【短編】宍戸梅花は死せず、ただ迷宮に向かうのみ

甘夏

死してなお、その手はぬくもりを帯びていた。

 わたし、宍戸梅花ししどまいかはその晩未明、首をくくりその一生を終えた。


 未明というのは、そのときのわたしはあまりにも錯乱していたため、時間の感覚というものを失っていたから。

 ただわかっているのは、クローゼットに括り付けた縄に自身の首をかけ、わたしは確かに死んだということ。


 気づけば、わたしは朝を迎えていた。 

 手元には縄があった。縛り付けるように右腕に絡みついていた。

 それはわたしを縛り付ける鎖だった。


 鎖は刃を携えていて、それは鎌の形をしていた。


「宍戸さん!」


 宝蔵院ほうぞういんスイの呼びかけに、わたしは応えるように鎖を放つ。

先についた分銅が敵の左腕に絡みその動きを止める。


 敵は大きな怪物で人のような形をしていた。

 魔物だと聞いたが、それが何なのかはわたしたちは知らない。


「宝蔵院さん、そっちよろしく!」

 

 左腕を抑えたわたしは、宝蔵院さんに右腕への対応を要求する。

 十字に刃を携えた三又の矛を構えるスイは、その矛先を敵右腕に定めた。


「いきますわよ!」


 宝蔵院スイの一突きでもって貫く。

 その空いた傷口から水が溢れ、それは瞬く間に化け物の右腕へと絡む水の鞭と化した。


水流拘束バインド、完了ですわ」


 水流が纏い動きを拘束する。

 その両腕の動きを封じられた怪物。


 重ッ。けど……、この鎖は絶対に引き千切れないよ……!


 もがく怪物の動きを抑えるため、鎖鎌を強く握り引き付ける。


「スイちゃん、うめちゃん、ありがとう。あとは、私にまかせてっ」


 駆け出した少女が、二本の刃を抜く。

 軽やかにわたしの鎖を蔦って飛び跳ね、一気に怪物の左肩まで登りつめる。

 二天一流の刃が怪物の首筋を十字に切りつけた。


 一閃、二閃、その2連撃によって、怪物の首を落とした宮本玄は、軽やかに着地し、その二本の刃を鞘に納めた。


「終わったかな。もうすぐこの迷宮ダンジョンも解けるね」


 彼女の名前は宮本玄みやもとしずか

 どこまでが名字で、どこからが名前か最初わたしはわからなかったけれど。

 姓が宮本、名前が玄だった。


「ねえ、帰りにどっか寄り道でもしよーよ。私お腹ぺこぺこだもん」


 わたしは、彼女のことが苦手だった。

 嫌いとかいうわけじゃないと思う。

 その理由は、わたしの名前である梅花まいかを、「うめ」と呼ぶことでもない。

 その底抜けに明るい姿が、わたしには眩しすぎた。


       ***


 死してなお朝を迎えたわたしに待っていたのは、学園長からの呼び出しだった。

 用件はただひとつ、魔物から世界を守るために戦えということだった。その対価としての費用は奨学金として支払われると聞いた。

 もちろん最初は断った。

 魔物を倒せなんて急に言われてもわたしはただの中学生で、そんなもの自衛隊にでも要請すればいいとすら思っていた。

 しかし母を幼くして亡くし、父が蒸発した今、わたしに残ったものは83円の現金と、絶望だけだった。


 居場所のないわたしには、その申し出を受ける他なかったのだ。


「なんで、わたしがこんな目に、ってそんな感じかしら?」

「宝蔵院さん……」


 宮本さんの誘いで移動販売車のクレープを食べ、そして各々が帰路へと向かっていた。途中まで家へのルートが同じ宝蔵院さんとは同じ経路で、珍しく彼女から声をかけられたのだ。


 宝蔵院さんとは同じクラスではあったが、話すきっかけは迷宮攻略の任を受けてからで、まだ日の浅い私に彼女は優しく接してくれる。

 金髪の長い髪に、気品のある振る舞い。母親がフランス人のハーフだと聞いたことがある。


「魔物は、異界からこの現実世界に進行するために、迷宮という空間を作る。そして、やがては手先の魔獣を引き連れてこの世界に不幸をもたらす。たしか、そんな説明だったかしら」

「はい。説明を受けても、実際に目で見ても……よくわからない話です。わたしはまだ迷宮に入るのは2回目で、まだ慣れそうにないですね」

「そんなものですわ。私もまだ両の手程の数にも満たないですし。でも、宮本さんはもう30回以上は出陣していると聞きましたわ」

「そんなに――」

「こんな武器一つで、あんな化け物のような者たちに立ち向かう。それも一人でなんて、私には到底できることではありませんわ」

 

 そう言って何もない空間から生み出された三又矛は、青い宝石が埋め込まれた彼女の武器だ。水を生み出す魔法の槍。

 わたしの持つ鎖鎌と同じ、1度目の死に由来した忌々しい道具。


「私は入水じゅすいでしたからね。こんな形になったものだと思いますわ」

「――わたしのこれは、きっと。くくり縄をモチーフとしたもの。死してなおこの世界に縛り付けるくびきみたいなものね」


 右腕、制服の上からぎりぎりと絡みついた鎖が、じゃらりと音を立てる。

 学園でこの鎖が見えるのはきっと、宝蔵院スイと宮本玄の二人だけだ。

 

