第三章 人間狩り

 ――あわれ。


 空になった牢を見た“彼ら”が真っ先に思ったのは、それだった。


「追いつめられた人間ってのは、やっぱこわいねぇ」

「違うちがう、……希望だよ。死なずに済むって安心したから、あの子まで連れていってしまったんだ。あの子は、まだ目が視えるってのに」


 つい、切羽つまって大事なことを見落としていた。森に逃げ込めば追手をふり切れるが、商人は監視を撒くために自らの視力をてた。


 同行人がいなければ、夜の森で足を挫くか、野獣の餌になる。


「喰われて死ぬか、吊るされて死ぬか。まあ――その結果どっちも選べなくなるってのは、可愛そうだよなぁ」


 若い男の同情する顔がたいまつに映る。


「無駄口叩いてないでそろそろ行くよ。脱獄は認められた。私たちは私たちで、なすべきことをする」


 通信魔法のチャンネルを開いた部隊の隊長が街に警報を鳴らすよう見張りの衛兵に伝達すると、まだまだ騒ぎの収まらない夜のゴンドーの街にサイレンが木霊した。


「おっ、鳴った鳴った。開幕のサイレンが」


 わずかに声を弾ませる男は、他の部隊と併せ軽装備だった。兜もなければ鎧も身に着けてない。暗闇に紛れられる黒の戦闘服。靴は山でも柔軟な動きに対応できるよう厚く、ごつごつとした底をしていた。


 順に遠くなるサイレンは、脱獄者を森に追い立てるため。


「異世界に、まさかこんな娯楽たのしみがあったとはな」

「いつもってわけにはいかない。しかし――商人にEランク冒険者。今回は不作だな」

「前回の冒険者チームが豊作だったんだよ。回復持ちらしいから、案外ねばるかも」

「準備は終わったわね。じゃあ、みんな集まって」


 髪を結った隊長が集まるよう部隊に呼びかける。


 そして、順番に祈りを奉げる。


「いと偉大なる男神おがみ、かく慈悲深くも荒々しい女神めがみ、この夜を与えてくださったご意志に感謝申し上げます」

「我らは、貴方あなた方の目となり、咎人を追います。眼となり、その罪を聞き逃しはしません」

「今宵を迎えた幸運な子に、神の御加護があらんことを」

「――では、楽しみましょう」


 神に祈りを奉げ、彼らは罪人を駆り立てに向かう。


 鉛を装填し――撃鉄を起こし。


 それは、神話には登場しない兵器。人類が創り上げた中で最も鮮麗された武器の頂点。


 異世界でそれを扱えるのは、騎士の中でも限られた転生者のみ。その存在を知られた時が、密かに開催されている競技に合格した通知。


 転生者だけが参加できる、夜の処刑まつり


「――マン・ハントを」


 即ち、人間狩りマン・ハントである。


☆★☆


「ここまで来れば、もう安心だ」


 息を切らせて森に駆け込んだ商人は、エイルの後ろで肩で呼吸しながら言った。


「わりぃな、嬢ちゃんに道案内しちまって」

「いっ、いえ!」


 商人の腕を引くエイルの息もかなり上がっていた。これから森に逃げるのに、自分の体力がいつまで続くか不安だった。


 街の方からは今だサイレンがけたたまく鳴っている。兵士が慌ただしく動き、手近な家に押し入るのが森から見えた。


「ここから、どうしましょう」


 商人に言われるまま森まで一目散に走ったが、今後の予定はまだ判らない。


 商人と一緒にいられたのは、エイルにとって幸運だった。街で広く商売をしていたおかげで裏道から山中に抜けられたし、警備の巡回時間を全て把握しており、ここまで傷一つとついていなかった。


