第二章 異世界流憂さ晴らし

 遺跡を出たエイルを待っていたのは、王国騎士団の槍だった。


「国王陛下と『新界教』の名の許に、彼の大罪人を捕縛せよ!」


 エイルには、騎士団長がどうして自分に剣を向けたのか、その理由がわからない。

 放心状態で脱出したエイルに抵抗の力はなかった。


 洞窟で死んだ仲間には、家族がいる。この世界で彼らを育てた人達。転生者を授かったことがどんなに誇らしかったが。


 そんな彼らの両親に、我が子が死んだ事実をどう説明すればよいのか。なんという言葉で詫びたものかと、ただ一人生き残ったエイルはそればかりを考えてここまで戻ってきたというのに。


 杖を取り上げられ騎士に引き立てられ、鉄檻に鎖で繋がれた瞬間、なにかが弾ける音と共に、エイルは『なぜ?』という疑問の中で身動きが取れなくなった。


 出る時とは打って変わって、乗り心地の悪い護送車に揺られること数時間、街の中心にある裁判所の前で降ろされた。


 中心街には、裁判所と、この世界の国教である宗教団体の本部があり、手入れの行き届いた大理石でできた荘厳な建築は噴水を挟み向かい合っていた。


 時刻はすでに日没。陽は山の背景に傾いていた。


 山奥の遺跡から街に冒険から戻ってきたというのに、小休止もないままエイルは裁判所でも最も大きく、かつ重罪人用の大法廷の被告台に立たされた。


 純白の祭服に身を包んだ裁判長が陪審員と入廷すると、検事と思われる糸目の男と傍聴席にいた人々が起立し、すぐさまエイルの罪状が述べられた。


「この者、エイル=フライデイは! 我が国の転生者でありながら、穢れた魔族と口を利き、あまつさえ冒険者だった仲間を売り、生き永らえるという重罪を犯しました!」


 読み終えた検事に、手錠で両手を縛られたエイルは抗議した。


「ちがいます、これは……なにかのまちがいです!!」


 潔白を訴えるエイルの頭に、傍聴席から石が投げられた。


「魔族の手先が口を開くな!」

「神聖な法廷が穢れるだろうが!」

「お前も死ねえ、とっとと死ねえ!!」


 所持していた物を次々とエイル目掛けて投げる傍聴席の人々の顔は、エイルへの侮蔑と軽蔑に、にやりと歪んでいた。


 額から血を流して蹲るエイルに、裁判長はガベルを打ち皆に言った。


「静粛に! 静粛に! ――これ、お前達、なにをやっているか」


 法廷の警備に当たらせていた騎士を呼び出す裁判長。


 騒ぎが収まり、被告台から様子をおそるおそる覗いたエイルを指差しながら、裁判長は蓄えた白髭を撫でた。


「あれでは隠れられるだろう、ちゃんと縛っておけ」

「……え?」


 左右からエイルは騎士に押さえられ、被告台に取り付けられた拘束用の鉄棒に手錠で繋がれた。

 そして、あろうことか騎士自ら、法廷に投げ入れた品物を持ち主に返す。


「これでよし、さあ諸君――これで、絶対に当たるぞ」


 裁判長の許しを得た群衆が口汚く罵りながら、一斉にエイルを攻撃した。


「やめ……てっ!」


 物は、頭を集中的に投げられた。

 洞窟を走り回り泥だらけになった服は、エイルの鼻血に紅く染まり、婦人が投げた花瓶のガラス片が頬に刺さった。



 武器になりそうな物を持たせみすみす通すなんて、この街の騎士の目ははどこまで節穴なのか、と血で目の前が霞みながらエイルは唸った。


「んん? そういや、そこの娘がなにか言っておったな、どれ、話を聴いてやろう。申せ」


 騎士に傍聴人を制すよう命じ、裁判長は頬杖をつきながらエイルに証言の許しを出した。


「わ、わたし……は、なに、も……して、い……ま……せん」


 度重なる暴力による涙で息が切れ切れになりあがらも、エイルは最後まで無実であることを訴えた。


「ふむ、無実とな。検事よ、それは真か?」


 裁判長に対し、検事は手にした書類に改めて目を通した。


「これは、これは。私としたことが、なんの罪もない王国臣民を罰しようとしていたようです。裁判長には非礼をお詫びし、被告人は直ちに釈放を――」


 なんだかよく判らないが、エイルの無実は証明された。


 これで、帰れると、そう思ったエイルは弱った力で微笑んだ。


「――するわけねぇええええだろ。ばぁああああああか! 証拠はあがってんだ。てめぇはここでおわりぃいいいいいいい!!」


 真面目そうな表情を崩し一転、蛇が笑うように叫んだ検事はエイルに親指で頸を切るジャスチャーをした。


 神聖な法廷は、そうだとエイルに言った彼ら自身の嘲笑で最高潮の賑わいに包まれた。


 それは、滑稽な少女を嗤う声。被告として連行されても、まだ無事で帰れると信じて疑わないお花畑な頭をした少女を馬鹿にする喧騒。


「証拠? ――儂もぜひ拝見したいものよ」


 証人喚問でやってきたのは、黒のローブに背中に『転生教』の印を背負う魔法使いだった。

 

