第五章 トロル村の回復士
「はぁ・・・私は一体、どうすれば・・・」
薄暗く、鈍く黒光りする岩の壁からにじみ出た水が『ポタ・・・ポタ・・・』と水滴となって地面に落ちる洞窟に横たわった石柱に腰かけてエイルは悩んでいた。
ヨトゥン=ハイに助けられこの村で暮らすことになって今日で三日目になるが、彼女は自分には何ができるか、自分が何をすべきかどうか未だ見出すことができずにいた。
もちろん、ここに至るまでに色々なことを試してはいた。
お世話になっているトロルの一家の料理を手伝ってみたり、村の者たちが使う道具作りを一緒にしたりした。
だがどれもその日の内に挫折してしまった。
その理由の一つとして挙げられるのが、人種である自分と魔族であるトロルの生活基準の違いである。
彼らの食べるものと言えば、基本的に小型のモンスターや人里から盗んできた家畜ばかりであり、調理の仕方もただ鍋で煮込んで塩で味付けするのみだ。
なのでエイルが料理しようにも、彼女の舌には合っても彼らにとっては受け付けることができないものばかりが出来上がってしまうだけだった。
それ以前に、使っている食材のせいで香りを嗅ぐ段階で嘔吐寸前になる(お気の毒に・・・)。
そして最大のハンデとなっているのが、やはり盲目である、という点だ。
目が見えなければ道具を作ることにも困難を極めるだろうし、ましてや村の見張り役にすらなれない。
「えいる こんにちは」
「あっ、ヨトゥン=ハイさん。こんにちは。」
自分を呼ぶ声がしたのでエイルは振り返った。
目が見えないので顔を窺い知ることはできなかったが、声からしてヨトゥン=ハイであることが分かった。
「おちこんでいる どうした?」
座り込んで膝に手を置きながら大きなため息をするエイルを、ヨトゥン=ハイは心配そうな声色で伺った。
「いえ、別に。その、ただ、自分にできることがあまりになくて・・・」
エイルの言葉に今一つピンと来なくて、ヨトゥン=ハイは首を傾げた。
「ここに来てから、皆さんの暮らしに早く馴染もうとしたのですが、人種である自分には色々と不慣れなことばかりで、ましてや目も見えないものですから・・・さっきもお世話になっている家の調理用のナイフを作ろうとしたのですが誤って道具で手をケガしそうになってお父さんからここはいいから休めって言われてしまって・・・」
エイルに休めと言われたのはおそらく彼なりの気遣いだったのだろうが、エイルは無力さを突き付けられたような気がして胸が苦しかった。
「えいる め みえない き やむこと ない」
「そっ、そんなことにはいきませんッ!せっかくここに置いてくれたのですから私も何かしないと・・・」
エイルが何故ここまで切迫するのかというと、今の暮らしが転生前とほぼ全く同じだったからだ。
転生前の世界でも、エイルはガンと闘病していたため日々の暮らしを送ることすら一苦労だった。
その度に家族や友人といった身の回りの人々に助けられ、彼女自身もそのお返しがしてやりたいとずっと思っていたが、何かに手を付けようとするといつも決まって「いいから休んでて。」とやんわり断られるのみで落ち込んでいた。
故にエイルは転生後の世界で、最早唯一の居場所となってしまったこの場所でも同じことを繰り返すことがどうしても悔しかったのだ。
「私は皆さんのために、一体何が、できるのでしょうか・・・」
「えいる もうじゅうぶん してあげてる。」
「えっ?」
「おれたち てんせいしゃの ごみ でも えいるの ごみ ちがう」
彼らが出会った転生者といえば、転生前の世界で植え付けられた一方的なイメージと偏った正義感に駆られ、生まれたばかりの子どもでも生い先短い老齢だろうと見境なく退治、つまり殺そうと躍起になる者たちばかりであった。