 エイルは、ふと、空を見上げた。降り注ぐような星々が闇をほのかに照らしている。雲が流れるのが少し速い。この後、雨が降る予感がした。


 もしかしたら、あの星のどこかに、女神・フレイヤがいるのかもしれない。


 この幸運をくださった神の慈悲に、エイルは感謝の祈りを奉げた。


「この森を抜ければ、嬢ちゃんが話してくれた故郷の村に出られる。まずはそこで事情を話して、匿ってもらおう。で、だ。また嬢ちゃんの目に頼っちまうが、いいかい?」

「は、はい!」


 そこから、二人は獣や魔物に警戒しつつ、森を抜けていった。


 途中、男が気になることを口にした。


「牢での話なんだが、警備の動きが――

「調べられたんですよね、なら、それでいいんじゃ」

「あいつらだって、俺の素性はあらかた調べたはずだ。廷内に出入りしている奴を捕らえたんなら、見張りの時間を変えて対応する。それがなかったのが、ちょっと引っかかってな」


 男の心配もエイルには一理あったが、鍵の修理屋の一人ひとりまで憶えているのもどこかナンセンスに感じられた。エイルだって、村に出入りしていた商人と会話こそすれ、顔を完全に思い出せる――と言われれば、苦笑いするしかない。


「ああ、悪い。せっかく逃げられたのに、嬢ちゃんを不安にさせるような話題にして。俺の気にしすぎなんだ」


 謝罪した男は、それきりネガティブな会話を避けるように努めた。


「嬢ちゃんの村は、遠いのかい?」

「馬車で森を迂回すれば数日ですが、この森を一直線に進めば夜明けまでには辿り着けます」


 森は道も険しく、魔物は昼も夜も活動している。安全に街に着くには馬車に乗せてもらうのが最も有効な行路だった。


 それから、さらに数時間。


「見えてきました、あそこです!」


 明かりを頼りに、エイルは先に進んだ。


「ここまで案内してくれてなんだが、食べるものはあるかい?」

「え、と。この時期ならまだなんとか」


 と、エイルが言うと、どこからともなく、ぐぅううううううと腹が鳴る音がした。


「俺じゃねえぞ」

「――私です……」


 食べ物の話をされ、途端に腹が落ち着かなくなった。


 恥ずかしそうに手を挙げたエイル。

 

 そこに、商人が言った。


「おい……なんか、焦げ臭くないか?」


 鼻を鳴らしながら呟いた男に、エイルは村の方角を見た。


 すでに寝静まっているはず夜明け前の村は、なぜか、いつも以上に明るかった。


 ――



「そんな……!」


 男の手を強引に引いたエイルは村に走った。痛がる声も、もう届いていない。


 辿り着いた先で、エイルは、言葉を失った。


 そこに、エイルの記憶に残る生まれ育った村は、なかった。


 焼け落ちた家、切り刻まれた家畜、沸騰した血の臭いが鼻をつき、炭化した皮膚が風に吹かれ、粉となったものがエイルの肌を撫でて消えた。


「どう、して……」


 どこか記憶を刺激する景色を見ながら囁いたエイルの肌を、涙がこぼれ落ちた。


 そこで、思い出す。


 ここは、我が家からそう遠くない場所だと。


「おとうさん、おかあさん――!!」


 エイルは走った。家路を。


 村を出る時、この道を歩いた。魔術師だった父がくれた杖を持って。


 抱き締めてくれた母の温もりが、まだ残っている。冒険者になって、色んな冒険の中で出逢った人を助けたいという娘の願いを応援しても、家を出る時になって、いやだと、離れたくないと泣いてくれた――この世界の大切な両親。


 けれど――やっぱりだった。


 焼失した家の傍らに、両親は仰向けの状態で寝かされていた。


 正面から剣を受け、苦悶に満ちたその様を、晒すように。


 母の腹に刺さった短剣には、この村に訪れた誰かに対する警告の言葉が残されていた。


『 この者 トロルと言葉を交わす罪人をはらみし重罪人なり 神々の名の許に 穢れを浄化する             転生者万歳 』


 どうして、自分達が、魔獣と一度も遭遇せずに森を出られたのか。


 その“理由”が今、やっと判った。


 大罪人の生まれ育った村を焼くのに、騎士は迂回をする時間も惜しかったらしい。


「……わたしの、せい? わたしが……トロルを、庇ったから……」


 村がなくなったのも、家が焼かれたのも、そこに暮らす村人が死んだのも。


 なんの罪もない両親が――こんなにも、冷たいのも。


「――う、う、……うぁああああああああああああ!!」


 両親に縋り付いて、エイルは泣いた。癌で死んだ前の世界の自分の亡骸に、最初の両親がしたように。


 涙のわけは、怒り。トロルでもなく、この世界の兵士にでもなく。


 彼らの許に生まれてきてしまった、金澤恵理子という少女に対して。


「嬢ちゃん……」


 声を張り上げるエイルに、冷たい雨が降り注ぐ。まだ燃え盛る炎が鎮まり村に漆黒が落ちた。


 絶望に打ちひしがれるエイルが、男の方をふり向いた。


 雨に打たれる商人の肩に、照準器レーザーサイトの一閃が当てられていた。


「!? あぶない!」


 駆け寄るが、一歩足らず。商人の肩を回転した鉛玉は抉りながら進み貫通した。


「いてぇ、いてぇよ!」


 断末魔の悲鳴を上げくずおれた商人の傷をエイルはた。


 映画やドラマでしか見たことはないけれど。


 確かに、銃で撃たれた傷だった。


「なんで、なんで異世界に銃があんだよ!!?」


 激痛に任せ怒鳴る男。その手の上からエイルも傷口を押さえた。


 指の隙間から溢れる血。動脈か静脈かまでは医者ではないのでエイルには判断がつかないが、太い血管を撃たれたようだ。


「今、回復魔法を」


 傷口を圧迫しながら、詠唱を唱える。

 

 すると、温かい光に覆われた傷口がみるみるうちに塞がっていった。


「あとすこし――!」


 だが、光は突然その輝きを失った。


 エイルの背中に弾丸が撃ち込まれたことにより。


「あ……ああ……!!」


 焼け爛れるような痛みがエイルの背中から全身を貫いた。血がどくどくと溢れ体重が軽くなっていくのが肌で感じられた。


 弾はそれぞれ別々の角度から撃たれた。方角には家があり、家屋を遮蔽物に追手は狙撃に徹している。


 騎士、それとも冒険者。転生者。


 どちらにせよ、このままでは二人共ども狙い撃ちにされる。


「嬢ちゃん、逃げろ――!」


 男は言うが、エイルは、置き去りにしろという商人の言葉を受け入れない。


 男を抱え、エイルは森に逃げ込んだ。


 両親をあのままにしていれば、日が経って、虫や動物に食い荒らされる。もうここには、戻ってはこれない。


 でも、そうまでしても。


 エイルは、生きたかった。


「はあ、はあ、ははぁ……!」


 一体、どれほど森の奥に入ったか。


 狙撃は免れたが、気配はしっかりと暗闇から張り付いてついてくる。


 まるで、狩人から逃げるウサギの気分だった。


「やす、ませて」


 雨でぬかるんだ地面に商人は膝を突いた。


「さすが、異世界……なんでもありだな」


 ほくそ笑んだ男は呟くように言った。


「はやく逃げましょう!」

「だめ、なんだ……ああ、くそ! ――きっと、心細かったんだな。ひとりで、逃げるのが、こわくて」


 譫言うわごとのように言う男に、エイルは目を指された。


「――なんで、もっと早く……気が付いてやれなかったのかねえ」

「わたしの目が……。――! ……ごめんなさい……!!」


 魔法を掛けられたこの目で、二人の動き――正しくは、エイルの動きは筒抜けだった。


 自分と一緒にいるから、彼も、撃たれる。


「あ、あの……。わたしっ……あっちに、逃げますね?」


 男には見えない。だから、差した指が震えていても大丈夫だとエイルは思った。


 けれど、男を安心させようと無理に笑った声は――恐怖に震えていた。


「……ああ。俺は、ここに残るから……元気な嬢ちゃんなら、きっと逃げ切れるさ」


 エイル自身が受けた傷は、無詠唱でも治る。だが男を治療する時間は、残念ながらない。


「俺、こんなことになって、神も仏も信じなくなったけど……嬢ちゃんにその力をくれた神様には、感謝したい」

「…………いやだ、ひとりで行きたくない! いっしょにいて、ふたりで逃げましょう!?」

「嬢ちゃん!!」


 青ざめた唇で、それでも男はエイルの肩を掴み、言うべき言葉を掛ける。


「俺はここで、もう楽になる。これから生きる嬢ちゃんに待っているのは、きっと、地獄だ。死ぬよりも、痛いよりも辛い目に遭わされて、見て、幸せなことなんて、なにひとつないのかもしれない! でもな――!! 死ぬ最期に見るのが、絶望に歪んだ女の子の顔なんて、俺はぜったい嫌だからな!」


