第十一章 鬼人の姫君

「えいる あれ!」


 山脈の麓を下り始めてから、そろそろ三日が経とうとしていた時。


 針葉樹林でも一際大きなシダの根の足許に小屋が一軒建っているのをヨトゥン=ハイはエイルに指で示した。


「向こうに、なにかあるんですか……?」


 積もる雪に足を取られないよう慎重に進むエイル。


 煮え滾る窯の淵のような大地の山脈も標高が高くなれば空気が薄く、夜になれば氷点下を下回る。冷気が衣服を貫き毛穴から全身を凍てつかせるのだ。


 環境に適応した生物でなければ数時間と生存が困難な場所において、エイルの身体はほぼ――どころか、瑞々しい手先にはあかぎれひとつなかった。


超回復フル・ヒーラー〉のスキルがあれば逆境の環境下でも歩くこともできれば走ることもできた。苛酷な状況に陥る危険から放れられない冒険者にこれほどのアドバンテージはない。


「……ごめん えいる」


 謝るヨトゥン=ハイはエイルから手を離した。なぜ暗い声をヨトゥン=ハイがさせるのかエイルには判らない。“小屋がある”というヨトゥン=ハイの言っていることが事実なら、自分達は、この森の中で寒さから身を守れる『拠点』を発見した。


 眼帯で視界を封じられたエイルは、小屋と――霜焼けに赤く腫れ上がったエイルの手がスキルで再生されていく光景を交互に見やるヨトゥン=ハイの申し訳なさそうな顔は見れなかった。


 確かにこの旅路で、エイルのスキルにずいぶんと助けられた。多少の空腹もなんとか耐えられ、灼熱の大気に喉が焼けても水分をほとんど補給しないで済んだ。


 乾燥地帯に適応した魔物は昆虫から水分を得る。命を繋ぐにはなんとか持ち堪えられる。だが冒険者に遭遇する可能性、教会からの刺客に追われている以上、魔獣狩りに割ける体力は半分にも満たない。狩りを行えるのがヨトゥン=ハイだけに対し、人間や亜人種が到達できる範囲が極端に限られた地の魔物はヨトゥン=ハイの気を揉ませるには不足なく、狩猟の間はエイルを単独ひとりにしてしまう。


 ――足りない水と食料は、私の分はいいですから。


 スキルで減衰した体力が戻ると確信したエイルは、まず自分の分の食糧を切り捨てヨトゥン=ハイの分を補充した。編成パーティーメンバーに加えているヨトゥン=ハイもエイルのスキルに少なからず影響されているが、フルに恩恵を受けられるというわけではない。


編成パーティー解散。


 それは、編成の誰かが生命を脅かすほどの傷、もしくは病気にかかった場合、リーダーの網膜のアイコンに表示される選択肢。


 端的に言えば――生きる望みが限りなくゼロに近づいた役立たずを切り離し、パーティー全体の安全を維持する安全機能だった。


 雪原でゴリラに似た大型の魔獣に出くわした際、エイルを守って上半身の半分を抉られる深手を負ったヨトゥン=ハイを看病しようとしたエイルは、自分にはそのような機能を神から賜っていると初めて知った。


