恋した彼女にサヨナラを 作:皐月メイ


「私、好きな人がいるから……」

 その一言は毒となり、私の心を蝕んだ。いつもと変わらない日常。爽やかな風に乗って届くセミたちの狂騒。クラスメイトの作り出す喧騒。仲良しグループで過ごす放課後。そんな何気ない日常が、私の前から姿を消した。

「え、嘘~!千陽にもついに春が!」

「全然気づかなかったよ!千陽っていっつも顔に出るからすぐにわかると思ってたのに」

「ねぇ~、意外だよねぇ」

 騒ぎ立てる二人の友達。どくどくと早鐘を打つ心臓。やけに遠い思い人の声。世界とはこんなにもうるさいものだっただろうか。思考が上手くまとまらない。誰か音を消して。


「椛、どうかした?」

 彼女の声がうるさい空気を切り裂いた。世界が静まりかえる。焦点のあった私の眼に映ったのは心配そうな彼女の顔だけだった。丸々と潤んだその瞳はいつだって私を惑わせる。彼女はいつだって私に笑いかけてくれる。その笑顔がどれだけ私を溶かしてきたことか。

「……別に」

 絞り出せたのはそんな一言だけだった。「見とれてた」なんて言えない。あなたが愛しいなんて、絶対に言えない。言える筈もない。友達以上というこの関係をもどかしく思うが、それ以上に今の関係を壊したくないという気持ちが強い。結局、私は実に臆病だった。

「ほんと?無理しちゃだめだからね?」

 彼女の優しさが今だけは痛い。耳朶を揺らした毒がゆっくりと心臓へと流れてゆく。苦しみの中で理解する。やっぱり、私は千陽が好きなんだ。



 彼女との付き合いはそんなに長いわけではない。中学二年の時に初めて同じクラスになった。一年の頃の友達とは軒並みクラスが分かれてしまった私にとって当時の彼女はボッチ回避のために喋る程度のただの隣の席の女子であった。一日に数度、ちょっと喋って暇をつぶすだけの関係。そうやって少しずつ仲良くなっていった。


 この関係が大きく変わったのは三年の晩春、修学旅行でのことだった。三泊四日の京都旅行。ありきたりな日程。少しは仲良くなっていた彼女との旅行。少女漫画にはまっていた私はそんな平凡をつまらないと感じていた。

 二日目の夜、千陽がこっそり部屋を抜け出そうと言い出した。先生の言うことに常に従う真面目な彼女らしからぬ発言に驚かされるとともに、非日常を感じ取った私はついて行くことを即決した。展望台のようになっているガラス張りの部屋に着く。常夜灯のみが灯る薄暗い空間。石行灯と提灯の照らす夜の京都。見上げると星々が薄く広がっていた。日常では絶対に見ることのできない美しい光景。この美しさを誰かと共有したい。そんな思いから隣を見る。遠くを見るようで何も見ていない、焦点の合っていない目の彼女は、泣いていた。


 その後のことはよく覚えていない。泣いている彼女に見惚れていた私は巡回の先生にあえなく捕まったものの、教師としても彼女の涙のほうに目がいったらしい、特にお咎めはなかった。

 それ以来、私は彼女を目で追っていた。私の中であの美しい泣き顔をもう一度見たいという昏い欲望と彼女の心からの笑顔が見たいという恋心の芽生えとが激しくせめぎ合っていた。そうやって彼女を見つめるうちに、彼女の良い一面ばかりが私の記憶を占領していった。

 落ちているゴミをさりげなく拾う優しさ、間違っていることにはそれとなく、しかしはっきりと正しくないと言える正義感、誰もやりたがらない仕事を率先してこなす行動力。そして何より、それらすべてを他人に悟られることなくこなしているのだ。その女ながらに格好良い生き様に私は心底惚れ込んだ。

 気が付けば私は彼女の笑顔のためだけに動いていた。彼女はよく笑う。しかしその笑顔はどこか作り物めいている。きっと私にしかわからない差。彼女の“本当の涙”に触れた私だけが知っている違和感。優越感がこっそり顔を出す。