だがエイルは、同じ転生者であるにも関わらず笑顔で自分たちと接してくれて甲斐甲斐しく手伝おうとする。
決して差別的な眼差しを向けることなく・・・
それだけでも、彼らにとってはこれ以上に嬉しいことなどなかった。
「ありがとうございます。でも、やはり私は、皆さんのために何かしてやりたいです。そうすれば、あの時本来死ぬはずだった私が今もこうして生きていることの意味を、見つけることができるはずですから。」
エイルのどこまでも尽きることのない堅物さにヨトゥン=ハイは難儀したようで、鎧越しに額をポリポリと掻いた。
その時だった。
突然遠くの方で大人のトロル達が騒がしくするのが聞こえ、ヨトゥン=ハイと彼に手を引かれたエイルは急いでその場所へと向かった。
『――――――!!――――――――――!?』
『――――――――――――!!』
現場に到着すると、大人のトロル達の慌てふためく怒声がし、それに混じって子どものトロルの苦しそうに唸る声がした。
「一体何があったのですか!?」
エイルが状況を聞くと、トロル達が説明し出しヨトゥン=ハイが彼らの言葉を翻訳した。
どうやら外で遊んでいたトロルの少女が、日の出が迫ってきたのに気付くのが遅れて急いで戻ろうとしたが、間に合わず左足に浴びてしまいスネが石化してしまったらしい。
「――――――――――!――――――!!」
大人トロルの内の一人がエイルに何かを言った。
「えっ、何ですか?」
「おまえに この子 なおしてほしいって」
大人たちは回復系魔法のスキルを持っているエイルなら、この子の足を治してあげることができると思っていた。
ところが、大人のトロル達がエイルに注目する中、彼女はただ黙りこくるのみだった。
「えいる?」
おそるおそる話しかけたヨトゥン=ハイに、エイルは重い口を開いた。
「ごめんなさい・・・それは、できない、です・・・」
「どうして!?」
「回復魔法は、、魔族に、効果が、ありません・・・」
エイルが授かった回復系の魔法は、言うなれば「女神・フレイアの奇跡」の一つに分類される神性タイプの魔法であり、人種や
よってエイルには、トロルの石化を治してあげることなど到底無理な話だった。
エイルの言い分に納得がいかない大人たちは引き下がることなく何度も彼女に頼み込んだが、苦々しい顔をしながら断り続けるエイルを見て、やがて説得するのを止めた。
(やっぱりそうだ・・・私はここでは、何もしてやれない・・・)
周りの喧騒など全く耳に入ってくることができず、エイルはその場で立ち尽くしてしまった。
やはりどれだけ心を入れ替え、足掻いてみせようとも、人種である自分はトロル達と相容れることなどできず、そうなってしまえば「回復士」という自分が女神様から与えられた役割すらも碌に果たすこともできない。
あの時、この村の長にあんな大見得を切っていた自分がひどく滑稽に思えてくる。
(こんな役立たずなら・・・あの時、牢から逃げ出した時に、死んでいれば・・・)
そう思いかけていた時だった。
「―――・・・」
「ッッッ!?」
トロルの少女が苦しそうな声をエイルにかけた。
彼女にはそれが、「助けて」と言っているように感じた。
(イヤ・・・こんなの、イヤだ・・・何もしてあげられないなんて、絶対にッッッ!!!)
ここで助けてあげないとこの子はこの先、身体に大きな重荷を抱えたまま不自由な生活を送ることになってしまう。
そんなの、あまりに可哀相すぎるじゃないか。
彼女がこの先に味わう負担を、エイルは二度の生で嫌というほど思い知ったので良く解っていた。
(きっと何かある。この子を助けてあげる方法が・・・)
エイルは頭を抱えて必死にその方法を見つけようとした。
その末に、彼女はある案を思いついた。
(正直上手くいくか分からないけど、今はこの方法に賭けるしかッッッ!!)