 エイルのスキルが持続するのを待ってヨトゥン=ハイは事なきを得たが。


 鈍重な魔獣の攻撃を許したのは、共有したスキルではカバーできないほどヨトゥン=ハイの体力が落ちていたからだった。


 救うか、ヨトゥン=ハイを見捨てるか選択を迫られ――以来、エイルの食はますます細くなっていった。


 スキルは基礎体力をも万全の状態にしてくれるが、エイルの体力が極限まで弱り切るまで発動しない。


 何日間も絶食し険しい山を下る日々は、エイルに随伴するヨトゥン=ハイにとっても見ているだけで地獄だった。


 覚束ない足取りで何度も転んでは、雪に隠れた岩で鼻の骨が折れたこともあった。空腹が睡眠欲をエイルから奪い脂肪分の著しい低下は寒さに堪える力を削ぎ落していった……。


 だからあの三角屋根の小屋が仮に冒険者が建てた休息地点なら、非常食もある。中に人がいたとしても万全の状態なら問題ない。


 ――これでやっと、エイルを休ませられる。


 期待に胸を膨らませるあまり、目の視えないエイルが小屋の存在に気付けないというのをヨトゥン=ハイはすっかり失念していた。


「いって、みましょう。食べるものがあるかも」

「……そう……だね……」


 窓の高さにかからないよう頭を低くし、二人は小屋に近付いていった。


 エイルには側の木に隠れて安全が確認できるまで出ないよう言って、張り付くような姿勢で窓枠に手を掛けたヨトゥン=ハイが中を偵察した。


 質感から、小屋は周辺に自生した針葉樹を使って造られた。物見用の窓にガラスがはまっていないとなると、見張りや魔獣、越境してきた罪人を観測するためではなく、遭難した冒険者が寝床を確保しようと急ごしらえた小屋のようだ、とヨトゥン=ハイは推測した。


 こういった壊されずに残った小屋は冒険者のベースキャンプとして、非常食や水の貯蔵に利用される。攻略する地の難易度が高ければ高いほど、稀少な素材が多ければ後から来る時に備え、たとえ簡易的な小屋でも設備が整っているはずだった。


 そういった小屋で何度か夜を明かしたヨトゥン=ハイの経験即だった。


 戦斧を構え窓から突入すると、やはり、中は無人だった。


 魔獣がウヨウヨ蔓延り歩くのにも体力を浪費するような場所には、小屋があるとあらかじめ判っていても、板ガラスのような割れやすい物資は運べない。森に詳しい森棲種エルフの馬でも山脈は越えるのは容易ではなかった。


 だから、窓ガラスは滞在した冒険者などが低位の魔法で生み出した膜状のものが主流で、誰もいない場合は穴が開いて、必要な物資は樽に納め保存魔法を施し次の遠征まで保管する。


 土が剥き出しになった床には、針金で縛られた薪がいくつかと、藁のベッド。側で束に置かれた毛布には低位の防御魔法がされ虫食いや菌の繁殖を防いでいた。


 小屋の中央の天井から吊るされやかん。種火の消えた囲炉裏。


 この徹底ぶり、これを建てた人間はよほどの凝り性らしい。


 そして、樽の蓋をはち切れんばかりに新鮮な状態で詰まれていたのは、この山脈を下りた先の大河で採れた、魚だった。




 種火を落とした囲炉裏を囲むエイル。


 串刺しにした焼き加減を見ていたのはヨトゥン=ハイだった。


 魚類を調理するうえで、最も注意しなければいけないのは、火加減だった。保存の魔法は肉や魚の鮮度を保てるので冒険者界隈から一般市民まで浸透する家事の基本である。少量の食べ物の保存なら、母親から習い、エイルも心得ていた。


 魔法は生ものの鮮度を長期間保つ方法として十分すぎるが、鮮度を一緒に、寄生虫や菌まで保存してしまい生で食すことには向かない。この世界の魚に寄生する線虫や菌が生成する毒素は、接種すれば全身を剣で刺すような激痛が月の満ち欠けが一周するまで、何日も続く。調理方法を誤って、痛みに耐え切れず死んでしまう事案は食べ物が減る冬の代表的な死因で、抵抗力の低い子どもの間で見られる。エイルの村でも、そのような可哀そうな子を見送ったこともあった。


 魔法で傷ついた細胞が元に戻るといっても、毒物に対する耐性を持たないエイル、ヨトゥン=ハイが旅で生かす教訓は、武具の扱いや魔獣との渡り歩き方だけではない。


「えいる これ どう?」


 木の棒で囲炉裏をつつくヨトゥン=ハイにエイルは鼻をくんかくんかと鳴らし焼き具合を確かめる。

 

