トロルの児

霊骸

第一章 生存者は語る

「――嬢ちゃん、なあ嬢ちゃん」


 荷を引く馬車の馭者台からそう声掛けされ、少女は重たいまぶたを擦った。


「着いたよ、この街道をまっすぐ東に進めば、ゴンドーの街だ」

「……そうでしたか。ここまで、ありがとうございました」

「いいってことよ――しかし。まさか俺たちの村で“転生者”さまが生まれるとはなあ。信仰を蔑ろにする気はないがぁ、神さまはなんでもってそんな思し召しを」


 顎を撫でる馭者からは、懐疑や侮蔑といった負の感情は感じられない。むしろ、この上なく誇らしげに笑みを浮かべていた。


「十八年間、村の一員として、このような私を迎えてくれた村人の皆さんには、感謝してもしきれません。あなた方の許に導いてくれた、女神様にも」


 ここに来るまでの二日間、運んでくれた行商人に礼を支払おうとポケットをまさぐったエイルを男は顔を真っ赤にしながら制した。


「金なんて要らねえよ! こんな汚い荷馬車で運んだ挙げ句、金まで取ったら俺ぁ村に帰れなくなっちまう」

「ですが、これは私が独り立ちした時のためと、女神様から授かったものです。その第一歩でタダ働きをさせたとなると、女神様からお叱りを受けます」


 青天の下、小鳥が歌いながら飛ぶ街道の真ん中でエイルが首を捻っていると。

 躊躇いがちに頬を掻き、男は「じゃあ……」と呟いた。


「……今度、子どもが生まれんだ、俺んとこ。転生者さまだったら、嬢ちゃんみたいにあんな貧しくて、なんもない村を出て、なに不自由なく暮らせる。そのために……祈ってやくれないか……?」


