第九章 寄り添いし眼

荒々しい風が吹く谷間を二人の人影が進んでいる。


一人は鎧に身を包んだ痩せた青年、もう一人は小綺麗な衣を身に纏った少女だった。


青年が少女の手をギュッと握って彼女の歩みを先導している。


何故なら少女は、目が見えないからだ。


嵐を凌ぐために少女が被ったフードの影から、おそらく彼女の服の切れ端で作ったであろう眼帯に包まれた両の眼がちらりと顔を覗かせる。


「えいる きつくない?」


青年が同行する少女・回復士のエイルに声を掛けた。


自分とは違い、こんなゴツゴツとした岩山を歩くのが不慣れだろうと思っての気遣いからだった。


「ええ、私は大丈夫ですよ。ヨトゥン=ハイさん。」


エイルが首を横に振りながら旅のお供である、特異巨人ヨトゥン=ハイに返事をした。


☆★☆


あの後、新界教の冒険者・アルバートとその一団によって自分たちが暮らしていたトロルの村が壊滅させられたあの悍ましく、忌々しい夜が終わりを告げてから二人は東に向かって歩き出した。


目指す場所の名は、魔主の大地モルグリラ


エイルは幼少の頃、から「その場所には数多くの魔族が蔓延っており、武勲を上げ続けた強者の冒険者でも生きて帰ってこれる勝算は2割にも満たない。」と聞かされていた。


当時は母から聞かされた話に震えあがったが、今のエイルにとってはこの上なく安全な逃げ場所だと思わずにいられなかった。


「魔族が多くいて、まず生きて帰ってくることはできない。」ということは、転生者かれらの支配が未だ及んでいないことを意味していた。


ヨトゥン=ハイにその場所に行こうと打ち明けた時、正直反対されるかもと不安に思っていたが、その地の北を治めるトロルの領主が自分たちがいた村の長の旧友で、ヨトゥン=ハイ自身も過去に顔を合わせたことがあるので、エイルの決断を快諾してくれた。


彼もまた、追われる身になってしまった自分たちが安住できるのは、もうそこしか残されていないと悟ったのだろう。


かくして魔主の大地モルグリラに向けて旅、否、逃避行をすることになった二人であったが、出発して早々足を踏み入れたこの果てしない荒野は想像以上に過酷なものだった。


本来であれば傾斜がなく、景色も澄み渡った平原を歩く方が苦労しなくて済んだのだったが、そういうワケにはいかなかった。


人や馬車が通れたり、新たに村や街ができそうな場所は、領土拡大を目論む人種、特に転生者たちによって行軍・交易ルートや開拓予定地として既に押さえられているからだ。


そんな危険極まりない旅路を選ぶのは愚の骨頂、自らみすみす敵の監視の中に飛び込むのも同義であった。


だから二人は、人が近寄ることができないような不毛の地を進むしかなかった。


「ちょっと きゅうけいする?」


エイルの手を引くヨトゥン=ハイが、再び彼女に声を掛けた。


また先ほどのように「大丈夫。」と言いたいところだったが、流石に何時間も嵐吹き荒れる中の岩の大地を歩き続けるのは限界があった。


二人は岩と岩の隙間に丁度いい隙間を見つけたので、そこに入り火を起こした。


「ふう・・・」


岩の壁に腰かけたエイルは溜まりに溜まった疲労に耐えかねてため息をついた。


「あらしおさまるまで ここでやすむ。」


「すいません、私がもっとしっかりしてれば・・・」


「えいる こんなばしょ ふなれ。め みえない なおさら」


自分のせいでペースが遅れてしまったのではと思い謝ったエイルを、ヨトゥン=ハイは真っ直ぐな瞳で見据えて慰めた。


そんな彼にエイルは感謝の意を込めてニコッと微笑んだ。


それからも、外の嵐は一向に止む気配がなく陽も沈んできたので二人は朝を待って就寝することにした。


しかし、横になってもエイルは目を閉じることができなかった。


瞼の裏に、あの朝の情景が浮かびそうで怖かったからだ。


目の前で石にされた村の友達、かつて助けたトロルの少年が今際の際に吐いた呪詛の言葉、そして、自分が手に掛けた冒険者の頭を砕く感触・・・


どれもこれも、エイルの全身に鮮明に焼き付いて離れなかった。


ぼんやりと浮かび始めただけでも身体の震えが止まらない。


「えいる」


唐突で横で寝るヨトゥン=ハイが話しかけてきて、エイルはドキっとした。


「ねれてる?」


「・・・。いいえ。」


ヨトゥン=ハイの問いに、エイルはぼそっと返事をした。


「怖いんです。寝たらあの子たちに、に、責められそうで・・・」


エイルが恐れたこと、それは記憶の再燃の延長線で、救うことができなかった者たちに、殺した者に激しい憎悪を向けられることだった。


“どうして助けてくれなかったの?”