エイルは不自由な足取りでトロルの少女の許まで行き、手探りで彼女の石化した部位を見つけると、そこに向かって詠唱を唱えた。
彼女の杖から、神々しい光と禍々しい闇が入り混じったような輝きが放たれ、それに照らされたトロルの少女の石になった足は、みるみるうちに元に戻っていき、やがて最初から何事もなかったかのように治ってしまった。
「はぁ・・・はぁ・・・良かった・・・」
魔法の行使で息が上がったエイルだったが、石化していた部位が元通りに治ったのを手でなぞって確認すると安堵の表情をした。
『――――――!?』
『―――!!――――。』
少女の足が治ったことを、大人たちは口々に喜んだ。
「えいる ありがとう これで・・・」
ヨトゥン=ハイがエイルに礼を言おうとしたが、彼女はその前に何やら浮かない顔をしてその場から離れた。
「えいる?」
「ヨトゥン=ハイさん・・・私、女神様を裏切ってしまい、ました・・・」
実はエイルが先ほど回復魔法に追加した詠唱は「
それは、本来は再生力が著しく高い魔獣などが四肢の欠損を治癒する時などに操る魔法で、当然ながら「闇魔法」の一種であり人種で、しかも女神の使者たるエイルが使用できず、また決して使用してはいけない魔力だった。
エイル自身も人種である自分がそれを使えるか、正直一か八かだった。
しかし、使えたということは女神・フレイヤに対するれっきとした不敬行為を自分が犯してしまったということを意味する。
止むを得ないとはいえ、与えられた聖なる力を闇の魔力で穢してしまったのだから。
「私にはもう、女神様からの力を使う資格など、ありません・・・」
ひどく己を卑下するエイルであったが、ヨトゥン=ハイには彼女が何故そのような落ち込み様なのか、まるで分からなかった。
「えいる おまえ なにが したい?」
ヨトゥン=ハイから唐突に聞かれ、エイルは少し戸惑った。
「えっ、それは、皆さんの力になりたくて・・・」
「だったら なにも まちがって ない えいる あの子 助けた」
「でも結果として、私は女神様の意に反することをしてしまいました。なので女神様はこんな私を許してくれるはずなど、ありません。」
「めがみさま そんなに つめたい やつ?」
エイルはその時ハッとした。
そうだ、あの慈悲深い女神・フレイヤが救済する者を選り好みすることなんてあるはずがない。
そしてそれを、自らを崇める者たちに強要することも決してないはずだ。
あの方は、前の世界で非業の死を遂げた自分に多くの者たちを救ってほしいと思ったからこそ、この力を与えてくれたはずなのだから・・・
「いえ、我が愛しき母神は決してそのようなお方ではありません!!苦難にある者達を平等に救ってくれる、優しくて素晴らしいお方です。」
「だったら ゆるしてくれる えいる りっぱ」
ヨトゥン=ハイに褒められて、エイルの暗く沈んだ気分が少しマシになった。
「ありがとう、ございます・・・」
ヨトゥン=ハイに手を引かれ、先ほどの場所へと戻ってきたエイル。
その直後、彼女は自分に大柄な形をしたモノが抱きついてきた感触がした。
先ほどエイルに足を治してもらったトロルの少女が彼女に礼をしてきたのだった。
「――――――!――――――――――!!」
トロルの少女の、低いが弾むような声が耳に入った。
「あの、彼女は何て?」
「“ありがとう! かいふくし の おねえちゃん!!” だって」
エイルは瞳を潤わせながら、自分に抱擁してきたトロルの少女の胸にそっと手を当てた。
「どうかあなたに、これからも母神・フレイヤのご加護がありますように。」
トロルの少女はエイルにそう言われると、快活な足取りで自らを待つ親元へと帰って行った。
「ヨトゥン=ハイさん、私、見つけました。この村で自分にしかできないこと。」
「なんだ?」
「回復士として、ひたむきに苦しむトロルの方たちを救ってあげることです。」
エイルの決心を聞いて、ヨトゥン=ハイの表情も穏やかなものへと緩んだ。
まだ自らが行なったこと、これからしていく行いが許されるのか、それはまだ分からない。
しかし、自分が信じる心優しい女神に決して恥ずべきことのないよう、他の転生者とは違い苦しむ者はたとえ魔族であっても分け隔てなく平等に救うことこそが、生き永らえた自分に与えられた役割だとエイルは強く思ったのだった。
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