「まずは私が、毒見をしてみます」


 ヨトゥン=ハイから串刺しにした魚を一本受け取った。


 香ばしい匂いが立ち込める川魚。豪快にかぶりつけば、しゃりと皮がほぐれ腹から染み出た脂が満腹中枢をこの上なく刺激した。


「……いただきましょう」


 陽の落ちた番小屋で、二人は少し速めの夕食を摂った。


「――正直、不安だったんです」

「……?」

「もう、一生、あのままさ迷い続けるんじゃないか、って」


 水と食べ物が底を尽き、襲い掛かる魔獣を殺しては洞窟で喰らい、視えない敵に背中を追われる恐怖はいくら眠っても消えなかった。


 それが、まさか、屋根のある家で火を囲み、料理ができる日がまた訪れるなんて。


「私、もしかしたら……走馬灯を見ているのかもしれません。でも、やっぱり――


 トロルの村を出て、初めての、略奪行為を働いた。スキルで食べなくても生きていけるエイルに片棒を担がせたことを、彼女自身も悔いているのをヨトゥン=ハイは悟った。


 この行為が、さらなる危険を呼び込むかもしれない。


 だが、極限まで続いた空腹で吐き気を催し、空の胃袋から胃液を吐くエイル――夜の洞窟で夜な夜な見るのも辛かったが、ヨトゥン=ハイを心配させないようこっそり隠れて苦しんで、目が届く場所ではいつも笑っていた優しい彼女と気さくな会話をするのは、もっとヨトゥン=ハイは辛かった。


 今だけは、多少の危険を冒しても、エイルには心の底から笑っていてほしかった。


 森の奥から魔獣の足音が近付いてくるのを聞いたのは、その矢先だった。


「魔獣、ですか?」

「――ちがう」


 串から戦斧に持ち替えたヨトゥン=ハイは人差し指を口に持ってきてエイルに身を隠すよう指示を出した。


 この雪原にも魔獣はいる。だが、足音は――飢えた獣の知能のそれではなかった。


 何者かの指示を受け、こっちに向かってくる。


『――だれかぁあ――たすけてぇ――!』


 森から響いた叫び声が外の針葉樹の葉を揺らした。


「今、“たすけて”って……!!」

「えいる!?」


 魚を放り捨てて森に出たエイルをヨトゥン=ハイは追った。


 しんしんと、音もなく降る粉雪を掻き分け雪原の奥へ進む。


「……ッ!」


 ヨトゥン=ハイが息を呑む。


 天候が荒れようとしている雪景色に倒れた人影を、魔獣の群れが囲み込んでいた。長い髪に隠れ人影の顔はエイルには視認できなかったが、森の方から点々と続く紅い血に、傷を受けていたのは間違いなかった。


 五頭で形成される魔獣の群れは、狼に似た姿形をしていたがその全長はどれも熊を凌ぐほど巨体で、この寒さには似合わない痩せ型の体型で犬類特有のマズル状の口は皮を被せただけのようだった。


「――魔犬ワーグ――」


 斧を構えた。


 ヨトゥン=ハイが口にした名称は、この世界では有名な魔獣の一種だった。この世の暗部を統べていたと言い伝えられ、戦争で神自ら討伐された邪悪な狼神から生み出された獣で、禍々しい姿は、姿を受け継いだ狼神が、いかに残忍な存在だったかを後世まで語り継いでいた。

 神の被造物である『魔犬ワーグ』は、どの魔獣よりも知能が高く、言葉こそないが、人との対話も可能で、ビーストテイマーが最も多く斥候に使う種だった。


 そんな魔獣が、五頭もよってたかって、あの人類種にんげんを追いつめている。


 牙を剥いたまま魔犬ワーグの一頭がエイルとヨトゥン=ハイに気付いて、鼻で仲間に信号を送った。


 エイルだけを連れて逃げるのは、どうやら無理そうだ。


「……っ!」


 一瞬、崩れた包囲の隙をついた人影がエイルの方に走ってきた。


「ええ!?」


 足音が聞こえ、体重が覆い被さってきた。


「このひと、は――!」


 ぬめりと血の感触がする、その身体は……怯えるように震えていた。


魔犬ワーグが唾液の滴る顎でエイルの頭を嚙み砕こうとした。ヨトゥン=ハイは瞬時に反応し雪原を滑ると斧の刀身を口に放り込んだ。勢いを封じた犬の頭蓋を拳で叩き割り、白目を剥いて雪の斜面を滑り落ちてゆく仲間に、狼は目配せしていた。