“もっと生きたかったのに。”


“よくも殺してくれたな。”


“お前が代わりに死ねばよかったんだ。”


“この人殺し”


考えただけで聞こえてきそうな呪いの言葉。


エイルは耳を塞がずにはいられなかった。


「私って、本当にズルいですよね・・・自分のせいなのに、自分がしたことなのに、思い出しくないって逃げるなんて・・・」


「えいる まちがってる あいつら えいる せめない えいる それ いちばん わかってる」


ヨトゥン=ハイの慰めは今のエイルにとっては何の意味も成さなかった。


彼女は聞いてしまったのだから。


死に際にサムが残した己の愚行を戒める言葉を。


“うそつき”


そう、あの時自分は嘘をついた。


頭の中でもう助からないと分かりきっていたあの子に、必死になって“大丈夫”と言い続けた。


理由は単純、認めたくなかったからだ。


自分には何もできないと諦めることが・・・


そんな自分勝手な動機で、私は死の恐怖に怯えるあの子に虚言を吐いた。


挙句の果てにその後、人ひとり殺めてしまった。


エイルには、今は亡き者たちに責め立てられる十分な罪科が揃っているのではないだろうか。


「ヨトゥン=ハイさん、こんな私の傍に居てくれて、本当に、ありがとう。」


今にも自死してしまいそうな暗く沈んだ顔でヨトゥン=ハイにそう言ったエイルは、それから一切話さなくなってしまった。


☆★☆


一晩明けて、嵐がほとんど収まったので二人は洞穴を出て先を急ぐことにした。


あの会話の後、両者の間に妙に重苦しい空気が漂っていたので言葉を交わすことができなかった。


行けども行けども見渡す先は灰色の岩の大地、本当に目的地に向けて進めているのか徐々に不安になってきたヨトゥン=ハイとエイル。


「ん?」


その時、ヨトゥン=ハイが進路上にあることに気が付いて停止した。


「どうかしたのですか?」


「だれか あるいて くる」


エイルは驚いた。


こんな辺鄙なところに、自分たち以外の者がいることなど考えもしなかったからだ。


しかし、エイルの耳にも砂が散らばる地面を歩く靴音が確かに聞こえ始めていた。


予期しない遭遇に、ヨトゥン=ハイとエイルは警戒した。


もし冒険者や騎士だとしたら厄介だ。


アルバートのような強敵などと早々にかち合う確率は低いだろうが、それでも人種向こうにこちらの居所がバレてしまうことに変わりない。


そうなる前に、は嫌でも分かっていた。


靴音が自分たちの方に接近するに連れて、エイルの心拍数が徐々に高鳴り止まらなかった。


『おっ、こりゃたまげた!まさかオレ以外にもここを歩いてるヤツがいるなんて。」


エイルの耳に朗らかそうな男の声が入った。


ヨトゥン=ハイが目にしたその者の出で立ちは、長旅用のリュックに骨細工をガラガラと付けた初老の男性だった。


「あっ、あの、あなたは?」


『オレか?オレは骨の飾りを売ってるモンなんだが、ここ最近商売上がったりになっちまって、仕方ねぇからこの山超えて隣街に移るとこなんだが、そういうアンタらは冒険者か?』