 私が、千陽を、笑わせる。そんな決意が、彼女の一言で溶けだした。



 次の事件は夏休み中に起こった。私と千陽と二人の友達、いつもの四人でプールへと行きその流れで私だけ千陽の家にお泊りすることとなった。一緒にお風呂に入れないか、一緒のお布団で寝れたら、といった独りよがりな欲望に負けそうになっていた私に目に入ったのは男物のシャツだった。彼女らしい少しファンシーな部屋の可愛らしいベッドの上に鎮座する折り畳まれたそれはあまりに異質で、ひどく目立っていた。

 冷や水を浴びせられた気分とはまさにこのような気分なのではなかろうか。背筋を嫌な汗が伝った。

『私、好きな人がいるから……』

 彼女の言葉が頭の中で反響する。心の底に押し留め、頭のどこかへと追いやっていた感情が溶けて漏れ出そうとする。私は無理やり蓋を閉めることで精いっぱいだった。少し気恥しそうに、しかし当たり前のごとくそれを自分の箪笥にしまう彼女に対して、その所有者を問うことはできなかった。


 夏休み明け、あまり日を置かずに行われた体育祭は一生の思い出となった。クラスメイトの推薦を断り切れなかった彼女は借り物競争に出ることとなったのだが、彼女のお題が「好きな人」だった。顔を赤くした彼女は迷うことなく観客席の私の方へと駆け寄ってきた。

 “友達として”「好きな人」ということで審査は受理されたのだが、彼女にとっての一番は私なのだとそう言われた気がして無性に恥ずかしくなるとともに、顔を真っ赤にしてはにかむ彼女を持ち帰りたいという気分が湧いてくるのだった。


 そして、それはまた唐突だった。中庭の紅葉も色めく十月のあたま、お昼ご飯を食べている時のこと。

「私決めた、年内にあの人から何もなかったら、私から告白する」

 一緒にいる二人が食い付く。華の女子高生として告白という言葉に弱いようだ。一方の私は完全に固まっていた。お弁当箱に箸を突っ込んだまま、焦点の合っていない目でどこかを見ていたように思う。

 自分という存在が酷く不安定に感じられる。清らかな水の中に、ぐずぐずに溶けた自分が混じったような、そんな感覚。五月蠅い筈なのに周りの音は聞こえない。靄がかかったような視界には朧気な輪郭のみが映るばかり。思考が纏まらないどころか同じ場所で永遠と廻っている。


「椛、椛!も~み~じ~!大丈夫?」

 ふと、現実に引き戻された。抜けきらない浮遊感のせいで手から箸が零れ落ちた。文字通り眼前に千陽の顔があった。少し前に行けば唇が触れてしまいそうな距離。とても心配そうに潤んだ彼女の瞳の中の私は酷くやつれており、迷子の子供のような、今にも泣きだしそうな、我ながら酷い顔をしていた。そんな顔の人を、優しい千陽が放っておけるはずもない。

 この優しさが自分にだけ向けられる“特別”でないことがあっさりと納得できる。だからだろうか、結論はすぐに出た。私から彼女に告白すればいい。残された3ヶ月弱で彼女を私の虜にする。そして年末に告白する。大きな目標によって私の中の“わたし”は急速に形を成していった。


 手始めに私は顔をほんの十センチほど前へとずらし、薄桃色に色づいた彼女の唇を奪った。一秒にも満たない軽い口づけ。事故に見せかけたそれは、私からの戦線布告。待っててね、千陽。私のことしか見れなくしてあげるから。



 それから二ヶ月、思いつくことは全てやった。登下校は勿論、教室移動やトイレに至るまでとにかくずっと行動を共にした。ほぼ毎週末どちらかの家でお泊りもした。そうやって千陽のことを知れば知るほど、私は彼女を好きになっていった。

 家ではちょっと甘えん坊なところ。意外と臆病で虫と暗い場所が嫌いなところ。子供舌で苦いものが食べられないところ。私と比べて背が低いことを気にしてるところ。目が合うといつでも笑いかけてくれるところ。そんな彼女を形作る全てのことが愛おしく感じられる。

 そんな彼女にふとした変化が見られた。最近、彼女はよくこける。優しく支えてあげると顔を合わせたときに真っ赤になるのだ。耳まで林檎の様に熟れさせながらも、はにかんで「ありがとう」と言ってくる。その蠱惑的な笑顔を前に何度間違えそうになったことか。

