小さなレストランのある午後のお話
宵埜白猫
桜のシフォンケーキ
小さなレストランで、ホールとキッチンの二刀流。
ランチのラッシュは過ぎたが、明らかに手が足りていない……。
数分前に注文を取ったかと思えば、今はパスタを茹でている。
雄太も家賃の支払いさえ無ければすぐにでも辞めて新しい仕事を探したいくらいだ。
せめて3か月分の家賃を貯めてから転職しようと考えているのだが、薄給すぎて貯まらない。
学生バイト時代から8年になるせいか、こんな現状に慣れてしまっているのがさらに悲しい……。
「すいません。注文いいですか?」
雄太の暗い思考を、女性客の鈴のような声が遮った。
「はい! すぐに行きますので少々お待ち下さい!」
雄太は作っていたパスタにソースを絡めて仕上げ、お皿に盛りつけたそれを持ってホールに向かった。
まずはパスタをテーブルに届け、その足で注文を取りに行く。
「お待たせ致しました。ご注文お伺い致します」
雄太が言うと、テーブルの女性は朗らかに笑ってメニューを開いた。
「この桜のシフォンケーキと、セットのドリンクでホットティーをストレートでお願いします」
「桜のシフォンケーキと、セットドリンクでホットティーストレートですね。かしこまりました」
雄太は慣れた様子で注文を復唱し、キッチンに戻る。
シフォンケーキは作り置きのものがあるので正直ありがたい。
キッチンに戻って茶葉を取り出したところで、レジのチャイムが鳴った。
足早に向かって会計を済ます。
改めて店内を見ると、お客さんはシフォンケーキの女性だけだった。
久々にゆったりとした午後だ。
いつもより少し丁寧に紅茶を淹れて、桜のシフォンと共にテーブルに運ぶ。
ホールに出ると、ランチタイムの喧騒を忘れそうなほどに、BGMのクラシックがはっきりと聞こえた。
「お待たせ致しました。桜のシフォンケーキとホットティーでございます」
「ありがとうございます」
テーブルに置かれたケーキを見て、女性はふっと頬を緩ませた。
「私、学生時代はよくここに来てたんです。……といっても何年も前ですけど」
突然話しかけられて、雄太は戸惑いながらも相槌を打つ。
「就職で東京に行ってたんですけど、失敗しちゃって。……仕事辞めて帰ってきたら久しぶりにこのお店の看板が見えたのでお邪魔しちゃいました」
その話を聞いて、雄太はまだ自分も学生だった頃に同年代の常連さんがいたのを思い出した。
いつもランチタイムを少し過ぎた時間にやってきて、紅茶とスイーツを頼むのだ。
何年も見ていなかったのですっかり忘れていた。
「お客様のお仕事のことは残念ですが、こうしてまた足を運んで頂けて嬉しいです」
すごく失礼な事を言った気がしたが、それは雄太の心からの言葉だった。
恋なんて呼べるほど綺麗じゃくて、そもそもお互いのことは何も知らない。
けれど疲れた人の寄る辺になれていることが少しだけ嬉しくて、誇らしくて。
「また来てもいいですか?」
「いつでもお待ちしております」
3か月分の家賃が貯まるまで、それまではここで精一杯やってみよう。
小さなレストランのある午後のお話 宵埜白猫 @shironeko98
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