どうやらこの骨細工の職人は、ヨトゥン=ハイとエイルの素性を知らないみたいだった。


自分たちのことを全く知らないこの男に二人はホッと胸を撫で下ろした。


『んっ、お嬢ちゃん、お前さん目ぇ見えないのか?』


男がエイルの両目を覆う目隠しを見て聞いてきた。


エイルもコクンと小さく頷いて男の言葉に反応した。


『めしいてんのに冒険者やってるなんて色々とあぶねぇからよ、ここで会ったんも何かの縁だし、特別にこの場でお守りでも作ってやるよ!』


「えっ、いいん、ですか?ありがとうございます。」


エイルは男のご厚意に甘えて彼の作るものを受け取ることにした。


『実は昨日いい材料仕入れたばっかでさ、トロル共の骨だ!アイツ等のモンって魔除けに効くって評判良くてよ。』


その瞬間、エイルの頭に恐ろしい考えが泡のようにボコボコと溢れ始めた。



ということは、即ち・・・


エイルはヨトゥン=ハイの手を振りほどいて反対側へ走り出した。


『おっ、おい!?』


エイルの突発的な行動に唯々驚く男を余所に、ヨトゥン=ハイはエイルを追いかけた。


「えいる!!」


目が見えないエイルは手探りで逃げていたため、ヨトゥン=ハイが彼女に追いつくことなど造作もなかった。


「私ってつくづく神様に嫌われているようですね。」


ヨトゥン=ハイの方を振り向かず、エイルは呟いた。


自分が見捨てた者の骨が、巡り巡って自分の許へ戻ってきたのだからそう思うのも無理なかった。


「きっと私に、“お前がしてきたことを一生忘れずに苦しめ”って言ってるのでしょうね・・・」


「それは ちがう」


「えっ・・・」


「みんな えいるのそば いたかった だから かみさまに おねがい して えいるのとこ もどってきた」


ヨトゥン=ハイの話を聞いて、エイルはフッと鼻で笑った。


「仮にそれが本当だとしても、その中にサムは居ませんよね。あの子、死に際に私に言ったんです。“うそつき”って。正解ですよね。助けるって言ったのに結局死なせたのですから。」


「さむ ともだちとけんかしたら すぐ あやまる そんなやつ だった」


「ッッッ!?」


その瞬間、エイルは思い出した。


そういえばサムは、友達とケンカしてひどいことを言ってしまったら、すぐに言われた方へ謝りに走る子だった。


「じっ、じゃあ・・・」


「あいつ えいるに “ごめんなさい” いいに かえって きた」


果たしてヨトゥン=ハイの言ったことが本当かどうか分からない。


でもエイルは信じたかった。


自分が救えなかった者たちが、自分とヨトゥン=ハイの許へ帰ってきたことを。


今のエイルにとって、そう願うことこそが大きな希望、いや、そう呼ぶにはおこがましい慰め、免罪符になったのだから・・・


「ヨトゥン=ハイさん!私・・・」


ヨトゥン=ハイの方を振り返ったエイルは、を決心していた。


☆★☆


『おっ、戻って来た。』


「先ほどはあのような失礼な態度を見せてしまってすみません。それで、お作りしてほしい物なんですが・・・」


エイルが乗ってくれることが分かり、男は自身満々に鼻を鳴らした。


『おう!なんでも作ってやるぞ。ネックレスでも耳飾りでも。』


「眼帯を。」


『んあ?』


思ってもみなかったエイルからのオーダーに男はマヌケな声を出してしまった。


「昨日仕入れたトロル達の骨で、眼帯を作ってくれませんか?」


『眼帯?なしてそんなモンなんか・・・』


「深く言うことはできないのですが、私には、が必要、ですから・・・」


エイルの言い分にいまいちピンと来ていない骨細工の職人だったが、彼女の確固たる意志を察しトロルの骨で出来た眼帯を作り、贈った。


男と別れたヨトゥン=ハイとエイルは再び歩き始めた。


エイルの両目には、頑強なトロル達の骨と藍色の宝石でこしらえた無骨だがどこか鮮やかな眼帯がかけられている。


「えいる どうして がんたい なんか?」


「私、思ったんです。ヨトゥン=ハイさんの言うようにもしあの子たちが私のところに戻ってきたのだとしたら、みんなに私の目になってほしいなって。そうしたら、きっと道に迷うことなんかないはずだから。」


「みんな えいる の めに なって くれる だって えいる の こと だいすき だから」


ヨトゥン=ハイに言われて、エイルは寂しげな笑みを浮かべながら「はい。」と返事した。


正直なところ、エイルには本当に彼らがエイルのことを許しているかどうか知らないし、ましてや目になってくれるかどうかも分からなかった。


そう、これは彼女のただの


救えなかった命が自分のことを今も変わらず愛してくれると信じているだけの、単なる思い込み、願望に過ぎない。


魔族とともに過ごして心を通わせたのに。


人に、自分と同じ転生者にあそこまでの酷い目に遭わされたのにも関わらず、まだ自分の中に人種かれらと同じ傲慢と弱さが残っていることにエイルは浅はかならぬ自己嫌悪に陥った。


“私はヨトゥン=ハイさんのように人でありながら魔族になることはできない”と。





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