 言いたい遺言ことだけ言い終え。


 最期の最期に、男はエイルを安心させたかった。


「そんな顔すんなって。俺、こうみえてものを当てるのは下手なんだ。ほら……結局助からなかったし。……嬢ちゃんにだって、きっと、この世界で楽しいこと、見つけられるさっ――!」


 そう、言って。


 背後から銃弾を受けた男は、エイルに看取られながら、死んだ。


 小さな少女の腕に抱かれた男の死に顔は、銃撃を受けたとは思えないほどに、安らかななものだった。




「っしゃあ! まずひとり!」

『功を焦って弾を無駄に消費しすぎだ。一発使うのに、どれだけ掛かると思っている』


 異世界で転生者が確認され、数十余年。特に積極的に異界の文化を取り入れようとした人種にんげんの文明は他の種族を圧倒するほどに強大となった。


 なぜ、転生者が産まれる割合がエルフやドワーフなどの亜人と比較し、人種では多いのかその理由は解明されていない。身体構造が最も近いのか、種族によって崇める神がそうなるよう操作しているのか。


 魔族で転生者が産まれた例が現在も確認されていない理由も、それか。


 だが転生者の技術を持ってしても、今だ開発されていない物品がある。


 例えば、車だ。この世界には、ガソリンに代替できる燃料がない。街に点在する街灯は火の魔法を応用している。肺で呼吸する種族が一般なので窒素や酸素の存在は確認されているが、どういうわけか、それらに加え魔法で生み出した電気を用いても、車は動かせなかった。


 そしてもう一つ。これは、武器の類。移動手段と並行し転生者とこの世界の間で初期に開発を急がせたのが、銃火器だった。

 

 しかし、一つひとつが職人の手作業となれば、銃を一丁完成させるのに一体どれほどの時間を要したか。転生し、幼少期から異世界語を話せても、“バネ”という構造を説明し、それを小さく加工する技術を確立するのに五年もの時間を費やした。