 その両手には水晶玉があった。


「裁判長、ならびに陪審員のみなさま、こちらをご覧ください」


 魔法使いが詠唱を終えると、水晶から瞬いた光が法廷の天蓋へと注がれた。古代の神々が描かれた見惚れるほどの天井画が光に濡れ、全く別の詳細がエイルの頭上に展開した。


 投影された映像を目の当たりにした途端、傍聴席や検事だけでなく、裁判長すら苦々しい表情を浮かべた。腐った食べ物を無理やり舌の上に置かれたような。


 そこには、森棲種エルフの転生者――エマとトロルの子どもを庇うエイルの会話の一部始終が克明に映し出されていた。

 ここから魔物誘引のポーションを浴びるシーンに――かと思えば、映像はそこで一旦途切れ、『特異巨人ヨトゥン=ハイ』にトロルの子どもを託す光景に移り変わった。


「ご覧のように、被告人はトロルの幼体を仲間から庇い、その仲間を殺した魔物に幼体を返す代わりとして命乞いに及んだのです! 神の敵たる悪魔と会話を交わすなど万死に値する!」


 ハンカチで口を塞ぎつつ、検事はエイルを指して糾弾した。


 静寂の中で、裁判長はエイルに最後の弁明の機会を与えた。


「最後に、なにか言いたいことはあるかね?」

「――私は、仲間を裏切るような行いなど、一切していません。主神、フレイヤ様の名に懸けて……」


 この世界に転生する前、死後の世界でエイルは女神に言われた。


 生きとし生ける命は、陽と月の下では誰もが平等であり、慈しみと愛を以て彼らの声に応えよと。無垢なトロルの子どもを守ったのは、二度目の人生を授けてくれた女神の恩に報いるため、約束を果たすためだった。


「信じてください、私は……」


 掠れた声でそう必死に訴えるエイルを、裁判長は掌で制し。

 

「――ああ、もういいわ、君。お涙頂戴の言葉も、くどかったら胸焼けがしてくるんだよね。命乞いなんて、死刑台の上でうんざりするほど聞けるんだから、今からだと楽しさも半減するわ。はーい、じゃあ判決は、いつもどおり死刑で。執行は明日だから、みんな遅れないでね」


 ふあぁとあくびを噛み殺して閉廷を宣言する裁判長に、終わった終わったと背伸びをしながら傍聴席を後にする群衆。気軽に、今日の晩ご飯の話なんてしながら。


 空になりつつある法廷で、エイルはただただ、時計の針が秒を刻む幻聴に耳を傾けながら、自分の命が、あとどれほど残っているか数えているのだった。




 死刑執行を控えた翌日が来るまでの一晩を、裁判所の地下に設けられた地下牢でエイルは明かすこととなった。


 石畳の雑居房には、火はおろか窓の類、ベッド、トイレもなかった。とても長期間の禁錮を目的に造られた施設ではないと、死刑囚であるエイルが察するのに長い時間は掛からなかった。


「君は、どうして捕まったんだ?」


 牢屋には、エイルの先に若い男が幽閉されていた。


 暗闇に目が慣れて先客の姿を初めて認識した。


「トロルの子どもを、庇って……」

「なら、死刑なのも仕方がないな」


 くっくっと笑う男は、身分の高そうな服を着、やつれた頬の割には肌はまだ幾分と血色がよかった。


「あなたも、転生者なんですか」

「こっちに来る前は鍵職人だった。そのおかげで、この街でも苦労なく稼げたよ」

「――あの、教えてください」


 エイルは、自分の身に受けた仕打ちを包み隠さず男に伝え、その理由を伺った。


「この街、というかこの世界の連中は、転生者にへこへこ腰低くするくせ、腹んなかじゃ鬱憤溜め込んでのさ。嬢ちゃんと俺が受けた裁判ちゃばんも、その憂さ晴らしの“イベント”――いや、かな」


 この街で生まれ育った男は、貴族お抱えの鍵作りの仕事を請け負っていた。


 ところがある日、鍵が壊れたから修理してほしいと依頼を受け訪問した宅で、修理のどさくさに部屋にいた貴族の令嬢の着替えを覗いた、と濡れ衣を着せられ、エイルより少し早くあの法廷で死刑判決を下された。