 怪我でもしたら大変だからもう少し気を付けてほしいものだ。そう伝えたら上目遣いで「でも、椛が助けてくれるでしょ?」と言われてしまった。確かに一生傍で支えてあげるつもりだが、そんなことを言われてしまったらまた勘違いしそうになる。そんな感情をおくびにも出さず「まかせて」とだけ返した。できるだけかっこよく笑ったつもりだが、はたしてちゃんと笑えていただろうか。あまり自信はない。


 そしてついにクリスマスを迎えた。イブをいつもの四人で過ごした後、千陽と二人でお泊りしてクリスマス当日をまったりと過ごす予定を何とか取り付けた。私の予定は自分でも驚くほどにつつがなく進んだ。

 驚くべきことに途中幾度か二人の親友に助けられた場面があった。それらは私の恋心を知ったうえでの行動のようにも見えた。確かに近頃の私は千陽への思いを隠す気もなかったのでバレていても何ら可笑しくはない。

 しかし、それにしてもだ。気が付けば千陽と二人きりになっていたり、後ろから押されて売り物のソファーに千陽を押し倒す形になったり。嬉しい誤算と言えばそうなのだが、それにしても少し露骨過ぎないだろうか。自分から積極的になるぶんには心の準備ができていたが、他人から後押しされてというのはまた少し話が違う。バスの中で抱き着くことになった時は身長差もあいまって切なげに潤んだ上目づかいを間近で受け止めることとなった。

 私の思い人はどうしてこんなにも可愛いのだろうか。最早犯罪とさえ思える。こんなに可愛く抱き着いてくる彼女が悪いのではないだろうか、何度もそんな邪な思考に負けてしまいそうになった。それでも私があと一歩を踏み出せないのはやはり、彼女に嫌われるというリスクに対する自己保身に過ぎなかった。


 あれやこれやといううちにイブの日は過ぎ去っていった。親友たちの思わぬアシストのせいで多少ドタバタはしたが、それも含めて楽しい一日だった。私の勘違いでなければ、今日の千春は素の笑顔をさらしていた。ほんの一年前までは誰にも見せていなかった千陽の取り繕わない表情。それをここまで引き出せたことは誇らしいが、こんなに表情豊かでこんなに可愛い千陽を独り占めしたいという淡い独占欲も心に潜んでいたため少しモヤモヤとしていた。

 イブの夜は初めて同じ布団で寝ることができた。興奮やら緊張やらで寝付けずにいた私にお構いなく、千陽は私の胸元に顔をうずめてきた。彼女の息づかいを直接肌に感じる。起こしてはいけないのでそっと、控えめに彼女を抱きすくめる。一瞬びくっとした彼女への愛しさから力を籠めそうになった。眠気なんて吹っ飛んだと思っていたのだが、彼女のほど良い体温と落ち着く香りに包まれたことでいつしか私は夢の中へと誘われていた。


 翌日のクリスマス本番、2人で持ち寄ったプレゼントを交換した。私からはピンキーリングを用いたネックレス。一目見たときに千陽に似合うと思い衝動買いしてしまったのが今年の七月のこと。渡す口実を見つけきれずにいたものだ。こうやって無事に彼女のもとに渡り、私が思った以上に喜んでくれたのだから結果的に良しだ。彼女からはマフラーと手袋を渡された。なんとどちらも手編みだった。嬉しすぎて部屋の中でずっと着けていたのだが、見ているこっちが熱いということで取り上げられてしまった。

 午前中はそうやってのんびりと過ごし、午後からは借りてきた恋愛映画を二人で見た。いつも思うのだが、海外の恋愛映画はなぜこんなにもラブシーンが過激なのだろうか。私は千陽にしか興味がないため冷静にそんなことを考えていたが、横では口許に手を添えて、しかし興味津々に画面を見つめていた。真っ赤になった顔がさらに赤くなる。漫画やアニメならば頭の上から湯気が出ているレベルだ。不意に彼女がこちらを見た。「ちょっと過激だね」はにかみながらそう言った初心で可愛らしい彼女の姿が脳にこびりついてそれ以降の内容をよく覚えていない。

 この日は千陽のご両親と一緒に晩御飯まで御馳走になってから家に帰った。帰り際に玄関でマフラーを巻いてもらった。少し背伸びして巻いてくれる彼女に見惚れてしまい、少しだけ呆然としてしまった。本当はこの二日のどちらかで告白するつもりだったが、どうにもチャンスに恵まれなかった。



