃がした。


 彼が一体どういう腹つもりでエイルと息子を邂逅させたのかまではシノには判らない。


 セツナはエイルのスキルとアカガミを結びつけようとしていた。


「これ、おねえちゃんに?」


 床に撒かれた衣裳を指差しアカガミはシノにたずねた。


「え――ああ、セツナが。エイル殿の好みが判らないから何着か見繕ってくれたんだ」


 シノの口から自分の名が飛び出して、怒りではなく恥ずかしさで顔を伏せていたエイルが見てみると。


 

 両手で拾いアカガミが示していたのは、どちらも貴族だけが手にするように繕われた装束ドレス。純白、濃紺と対照的ではあるが上等な生地なのはどちらも同じ。田舎はもちろんのこと、都会でも滅多にお目に掛けることはできないだろう。


「エイル殿の服は、今は“我々オーガ”が洗濯している。それまでは、好みのドレスで過ごしていてほしい、と。……アカガミに協力してくれた……せめてものお礼、なんだそうだ」


 それでエイルは気が付く。自分の今の恰好が、シノとアカガミ――二人と同じかどうか細かいデザインの差異は判別できないがこの村で最も馴染み深い服装をしていると。


 失禁し血も流したのだ。ここに来るまでの道のりも苛酷だった。


 故郷を出立してからエイルが服には、道中に吸い込んだ血と汗で、匂いも強烈に仕上がっていた。


 中でも、泥と脂――鼻を突くような動物臭が強い。


 トロルが棲み処にしていた洞窟付近で、シノは似たような匂いを何度か嗅いだ憶えがあった。


「わ、私の服は……?」

「洗い終えればすぐに返す。乾かすまでにも時間はそれなりに掛かるが、…………大事なもの、なのか……?」


 たかが服如きになにを終着しているのかとシノには思われているかもしれないと、こくりと首を倒すエイルだったが。


 あれは冒険者になると決まった際、この世界で育ての母が仕立ててくれた。


 転生者を送り出す時、生まれ育った村では代々魔力を込めた服を贈るのが習わしだったのだが。


 エイルの旅立ちが決まったのは冬、服の原料となるのは村の近くで採れるその季節限定の綿花だった。だが綿わたを収穫するには時期が遅れ、一式編む量が集まるのにかなりの時間を要してしまった。


 季節が巡り、また冬が来たとしても、村が燃えてなくなった今、同じ服は二つと作れない。


 彼らが生きていた証は、もはやエイルに贈られた一着の服のみなのだ。


「はい、……私にとって、大事なものなんです」


 だから、こう――どれだけ恥ずかしがろうとエイルは答えなければならなかった。


「丁重に扱い、必ず返すと約束しよう」


 奴隷である自分の言葉に重みなどない。


 エイルが表情を変える度、果たせるかどうかも怪しい約束をついうっかりしてしまうシノだった。


 そんな〈鬼人オーガ〉の少女を信じている。だからエイルも、ついつい図々しい態度を取ってしまうのだ。


「選んでも……いいですか」

「! ああ、ぜひ見てくれたまえ!」


 シノが両手に掲げてみせた二着の衣装ドレスにエイルは中腰になって目を凝らす。どちらも素晴らしい出来で二度とお目に掛けることのできないような。


 これらは、セツナ自らが街に出向き取り揃えたと言われている諸外国でも指折りの職人が手掛けた流行の最先端をいく品々だという。


 回復スキル持ちの冒険者の少女が牢獄から脱走したという報せを受けてから、セツナはエイルを来賓として迎えるつもりだったが、この街の平民の服は、どれも質素なデザインで統一されている。領主自身も、外国の貴族と比べるとその迫力はやや劣ってしまう。


 ある日、突然『服を調達してくる』と残して出掛けた日には、シノもアカガミも顔を揃えて首を傾げたが。


 他にもセツナは様々な服を選んでは屋敷のクローゼットに保管していたが、その中でもさらにエイルが似合いそうな服を選りすぐったのは、シノだった。


 アカガミの“実験”に、文字通り協力してくれたエイルへの報償をセツナは別にちゃんと用意していた。服は、あくまで来賓用の着替え。


 けれどシノの貢献も、今後の“実験”を前身させるうえで十分貢献してくれた。


 シノはエイルは深く気に入ってくれた――セツナの主導で行った実験を、自分が全ての元凶だと責任を感じている。

 ならばその悩みを解消すべく――奴隷の独断で来賓の服を選ばせる権利くらい、あってもいいはずだと、エイルになにか埋め合わせをしたいというシノの切望をセツナは快諾した。


「これなんてどうだろう、エイル殿の気品、凛とした佇まいによく映えると思うが!?」

「……う~ん」


 逡巡していたエイルにシノが掲げたのは、その国の貴族で今大流行のデザインのドレス。空に掛かる虹でもとりわけ存在感を放つ色彩を厳選し、白いフリルをに使い上品さを際立たせた。


 もちろんシノも、下策にエイルに服を提示したのではない。


 こういった交易品には、タイサイと諸外国――外国同士の繋がりを把握する手段としては有効だった。

 特にファッションは、その国の流行――ひいては現在、どのような思想を持っているかといった事柄が強く反映されている傾向があった。軍服はその国の軍事力、色に意味を込めて力を鼓舞したり。


 そして、政治情勢にも密接に関与している貴族の装いは、時に外国を、美しさという観点から威嚇する手段にも用いられる。まつりごとの席で笑われるような恰好であっては、他国に優位に立つことはできない。


“見た目”とは、そこまで重要なポイントなのだ。どの世界でも。


 一族を解放すると宣っていても、当分は魔族と同盟を結んでくれる見込みのある国に取り入らねば生き残れないとシノは踏んでいる。

 

 エイルは、人と魔族の関係には高い見識があった。今後どの国に接近するのが妥当か、この場面でぜひ検討してほしかった。


 と――肝心の人類種にんげんに遭うまでは、シノも企めていた……が。


「これを、私にですか……?」

「わたしの眼に狂いはない❤」


 と、瞳を桃色に輝かせてシノが詰め寄るのでエイルはとりあえず服を取ったが。


 シノが突き付けたそのドレスは、ピンクに染色した綿糸で編まれている。スカートの丈は、跳ねれば、エイルの湿ったパンツがもろに見えてしまうほどに短く、フリルが余計に子どもらしさを演出し、ベレー帽にぬいぐるみまで付いていた。


 一方、もう片方は桃のドレスこそ控えめに色は白と黒。だが肩部に費やした布面積は皆無といってよく着れば最後もろ見え。上半身は無地がほとんどを占めているので、実質、裸にしか見えない。付属の靴は底が岩のように厚いので足への対衝撃は期待できるが。

 

「似合うかなぁ……?」


 謙遜ではなく、エイルが吐露したのは心からの疑念であった。


 シノはこれを、エイル=フライデイは似合うと本気で信じて持ってきたのか。


「だったら、似合うのか」


 元いた世界から、元来こういった煽情的な事柄と触れ合う機会がなかったエイルだった。闘病中はおしゃれなんてする暇なんてなかったし、こっちで育った村も農民が基本とする落ち着いた、何度でも使えるような丈夫を得意とする地味な服を着て過ごした。


「エイル殿、はやく、ハヤク……❤」


 コアリクイのように服を突き上げながら迫ってくるシノ。


 勧めてもらっている以上、ここは素直に着ないと礼を失するとはエイルも罪悪感を募らせ始めていた。


 しかし――なぜだろう。ばちばちと瞬きを繰り返す少女の瞳の奥で燃える気配が、フィクションでおける“オーガ”が、よく鎧を剥いた女騎士に向ける下心を重なって視えるのは……。


「わ、わたしは……エイル殿、エイルどのにこのような辱めを受けさせたことに、もうしわけないと……心の底から反省したのだ」

「シノさんが責任を感じるようなことでは」

「エイルどのは、ほんとうに……おやさしいのだな。そんなエイルどのには、もっと、きれいな、すがたで、いてほしい!! そう! これは! えいるどのに対する、わたしの……罪ほろぼし! この服を着て――おろかなオーガわたしを、おもいきり罵ってくれぇえ!!?」


 少女の薄布を引き剥がす衣擦れの音。エイルに服を着せるシノは――手が六本あるかとうほどに実によい手際のよさだった。


 あれよあれよと、ついに欲望を解放させた鬼人オーガに上げた少女の悲鳴は屋敷中の者に届き、それは、言葉にもできない羞恥にまみれていた。



☆★☆  

 

 鏡の前に立った時、そこに映るのが自分だと認識するのに――は数秒の沈黙を要した。


 ガラスに反射するのは、愛らしい装束ドレスに身を整えた少女。おっかなびっくりした挙動が目立つのは自分の姿が恥ずかしいのか。俯き加減の頬は熱を帯びたかのようにあかい。


 ところがエイルの身長よりもずっと高い姿見の前では、どこに目線を移してもそこにある光景が目に入ってしまい、避けるような挙動をさせる――その度にフリルが揺れ、スカートから下着が見えそうになった。


 裾を押さえもじもじするエイルの背後に、歓喜にむせび泣くシノが鏡に反映されていた。


「……に、似合い……ますか……?」

「ア゛ア゛っ……どっでぼ……!」


 振り向いて苦笑するエイルに、シノは親指を一本立てた。


 部屋に姿見を持ち運んだのは、この、鼻血を垂らした〈鬼人オーガ〉の仕業であった。究極の美を誇りとする女神も、エイルの時おり垣間見せる純粋な“照れ”の前では美しさを鼻に掛けただけの、単なる誘惑でしかない。そんなもので、真の愛を得るのは己だと豪語するなどなんと、おこがましい、浅ましい…………。


 この世でエイルを賛美する声は多いが、彼女自身がその美を見られないとは、神とはつくづく陰湿な嫌がらせを仕掛けてくるもの。


 自分が得た喜びが、福がなんなのかエイル自身にもシノは知ってほしい一心で全体を映せる鏡を持ち込んだ。神など恐れるものか。


「おねえちゃん、かわいい!」

「そ、そう? ――えへへ……」


 賞賛の拍手を贈るアカガミ。シノは彼を盾にする恰好で祈りに手を組んでいた。まともに見れば、砂になると鬼の本能が訴えてくるので。


 こうして二人に言われると、エイルもだんだんとまんざらではなくなってきた。


「――いいなぁ、かわいい服」


 めかし込んだエイルに目を瞬かせ、指を咥えたアカガミは羨ましそうな声を洩らした。


 ひょっとして、とエイルは恥ずかしい気持ちを一旦隅に置く。


「アカガミくん……着替えたこと、ないんですか」

「アカガミ、外の世界に出たことないから」


 唇を尖らせるアカガミ。シノもエイルに頷いた。


 どうやら本当のようだった。


 この国でお洒落をするのは領主であるセツナだけ。屋敷にある大人の服ではアカガミの身長が足らない。


 見事な細工を施された衣裳に憧れの眼差しをさせる少年。

 地味な見た目の彼は、大人になれば、父が着るような立派で恰好いい服が着れると背が伸びるのを心待ちにしていた。


「これ、……きてみたい!」

「え!? でもそれ……」

「いーでしょ、ねーいいでしょう?」




「おねえちゃーん、はやくはやくぅ!」

「よかったんですか、連れ出してしまって……?」

「セツナには事前に許可を取ったのだ、領主も、息子にはとことん弱いのさ」

「……でも」


 エイルは背後の屋敷を振り返った。


 シノの視覚を介して見えるアカガミは、少女の衣装で飛んだり跳ねたりしてはしゃいでいる。

 岩肌の地面であれほど機敏に動けるとは、日頃から体幹を鍛えておかねばあそこまでバランスは取れない。


「エイルおねえちゃんこっち! いいとこいいとこ」


 エイルの腕を引っ張りアカガミはスカートが捲れるのもお構いなしにうきうきと速度を速めていく。


 そんなアカガミの声に誘われ、家にいた住人達が顔を出してきた。


「あー、アカガミだ!」

「アカガミー!」

「あああいー」

「こらチビども、先走るなって! あら? ――どうしたのその恰好、おとうさんみたいじゃない?」

「エイルおねえちゃんに貸してもらったんだ!」


 胸を張るアカガミに名前を出され、あっという間に子ども達に囲まれるエイル達。


「エイル? って、おとうさんのお客さん?」


 彼らの中で一番背の高い少女にエイルはこくりと首肯した。三つ編みの少女はアカガミと比べて背は並ぶくらい。言葉使いからこの少女が子ども達のリーダー格だった。


「おねえさーん、あそんでー」

「おにごっこ、おにごっこ!」

「おままごとしよー」


 珍しい客人がよほど気に入ったのか興奮する小さな子達はエイルで綱引き大会を始めてしまった。


「でももう遅いですし、おうちの方も心配しますよ?」


 山脈の谷間から射し込む陽は少しずつだが薄くなっている。頂上の太陽がさらに傾けば数時間としないうちに夜とそう大して変わらくなるだろう。


 と、思ったエイルだったが。


 なにか妙なことでも言ったのか、エイルの腕を掴んだままで子ども達が不思議そうな顔で見上げてくる。


「“おうちの人”――って、だあれ?」


 彼らと同じような顔をさせたアカガミが訊いてきた。


「だれって……お父さんとお母さんですよ」


 ますます判らないといった顔をされてしまう。


「……シノさん?」

「気にするな、エイル殿。遊んでやってくれ」


 苦笑するシノ。


 だがエイルは笑みの理由が判らず移動する道中でシノに思わずたずねた。


「……。彼らには」

「まさか――!」


 エイルが予想した通り。


 たった一人だけを除き――山の下の国は。


 子どもだけが住む街だった。



 




  


 

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