「さいしょにきた やつを ころす!」


 ぐるる、と口惜しそうにエイルの抱く人影をしばらく見やり、群れは森の奥に引き返していった。


「ヨトゥン=ハイさん……」

「やつら ひいた」


 全員でかかってこられれば、流石にエイルを守れなかった。


 数の有利があるのは向こうにも判っていたはずなのに、脅し一つでそれ以上手を出そうとはせず撤退した。


 攻撃よりも、よっぽど恐ろしい不安をヨトゥン=ハイは背後に感じていた。


「この、ひとは……?」


 エイルに抱かれたその人は魔犬ワーグから逃げる際に受けた傷と逃亡のショックで気を失っていた。


 この者がどこから来たのか、どういった経緯で犬に追われているかヨトゥン=ハイは気にはなったが、自分達の安全も含め、今は解決できる状況にない。


 森を抜けるには、あまりにも相応しくない――泥で薄汚れた肌着一枚だけのこの不審者を、できることならヨトゥン=ハイは置き去りにしたかった。


「急ぎましょう。凍えてしまいます……!」

「――うん」


 足まで届く黒髪を垂らしたその者をエイルは小屋まで運んだ。


 吹雪はより強さを増し、ヨトゥン=ハイの視界にも限界が近付こうとしていた。


 どの道、この天候では次の追手は送れない。環境にある程度耐性がある魔犬ワーグがいくら鼻が利くといってももう来ない。


 この山の自然がどれほど獰猛か、斥候を送り付けた当人が一番理解しているであろう、と。


 森をふり返ったヨトゥン=ハイが斧を握る手に力を込めたのは、この先、エイルが庇おうとした相手を切り捨てる説得を、彼女にしなければならなかったから。

 

☆☆☆


「――これはうまいっ! うまいぞ!」


 焼き魚にかぶりつくその少女に、エイルは苦笑を返した。


「元気になって、よかったです……」


 さらに言えば、元気すぎて少々困っていた。


 気を失い、小屋に運んだ時は体温が外気とほぼ変わらないまでに下がって覚悟したエイルだったが、魚の香ばしい匂いを気絶しながら嗅ぎ取った――瞬間、爆発するように飛び起きたと思ったら、囲炉裏に頭を突っ込もうとして全力で止めた。


 意識がなかったのは傷のせいではなく、空腹の状態で激しい運動をしたからだった。


「助けていただいただけでなく、このような食べ物まで。なんと礼をすればよいか」


 口についた小骨を拭った手を揃えた少女は、エイル、ヨトゥン=ハイの順番に目配せし、頭を下げた。


 戸惑うようなエイルに、少女が、彼女の眼帯を見て言った。


「そなた、目が視えぬのか。頭を下げるのは、感謝としてはそなたには失礼にあたるな」

「い、いえ! ――私は、エイルと言います。こちらは……」

「ヨトゥン=ハイ……噂に名高いトロルの戦士だ」

「しっているのか おれを」


 外を警戒するヨトゥン=ハイが窓から身体を離した。


「いや、知らない。わたしの“飼い主”がそういった強いトロルがいると話していた。あの身のこなし、だが、そなたの身体から漂うトロルの臭い――そなたが、ヨトゥン=ハイ、そうだろう?」

「そういう おまえは なんだ?」


 背丈はエイルと同じくらい。雪色の肌から垂れる夜色の髪。身体から流れる血の色は赤。


 人と見間違えそうなこの生き物は、人ではない。上品な立ち居振る舞い、恩に報いようとする姿勢は相応の教養を受けたしるし。だが、縦に絞られる三白眼は血を湛えたように赤く、紅く、あかく。口から覗く愛らしくも鋭い犬歯は、捕食者の称号であった。


「我が名は、シノ。誇り高い種、鬼人オーガの族長である。そなたを最強の戦士と見込んで頼みたい。――我が一族を、救ってはくれぬか」


 鬼の少女――シノは、胸に手を置いて自身が何者かをヨトゥン=ハイ達に示した。


鬼人オーガ〉。


 その魔族の名に、エイルは、聞き覚えがなかった。


 意味くらいは知っていた。元居た世界では全般的に“鬼”を指す。山に棲む鬼は麓の山を襲っては略奪行為をし、時には、人を喰うと。


「あなたが、鬼?」


 エイルの問いにシノは暗い表情を見せた。


 外国でも筋肉質で屈強な姿で描写されるオーガ。映画では雄――ほとんどが男が描かれ女性や子どもの鬼はあまり見かけない。アニメでは日本オリジナルの様々な鬼が登場するが。