 最後のチャンスとなる大晦日。今彼女は私の家にいる。今日は彼女が私の家に泊まることとなっている。昼過ぎに来た彼女はどこかソワソワと浮かれていた。聞いてもはぐらかされてしまったが明らかに何かがある。小さな不安が拭えなかった。

 それはお風呂上り、私の部屋で年明けを待っている時だった。彼女の口から突然コイバナというワードが発せられた。これか。そう思った時にはもう遅かった。そんなに潤んだ目と上気しきった頬を見てしまっては、彼女の話を遮ることなんてできない。控えめに彼女は語りだした。


「あの人と初めて会ったのは中学の入学式の日だった。それこそいつもの椛みたいにね、こけそうになった私のことを助けてくれたの。ありがとうって言おうと思って顔を見たらね、初恋だった親戚のお兄さんにとっても似てたんだ。結局何年生かも聞けなかったんだけどね、すぐに同学年の人だってわかったんだ」

 いつものはにかみとも又違う優しい笑顔に心奪われそうになるが、その笑顔が私に向けられたものじゃないという事実が酷く私を蝕む。

「それからはね、体育とか課外活動とかのたびにその人のことを目で追ってたんだ。最初はただ顔が好みってだけだったんだけどね、その人って皆に優しいんだよ。怪我してる人がいたら絆創膏をあげたり、先生が困ってたら率先して助けたり。私もその人みたいに優しくなりたくてずっと頑張ってるんだ」

 私を虜にして離さない彼女の優しさは彼女の思い人の影響だった。その事実がじわじわと私を侵食する。何時しかの様にまた、私が溶けだしてゆく。

「二年生に上がったらね、なんとその人と同じクラスになれたんだ。しかも私に話しかけてくれたんだ。もうね、嬉しくてその日は寝れなかったよ。それからね、その人とはよく話すようになって、一緒にいれる時間も増えたんだ」

 いつの間にそんな人がいたのか。この四年間で全く気が付かなかった。

もう私は自分とそれ以外の境界線さえ上手く分けきれない。それからも彼女はぽつぽつと、恥ずかしそうに自身の恋物語を紡いでいった。そのさなかに漏れ出す彼女の笑顔は、悔しいが今まで見続けてきた中で一番かわいかった。

 ほぼ放心状態で相槌だけは何とかこなしていると、彼女の物語もいよいよ大詰めとなっていった。

「もうね、これ以上この気持ちを抑えられそうにないんだ。だからさ、年が変わったらすぐに、こ、告白、しようと思ってます」


 時計を見るともう日付が変わる直前だった。「ベランダ借りるね」そう言った彼女の凛々しい横顔を見ながら思う。私の初恋もここまでか。結局思いすら伝えられなかった。フラれちゃえばいいのに、そんな独りよがりで醜い感情が心を支配していく。だって、成功したと笑う彼女を素直に祝福できる気がしないんだから。

 自分の心の整理がつかない。それでも、千陽に、そしてこんな感情を抱いた私に、サヨナラを言わねばならない。



 プルルルル、突如スマホが鳴った。日付が変わってから五分ほどしたころのことだった。はたしてそこには『千陽』の名前が表示されていた。少し早すぎる気がするが、はたして彼女の恋路はうまくいったのだろうか。私の分まで彼女には幸せになってもらいたい。そんなことを言えれば良いのだが。暗い願望ばかりが心を支配する。

『もしもし、椛?明けましておめでとう。大事な話があるんだけどいいかな?』

 彼女の声は少し震えていた。私の心臓が急激に鳴り始める。もしかして、そんな淡い期待が心を固めていく。

「明けましておめでと。話って何?」

 白々しい。自分でもそう思う。口角が上がっているのが自分でもわかる。

『椛にね、どうしても伝えなきゃいけない、というよりもね、伝えたいことがあるの』

『私ね、椛が好き。友達としてじゃなくて恋人に対しての好き。急にこんなこと言われても迷惑かもしれない。でもね、もう自分にウソつけないよ』

 切なげな彼女の声。思わずベランダへの扉を開けて千陽に抱き着いた。ふぇ⁉という可愛い声を上げた彼女の顔を間近から覗き込む。今までで一番赤く染まっているのは寒空の下にいたためだけか。未だわちゃわちゃと可愛らしく慌てている彼女を横抱きに抱え上げ、家の中に運び込んだ。