「でも私は嬉しく思いますわ。こうやって新しいお友達が増えるということは、そのきっかけはどうであれね」

「そう、ですかね? 歓迎されているってことなら。良いんですけど……」


 ぴちょんと、微かな水音がしたと思うと瞬間、槍が宝蔵院さんの手から消える。

 入水自殺をしたという彼女の心の闇は、わたしにはわからない。

 きっと、人一人が死を選ぶ絶望を理解できる人いないのだろう。

 わたし自身、わたしの持つ闇をわからないのだから。


「ところで、宍戸さん。宮本さんのことはどうお思いですの?」

「どうって。わたしは初めて迷宮に彷徨ったときに、彼女には助けられましたし。迷宮攻略の先輩として、尊敬はしてます」

「のん、のん。本音を聞かせてくださいませ」

「ん、正直……苦手です」

「そのようですわね。お二人を見たらわかりますわ。傍から見ると真逆な感じですものね。でも私から言わせてもらいますと、似たもの同士って感じですわよ」


 深い青色をした瞳が、わたしを捉える。


「それは、どういう……」

「んー、そうですねー。それはご本人とお話してみるのがよろしくてよ。では、わたしはこちらなので。ご機嫌よう」


       ***


 旧校舎の裏に、もう使われていない古びた建屋がある。

 昔は武道系の部活にも以前は活用されていたらしく、剣道場や弓道場といった設備が併設されていた。

 どれも床はささくれ、弓道の的は矢じりが刺さったままで放置されていた。

 

 わたしは、手にした鎖鎌の鎖分銅を回しながら、徐々にその鎖の長さをひろげることで自らのリーチを活かすよう立ち回る。

 対峙する宮本さんは、二本の刃を持ち、じりじりとすり足で間をつめるように進ませる。


「梅ちゃんまえよりも間合いの取り方がうまくなったよね。かんたんには踏み込めないや」

「……宮本さんは疾いから、わたしはこうやって逃げながら戦うしかないんだよ」


 わたしは意を決してその鎖分銅を宮本さんへ向けて投げる。

 この鎖の動きはわたしの意のままだ。

 指先を少し動かして宮本さんの左後方から向かうようにして、分銅を戻す。


 予想通り宮本さんの左手にある日本刀の刀身に鎖が絡みつく。 


「まずは……一本を奪う!」


 強く鎖を引き、その刀を宮本さんの手から落とす。

 そして、一気に間合いを詰め分銅の反対にあるもう一つのわたしの武器である、鎌の刀身を首筋にむけて斜め下から振りかぶる。


「上手いね梅ちゃんッ。でも……もう一本あるんだよ」

「……ッ」


 宮本さんは右手で構えたもう一つの刀でその鎌を受け止める。

 鍔迫り合いのなか、わたしは半身身を翻すようにしてその刃をいなす。


 身体の回転にあわて、鎖を振り回すことで宮本さんの頭部へその分銅を当てる。

 それがわたしの狙いだった。


「甘い!」


――これも通じない。


 宮本さんはその分銅を軽く躱し、落ちたほうの刀を拾う。

 そして、一気にわたしとの間合いを詰めて、2本の刀で斬りかかる。


 二刀流とは本来、左手に持つ短刀で攻撃をいなし、右手でもって斬りつける守りの流儀だ。しかし二天一流はそうではない。

 二人の人間が各々1つの刃をもつかのように、それぞれの刀が違う所作で確実に急所を狙う。


 首筋と右の手首への二閃。

 切られたと思ったその寸前、宮本さんの手は止まる。

 模擬仕合にわたしは負けたのだ。


「やっぱり、宮本さんには敵わないね」

「そんなことないよ、僅差だった。あの分銅を避けられたのは運が良かっただけだと思う!」


 そう言って屈託のない笑みを見せる。

 桜色の綺麗な髪と、額には少しだけ汗がみえる。彼女が本気でわたしと仕合ってくれたことに少し嬉しく思う。


「私の無銘金重むめいかねしげ。最初に落とされたときは焦ったなー。あんまり一刀流には馴れてないのよね」

「無銘金重?」

「うん、わたしの妹。左の日本刃として残ってるんだけどね。そしてこっちが、和泉守藤原兼重いずみのかみふじわらのかねしげ)。お母さんだよ」


 右手にもつそのきらびやかな刀身を、まっすぐに伸ばしてそう告げる。


「それって――」


 聞いて良いものか、少し躊躇った。


――それはご本人とお話してみるのがよろしくてよ

 

 宝蔵院さんの言葉が浮かんで、少し彼女との距離を踏み込もうと思ったのかもしれない。


「宮本さんが、迷宮攻略をするきっかけになった、自死に関係があることなのね」

「うん、私ね。お母さんの無理心中で妹と一緒に死んじゃったんだ。寝てるときだったから、あまり死んじゃった記憶はないんだけど。この刀をもったときに思ったの。ああ、これはわたしの大切だったものなんだって」

「淋しくはないの? どうして貴女はそれでも笑えるの?」

「そうだね、淋しいよ。悲しいよ? でも、いまは梅ちゃんもスイちゃんもいるから。全然へいきッ」


 ずるいなって思った。

 この世界を恨んで、無力な自分が情けなくてそうやって一人消えようと思った。そんなわたしと、彼女はここまで違うんだって。


 でもそれと同時に、こんなにも嬉しく思うなんて。


「あのね宮本さん。私も貴女と会えて嬉しい。もう一度、この世界で生きていきたいと思えたのは、たぶん二人のおかげ。今日はありがとう、また仕合してくれる?」


 仕合のために一つにまとめた髪を解いて、私は彼女に手を伸ばした。

 それは握手の合図で、宮本さんは刀を鞘におさめ、その手を握ってくれた。


 二度目の生だというのに、あたたかかった。

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