 それを報酬の代わり――と最後に男は付け加え。


 白い装束ローブを翻し、エイルは杖を掲げた。


「――“我が愛しき母神、フレイヤ様に奉ります。かの者とその家族に、祝福された幸運があらんことを”――」


 少女の口から紡がれた祝詞のりとが風に乗って、天高くに昇ってゆく。


 風が反対側に吹いて、木の葉が男に向かってそよいだ。


「女神様がお応えになられました。あなたの願いは、きっと叶えられるでしょう」

「ありがとうよ、嬢ちゃん、女神さま!」

「ふふっ……では」

「ああ、嬢ちゃんも、いい旅を、な」


 エイルにもう一度手を合わせ、馬車は元来た道を引き返していった。


「最後の最後に、もう一度聞いていいかい!? 俺の荷馬車、もうずっと長く使ってるんだい。馬だって老いぼれさ。乗っていて疲れなかったか!?」


 ふり返った馭者に、とんでもない! とエイルは手をふった。


 だが、少しの間だけ黙り込むと――。


「……ちょっとだけ、お尻が痛くなりました……」


 腰を擦りながら苦笑したエイルに、男は満足そうに帰っていった。


 もう、こんなふざけた会話ができるのも最後になるかもしれない。


 だって、異世界に転生して、初めて――たった独りで街に出てきたのだから。


☆★☆


 西方一と謳われる貿易街『ゴンド―』。

 その噂は、村で聞いていたエイルの想像をはるかに超えていた。


「す、すごい……!」


 一歩歩けば喧騒が倍に、二歩進めば十倍に。


 どの露店にも人が押し寄せなにを売っているのか人混みで確認できなかった。


 十年以上も山間やまあいの村で育ったせいか、こういった賑わいの空気をすっかり忘れている自分がいた。

 死んで生まれ変わる前は、なにも感じないくらい見慣れた景色だったのに。


「失礼ですが、転生者の方でしょうか?」

「ええ、そうですが」


 エイルがふり返ると、国旗のついた槍を持った衛兵らしき男が肩を叩こうと手を伸ばしていた。


「これはとんだご無礼を!」

「いえ、お仕事、ご苦労様です」


 エイルが優しく微笑み返しても、衛兵は顔を伏せていた。


 やはり――この世界での『よそ達』に対する尊敬は根が深かった。

 よくしてくれていると感謝する反面、エイルが窮屈に感じる一因でもあった。


「私、冒険者ギルドを捜しているのですが、組合所はどちらでしょうか?」

「ご案内いたします!」


 衛兵に案内されエイルは街の中心へと向かっていった。

 途中、露店から漂う焼き物やスープの美味しそうな香りに何度も足を止めそうになりながら。


 街の中心にあったのは、どこか中世ヨーロッパの建築物を想わせる石造りの二階建ての建物だった。


「こちらになります」


 衛兵が示した通り、その建物に掲げられた看板には『冒険者ギルド』と――


「ありがとうございます」


 エイルが笑うと、衛兵は、まるで太陽でも浴びたような恍惚な表情を浮かべたのだった。


 扉のない入口をエイルが潜ると、中には大勢の人がいた。鉄製のジョッキを煽る者や机を囲んで賭け事に興じるグループ。男も女も、大人や――エイルのようなまだ年端もいかない子どもまで様々な人間が集まっていた。


「あ、あの……冒険者登録をしたいのですが」


 書類に判子を突く小太りの男に、カウンター越しにエイルは声を掛けた。


「なんか身分を証明できるようなもん、持ってるか」


 書類から顔を上げようともせず受付の男は素っ気ない態度でエイルを威圧した。


 咄嗟のことで動揺はしたものの。

 すぐ立ち直って、エイルは右手を差し出し、その指に嵌めた指輪を男に示した。


「こ、これで、確認できますか」

「んん? ――……その指輪!? しっ失礼しました! 転生者様とは知らず。すぐに登録の手続きをいたしますね!」


 今までせっせと仕事をしていた男は、エイルの指輪を見るなり机に広げた書類を全て放り捨てまわりを綺麗にすると、登録の手続きに取り掛かった。


 エイルから預かった指輪を、魔法陣の描かれた専用の儀式書に置いて、それから男がブツブツと何やら呪文を唱えると、エイルと男の間を照らすだけの淡い光が灯り、しばらく光って消えた。


「これで、エイル様の冒険者登録は終了でございます。依頼書はあちらの掲示板に貼り出しておりますのでご自由に閲覧ください。Eランクの冒険者様でも受注可能な簡単なクエストもありますので、どうぞ、どうぞおゆるりと!」


 先ほどまでの態度はどこへやら、エイルに指輪を返した男は、恭しく手を合わせながら言った。


 転生者と知って態度を変えられた程度で、今さらどうこう思わない。村に年貢を取り立てに来た騎士もエイルを見るなり目の色を変えた。騎士だけでなく、村に商人や冒険者に何度もそうされると、さすがに慣れるしかなかった。


 冒険者組合の寄り合い所ということもあって、掲示板には津々浦々な依頼が貼り出されていた。モンスターの討伐や薬草採取、行方不明になった家族を捜してほしいといったも

のまで。

 万事よろずの依頼書を眺めているうち、エイルは気づけば目を回していた。


「よかったら、僕らとパーティーを組まない?」


 掲示板を覗き込みながらそんな声を掛けてきたのは、頭を除いた全身を防具で固めた短髪の青年だった。


「あの、あなたは……?」

「君も“こっち側”でしょう? 遠くからでも一発でも判ったよ。浮世慣れしていない感じってことは、辺境の村出身、といったところかな」


 精悍な雰囲気の青年はそう言って笑った。


 その言語ことばは、どう聞いても、日本語だった。


「ちょうどよかった! 実は僕達、これからクエストを受けに街外れの遺跡に行くつもりなんだ。見た感じ、君は魔術師っぽいから、いっしょにどう? 回復系の魔法が使えたらなおいいんだけど」


