不意にあらわれた制服を着た女性にぶつかりそうになり、僕はあわてて木の塀にすがりつく。よく見るとその女性はまだ中学生のようだったけれど、そのときの僕にはやけに大きく見えた。ちょうどその年頃は女子のほうが男子よりも成長が早い。

 その女性が出てきた家はあのピアノが聞こえてきた家。僕はピアノのことを聞いてみたかったけれど何も言えず、ずっと塀にしがみついたまま遠ざかっていくのを見送っていた。

 多分彼女は僕のことなど気づいていなかっただろう。彼女が住んでいた家は平屋づくりで、立派な家といえるものではなかった。あとで聞いた話では、借家だったらしい。

「ピアノが聞こえない」

 しばらくしてあの家の前を通った時に思わずつぶやいてしまった僕に、近くを歩いていたおばあさんが教えてくれた。

「少し前に引っ越されたんですよ」

 おばあさんはにこやかに微笑んでいた。僕は日が暮れるまでぼんやりとそこに立ち尽くしていた。もうその家には別の家族が住んでいるようだった。

「ねえ、この前のショパンは何ていう曲なの」

「知らない」

 僕のとなりで智美がそっけない返事をする。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る