 とりわけ、この世界では、鉛は在ってもその産出数は頭を抱えるほどに低く、不足分に銀を使っても大量生産は叶わなかった。


 ――よって。異世界で完成した銃は、計にして五丁。小型化には失敗し、長銃は連続で六発射撃が限界だった。


 うち二丁は試作品として、さらなる開発の向上のため国が厳重に管理、研究が進んでいる。


 残りの三丁は軍で実装されたが。その用途は、当初予定されていた魔族の討伐や敵国の防衛ではなく。


 脱獄した死刑囚を野に放ち、その眉間を撃ち抜くという――悪辣極まる競技スポーツに使われていた。


「お堅い騎士様はこれだから。――銃ってのは、人に向けて撃つためのものだろ?」


 遠隔魔法で視覚を数メートル先にまで伸ばした目で、今しがた撃ち抜いた獲物を舌なめずりしながら元・冒険者の男は囁いた。


「しっかし、やっぱ歯ごたえねえなぁ」


 男の方は息絶え、少女は逃亡の意思を完全に消失している。少女と共有した景色が揺らいでいるのですぐに判った。


『いいからさっさと仕留めろ。身体が冷えてきた』


 通信魔法から漏れ聞こえた雨の音が激しさを増している。この天候で元来た道を徒歩で引き返すのは確かに嫌だった。


 だが、このまま放心状態の獲物を撃っても、全然悦べない。


 兎は、跳ねるからこそ、萌えるのだ。


「――なあ! 至近距離から撃っていい?」


 そう声を弾ませる男は、すでに木の陰から姿を出していた。


『貴様、なにやってる!?』

「いいじゃん、もうあの子に抵抗の意志はないようだし。それに――近づけば、案外イイ顔するかもよ?」


 姿の見えなかった狙撃手が、目の前までやってきて銃口を向けてくる。


 恐怖に震えた少女の顔を想像するだけで、男の意識はトリップしそうだった。


『まあ、いいんじゃないかしら。盛り上がりに欠けた分、そうまでしないとね』

「サンキュー隊長! ――さて」


 少女の許までやってきて、男は軽く手を振ってみせた。


「やあやあ、お嬢さん。狩人のお兄さんだよ。ウサギさんになった気分はどうだったかな?」


 商人の死体を抱いた少女は、気さくに話し掛けてくる男を唖然として見上げていた。男の手に持つ長銃を前にし、恐怖で目を回していた。


「君のことは報告で聞いてるよ? トロルとなかよくなろうとするとか、変わった趣味してるねぇ。てことは、俺はタイプじゃないか」

「……あ、あの」

「おっ、なになに? お兄さんになんでも聞いてよ。俺、実は妹萌えだから、そういう上目遣いはうれしいな」

「た、……たすけて、ください……」


 少女は、ひざまいた姿を男に見せ、強張った声で言った。


「――いいね、それ。やっぱり出てきて正解だった。うん、じゃあ、服脱いで、目の前で股を開いたら、撃たないであげる」


 服を掴む少女に男は固唾を呑んだ。雨に打たれた身体が一気に火照り、心臓がビートを刻む。


 服を脱いで仰向けになった、その瞬間。男は少女の身体に再装填した弾丸全てを撃ち込むつもりだった。


下衆げすが」


 二人のやり取りを聞いていた騎士は、そのあまりにも下劣な会話に溜め息をついた。


『まあまあ。性格はあんなだけど、冒険者としてはそれなりに評価高かったし、ここは好きにしてあげても――』


 苦笑し部下を宥める隊長。


 同じ女としてはあの少女に同情できなくもないが、トロルに味方し仲間を裏切ったのだから、それなりの“報い”は受けて然るべきだった。


「――……ちょっと、聞いてる?」


 普段なら、ここで反論の一つも返ってくるが、待てども待てども応答はなかった。


 お互いの位置は把握している。魔法を使わずとも現在の状況は認識し合えるよう配置を考えておいた。


「んん? …………ッ!?」


 しかし、部下が隠れた位置を確認した隊長は思わず息を呑んだ。


『戦闘態勢!!』


 通信越しの隊長の声は明らかに動揺していた。


「ちっ……なんだよ。はい、どうぞ?」


 せっかくお楽しみを邪魔された男は、上官であっても判りやすい苛立ちの態度を取って応答した。


『一人殺された……、誰かいる!』

「“誰か”って、だれ? 村の生き残りっすか? 騎士団の報告じゃあ皆殺しにしたって」

『わからない……わからないけど』


 絶命した部下の容態を看る隊長。


 痙攣したその身体には、やじりが撃ち込まれていた。


『これ、まちがいない。森棲種エルフだ!』

