第十章 貴方と一緒(とも)に
暗闇に包まれた洞窟の中をヨトゥン=ハイは忍び足で歩いていた。
右手には
彼は今、狩りの真っ最中である。
幾多にもわたる闘争の中で勝ち取ってきたヨトゥン=ハイの尋常ならざる隠密力と集中力が暗黒の空洞の先にいる獲物へと向けられている。
やがて一切足音を立てずに洞窟を進んでいたヨトゥン=ハイの歩みがピタッと止まった。
いた。
今回の獲物だ。
ここで一般的な狩猟ならば鹿や熊といった獣が標的として連想されるだろう。
だが今彼がいるのは標高が高く、雑草すらも微塵も生えていない山脈の中にポッカリと開いた洞穴。当然そのようなどこの山にも居そうな動物を狩ることはできない。
では果たして、何を狩るのか?
彼の前に鎮座していたのは身体が肌が色白く、後ろ足がなく、残った前足が岸壁を這い回りやすいように表面が凹凸にまみれ、光が届かないことによって目が退化し、口がまるで花弁のように四方に開く造りになった10mほどの巨大な細長い
【
山岳地帯に棲むトカゲの魔獣。
彼らは目が退化している代わりに聴覚が異常に発達しており、獲物の出す微かな音を感じ取れば、前足で洞窟内を縦横無尽に駆け回って追い詰め、仕舞いには大きく開かれた口で飛びつきながら丸呑みにしてしまう。
彼らの主食は同じく洞窟に棲む
言わずもがな、それは冒険者。
特に経験が浅く向こう見ずで洞窟にやってきた
そのような危険な魔獣を、ヨトゥン=ハイは今から狩ろうというのだ。
幸いにも相手は身体を丸めて眠っている。
仕留めるなら今しかない。
片手に斧、片手に槍を握りながらヨトゥン=ハイは距離をゆっくりとだが確実に狭めてゆく。
ところが、ヨトゥン=ハイが洞窟の地面を微かに踏みしめる音を向こうが感じ取ってしまい、大口をカパァっと開けてヨトゥン=ハイに飛びついてきた。
ヨトゥン=ハイは相手の攻撃を素早く横に回避し、かわされたヒルモニターは勢いよく洞窟の壁に激突し、辺り一面を砂埃が包んだ。
洞窟の壁に突っ込んだ頭を引き抜き、ヨトゥン=ハイと対峙した洞窟の魔獣は彼が放つ言い様のない威圧感に固まった。
“コイツは今まで喰ってきたヤツらと何かが違う”
ヒルモニターの本能が警鐘を鳴らした。
だが久方振りの獲物だ。
ここで引き下がるワケにはいかない。
ヒルモニターは再び大口を開けてヨトゥン=ハイに突進した。
ヨトゥン=ハイはまた横に回避したと思ったら、そうしながら右手に持った斧でヒルモニターの左足を根元から斬り落とした。
機動力を失ったヒルモニターは細長い身体をグネグネさせてのたうち回った。
ヨトゥン=ハイはそんな哀れな魔獣の頸目がけて槍を投擲し、次いで持ち手の先を右の拳で殴り飛ばして槍を頸に串刺しにした。
ヒルモニターは、断末魔の咆哮を上げ洞窟の地面に力無くへたり込んで絶命した。
おそらく最後の瞬間になってようやく、狩られるのは自分だということを悟っただろう。
ヨトゥン=ハイは「ふう・・・」と息を吐いてから洞窟の入口に待機させた仲間を呼ぶことにした。
「えいる たおした もう はいって いい」
☆★☆
焚火の火が照らす洞窟の中で、エイルとヨトゥン=ハイは先ほど彼が倒した魔獣の肉を木の枝に刺して食べている。
「美味しい!ヨトゥン=ハイさん、これ中々にいけますよっ。」
「むら でるとき あじつけ もってきて せいかい」
ヨトゥン=ハイが捌いてトロルの村から持ってきた香辛料で味付けしたヒルモニターの肉にエイルは舌鼓を打った。
かつてのエイルの生活だったらとても食べられるものではなかったであろう食料だが、トロルの村で彼等と寝食をともに送り、食材を含む生活基準がすっかり同じものになった彼女にとって、このおぞましい魔獣の肉は思わず呻るほどの一品へと形を変えた。
この岩山での生活も随分と慣れた。
