宿屋は入る時がピーク、あれには反対
「ようこそクアッドへ!」
依然言うことの変わらないマシーン門番の言葉を背に受けながら、クアッドに足を踏み入れる。
詳しい時刻は分からないが、既に街には夕暮れが差し込んでいて、建物にかかる影が幻想的な様相を作り出していた。
それに合わせ人の動きも変わっていて、皆が急ぐように歩を進めて帰路を行く様子が見て取れた。
観光都市と言っても、そこに暮らす人々がいる。住人の生活を垣間見れるこの時間帯は思ったより貴重ではないだろうか。
――なんて、気取ったことを考えてみたけどどう? 私の才に惚れこんでしまう人が続出しちゃうかも。
私はそう思う。
私だってそう思う。
いや、私だって……
私こそ……
えぇ~いぃえい! 鎮まって! 私の中の私たち。
みんなに思われなくたって、私は私の才能を自覚しているんだから。
…………鎮まったかな?
こほん。
野次馬に失敗した!
端的に言えばね。
二人と目が合った瞬間のあの沈黙。さすがの私も耐えきることが難しかったッ。遠慮がちに声をかけてきたのもつらかったかもしれない。
しかし、私にはあの冷え切った空間を解決する手段を持っていたのだ。
なに、簡単な話だよ。
逃げる!
実に天才的。空間が冷え切っているのなら、その空間から脱すればいいのだ。それだけで解決する。
私は過去を振り返って自省することもなければ、後悔することもない。過去の味はいつでも絶品のフルコース料理だよ。
――ぐぅ
しかし、私のお腹は欲張りさんだ。何か食べ物を寄越せと口騒がしく? もしくは臍騒がしく喚いている。
やかましい! ……ごめん。嘘だよ。ごめんね。正直な私のお腹こそ愛らしい。
ということで何か食べたいところ。
加えて今日の寝床も調達しておきたいかもね。美と健康の為にはしっかりとしたベッドで眠らなくちゃ。
つまるところ食堂が付いている宿屋を探したい。
見つけた。
さすがに宿屋はすぐに見つかる。冒険者ギルドと違ってあっちこっちにあるんだから。
ギルドも宿屋の手軽さを見習えな! 次回検査の際には期待してるから。
それに入る前から何となく素晴らしい気配がする。私の勘は冴えるの。
私がここに入れば劇的なドラマが生まれそうな、素晴らしい展開が訪れそうな、そんな感じがビンビンでジンジンにする。
「いらっしゃい! レンカ亭へようこそ~」
そんな訳で期待を痛がりながら宿屋の扉を開ける。すると早速威勢のいい声が聞こえてきて、すぐに声の主が私の元にやってきた。
元気そうな女の子でめちゃいいね!
「素泊まりですか? ご飯だけ? それもと両方? 前から100、40、120です~」
子気味良い営業トーク。精霊賢者でとてもすごいまりょくを持つ私じゃなきゃ見逃してしまうかもしれない。
「部屋とご飯の両方! ご飯は大盛りで」
女の子に向けて
「分かりました~。お客さん、運がいいですよ。丁度作り始めなので、出来立ての飛び切り美味しいやつ食べられます!」
女の子の「こちらにどうぞ」という言葉に従って示された席に座る。
そして待つ。
「お待たせしました~」
すぐきた。
さすがに早いって。転ぶ瞬間くらい早いよ。――いや、むしろ遅いのかな?
そんな疑問を豪速球で壁外に飛ばす料理の匂いにやられ、思わず生唾を飲み込む。
今思えば、クアッドに来てから焼き魚一匹しかお腹に入れていない。お腹に文句を言われるのは仕方がなかったといえよう。
まぁ、仕方がないと言い訳する必要のある相手がいないのだけどね!
「いただきます!」
「どうぞ~」
まず私が標的に定めたのは美味しそうに焦げを付けたお肉。何肉かはしらないけどとにかくお肉。
お肉であればまず喜べる。それはヒトも精霊も同じ。
「んぁ~――」
「
突如、良く知った声が聞こえ、良く知った力加減で両肩を掴まれた。
反射的に立ち上がろうとするが、大いなる力を前にして私の健脚は動いてくれない。
ぬぅ……恨むぞ、我が健脚もとい賢脚!
ゆっくり、慌てずに、首を後ろに向けていき――
「も、
「こんばんは。今日ぶりだね、水」
「あ、あわ、あばば……」
底から湧き上がる恐怖で足が震え、奥歯がガチガチする。実質一人二役パーカッションだ。
「随分と楽しそうだね、水」
お面のような笑顔で「ねぇ、水」と付け加える木ちゃんに私は言葉した言葉を返すことが出来ない。
この感じ、めちゃくちゃにキレている。前に木ちゃんがこうなった時は大変だった。私は木ちゃんに――
木ちゃんに――
……はっ!?
私、あの時のこと覚えてない……?
「ねえ、水」
「あば」
冷や汗が頬を伝う。
「お家……」
「あばば」
舌が回らない。
「帰ろっか?」
深い笑み。
「あばがぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁあああぁ!?」
「ようこそクアッドへ!」
「いやっ、いやだぁぁ! 帰りたくないぃぃぁ」
クアッドの街に叫び声を響かせる私。しかし、誰も私に見向きをしない。いくら日が暮れて人通りが少なくなったとしてもおかしい。おかしすぎる。
「帰ってお仕事しようねぇ」
それもこれも木ちゃんが原因だ! こちらに少しだけでも興味を示した者には
精霊賢者の私には分かる。限りなく賢者として褒められない行為を木ちゃんはやっている!
「ようこそクアッドへ!」
「は、な、せッ!」
私の手首をものすごい力で握り込む木ちゃん。
「いい加減諦めてよ、水」
やっと私の声に木ちゃんが振り向いて答えてくれた。私はここを好機と捉えて言葉を重ねる。
「ようこそクアッドへ!」
「うるさいうるさい! 私はまだ帰りたくないぃぃ!」
「水……」
思案する風に口を閉じる木ちゃん。
……これは、押せば行けるのでは?
ふははァ! 木ちゃんは軽くて薄い暖簾だったわけだ。押せば簡単にどかせる。まさに暖簾に腕押し……
ん?
何か間違っている気がする。そう思った時には遅かった。木ちゃんは体ごとこちらに向き直ると、私の頭を鷲掴む。
「口を閉じて?」
「ぴえっ……」
「ようこそクアッドへ!」
木ちゃんは道すがらの人々に向けていた圧を私にもかけてくる。思わず喉の奥から変な声が飛び出た。
うそ……精霊賢者である私がビビるほどの……
しかし、私も同じ精霊賢者。負けるわけにはいかない。屈するわけにはいかない。なぜなら、さぼりたいから!
覚悟を決めて深呼吸。乾燥した唇を湿らして……
「そもそも何だか巻いてる気がする。私が連れてかれてるの巻かれる気がするぅ!」
「うるせぇ黙れどつくバカ死ね塵賢者」
「……」
「ようこそクアッドへ!」
「……」
「ようこそクアッドへ!」
「…………ぴえっ」
私は瞼の裏に羊をみた。
そして羊は私の元に向かって――
「うっ……おわぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?」
精霊賢者の昼休み、完
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