 と口では言いつつ。青年は肩に腕を寄越しながらエイルをどんどんテーブルの方に連れていった。


「回復魔法、は、中級レベルまで扱えます。それしか、取り得がないんですけどね」

「Bランク級の腕前じゃないか! ぜひお願いするよ!」


 エイルの魔法の力量にたいへん満足した青年が笑うと、エイルも釣られて『ふふっ』とはにかんだ。


「おっ、ついに我らが門出となる仲間、その最後のひとりのご登場か」

「はじ、め……まして」

「注文済ませておいたよ。冒険の前にまずは乾杯しようじゃないか」


 テーブルには、青年のパーティー仲間と思しき三人の男女がエイルに手を振っていた。


「では、世界を越えて出逢えた喜びと、神への感謝を込め――乾杯!」

『かんぱい!!』


 直剣を提げた青年が音頭を取って、エイル達は運ばれてきた豪勢な料理を堪能した。


「おいおい、頼み過ぎじゃないか。これからモンスターのいるダンジョンに潜って時に」

「腹が減って剣が振れるかよ。軍資金はたんまり貰ってんだ!」


 青年を諫める小柄な男は、口許に立派な髭を蓄えている。その体躯は岩を連想させ、手にした斧とよく似合っていた。


 岩削種。俗に『ドワーフ』と呼ばれる種族だ。


「モンスターと間違われてうっかりお尻を矢で射抜かれないといいけど」

「矢はお前の専門じゃないか!」


 軽口を叩きながら肉の串焼きに手を伸ばすのは、森棲種エルフの少女。尖った耳に白い肌がその証拠である。


「わ、わたし……暗いところは……」


 フードの下で遠慮しがちに飲み物を飲む小さな少女は、エイルと同じ人種にんげんだった。


「みなさん、転生者なんですか?」

「僕はハルキ。一応このパーティーのリーダーを任されてる。種族は人」

岩削種ドワーフのミキヤじゃ――って、実はこれでもまだ二十歳なんだけどね」

「あたしはエマ。見た通り森棲種エルフよ。おばあちゃんじゃないからね?」

「ユミ、です……。ニンゲン、です」


 自己紹介を終えたところで、エイルも新しい仲間に名乗った。


「エイル=フライデイと申します。日本人です」

「本名は? あるんでしょう?」

金澤恵理子かなざわえりこって言います。エイルって名前は、女神様がつけてくださって」


 おずおずというエイルに、一同みな、どこか羨ましそうな顔をした。


 正直者だったのはエマだった。


「あたしも女神に新しい名前ねだればよかったなー」


 悔しがるエマに、どっと笑いが起こった。


 それから食卓に並ぶ皿が空になるまで一時間も掛からなかったが。


 宴会が終了するまで、三時間を存分に使い切ったのだった。


☆★☆


「〈トロル〉――ですか」

「俺達の受けた依頼は、街外れの遺跡に棲みついたトロルから、近隣の村から盗まれた家畜を取り戻すってやつ」


 パーティーが手配した馬車の中で、一行は今回の依頼内容を再確認し合った。


「あぶないんじゃないんですか?」


 山育ちのエイルも、その魔物の噂は小さい頃から大人達からよく聞かされ育った。まあもっとも、前世で散々触れたポピュラーな話と似通っていたので、理解も早かったが。


 トロル。巨漢を模した人型の魔物。

人型といっても、この魔物が身に着けているものといえば、前を隠す布切れ。知能の低いトロルに服を着こなすといった習慣はない。


そして同様、魔物であるトロルに栽培や酪農といった文化もない。粗暴な見た目の通り荒々しい魔物は時おり人里に下りて、集落や山間の小さな街から食料を盗んでいく。


「エイルは、トロルを見た経験は?」

「村の大人達が、トロルは汚いしあぶないからって、私には」


 エイルの、この世界の故郷でもトロルは何度かやってきた。特に冬で山に食料が少なる時期は冒険者を呼んで追い払ったりもしたが、そんな日は大人達の言いつけで家に籠っていた。