食材の調達、水の確保、あまり苦にならない歩き方・・・
この廃れた大地において、どのようにすれば食い扶持に困らず踏破できるのか今の二人にとっては頭にポンっと浮かぶほどに解りやすかった。
このペースで行けば、おそらく一週もかからない内にこの山を越すことができるだろう。
ところが今、エイルには別の気がかりがあった。
「えいる どうした? しょく すすんでない」
見るとエイルが手にしている肉がほとんどそのままになっている。
「いや、別に。ただ、ヨトゥン=ハイさんにばかり危ないことを任せてるなぁって・・・」
村から持ってきた食料が底を尽きた今、自分たちが食べる物は全てヨトゥン=ハイが狩りで調達していた。
しかし、盲目で戦闘向けの魔法が使用できないエイルは安全な場所でいつも彼に匿われてばかり。
エイルはヨトゥン=ハイにばかり獰猛な魔獣との闘いを強いていることにどうしようもないほどの負い目を感じていた。
「おれなら しんぱい ない えいる きにしなくて いい」
ヨトゥン=ハイは笑いながらそう言うと、再び仕留めた魔獣の肉をガツガツと頬張りだした。
エイルは俯きながら膝に乗せた両手をキュッと握り締めた。
(何でもいい。とにかく私は、この人の助けに、なりたい・・・)
☆★☆
相変わらず岩ばかりの大地を進み続けるヨトゥン=ハイとエイル。
その時、辺りを覆っていた霧が晴れてきて、ある風景が谷間から姿を現した。
見るとそれは地平線の彼方まで続く草原だった。
ヨトゥン=ハイはこの広大な荒野を歩く行程にようやく終わりが訪れたことを理解してそれをエイルへと伝えた。
「もうそんなところまで、来てしまったのですね・・・」
二人が今まで歩いていたのは国境沿いに横たわっていた山脈であり、それが終着に迫ったということは、隣国までたどり着いたことを意味していた。
今まで自分が暮らしてい地から大きく離れてしまったことにエイルは色々と感慨深い感情になった。
最後にあれほどの理不尽極まりない体験をしてしまったとはいえ、自分の生まれ故郷との別離は、やはり心に寂しさをもたらす。
「いこう」
ヨトゥン=ハイに手を引かれ、エイルは新しい地に続く道のりの先を急いだ。
下り坂に変わった山道を、エイルの手を引きながら進むヨトゥン=ハイ。
しかし、彼の横目に脇に逸れる道が止まったので足を止めた。
「ヨトゥン=ハイさん?」
エイルの問いに返事を返さず、ヨトゥン=ハイは脇道に逸れて、冷たい風が吹く洞窟へと入って行った。
洞窟の中は湿気が充満し、鼻を突くような腐敗臭が漂っており、エイルは思わず顔を手で覆った。
「ここは、一体・・・」
「ゴブリン の す でも みんな しんでる」
「そんな!?どうして?」
「たぶん
松明で辺りを照らすと洞窟の内部はゴブリンの死体でいっぱいだった。
どれもこれも剣で頸や胴を斬られたり、矢で眉間を射貫かれたものばかりで彼等が冒険者の手にかかったことは明白だった。
エイルに緊張が走った。
この洞窟のゴブリンが冒険者たちに殺られたとなると、自分たちが人種や亜人種と接触する確率が高まったのである。
これより先は、より一層警戒して旅路を進まなければならない。
「ヨトゥン=ハイさん・・・」
「ここ いたら きけん さき いそごう」
冒険者が踏み入った場所に長居をするのは危険だ。
戦利品の回収のためにまた戻って来ることが考え得るからだ。
直ちに洞窟から出ようとする二人。
しかし、時すでに遅かった・・・
入口の方から複数人の歩く音が聞こえ、ヨトゥン=ハイとエイルは岩の影に隠れた。
「しっかしここは汚ねぇなぁ!!」
「ホント何でまたこんなトコ来なきゃいけないワケ?」
「仕方ないやん。アイツ等の溜め込んどった金が一回やと運びきれへん量やったんやから。」