「貴族の娘は、転生者だったんだ。笑えるだろ――お貴族様の作法が厳しいからって、そのストレス発散で、俺は明日、痴漢冤罪のレッテルを貼られて吊るされるんだ」

「……笑えません」

「だよな……ほんと、いやになるよ。異世界に来てまで、どうしてこんな扱い」


 最後の言葉は、男の憎しみからくる本心だとエイルは思った。


「俺よりよっぽどかわいそうなのは、嬢ちゃんの方だ。その歳で、あんな扱いを受けるなんて」


 この法廷にも出入りしていた男は、エイルに自分が見聞きした情報を教えた。この一晩を慰める、せめてもの退屈凌ぎに。


 転生者が到来したことで、この『アースミガルト』という世界は見違えるほどの発展を見せた。異界の知識がもたらされことで経済は賑わい、各国の統治機構は、転生者が来る前と後では比較にもならない。


 異界からの贈り物を授けてくれた神々に、人々は手を合わせ――は転生者に感謝した。


 だが、その裏では転生者がまつりごとを牛耳り、実体は、異界からの来訪者に世界が丸ごと乗っ取られた形となった。物価の価値は転生者が決め直し、細分化された法令に中心地は一見すれば豊かになったが、改正された法律についていけずに廃れた集落や街も少なくない。


 そんな市民の不平不満も、転生者は自分達の統治計画に利用した。


 転生者とこの国の貴族が結託し、冒険者や商人といった比較的弱い立場の者に罪を着せ、死刑を宣告する。形だけの裁判は、群衆と裁判員が、潔白を証明しようと必死になる被告の表情を面白がるための場。罪の照明と弁解が延々続いて、飽きれば判決を言い渡して地下にぶち込むという、とにかく不毛な茶番劇だった。


 これが、村の出や比較的貧しい家柄の転生者に、国が冒険者や商人の職業を斡旋する、理由だ。


「検察も裁判長も、貴族出身の転生者だ」

「そんな……!」


 そういえば、あの場には、エイルを弁護する弁護士はいなかった。


 あそこに連れてこられた時――いや。遺跡を出て捕まった時から、エイルの死はすでに決まっていた、というわけだ。


「夜が明けたら、もっとひどい目に遭うぞ」


 エイルを脅すように呟く男は、この目でそれを見た。


 罪人は、街で最も目立つ噴水の前に設けられた絞首台に上がらされ、転生者の貴族の気分次第で殺される。原始的な造りにされた死刑台では、罪人は前日とは比較にならない絶望の表情で苦しみ抜いて死んだ後、住民に順番に蹴られ、野獣の住む森に、ゴミのように放り捨てられる。


「この街で最も盛り上がる風物詩のひとつさ。大人も子どもも参加する。――そういや嬢ちゃん、光の魔法は使えるかい?」


 突然、唐突に訊いてくる男に、一応使えることを打ち明ける。


「子どもでも使える魔法なら、ここでも扱える。おもしれぇもん見せてやるから、ちょっとやってみ?」


 男に言われるままエイルは光魔法の詠唱を唱えた。漆黒が焼かれ神々しい明かりが労を照らす。


 それで、男は、衣服から千切り取った布で、眼球をくり抜いた瞼を縛っているのに気が付いた。


「嬢ちゃんが生まれた時も、役人が例の宗教を連れてきたはずだ。お祈りだと称し、奴らは俺達に、監視魔法の一種を施しているのさ」


 確かにエイルの両親が『転生教』について自分に話していたのを思い出す。


 あの映像は、エイルやエマが見た光景を投影したものだった。


「どうして、そのような、ひどいこと――!」


 法廷で見た映像は、明らかに何者かが手を加え編集した形跡があった。そこまでして陥れたい理由が、今日やってきたばかりの自分にあるのか、エイルにはどうしても納得のいく答えが必要だった。


「ないさ、なにも。俺達が死ねば、連中の憂さが晴れる。転生者でもこんな目に遭うんだ。この世界の連中も罪を犯さなくなるさ。平和な異世界万歳! ――てなわけよ」

「神は、このことを、ご存知なのですか?」

「神様が本気になれば、問題はなんでも解決してくれるだろうさ。だがな、信心深い嬢ちゃんよ。?」

「……牢屋、です」


 力なくエイルは、自分の居場所を再確認した。


「誰も、助けてくれねぇのさ」


 そう言いながら、男は立ち上がる。


「なにを?」

「言っただろう。俺は、ここにも出入りした鍵職人だって。自分が納品した品を忘れるほど、まだ耄碌してねえよ」


 男は、自ら視力を捨て監視を逃れた。


 そんな彼が、みすみす死を受け入れているはずが、ない。


「いっしょに来るかい? 鍵は開いたんだ。好きに出てもいいが」


 開錠した鍵を投げ捨て、男はエイルに手を差し伸べた。


 明かりに照らされた男は、生きるのをまだ諦めてはいなかった。


 手を取りながら、これも、女神からの試練なのかと。


 この時のエイルは、まだ、信仰を捨ててはいなかった。

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