「大丈夫だって、あいつら間抜けで馬鹿だし。初心者のあたしらでも簡単に倒せるよ」


 馬車に据えつけの机に広げた依頼書を見下ろして言うのは森棲種エルフのエマだ。


「トロルの討伐は、僕らみたいなEランク冒険者が始めに受注する、言うなればこの世界の登竜門、みたいなものなんだ」

「異世界転生して最初に相手すんのが、くさいデブのバケモンってのが玉にきずよね」

「的がデカいぶん狙いやすいだろ」

「あたしの矢はそこまで精度低くないっての、このひげおやじ!」

「俺はまだ二十歳だ!」


 口論するミキヤにエマ。エルフとドワーフは犬猿の仲と相場が決まっているが、ここま

で微笑ましいと、そういうのも悪くない。


 けれど、とエイルは一同の装備を見て思った。隠密スキル持ちのユミはともかく、完全武装フルプレートで固めた三人の防具には傷が一つも見当たらなかった。


おそらく、街に着くなり、所持金を手に手近な装備屋にでも駆け込んだのだろう。


 それから、トロルの巣に到着するまでの間。

 一行は、この世界にやってきた経緯について紹介し合った。


「僕は部活帰りに交通事故で。まあお約束」

「俺も。まあ若者が死ぬ理由なんてそんなもんじゃね」

「わ、わたし……も」

「エイルちゃんは、なんで死んだの?」


 順番が回ってきたエイルは、ゆっくりと話し始めた。


ガン、でした。わかった時には、もう手遅れで、それで私、高校には行けなかったんです」


 ごめん、と。誰ともなく囁く声が、重苦しい空気の馬車でした。


「もう、過ぎたことだからいいんです! 現にこうして元気なわけですし。でも、だから、女神様は、私に回復魔法のスキルを授けてくれたんだと思います。生まれ変わったのは、この力を、誰かに役立てるため。そう思えば、異世界に来たのにも張り合いが持てるでしょう」

「……そうだよな。俺達はまた、この世界で出逢えた。不幸なことなんてあるか!」


 頷き合う一同。


「エマは? ここまで来たんだから、お前もなんか話せよ」

「あたしの話はいいの。死んだ理由だって大したもんじゃないから。それに……もう着いたみたいだし」


 窓の外を見上げるエマにエイルが眉根を上げると、遺跡の入口と思しき門が見えた。


 大理石で組まれた神殿の入口、漆黒の闇は左右の湖畔を挟んで山の中心まで続いていた。


 この山全体が、岩削種ドワーフの遺跡となっているらしい。採掘を得意とする種族らしい採掘技術だった。


「日暮れまでには戻るから、それまで待っててくれ」

「かしこまりました。ご無事で」


 騎士に馬車を任せて、たいまつを手に遺跡の奥に入る冒険者一行。


「いいんですか、あんな見張り役みたいなことを強要おしつけて」


 馬車を引いていたのも、護衛もその身なりから下っ端の衛兵ではなかった。


 年長者を顎で使うことに申し訳をていすエイルに、一行は笑って返した。


「高い金払ったんだから、別にいいだろ」

「俺達にコキ使われてあのオッサンらも満足してるって」

「転生者さまさまだよねー」


 こくりと頷くユミも、おっかなびっくりとしていて他と同意見のようだった。


「そんなことより、トロルだトロル。モンスターはどこにいる?」

「しっ……こっちからなんか音がした」


 木の葉のような耳をそばたてながらエマが前方を指差した。


 遺跡の奥は蜘蛛の巣のように入り組んでいて、空気も澱んでいる。靴音だけが周囲の石壁に反響したいまつの明かりでは心もとなかった。


「おい、あれ!」


 ハルキが示した先は、大樹のような柱がいくつも並んで天井の岩盤を支え、道幅は広く通路から吹いた風のが音を立てていた。


 神殿の中央に辿り着いた一行が出逢ったのは――持ち寄った薪で火を起こしながら談笑する、三匹のモンスターだった。

 くびがない、頭を胴体にくっつけたような体躯。太い腕で丸太を握りき火の上に吊った鍋をかき混ぜている。尻を掻いたその手でつるりとした禿頭を撫で、低い笑い声は唸り声にしか聞こえなかった。