入って来たのは人種三人。
男二人と女が一人。
携帯する武具を見るに初心者から中ランクに上がりたての冒険者らしい。
この国の言葉ではない、エイルがかつていた場所の言語で全員話していたので、彼等が転生者だということは確実だった。
関西弁を喋るこの青年がリーダーみたいだ。
どうやってやり過ごそうか・・・
ヨトゥン=ハイとエイルが考えを巡らせていたその時だった。
「なぁ!!こっちにまだ隠れてたよ!」
女が残り二人を大声で呼んだ。
エイルが彼女の声の方向を見ると、手足が細いものと小柄な体躯をしたゴブリンが奥で数体身を寄せ合っていた。
「これは、どうやらメスと子どもだな。」
「オス達がアタシらと戦ってる時に隠してたんだろうね。」
「何それめっちゃ泣かせるやん!!まっ、オレらにはそんなん関係ないしちゃっちゃと退治しようや。もしかしたら、ボーナス的なモン付くかもっ!」
「「オッケー!!」」
彼等が武器を抜く音に混じって、ゴブリン達のまるで命乞いをするかのような弱々しい鳴き声が聞こえてきて、エイルは胸が締め付けられそうになった。
頭に思い浮かんだのは、あの日、新界教の一団に殺された村の仲間たち。
きっと眼前に迫った死の瞬間に恐怖でいっぱいだっただろう・・・
剣で身体を切り裂かれる苦痛に気が狂いそうだっただろう・・・
でも自分は何もできなかった。
無力さに頭が埋め尽くされてその場から動くことができなかった。
(もうあんな思いをするのは、まっぴら御免だッッッッ!!!)
気が付くとエイルはゴブリン達の声を頼りに、転生者のグループの前に手を広げて立ち塞がった。
「ッッッ!?何コイツ!?」
「何でこんなところに冒険者が・・・」
「ちょ、何してんの?早くそこどいてや!!」
冒険者がいきなり目の前に飛び出してきたエイルに混乱する中で彼女は頑としてどこうとはしなかった。
自分たちのことを庇っている人種に、ゴブリン達も唯々戸惑うばかりだった。
「あっ!!!」
リーダー格の青年が何かを思い出したらしく大声を出した。
「コイツもしかしたら隣の国でトロル守って牢屋ブチ込まれて逃げて、挙句めっちゃ強いトロルと一緒になって新界教のお偉いさん殺したヤツちゃうんか!?」
「マジで!?」
「えっ、ウソ!?」
隣の国にまで自分たちのことが知れ渡っていることにエイルは一瞬動揺したが、ここで引き下がる訳にはいかなかった。
「どうするよ、コイツ?」
「どうするも何も、殺せば新界教からどっさり金もらえるんやから、神に仇なした魔女としてきっちり退治しようやッッッ!!」
リーダーがエイルに向かって剣を振り下ろそうとしたまさにその時だった。
ヨトゥン=ハイが岩の影から飛び込んできて、手にした槍で青年の後頭部を貫いた。
「はへぇっ・・・?」
青年はマヌケな声を漏らした後、額から血をドクドク流しながら倒れた。
「ヒッ・・・!」
突然の仲間の死に立ち尽くす女の胴を、ヨトゥン=ハイはもう一方の手に持った斧で真っ二つにした。
「あっ、ああ・・・助け・・・」
上半身のみになりながらもまだ息があり、助けを乞う女の頭をヨトゥン=ハイは勢いよく踏みつけた。
潰れた女の脳漿が顔に飛び散ったが、ヨトゥン=ハイはそんなことなどお構いなしで冷たい表情を何一つ変えなかった。
「オイ!!テメェ!」
ヨトゥン=ハイが顔を見上げると、唯一生き残った男がエイルの頸に短剣を立てており、彼女を人質に取っていた。
「コイツ殺されたくなかったら早く持ってる武器全部捨てろッッッ!!」
ヨトゥン=ハイは彼の要求に従って斧と槍を地面にカランと捨てた。
「それでいいんだよ!小汚くて生きる価値のないモンスターが転生者様に逆らいやがって。」
「・・・ですね。」
「あ?」
「そうやって、