「エルフぅ? ちょっと冗談やめてくださいよ。奴らが人種の領土内の森にいるわけじゃないですか」


 冒険者、という線もあるが、現在、街と近隣の村々には戒厳令が敷かれ出る者はいない。


 その通達をした張本人が、こうして慌て、冷静沈着な声音を上擦らせ叫んだ。


『でも、これはどう見ても――!』


  その瞬間、発砲音が森の奥――隊長らが隠れている位置から聞こえた。


「…………来い」


 高圧的な口調で少女を強引に立たせた男は、部隊との合流を図った。


「……おい、おいおいおい!」


 降りしきる雨に打たれた、二つの死体。男の方には背中に矢が刺さり、仰向けにたおれた隊長はこめかみから血を流していた。


 木の幹に穿たれた矢。


 それと死体を結んだ直線には、丁度人を支えられそうな枝を伸ばした大樹が生えていた。


「どんな腕力してんだよ……」


 幹に刺さった矢には、矢羽根がついていなかった。


 男が見上げた枝から発射された矢は、し、背後の木に刺さった。


 森棲種エルフの矢は頑丈なのは有名な話だが、そこまでの威力を果たして出せるものなのか。


「お前の仲間か!?」


 男に銃で脅された少女は、激しく首を振って否定した。


 なんにせよ、この森には、銃を持った兵士を殺す敵が隠れ潜んでいる。熟練の兵士を二人まとめて相手する強敵だ。


「まあ……これで、ようやく面白くなった」


 ようやく巡り逢えた好敵手に、男は武者震いした。


 だが、彼の威勢はそう長くは続かなかった。


「…………へ?」

「ああああああああああああ! おれのうでぇえええええええええ!?」


 森中に男の断末魔が轟いた。


 仲間から銃を剝ぎ取った男の腕が、飛んできた斧に斬り飛ばされ宙を舞ったのだ。


 呆然とする少女を置いて男は森の奥に逃げた。


「なっ、なんだよ――なんなんだよ!?」


 回復魔法を施しても、ポーションを飲んでも血は一向に止まらない。


 飛んできた戦斧は――岩削種ドワーフが鍛えた斧だった。人種が鍛えた斧など玩具おもちゃになるほど頑丈で、敵の骨も綺麗に断つ。


森棲種エルフの弓に、岩削種ドワーフの斧。


 敵は、複数だった。


「でてこい! この腰抜けめッ!」


 腕からほとばしった灼熱と激痛に意識を朦朧とさせながらも、銃を持った男は立ち上がった。


 神から授かりしスキルを最大値にまで展開し、臆病者の気配を探す。髪の毛一本落ちる音も、逃さない。


 鼻をつく、強烈な悪臭。


 これは――トロルだ。トロルのにおがする。


 臭いを頼りに見上げた先。


 木の枝に巨大な影がいた。


 鉛弾が闇を切り裂く。硝煙が上がり足許に落ちた薬莢がぬかるんだ土を蒸発させながら跳ねた。


 木がたわむ物凄い音に次いで、トロルが隠れていた枝が折れて落下した。


 男を囲むように跳躍音が響いて、その距離はどんどん離れていった。


「トロルのくせに、なんでそんな動きができんだよぉおお!?」


 しなる木を追うように男は引き金を絞り続けた。


 弾倉が空になるまで――空になっても、男は銃を撃つのを止めなかった。


 ぐるぐると回転した男の身体はついにバランスを崩し、泥にまみれた。


 雷鳴の光に映し出される、仲間を殺した死の正体。


 その木の上には、自分と同じ片腕のない――人種の鎧を纏った一匹の痩せたトロルがいた。


 冒険者になりたてだった時分に聞いたことがある。財宝を探して森に入り、頭がおかしくなって帰ってきた生存者の冒険者の与太話だ。


 仲間が――トロルに殺されたと。


 Eランクの駆け出しの冒険者が経験値のカモにするトロルに全滅させられたという話を、仲間の誰も信じようとしなかった。


 そのトロルは、他の個体とは違い小さな体躯で、痩せていたと。殺した仲間の武器を奪い、どこまでも追ってきたと。


 新米冒険者の間で囁かれる都市伝説に、ギルトはある『クエスト』を掲示板に貼り出した。ランクはB+。熟練の冒険者がやっと対処できるレベルだ。


 それは、一匹のトロルの討伐。


 古い言葉で『巨人トロル』を指す、その怪物が、森棲種エルフの弓を手に、口に咥えた矢を引き搾り、自分を狙っていた。


 怨嗟に燃える二つの眼を、兜の中から覗かせて…………。




 エイルが目の当たりにしたのは、銃を持った男が息絶える瞬間だった。


 遠隔魔法越しに矢を射抜かれた男は、瞼と後頭部から花弁のように脳漿をぶちまけて死んだ。


