第244話 ありがとう

 友里はひとしきり叫んだあと、優と尾花駿に、紀世がひとり眠る、集中治療室前の部屋から出ようと促された。首を横に振って、紀世のそばにいると意思を示す。

 すると、紀世の瞼がピクリと動いて、そっと目を開けた。シュコーと呼吸器の音が大きく響いて、計器がけたたましく音を出した。友里は瞬きをひとつして、優にしがみ付いた。


「友里ちゃん、なにしてるの?」という顔で、ビニールシートの向こう側で、一瞬で汗だくになった紀世が、「あつ」と言いながら、呼吸器などを外そうともがいた。彗が慌ててナースコールをして、駿も、ドアを叩いて、姉に呼びかける。


「なに?ここ、どこ?家?」

 紀世は、汗の噴き出る額を抑えて、なにが起こったのかよくわからないようだった。


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「お騒がせしました」

 危篤状態の集中治療室から、一般病棟へ戻った2日後、日曜日13時。蔦木と小波渡も、紀世の個室部屋に集まり、優が花瓶に花を活けて、友里は高岡との約束を反故にして、紀世の元へ来ていた。頂いた差し入れを、冷蔵庫へ入れた。紀世が、蔦木と小波渡に謝るのは、初めてなのかもしれない。蔦木が真っ赤な顔をして、小波渡が驚いたように、目を丸めている。


「紀世さんホント、よかったです~!」

「ほんっとに、お騒がせな人ですね!?」

 泣いている蔦木と、小波渡に嫌そうに言われて、紀世は、困ったように腕を組んだが、演技がかった声でううんと言って、すぐに手をほどいた。

「友達になった最初のイベントが葬式とか、笑えないすわ」

 小波渡の言葉に、紀世が笑って、術後の縫合跡をイテテと抑えた。


「友里ちゃんの声が聞こえた気がしたの、まだいけないなあって」

「起きてくれて、ありがとう。紀世ちゃん」

 にっこりとほほ笑まれた友里は、笑顔で答えた。「友里ちゃん、本当にずっと壁の外で叫んでたんだよ」と優が言うと、紀世が「やっぱり?」と頷いた。

「女王の命令は臣下として聞かないとね」

 聞こえるわけがない壁の向こう側だというのに、紀世は優に笑いかける。そして友里に向くと、真顔になった。

「見てるものすべてが、奇跡みたいにキラキラしてる。あなたと出会って、再会してから、小さな箱の中の宝物が大きくなって、わたしが生まれ変わっていくみたい。ありがとう、友里ちゃん」

「わたしじゃないよ、紀世ちゃんの選択が、奇跡を起こしてるんだよ」

 ふたりで笑いあって、お互いにありがとうと言いあった。

「これから、生きてるうちにできることはみんなするわ」

 そう言って笑う紀世を、友里は暖かな気持ちで見つめた。

「友里ちゃんも、いつ死ぬかわかんないくらいの気持ちでするのよ!」

「ええ、そんな。わたしはわりと、いつも自由にやってるよ!」

「死ぬとか言わないでよ」

 優が友里の肩を抱き留めて、紀世に訴えた。友里は言ってから、しかし誕生日までの免許取得は間に合わなかったと泣きついた。蔦木と小波渡が、ワイワイと計画を話し出す。この分なら、6月中には免許取得できそうだと、友里は安堵した。


 蔦木が、女王のような紀世に、女王と言われる友里の話を聞きたいと、うずうずして紀世に問いかけた。友里は、嫌がったが、紀世は嬉々として、1日だけの昔話を蔦木に話した。


 ガラリと引き戸が開いて、彗が定期健診に現れた。

「調子はどう?」

 ニコリとタレ目を細めて、彗が言うと、紀世がプイっと横を向いた。

「あれ、まだケンカしてるの?」

 優が言うと、彗が、困ったようにはにかんだ。

「紀世ちゃん」

「なあに、友里ちゃん。女王命令でも、彗から謝らないと、許さないのよ」

「でも紀世ちゃん、結婚するんじゃないの?」

「だからよ、今が肝心!友里ちゃんも喧嘩の主導権は自分が握るのよ」


 紀世に言われて、友里はドキリとした。

「で、でも、明日彗さんがしんじゃったら、後悔するよ」

「……それも、そうね」

 コソコソと「早く仲直りしたほうがいいよ」と自戒するように耳打ちをするが、紀世と友里の会話は、彗に駄々洩れで、彗は苦笑してしまう。無言でシルクのパジャマの胸を開いて、彗は紀世の脇に体温計を差し込む。3秒でピっと言ったが、彗はそれを取り外さなかった。