今までだんまりを決めていたエイルが突然口を開いたことに男は少し驚いた。
「そうやってって何だよ?」
「生きる価値のない、退治されるべきモノと思いながら
自分のことを憐れむようなエイルのつらつらとした言い分に腹を立てた男は怒りに任せて彼女の頸に短剣を深々と突き刺した。
ヨトゥン=ハイが即応するよりも早く。
「何イミフなこと言ってんだよ!このキ〇ガイ!!」
エイルの頸に短剣を突き刺した男は汚らしい口調で彼女を罵った。
しかし彼は間もなく恐怖に慄くこととなる。
短剣が深々と刺さったエイルの傷口が、グチョグチョと音を立てて塞がろうとしていたのだった。
「なっ、何だよ、コレ・・・」
青ざめる青年に向けて、エイルは口から血を吐きながら顔を向けた。
「私はもう、
「こっ、このバケモンがぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
男がエイルの頸を斬り落とそうと短剣の柄に手をかけた瞬間、ヨトゥン=ハイが槍を男に向けて投擲し、見事顔の真ん中を貫いた。
男が力無く倒れ、エイルは頸に短剣が突き刺さったままその場に倒れ込んだ。
「えいる!!」
ヨトゥン=ハイがエイルに駆け寄ろうとした時、刺さっていた短剣が頸から抜け落ちポトっと地面へと落下した。
「えいる・・・」
「へへっ。ごめんなさい・・・ちょっと、無茶しすぎちゃいました。」
見るとエイルの頸の傷はすっかり塞がっており、べっとりとした彼女の血が付着しただけだった。
「そうだ!彼等は・・・」
洞窟の奥には、目の前で起こった光景が未だ信じられず目を見開くばかりのゴブリン達がいた。
「みんな けが ない」
「よかった・・・」
“今度は救えた。”
そう思ったエイルは見えなくなった目を潤わせた。
「えいる!! さっき なんで あんな こと した!?」
エイルの先ほどの無謀極まりない行為をヨトゥン=ハイは厳しい口調で叱責した。
「もうイヤなんです。たとえ自分にとって無関係であったとしても、目の前で怯える魔族が殺されるなんて・・・私はヨトゥン=ハイさんみたいに
エイルの切なる願いに、ヨトゥン=ハイは何も言葉を返さなかった。
ひとまず二人は助け出したゴブリン達を山脈内の別のゴブリンの集落に通じる道まで送り届けることにした。
「ここ とおったら なかま の とこ いける」
ヨトゥン=ハイに促され、ゴブリン達は暗い洞窟の奥へと続く道を進みだした。
「――。」
ゴブリンの幼生の一体がエイルの衣の裾を引っ張り、彼女に向けて何かを手渡した。
それは拳くらいの金の塊だった。
エイルは思い出した。
金を集める習性があるゴブリン達は、同族に値すると認めた相手にその一部を譲渡することがあると。
つまり今の彼等にとって、エイルは身体を張って自分たちを助けてくれた仲間なのだ。
「ありがと・・・」
エイルに抱擁されたゴブリンの子は短い金切り声を断続的に上げて喜びを表現した。
ゴブリンの一行を送り届けたヨトゥン=ハイとエイルは山道の出口へと歩みを進めた。
見ると麓の森の樹々が微かに生えていたので、出口は目前のようだった。
「えいる」
「はい?」
「さっき の はなし おれ えいる いのち かけてほしく ない」
「どうしてですか?」
「おれ えいる だいすき」
「えっ・・・」
唐突に言われた思いがけない言葉にエイルは思わず頬を赤らめた。
「えいる のこった だいすき な かぞく だから しんで ほしく ない」
「あっ、ああ。そう、ですか。ありがとう、ございます・・・」
喜びの裏に、何故かは知らないがほろ苦さをエイルが胸に秘めながら二人の旅路は最初の区切りを迎えたのだった。
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