日記:日立有紗 作:日立無紗
たまに、嫌になるときがある。なんて書きだしで、いいのかな。わからない。ただの殴り書きだけれど、書いていいことと悪いことがあると思う。グリグリ筆圧濃く書いたって、さめざめ泣きながら書いたって、どんなに品良く書いたって、守らなきゃいけないことはきっとある。けれど、やっぱり言わせてください。
朝は、どうしても憂鬱。早起きしても、昼間に起きても。始まっちゃうから。しだいに奇異な夢から覚めて、海中から空に向かって顔を出そうとするときみたいに、だんだんとはっきりするあの感じが、どうしてもさびしくって、いやに避けたくなっちゃう。本当にそうできたらいいのだけれど。夢の中のほうがずっと楽しい。知らない町にいたり、空を飛んでいたり。この前は、家出して、どこか遠くにいた。現実だったら、なあ。
朝ごはんのときは、ちょっと好き。お茶漬けが好きだから? そうかもしれない。きっと、特別こうだから、はない。たぶん。食卓をはさんで反対では、お父さんがパンをわしわし食べている。よく神妙な面持ちで新聞を読む。テレビを見る。きっと、難しいことをコンコンと考えているのだろう。頭の中が、わかればいいのに。きっと、面白いことになっている。どんな感情が詰まっているにしろ、見てみたい。
学校へ向かうとき、歩いて行くのだけれど、これはとても好き。冬なんかはとくにそう。朝の柔らかな日差しが体をほんのり暖め、澄んだ空気がパリッと目を開かせてくれる。手先に当たる僅かな風は、生きていることを思わせる。早朝、誰もいない。猫もいない。ずっと一人で、十五分。楽しくもつまらなくもない。無意識な雰囲気の中に、生きている。足が勝手に動く。この姿を、どうしてか、誰かに見てほしく思う。きっと変なんだ。前からずっと考えている。こんなこと、誰にも言えない。そう思っていることを。だから同じように、朝の不思議さえも、打ち明けない。ずっと秘密。そんなことを、いつも思い浮かべて、そのころ、校門に着く。朝礼の十分前。不思議だ、みんな同じくらいの時間に、同じ場所に集まって、同じように授業を受けている。バラバラな気持ちで、バラバラな行動なのに、最後はある一点に辿り着いちゃう。たまにそんなこと思って、ゾクッとする。毎日のように会うみっちゃんも、赤の他人なのに、とか感じる。みっちゃんは、みちるちゃんだ。朝、話したり、休み時間、話したり、お昼ごはんのときに話したり……話してばっかり! でも、その話している時間が、幸福だ。その思いを、いつまでも大切にしたい……。みっちゃんはどの大学に行くのだろう。はっきり、話したことはない。話したくないのかもしれない。私はそう。それだけで、ずっと遠くに行ってしまうような気がする。真逆の方向に進学して、同窓会で再開、なんていう悲しい結末が、なんとなく想像できてしまう。哀しい? 切ない? いや、そんな他人行儀な言葉じゃなくて。さみしい。そうださみしいんだ。もっと心に冷たく吹きこむ、生きた言葉。それがあるから、避けたいから、わざと、その話には触れないんだ。馬鹿馬鹿しいのかもしれない。避ければ避けるほどに、意識して、だんだん、苦しくなって、生殺しで、指先がワナワナとして、いやだ、いやだ。
そんな気持ちのせいで、学校で好きなことはみっちゃんと話すことぐらいだったのに、それもなんだかなあ、と思うようになった。いよいよ、何のために、なんて考える。
現代文の時間、先生の言葉が、いやに耳に障る。コンセンサス、アイデンティティー、エントロピー……横文字を使うなとは言わないけれど、興ざめな気分になる。せっかく授業が分かりやすくても、その端々が気に食わないから、好きになれない。でも、私も使わないわけじゃないから、なんとも言えない。タイミングとか、よく使う。でもあれ、日本語で言うほうが変。調べたら、時機とか、そんな言葉で表すらしい。それでも漢語が元だけれど。純粋な大和言葉は、すべてを表すには不十分だ。先生の使う言葉には、やや難解な日本語もある。韜晦、奇をてらう、泰然自若……別に悪いわけじゃない。でも、なあ。いや、もしかしたら、私がおかしいのかもしれない。そんなこと、いちいち気にしないのかもしれない、みんなは。
数学は、ふつう。最近ベクトルがわからなくて困っているくらい。結構重大、かも。でもこれって、何なんだろう。大学入試で役立つばっかりで、私はその後、きっと使わない。私文系だし。数学のできない文系。生物も、そう。そうそう、文系といえば、関係ないかもだけど、私、一度だけ賞を取ったことがある。どうしてだろう、ただ一日の行動を書いて、それに恥ずかしながら脚色して、なんだか深夜気のまま書くポエムみたいにのぼせて、それだけなのに。そのときそのまましまいこんで、それが勝手にお母さんに見つかって応募されて、受賞。お母さん、そういうところがある。モノは試しにってなんでもやる。それがだいたいいい方向に進んじゃうんだから、不思議。そんな母がいるからこうなった。小さな文芸雑誌の賞の一番上になった。見開きからどおんと載せられていて、編集部長っていう人が大絶賛していたらしい。恥ずかしくて読まなかった。自分のところも読み返さなかった。書いたフレーズは再生されちゃうけど、それも頭振ってヒイヒイ叫んで。いちばん変な私、出てた。周りのみんなは、学校のみんなは、誰も何も言わない。そりゃあ当然かって思いながら、拍子抜けした気分。褒められたり、囃したてられたりすること、期待していたのかも。お母さんが、今度の三者面談で自慢するんだって言っている。そのくらいなら、いいかなあ。