「あれが……トロル?」

「食事中、みたいだぞ」

「うえ、きもちわる……」


 えづくようなジェスチャーをエマは取った。


「あ、そこ……!」


 ユミの視線の先に、馬が何頭か綱で縛られ、近くの岩と繋がれていた。


「盗まれた家畜って、あれでしょうか」

「あれだけ大きいと力も相当あるぞ」


 取り返そうにも、物陰に隠れていては手も足も出せない。


「あたしがる」


 弓の蔓に矢を添え、エマがトロルの一体に照準を定めた。


 子気味よい風切りの音を立て発射される矢は、鍋を囲んでいた一体のトロルの眼を正確に撃ち抜いた。

 突然仰向けにたおれた仲間に混乱する残りの二体が、すでに息絶えた仲間に呼び掛けていた。


「援護は任せて!」

「一番右は俺の斧で!」

「エイルちゃんはユミとそこにいて!」

「は、はい!」


 洞窟から突如として現れた冒険者に、トロルは驚いて吼えた。


「はあッ!」


 抜刀した光の軌道が防御の姿勢を取る腕を切り飛ばし、宙を舞う腕が落ちるのを待たずミキヤの刺突は断末魔の悲鳴を上げるトロルの心臓を貫いた。


 引き抜いた反動でうつ伏せに倒れる巨大な亡骸なきがら。頭から突っ込んだ鍋が煮えた具材を周囲にぶちまける。


 続けて仲間を殺され、最後の一体は隠れる場所を探して四つん這いに逃げようとした。

 それを、エマの弓が追随する。


 アキレス腱を射抜かれ身動きが取れなくなったトロルの脳天を、ドワーフの戦斧がかち割った。


 己を鼓舞する声と悲鳴、鉄が肉を裂く音の後、しばしの静寂が訪れる。


「倒した……トロルを倒したぞ!」


 魔物の血に染まった剣を突き上げ、ハルキが勝鬨を上げた。


「やったなミキヤ、これで俺達も一流の冒険者の仲間入りだ!」


 ミキヤがそれに続き、今しがた倒したトロルの死骸を確認する。


「おい、このトロル――胸を隠してるぞ。ということはメスか」


 ミキヤに頭蓋を砕かれたトロルを足で起こしながらハルキは側に来たエイルに笑って見せた。


「ということは、この大きいのはオスで、一番にエマが殺したこいつが、子どもっていったところか」

「あたしが一番手柄少ないような言い方止めてよね」


 エマが不満そうに口を尖らせる。


「さあ、はやく馬たちを連れてここから出ましょう!」


 エイルが馬の綱を解こうとした。

 先の戦闘で、馬もだいぶ怯えてしまっていた。


 なにより、いくらモンスターとはいえ、人の形に似た生き物の死骸の側に長居はしたくなかった。


「もうちょっとだけ、遺跡を探検しないか? こんだけ広いんなら、財宝を収めた宝箱の一つや二つはあるだろ」

「どういうことですか?」

「ここは、元々はミキヤの先祖であるドワーフが築いた王国の跡地なんだ。依頼書からそ

の話をミキヤから聴いて、ここを選んだのさ」


 ユミ、頼む、とハルキが言って、盗賊スキルを発動させたユミが宝の隠された部屋を指し示した。


「こ、こっち……」


 ユミが案内した部屋は、かつて岩削種ドワーフが鋳造した貴金属類を保管するための部屋で、辺りには散乱したアクセサリーやペンダント、金貨で埋め尽くされていた。


「す、すげぇー!」


 ミキヤが駆け出し、宝の一部を掬おうとするのを、ユミが止めた。


「あ、あそこ……なにか、いる」


 冷え切った炉をユミが指差すと。


「トロルの……子ども?」


 おそるおそる出てきたのは、小さな――といってもエイルとほぼ同じ背丈をした、トロルの幼体だった。


「なんだ、生き残りか」

「俺がやる」

「すばしっこそうだからあたしが」

「リーダーは僕だ。僕に任せて」


 小さなトロルを巡って、一同はなぜか言い争いを始めた。


「み、みなさん?」

 だれが刺す、だれが砕く、だれが射る。


 そんな言い争いをいつまでも続けるハルキたちが。

 エイルには、おぞましく映った。


「! ――ま、まってみなさん!」


 エイルが叫ぶと、口論を一時中断したハルキたちはトロルの方を見やった。


 カチ、カチカチ……。


 言い争う声に交じって聞こえていたのは、震えたトロルの歯の根が合わない音だった。


 一縷の雫が、土色の肌に伝う。


「このトロル……! この子には、私たちがなにを言っているのか、わかるんです!」


 家族を目の前で殺され、自分も殺されようとしている。


 もしかしたら、このトロルは――家族に言われ、隠れたのかもしれない。あの唸り声の一つに、それがあったのだろう。


「この子だけでも、見逃してやれませんか!?」


 トロルの子どもを庇うように出したエイルの手を。

 トロルの血が飛び散った手で、ハルキが下ろした。


「いいかい、エイルちゃん。モンスターは泣かないんだ。涙を流すのは、人間だけなんだよ?」

「え?」


 エイルを退かし、ハルキが剣を構える。


「ちょ、ちょっと! まだ子どもですよ、危険はないじゃないですか、なにも殺すことまで!」

「決まってるじゃないか――こいつは、醜いモンスターなんだ。魔物は、殺さなくちゃいけんだよ」


 髭の下に隠れた口で、ミキヤが笑った。動揺しているエイルの、見ている前で。


「できれば――『特異巨人ヨトゥン=ハイ』と戦ってみたかったけど、ここにはいらいし」

「ヨトゥン、ハイ……?」

「トロルの上位種で、Bランク冒険者しか受けられない討伐クエストに出てくる。強いって噂だけど、“”の上位なら、大したこともないだろ」


 雑談でもするみたいに笑う冒険者たちを見て、エイルは、ようやくわかった。


 彼らは、ただ――なのだ。遺跡を探検し、宝を獲って、力試しにモンスターを殺す。


 前の世界でできなかったスリルが、この世界には揃っていた。


「おい、あっちにもまだ生き残りがいるけど」


 エマの言う通り、部屋の壁を背に、もう一体トロルが立っていた。


「おい見ろよ、あの莫迦ばか、いっちょ前に鎧なんか着てるぞ。この子どもより、ちょっとは歯ごたえがありそうだな」


 子どもに向けた剣をハルキが鎧の方にやった。


「ユミ。おい、そんなとこにいたら邪魔だ」


 ミキヤが退くように言ったが、ユミは背中を向けたまま一向に退く気配を見せない。


「気持ちはわかるけど、盗賊スキルは役に立たないって!」

「……だ、め。みんな……にげて、こいつは――ヤバい!!」


 怯えたように叫ぶユミがふり返った。

 その後頭部を、鎧から伸びた腕が掴み上げる。


「あ、……い、や……いやぁああああああああああ!」


 そのまま、ギリギリとヒビが入る音を立て、フードの下の頭を握り潰した。リンゴでも絞るかのように。


 フードから血が溢れ。

 手足が痙攣し、下着を濡らすユミの死体を宝の山へと放り捨てた。


「ユミぃ!!」

「待てハルキ!」


 仲間を無惨に殺された怒りに任せ突貫するハルキ。


 彼の一撃は、鎧の奥にある眉間を正確に捉えたが、一歩届かない。


「なッ!?」


 驚嘆の声を発する。


 槍を手にしたトロルは、片腕を斬られなかった。

 故に、ハルキの剣を、顎で受けた。


 嚙み砕かれる剣に、ハルキの戦意は完全に失われる。


 剣を離して立ち尽くすハルキに、槍の一撃が繰り出される。錆びた槍は鎧の隙間――腹部と腰の辺りを貫通し、天高く突き上げられた。


 磔にされた青年は、罰を受けた罪人のように、ぴくりとも動かない。


「よ、ヨトゥン……ハイ……『特異巨人ヨトゥン=ハイ』だぁあああ!!?」


 斧を放り投げ、光を目指して岩削種ドワーフの冒険者は走り出した。


 その背後を、『特異巨人ヨトゥン=ハイ』は追い越した。

 前方に現れた巨大な死に、髭もじゃの青年は乙女のような悲鳴を響かせた。


 今しがた落とした斧を掴み、未練がましく生に固執するお花畑な脳天に見舞った。


「いや、いやだぁ……ッ! ――ママぁ、ままままままままま…………!!」


 口が止まっても、心臓が止まっても、その魂が神の許に召されても、トロルは斧をふり上げ続けた。


 殺された同胞の苦しき、憎しみの分まで、きっちりと。


 それを、エイルは部屋から離れた洞窟の中で、耳を塞ぎながら聞いていた。


 ハルキが死んだ。ミキヤももう死んだ。ユミもとっくに死んで、エマの安否は不明。


 右も左もわからない遺跡で、トロルと二人きりになってしまった。


「いや、いや、いや――しにたくない、しにたくない、しにたくない!!」


 死への恐怖がエイルの身体を貫く。病室で感じたあれとは違う。全身を刺されるような痛みを伴う絶望。


「……きみ、は……?」


 たいまつの明かりに顔を上げると。

 部屋にいたはずのトロルの子どもが、エイルを照らしていた。


「ここにいた! はやく逃げましょう!」


 血相を変えてエイルと合流したのは、弓も矢も捨てて逃げてきたエマだった。

 二つのたいまつの明かりに周囲はより強く照らされる。


