Ⅰ-4

 エリコはしばらく寝ているんだろう。僕は透明のビニール傘を持って家を出た。特に何か目的があったわけじゃないけれど、部屋の中で音楽にどっぷり浸る気分でもなくなってしまった。

 ただブラブラと歩いている。何をするわけでもなく、誰に会うわけでもない。それでも何人かの人とあいさつを交わした。目的がないといっても、実は自分なりのコースというものが出来上がっている。

 いつものように僕は、公園を抜けて神社のほうに向かう。そしてしばらく川沿いを歩く。それから橋を渡って少しにぎやかなところに出る。

 雨が降っているといっても休日、人もそこそこ出ているのだろう。今日は公園のベンチにすわって、ぼんやりと空を見上げることはできなかった。立ち止まって雨粒のはじけたビニール傘ごしに空を見てみた。多分こんな感じ。僕はいつもより歩くスピードを速めた。そんなに急ぐこともないのに。川はいつもより水嵩を増しているようだった。昨夜の雷雨のせいだろうか。僕はいつもより流れの速い川を渡りながら、橋の下を通るあまり客の乗っていない観光船を見ている。そして大阪城公園から乗った観光船のことを思い出していた。あの日は暑い日でめずらしく船の中でビールを飲んだ。橋を渡ると僕は人通りの多い大通りを避けて、一本裏の通りを歩いていた。

 牛丼屋の店先に「うな丼」の旗が何本も立っている。しばらく歩いて喫茶店に入った。いつもの喫茶店。ブランデンブルク協奏曲が流れている。空いていた窓際の席に座ってコーヒーを注文した。タバコを何本かふかして、コーヒーを飲み終えようとしたとき、エリコから電話が入った。

「もう起きたの」

「トイレに起きたらいないんだもん。どこにいるの」

「いつもの喫茶店」

「ねえ、お昼はどうするの」

「そうだなあ、その辺ブラブラしながら、どこか見つけようかな」

「そうじゃなくて、あたしの」

「冷蔵庫に何かあるんじゃない」

「それが何もないのよ。ねえ、あたしもそっちに行くから、待ってて」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る