 目の前でなにが起きているのかただ混乱するエイルにも、裂けた血肉と、雨の泥臭さは確かな現実として認識した。


 死体を前に怯えるエイルの手を、横から包む感触。


 大人のようにたくましく、それでいてどこか、子どもらしさを思わせる掌。


「あなたは……」


 エイルが洞窟で助けたトロルの幼生が、今度は、エイルのことを励まそうと手を合わせてきた。


「兵隊 が お前 連れて いくのを 見て 助けて そう 俺に 言った」


 たどたどしい口調。人種の公用語を、聞いたことのない文法で話し掛けてくる。


 木々を縫うように現れた、巨大な影。


「『特異巨人ヨトゥン=ハイ……」

「だいじょうぶ か」


 エイルに対して心配がるように瞳を潤ませたトロルの子どもに、今度はエイルの知らない言語でヨトゥン=ハイはなにやら指示を出した。


 おっかなびっくりエイルから手を放し、ヨトゥン=ハイの陰に隠れる。大した身長差はないが、その動きは、人間の子どもとなんら、変わりない。


「私のこと、ずっと、さがしてたんですか……?」


たずねるエイルに、ヨトゥン=ハイに代わってトロルの子どもが背後で頷いた。


「――? ――」

「――――! ――!!」


 また、二人だけで会話をする。叱るようなヨトゥン=ハイに対して、トロルは反論するように唸った。


 やや少しの間があって、ヨトゥン=ハイがエイルに。


「……おまえ に 礼 したい 言ってる 洞窟 でたすけ てくれた」


 目を見開くエイルに、トロルの子どもは、どこか期待するような眼差しを送った。


「……だめ。あなたたちとは、一緒には行けない」


 エイルは、目に掛けられた魔法のことをヨトゥン=ハイに打ち明けた。


「いっしょに行くと、あなたたちに迷惑をかけてしまう。ええ、と……“ごめん”って、トロルの言葉でどう言うの?」


 言葉は通じないが、態度からエイルの気持ちをトロルの幼生は理解したようだった。


 尻餅を突いたエイルを立たせ、トロルの子どもは自分達と来るよう説得した。


「だめなの……! あなたたちといると、また――」


 突然声を張り上げたエイルに、トロルの子どもは驚いたかのように短い呻き声を発した。


 たとえ言葉が通じなくとも、その先は、エイルには言えなかった。


 魔物でも、――あなたのせいで、誰かが死ぬ。なんて、子どもに言えるわけがない。


「――お前 こわい 死ぬの」

「…………はい。死にたくない。死にたくない」

「“生きろ”と 俺 言った ……

「そう、ですね。せっかく、二度も救ってくれたのに、この目のせいで、あなたとした約束、守れそうにありませんっ!」

「どうして お前  こわいのに しぬ のに」


 ヨトゥン=ハイに言われた通り、エイルは、笑っていた。


「あれ、どうしてでしょう? やっと、……じぶんが死ねるからでしょうか。もう、誰にも迷惑かけずに、済むから」

「…………」


 しばらく、考えるように押し黙った後で。


「その 目 ない なら お前 生きれ る?」

「それ……どういう――」


 訊き終わる前に、ヨトゥン=ハイは、エイルの眼に向けた斧を、横に薙いだ。


 瞬間、エイルの視界が闇に閉ざされ、何も視認できなくなる。


 遠くの方で、トロルが鳴く声がした。


 その声も次第に遠くなり、やがて、完全に聞こえなくなった……。


☆★☆


「――これ よかった ざんすかね――」

「だ、……れ! おれ  みた ことある これ せいかい!」

人種ひと ご れんしゅう して えらい ……あら め さめた?」


 大きな手に抱かれた感触の中で、エイルは目を開けた。


 だが、目の前の視界は暗いまま。視線を動かそうとしても、眼球の感覚はなかった。


 身体から腕が離れ、藁の肌触りが頬を撫でる。少し臭うが、……やわらかい。


「まま やっぱり おきてる」

「もう だいじょうぶ だわ ここは あんぜん よ」


 エイルを囲むのは、三つの気配。山が動くように大きい足音。


 そして、彼らには申し訳ないが、とてつもない臭い。馬小屋が高級ホテルに思えるようだった。


 洞窟の湿った風を感じ取りながら、視力のない眼で辺りを見回して、ようやく理解する。


 エイルは、トロルの村にいた。  

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る