「あんた……うしろになに隠してんのよ?」


 エイルはエマからトロルの子どもを、咄嗟に背中に隠した。


「なにかくまってんのよ、さっさと殺しなさいよ!?」

「でも、エマさんも私も、武器が」

「その杖で殴り殺せばいいじゃない! みんなの仇なんだよ!」

「で、でも……」


 あくまでも魔物を庇おうとするエイルに、エマはついに堪忍袋の緒が切れた。


「ったく、なんなんだよどいつもこいつも役に立たないんだから! せっかく自殺までして転生したのに、こんなんじゃちっとも面白くないじゃない!」

「え…………?」

「……そう、あたしが死んだ理由。あっちの世界がつまんなかったから。あんたもそう思うでしょ、受験とか就職とか……あんな世界ゴミだろ! それに比べて、こっちじゃみん

な、転生者って知ったら馬鹿みたいにチヤホヤされるし」


 嬉々として語るエマ。

 そこには、病気で死んだエイルと比べ、前の世界への未練など全くなかった。


「生きたくても、生きられない人がいるんですよ……?」

「ハァ? なにそれ説教? 自分は癌で死んだから、命を粗末にしないでくださいって?自分の命なんだから、自分がどう使おうか勝手じゃない! 人権侵害すんのやめてよね!」

「私は、そんなんじゃ……」


 説教とか、そんな上から目線じゃない。


 エマは、元の世界で自分ができなかったことを、手に入れられなかったものを全部捨てて、ここに来た。


 それが、とても羨ましくて、妬ましくて、悪口を言ったに過ぎなかった。


「あんたもういいや。ここで死んで」


 懐から小瓶を取り出すと、へたれ込むエイルの頭からかけた。


「これ、モンスターを誘引するポーション」

「あんたそこそこかわいいから、運がよかったらあの怪物のペットにしてくれるかもよ。じゃね、あ――たいまつはもういらないか」


 たいまつを二本とも奪い、エマは出口の方へ走っていった。


「……なに、これ……? どうなってるの……」


 ほんの数時間前までは、楽しく食事して、雑談して、笑い合う仲間がいた。

 それが、どうして今――だれもいない洞窟で、ひとりぼっちなのだろう……。


 失意のうちに項垂れるエイルの頭を、トロルの子どもが、慰めるように撫でた。


「効果、てきめんじゃない」


 早くもポーションの効果が出てきたらしい。

 魔物を誘う薬は、近くにいるモンスターと同じ匂いを発し、仲間がいると思った魔物を罠にめたりする。


 たいまつの明かりが戻ってくる。先の暴言をエマが謝りにきたと思った。


 でも、そうではない。


「――『特異巨人ヨトゥン=ハイ』――」


 それが咥えていたのは、ドワーフから奪った斧。ゴンドーの街随一の職人が鍛えた逸品だった。


 トロルの手には、袈裟斬りにされたエマの、肩から上が握られていた。


 死ぬ、ここで殺される。


 二回目の死は、生まれ変わることができるのだろうか。

 仲間を見捨てたのだから、きっともう叶わないだろうと諦め、エイルは目を閉じた。


 せめて、このトロルを仲間の許に返してから死にたかった。


 この期に及んでも、なお、生まれ変わりたい、と輪廻に対する執着を抱いている。


「――“お前は、生きろ”――」


特異巨人ヨトゥン=ハイ』はそう言い残し、トロルの子どもと共に洞窟の奥へ消えていった。


「……え?」


 涙に濡れる瞳で、エイルは、去ってゆくトロル――その兜に隠れた顔を確かに見た。


 兜からはみ出た髪、唇に歯、寄せ集めた甲冑は冒険者から剥いだ。




 トロルは、その見た目に反し温厚で、家畜を盗むことはあっても人に危害を与えた事例は滅多にない。盗む食料は自分たちが飢えないように、襲われた事例は、冒険者からの攻撃に反撃した時のみだった。


 だが、醜悪な見た目と体臭、知能の低さから最低ランクの冒険者のいい『練習台』として扱われていた。


 そんな最底辺の魔物にも、冒険者から恐れられ、畏怖される個体がいた。


 トロルを侮った冒険者が死ぬ理由が、これだ。

生き残った生存者は、そのトロルを、“巨人”を表す古い言葉で『特異巨人ヨトゥン=ハイ』と呼んだ。


 だが、彼らは知らない。


 トロルに育てられた――この世界でたった一人、トロルの味方をする人種にんげんの怒りを、悲しみを。


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