「……」

「……紀世さんが、生きててうれしいよ」

「死んでたらこんな話もできなかったのよ」

 平然としている彗に、枕元に逢ったペイズリー柄のクマをポイと投げつけた。彗はそれを上手に片手でキャッチして、綺麗に棚に戻した。

「彗!あんなにかんたんに、取れって言うなんて。こどもはいらないってわけ?」

「医者だからね、未来も大事だけど、まずは目の前の患者を救いたい」

「なによ、すました顔」

 紀世は、横を向く。その様子をハラハラ見ている友里に気付いて、顔を彗に向きなおした。


「わたしがすきなの?」

「好きだよ」

「結婚するの?」

「したい」

 彗の言葉に、紀世が腕を組む。

「わたしのどこがそんなにいいわけ?だいたい、今年まで忘れてたんでしょう?」

 紀世の言葉に、彗が言った。

「忘れていたけれど、ことあるごとに思い出していたよ。あの子は先生になったかなって」

「……」

「自分の信念を貫き通すところが好きだよ。はしゃいでいても、どこか冷静なとこも、些細な幸せのほうが大事だと思っているところとかとても可愛い」

「抜けているから、可愛いと思うっていう、あれ?」

 紀世は心理学を持ち出す。「キュート」で「親しみやすく」「害がなく」「綺麗」で、「社会的脅威を感じないもの」という……定義づけは、ほぼ赤ちゃんに準ずるものだ。

「総合すると、まぬけってことでしょう?」

「まぬけとは思わないよ。俺が可愛いって思うのは、懸命に生きているって感じた時だよ」


 彗は、紀世のベッドの脇にしゃがんで、紀世を見上げた。

「再会したきみは、体はやせて、ひとりで病気に向き合っていた。すごくつらかっただろう。それでも、夢に向かって邁進して、「尾花紀世」をきちんと生きていた、その姿を好きになったんだけど、それじゃあダメかな?」


 紀世は、ぎゅっと掛布団を掴んで、彗を見つめた。

 力をゆるめると涙が零れ落ちそうになって、彗がタレ目を細めて、その細く痩せた手のひらに手を重ねてきたので、負けたとばかりにペチンと叩いた。

「おっとりしてそうなのに、芯が強くて見抜くように見るところ、わたしだってすきよ」

「紀世さん」

「じゃあ、わたしが赤いドレスで、あなたが純白のタキシードよ。白しか許さないわ。私の色に染め上げてあげる」

「それは困るな、紀世さんの暴走を、誰が止めるの?」

 にこりと笑い合って、紀世はべえっと舌を出した。彗は紀世の体温を、カルテに「平熱」と「舌に少しむくみアリ」と記入した。紀世はムッとして口を押さえる。


「6月の花嫁になりたかったけど、大目に見て、2か月後ね」

「2か月!!!そんなに早く結婚式は出来ないよ!!」

 すました顔をしていた彗が悲鳴を上げるが、紀世は友里に笑って、サムズアップした。

「わたしが赤だから、4人は青ドレスね!ブライズメイドに任命します」

 花嫁の介添え人に任命されて、小波渡、蔦木、優と友里は顔を見合わせた。


「最初のイベントは、彗との結婚式よ」

「スピーチ読ませてください!」

「いいよお、感動するやつにしてね」

 小波渡は面倒くさそうにしたが、蔦木が泣きながら絶対に頑張ると言った。


「おめでとう、紀世ちゃん!」

「ありがとう友里ちゃん!」

「2か月でドレス作らなきゃ」

「あ!ダメ、友里ちゃんは受験生だわ。無理しないで。彗、やっぱり来年の6月にしましょう!!!」


 彗は「友里ちゃんへは、強いないのだな」と苦笑して、うんうんと頷いた。

「紀世さんが、輝ける季節ならいつでもいいよ」

「あら、わたしはいつでも輝いているわよ」

「そうでした」

「彗もいつも輝いてるから、いつしても良いわね!」

 婚約者の言葉に、彗はしてやられた。


 優は自分のドレスがどんどん増えることに少しため息をついて、駿を見た。


「すごい回復力だよね」

「術後すぐはせん妄が出てて、イチゴのショートケーキを食わせろって暴れてすごかったよ、その後、気を失って危篤だろ、生きた心地がしなかったよ」

「ケーキ大好きっ子でごめんあそばせ」

 月1でホテルケーキバイキングをしている紀世が、駿に対して、本物のお嬢様の「おほほ」を見せつけた。


「うわん、生きててほんとによかったよ!!」

 急に友里が泣いて、その様子に苦笑していた紀世も、だんだんつられてワンワンと泣いた。蔦木の泣き顔に、小波渡が「ウケる」と言いながら、小波渡もそっと涙をぬぐった。


「ありがとうね」

 紀世が友里の頭を撫でながら、そばにいた駿と優にも言った。


 駿と優は壁際で、その様子を見ていた。本当に紀世が生きていてよかったといいつつ、あまりの元気ぶりにふたりで苦笑し合った。

 駿が、優に、頼まれていたものだと言って、またもA4の茶封筒を渡し、優はお礼を言ってそれを、カバンへしまった。


「もう動き出して大丈夫です?」

「うん、紀世さんが退院したころで、いいからね。誕生日会も滞りなくすんだし」

 優が言うと、駿が頷いた。


「ところでそれ、プリクラです?殿下とのものなら1枚欲しいです」

 優はカバンからはみ出ていた友里との写真を、なんでもない仕草でそっと奥へしまった。

「何も入ってないよ」

「いや、入ってたでしょ」

「ないよ」

「飴あげたじゃないですか」

「……ねえ、ほんとに友里ちゃんと態度が違いすぎない?」


 優と駿が攻防を繰り広げている間に、友里は紀世から、大きなクマの抱き枕を誕生日プレゼントとして受け取っていた。

「どこにおくの、それ」

 優が問いかけると、紀世が「シーツがわりでいいのよ、この上に眠るの」と言ってから、「あ」という顔をした。

「優ちゃん、嫉妬しちゃうかしら」

 優が赤い顔をして黙り込むので、友里は優を見上げた。

「ヨロシクネ、ユウチャン♡」

 涙声のままの友里がクマの手を可愛らしく振って挨拶をするので、優もクマに挨拶をした。


「優ちゃん、かわいらしいわね」

 紀世の言葉を待っていたとばかりに、友里が「優ちゃんかわいい同盟」のワッペンを紀世に渡した。

「ありがとう、大切にするわ」


 生還したばかりの紀世の輝くような笑顔に、友里はまた、胸がいっぱいになった。

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