体育、体育と書いてたいく。得意でもなく不得意でもなく、好きでもなく嫌いでもなく。不思議に思うことが何個かある。一つ目。何でみんな、本気出してないんだろう。常にどこかふなあんとして、集まってキャイキャイはしゃいで、笑ってる。先生もにやけてみているんだから、なんだかなあ、と思う。あともう一つ。男勝りな子がいて、それは大抵野球部とかに入ってる子だけど、そういう子はみんな、男子のいるところでも平気で着替える、というか、お構いなし、というか……。とにかくそんなで、不思議だなあと思っている。別に悪いわけじゃなくて、私も深いところではいいと思ってる、けど、なんだかなあ、ううん。
後なにか、理科系は全部好きじゃないし、社会は、またこれも、どうだろう。微妙。わあなんだ、とりわけて好きなんていうのが、ひとつもない。学校に来れているのが、ちょっと不思議になる。みっちゃんと話すことを避けてから、何事なく生きてきたけれど。誰かが恋愛的に好きというわけでもないし……恋ってなんだ? 恋? どこまで仲良くすればいいのか、好意的なものは、感情の問題は……よく、「好きにきまりはないんだよっ」なんていう子がいるけれど、そんなの嘘だ。誰にしたって何か決めているはず。これだけは、ここまでは、っていうのが。私? 私は、どうだろう。いままで、人を好きになったことがない。こんなこと言ったら、キャラづくりって言われるのだろうけれど、本当に。男の子がどうも好きになれない。みんな体ばっかり大きくなって、心は大したことない。似たような嫌っぽいことばかり話して、大雑把で、よく失礼で……。いいこともある。体育の時間、本気の、生きたまなざしで試合に臨んでいる。それは心を射ぬく。中ったところの傷口は、男とスポーツとが混ざったとき、ひっそりとうずいて、あの時感じた不思議な予感を本物にする。私はきっと、このまなざしばかりに恋するんだ。他の誰でもないし、ただ一人の誰かでもある、それ。
弟がいる。五歳下で、弟のような、なんでだろう、友だちのような、でもやっぱり弟。他人行儀な言い方、でも名前は、言わない。恥ずかしい。どうしたらいいのか、一画目に臨んで、引き返して消す。本人は嫌いじゃないけれど、書く時心がグワグワと不安な揺らぎをして、とまどう。両親のでも同じだった。名前をこの場で書けるのは、みっちゃんくらいだ……特別だから? というよりは、気の置けない、いや気の置ける……とにかくそういう仲だから、なのかなあ。でも、なんだか申し訳ない。後で消さなきゃ。書いてすぐの今は、名前を消すと、なんだか本人まで消えてしまうんはないかと不安になる。変だ。戻す。弟はまだ小六。ちっちゃい。私はお父さん譲り、弟はお母さん譲り。魚料理が大好きで、青臭い野菜が苦手。おこちゃまだ。かくいう私もそうだけれど。箸の持ち方が綺麗で、うなじがなまめかしい。くしゃみはしだいにお父さん寄りになる。さびしい。
夜は一人でお風呂に入る。夏でも冬でも、お風呂は好きだ。新しくなれる気がする。真っ白な自分に戻って、もう一度清く正しい人間でいられる気がする。たくさん泡をつけて腕に伸ばしていると、汚れが全部消えて、自分本来の何かがあらわになる。眠って、目を覚ましたときと同じだ。夜に体の底にたまった疲れが朝になると消えてなくなっている。嬉しくなる。朝は嫌いだけど。また始まるから。だから眠って目覚めるのと、朝と、別々になればいい。目覚めても何もなくて、ただぼんやり明るいところを歩いて回って、引き返してお風呂に入って、新しくなって、また眠る。その繰り返し。それが幸せかもしれない、けど、いや、ちょっと怖いかもしれない。嫌なことがあるから、そういうことが楽しいと思えるんだし、新しくなった自分が好きになるんだし、朝は嫌でも、目ざめるときはやっぱり明るくないと嫌だ。真っ暗闇で目が覚めたら、怖いんだろう。
今日は、これでおしまい。もっと書きたい気もする。でも、もう思いつかない気もする。今のところは。次書くときにまた、読み返して、恥ずかしくなるんだろう。でも書きたかったから、しかたない。寒い、さむい。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます