第41話 オリオン座

「ありがとうございました」


 最後の客が店を出る頃、もうすっかり夜は更けていた。

 洗い物をしながら、マスターの濱田はまだ瑠羽太るうたに声をかけた。


瑠羽太るうたお疲れさん。今日はもうあがっていいよ、また明日宜しく頼むよ」


 瑠羽太は、私服に着替えマスターに挨拶をすると外へ出た。

 空を見上げると、眩しいくらいの月明かりが瑠羽太を照らした。

 大きく伸びをして息をついた時だった……


「るぅちゃん……」


 道の向こうで九条菜々花くじょうななかが、小さく手を振っていた。


「あれ?どうした菜々花?制服着たままで……帰ってなかったのか?」


 少し驚いた瑠羽太は、道を渡り菜々花に近づいた。


「うん……何か用事があった訳ではないのだけど……」


 少し元気がなく俯いている菜々花……


「よし!見晴らし台でも行くか!ちょっと待ってな、今自転車取ってくる」


 二人は、喫茶店をもう少し上がった所にある見晴らし台へと向かった。

 見晴らし台は、駐車場と自動販売機、トイレがあるだけの何処どこにでもあるドライバーの休憩所だ。

 しかし、瑠羽太にとっては特別な場所なのだ。


「ほら菜々花見てみ、今日は月がデカく見えるなぁ。それに比べて……この街は小せぇ。でもさ、オレはこの街好きなんだよな。街の人は皆温かいし、良くも悪くも平和だしな。だからオレは……この街の平和を壊すDr.ペストを絶対許さねえ……あ、悪い、なんかペラペラ喋って……」


 瑠羽太は、恥ずかしそうに頭を搔いた。


「ううん、るぅちゃんとこうして二人で話すの久しぶりだし嬉しいよ……なんか色々あり過ぎて頭の中がグチャグチャになっちゃってさ……桃ちゃんがいないのも受け入れられなくて……」


 菜々花は、俯いたまま小さな声で話した。


 瑠羽太は、息を飲み込むと菜々花の小さな手を握りしめた。


「オレも同じだよ……てか、皆そうだろうなぁ。でもよ、下ばかり向いてると桃子が怒るからよ」


 瑠羽太は、少し寂しそうな笑顔を見せた。


「……そうだよね、怒られちゃうよね。ボクもアイツを絶対に許せない……もうこれ以上、誰にも死んで欲しくないよ。でもさ……でも……やっぱり……怖いなぁ……」


 菜々花は、我慢していた涙を堪えきれなくなった。


 瑠羽太は、小刻みに震える菜々花の肩をギュッと抱きしめた。


「オレさ……この見晴らし台、何にもないけど特別な場所なんだよな。たまにマスターと、ここで美味い空気吸って休憩するんだけどさ、ある時にこう言われたんだ……」






「マスター、やっぱここは空気だけ美味いッスね。他に何も無いけど……」


「瑠羽太、それが良いんだ。今どき何も無い場所なんて逆に貴重だぞ」


「そんなもんスかねぇ……」


 瑠羽太は、柵に腰をおろした。


 マスターは、ペットボトルの水をひと口飲むと話を切り出した。


「実は俺さ、あと3年経ったらヨーロッパに移住しようと思ってるんだよ、独り身だしな。でもな、俺もこの街が好きだし、この喫茶店も自慢なんだ」


 瑠羽太は、驚いて柵から落ちかけた。


「マスター!そんな……辞めるなんて言わないで下さいよ!」


 マスターは、慌てふためく瑠羽太を見てクスリと笑った。


「誰も辞めるとは言ってないぞ。瑠羽太、お前にこの喫茶店を任せたいと思ってる。お前は一生懸命に働くし、お客さんにも気に入られている。それに……お前が密かに珈琲の勉強をしてるのもわかってる。どうだ?やってみないか?俺も日本に帰る場所がないと寂しいしな」


 濱田は、優しく微笑んだ。


 瑠羽太は、石化したかのように動けなくなった。ただ、大きく見開いた目は、驚きと寂しさ……そして幸甚こうじんの涙が溢れていた。


「で?どうなんだい?受けてくれるかい?」


 瑠羽太は、てのひらで涙を拭き取ると……


「こんなオレで良ければ、お願いします!」

 と、深々頭を下げた。


 マスターは、笑顔で瑠羽太の肩を叩いた。






「すごいね、るぅちゃん!マスターになるの?!」


 菜々花は驚いて顔を上げた。


「まあ、3年後だけどな……それでさ、皆がこんな時に申し訳ないし、菜々花の事を不安にさせてしまうと思うんだけど、東京にあるマスターの師匠のところへ、2日間行くことになったんだ……」


 瑠羽太は、菜々花から視線を外し申し訳なさげに俯いた。


「そうなんだ……でも、それはこの事件とは全く別の話だし、行っておいでよ。皆も分かってくれるはず」


 菜々花は、寂しい気持ちを押さえ、少し複雑な顔で微笑んだ。


「それでさ……あの、なんていうか……この事件も解決してさ、高校も卒業してさ、珈琲の勉強とか沢山やってかっこいいマスターになるからよ……そしたら、そん時は……オレと二人で……喫茶店やってくれないか?」


 瑠羽太は、繋いだ手に汗を湿らせ精一杯伝えた。


 すると、菜々花は間髪入れずに……


「うん……よろしくお願いします」


 そう答えると、ピンクに染まった顔を、瑠羽太の肩に埋めた。


 瑠羽太は、心臓をバクバクさせながら静かに息を吐いて呼吸を整えた。


 横目に見る菜々花の唇は、月明かりに照らされやけに艶やかに見えた。


「なあ、菜々花……もうオリオン座の季節だな。ほら、見てみ」


 菜々花は、瑠羽太の指さす夜空をゆっくりと見上げた。


 瑠羽太は、オリオン座と菜々花の間に割り込むと、つやのある唇にそっとキスをした。



 二人の影は、やがて小さな夜景の一部になった。








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