 とりあえずベッドに下ろしてみたが焦点の合ってない目で「椛、近い、しゅき」と呟いている。これはしばらく戻ってきそうにない。手持無沙汰なので千陽の頭を撫でてみる。いつも通りサラサラな髪は、冬の寒空の下に長居したためにひんやり冷たくなっていた。温めてあげるために優しく抱きしめる。少しすると腕の中で反応があった。もぞもぞしだしたかと思うと、千陽が遠慮なく引っ付いてきた。駄々をこねる子供の様に私に抱き着く様は引っ付くという表現が一番似合う。そのまま二、三回深呼吸をしたかと思うと今度は顔をスリスリと密着してきた。何だか猫みたいだ。

 そろそろ意識が戻ってきているのではないだろうか?そう思い少し声をかけてみる。

「あぁっと、千陽さん?大丈夫?」

 私の声を聞いた彼女は腕の中で盛大にビクッとなった。恐る恐るといった様相で顔を上げた彼女と目が合う。一瞬で逸らされた後、ものすごいスピードで泳ぎ始めた。これだけ密着して可愛い千陽を見せられ続けた結果、私の我慢も限界に達した。告白されたということは両思いだ。じゃあ、少しくらいなら良いはず。頭の片隅でそんな免罪符を作ってから彼女に優しく口づけをおとす。数秒間触れ合うだけの軽いキス。それだけの行為で私は今までにない心地よさと幸福を感じていた。

 そのまま先に進みたかったが、私はまだ千陽の告白に答えていないことを思い出し何とか思いとどまった。彼女の肩に手を添えて二人の距離を少しだけ離す。その顔はとても悲しそうで捨てられた子犬のようだというのはこういう顔だろうと思えるようなものだった。思わずもう一度抱き着きたい欲求に駆られたが何とか抑える。

「私もね、千陽にずっと黙ってたことがあるんだ。私ね、芯は強くて、でも甘えたで、みんなに優しくて、何をやっても可愛い、そんな千春の全部が大好き。これが愛情なのか振り切れた友情なのかは恋愛経験のない私には区別できないけど、少なくとも千陽を誰かほかの人に渡したくない。これからもずっと、私の傍にいて欲しいな」


 言った。言ってしまった。これはただの醜い願望の押し付け。それでも受け入れてほしい。私のことを愛してほしい。心の中では欲望ばかりが渦巻く。先程までドロドロに溶かされ切っていた私は未だ形を成さない。残されたのはむき出しの本性と醜い欲望ばかり。千陽に嫌われたら生きていける気がしないが、されど取り繕うだけの余裕なんてどこにもない。

 嫌われたくないのに嫌われそうなことしか口から出てこない。そんな矛盾が苦しくて、泣きそうになる。涙を堪えるために目を瞑り下を向いていると、ふと千陽の香りに包まれた。

「うん。もう離さない。一生傍にいるから。嫌だって言われても離れてあげないから」

 安心したためか、私は久々に泣いた。ここまで泣いたのは小学校以来かもしれない。いつの間にか私は夢の世界へと旅立っていた。


 翌朝、千陽の胸の中で目を覚ました。「あ、起きた?」頭上から声がする。起き上がると千陽も体を起こした。「おはよう」そう言って微笑んだ彼女は疑う余地もないほど自然に私の唇を奪った。その非日常に少し呆けてしまった。

「えへへ、椛ってば赤くなっちゃって可愛い。でも、もう私我慢しないからね」

 初めての彼女からの口づけ。私のことを求めている。そんな事実が狂ってしまいそうになるほどに嬉しい。何度も私は溶かされて、固まりなおしてを繰り返してきた。そんな中で私はどこかおかしくなってしまったのかもしれない。でも、それでいいさとも思える。彼女さえいてくれればいい。一般的な価値観から見れば異常なのは自分でも理解している。それでもやはり、私のすべては彼女だ。千陽を優しく抱擁する。

「じゃあ、私も我慢しないね」

 そう宣言した後にキスをする。世界は決して私たち二人だけでは回らない。それでも今日だけは、今だけは二人きりの世界を楽しもう。そしていつか、二人だけの世界に辿り着ける日を待とう。

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