 堅い言動が目立つシノだが、声帯は、細い――年端もいかない少女のもの。


「……エイル殿の言う通り、我らの中に戦士はもういない。敵との闘いに敗れ、ここまで衰退してしまった」

「たたかい、それって……?」


 シノは、この世界における〈鬼人〉――自分達がどういった種族かを簡単に説明した。


 かつて〈鬼人オーガ〉は、森に棲む魔族の中で最も恐れられた種だった。知能が高く、それは武器を鍛え、人や亜人の軍と領土を奪い合うほどに。


 ところが数千年前、この地から神が去ってすぐのこと。勢力を増した人と亜人の連合に敗れた鬼人オーガは森を追われ、絶滅寸前まで狩り尽くされた。


 棲み処を失い、戦う力を完全に消失した鬼人オーガは、大陸の一国で遠い昔に争い合った人に飼われ、今では労働力に使われている。


「奴隷って、ことですか?」


 恐ろしいことを口にしたとエイル自身も理解した。


 ああ、と頷いたシノは、前髪を掻き上げた。


「――角を、折られ」


 シノが見せた額の古傷。眉間のやや上にあったあとは根元に近いあたりで砕かれた角の一部だった。


「魔力を潤沢に含む鬼人われらの角は、秘薬として高値で取引される。は……使えるだけ、マシらしい」


 交渉には全てを払うと決めたとはいえ、喪った誇りを自分から晒すような真似は、できればやりたくなかった。


「わたしは隙を見て脱出したが、仲間は今も囚われている。女も、子どもも。わたしはどうなっても構わない。だから――ヨトゥン=ハイ殿、エイル殿! 後生だから、わたしに力を貸してほしい!」


 山で狼に襲われ、明かりを頼りにきた小屋にいたのは、隣国にまで噂を轟かせるトロルの戦士。魔族でも最弱と言われながら、ただひとり人と戦う巨人。


 これは単なる偶然などではない。一族を解放したいと願うシノに神が最後にくれた慈悲チャンスだった。


 謹んで乞う鬼の姫に、ヨトゥン=ハイの返事は決まっていた。


「…………だめ だ」

「今、なんと……?」

「“だめ”と いった おまえを たすける こと しない」


 朝になり嵐が収まればシノを捕えようと追手が来る。自分達を追う組織とは国が違えど、魔族を隷属させるような輩だ。一緒に捕まればどんな目に遭わされるか判る。斥候も一匹殺した今、標的が一つとも限らない。


 それに、この魔族を自称する少女の言う事が、全て出鱈目デタラメだったら。本当は、人だったら……。


 夜が明ければ自分達と反対方向に逃げるよう言い、鬼人の話はヨトゥン=ハイはそれから一切取り合わなかった。


「なぜ、なぜだ…………!」


 力づくでも協力させたい。たかがトロル、小さいならなおさら鬼人オーガの敵ではなかった。


“かつての鬼人オーガ”なら、あるいは。


 鬼の姫の手が握れるのは、武器でも拳でもない。乾いた土だった。


 同胞への自由を求め、ここまで来てそれを果たせず地面を叩く少女を、エイルは慰めるしかなかった。


 魔族の傷は、回復師には癒せない。




「――――るどの…………エイル殿!?」


 知らない声に揺さぶられ、エイルは目を醒ました。目はないが。


 誰かが、自分を強く抱きしめる。守ろうとしているのか。


「どういうつもりだ、セツナ! この者は関係ないだろう!?」

「あなたの方から巻き込んでおいて、よくそんな口を利けますね」


 憤る声に被せるように、呆れた男の溜め息が聞こえた。


 あと、眼鏡を掛け直す音も。


 前の声には、どことなくエイルには聞き覚えがあった。


 森で助けた鬼人の少女――シノだった。


「お目覚めですか、お嬢さん。このような粗末な場所に断りもなく連れてきたことを、まずはお詫びします。我々も、“それ”を回収するのに精いっぱいだったもので」


 紳士的な声だった。


 エイルに触れる手。それは柔らかい感触。


 貴族か、それに近い家柄のようだった。


「あの……あなたは……?」


 男は、これは失礼しましたと謝罪を挟んで。


「私はセツナ=グレートフィールド。このスワン・イヴ孤児院の院長兼、領地を任されている者、そして、このシノの“飼い主”です。ようこそ――子どもの国、『タイサイ』へ。あなたを歓迎しますよ、エイル=フライデイ様?」


 ああ、と。寝ぼけた意識でエイルはここ数時間の状況を思い出した。


 ――



 

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る