第243話 ひとつの輪

 昨夜から早朝にかけて続いた自分の誕生日会の余韻に、くわわと欠伸をして、友里は階段を上がった。途中で同じように寝不足の優と待ち合わせて、ひとりでロングトーンの練習をしている高岡のいる、屋上へ向かう。

「吹奏楽部のみんなと仲良くしなよ」

 傍へ寄って来て最初に、優に言われて、高岡はいやそうに睨みつけた。

「ラッパを華やかにしたいなら、あなたが戻ってくれば?恋人のささやきとしては0点よ」

「甘い言葉をいうだけが、恋人ではない」


 友里が、高岡と優の語らいにふんふんと「勉強になる」などと言っているので、優は額をおさえた。頭痛がする気がした。

「もしも高岡ちゃんみたいに友里ちゃんがなったら」

「愛せないというのなら、今のうちに別れてほしいわ」

「ぐっ」

「仲良くしようよう」

 高岡の恋人選びが続いていた。(”放課後15分”を使ってまで)優は少しだけ心がざわつくが、高岡の力になりたいとは、友里と同じように思っていた。

「役作りは順調?」

「恋愛のことばかり考えてて、疲れないかしらって思ってきたわ」

 優は苦笑する。

「好きだと思うだけで、その疲労感が、力に変わったりするんだよ」

「有識者は違うわね」

「優ちゃん有識者なんだ」

「だって昨夜、ケーキをアーンするのかどうか聞いたときにね」

「高岡ちゃん」

「駒井優ったら」

「高岡ちゃんっ」

 優の制止で、高岡は喋るのをやめた。友里が、その続きが聞きたくてそわそわしていたが、優の頬が真っ赤に染まっていくのを見て、止まってくれたので優はホッとした。


「優ちゃんと高岡ちゃんには、ふたりだけの世界があってとっても羨ましい」

「友里にだって、そうでしょ、私と友里、駒井優と友里、たくさんの世界が、ひとりづつ存在していて、それが繋がったり離れたり、流動的に動いていくものだわ」

「……うん」

 風がさぁと吹いて、高岡のロングヘアを撫でた。

「駒井優と友里は、一緒に行動しすぎなのよ。駒井優が言ってる、自分のほかに好きなものを作ってほしいって、そういうことじゃないかしら」


「一緒の輪っかに入ったままじゃ、ダメなのかなあ」

 幼児の時にした、輪っかにしたロープだけでつながっている電車ごっこが浮かび、高岡は苦笑した。


「……もうすこし自然にできないのかしらね?」

「もしかしてロミジュリって、そういう、自分たちだけの世界でいられるのって恋に気付いて結ばれるまでくらいで、あとは世間との兼ね合いになるよねって話なのかな」

「友里……」

「なんて」

「そうね、そうかも!」

 友里は突然大きな声を出した高岡に驚いた。


「そうだわ、きっと。私、ずっとなにか言葉を聞くたびに(あとで後悔しないのかしら)って思っていたのだけど、あとの事なんて考えられないほど、その都度、魅了されているのだわ」


 高岡は頭を押さえて、にゃーっと言った。

「友里、ありがとう。やっぱり友里に相談して良かったわ」

 友里は、よくわからず首をかしげたが、がっしりと手をつなぐ高岡に、にへっと笑ってお礼を受け取った。

 そしてロミオとジュリエットを脇に置いて、優と友里の件だと高岡はまえおきをする。

「友里、実は私、先日から駒井優の味方になってるのだけど」

「……そうなの?」


 微塵も感じない高岡からの言葉に、優すらも不思議な顔をする。


「友里は今。駒井優は、50年後ぐらいを見据えているからすれ違うんじゃないかしら」

「……」

「うん。その時幸せって言うのを、積み重ねていけたら、ずっと幸せだもん」

 優が腕を組んで、うむと悩んだようにしてから、友里を呼んで、友里も、高岡のそばを離れ、とことこと優の元へ行った。優が友里の腕を取り、手を2回、ぎゅっと握る。

「友里ちゃんはよく、おばあちゃんになった時も一緒にいたいって言うけど、あれってもしかして、友里ちゃんにとって、今がずっと続いていて、その結果としての、おばあちゃんなの?」

「うん?一緒にいるってそういうことでしょう」

 優が、高岡を見た。

「友里、駒井優はあなたを手放す気なんか、さらさらないのよ」

 味方になった高岡が言う。友里が、優を見上げると、優は言った。

「わたしは、一緒の部屋などに暮らすっていう物理的なものではなくて、友里ちゃん以外とは、恋人にならないという意味の「一緒」だった」


「……」

 友里は、たっぷり悩んで、ハッとする。


「あ!だから、「離れても平気」!優ちゃんにとっては、わたしが転校しても、学校で別の教室にいる時みたいな感じだったんだね」

(まあそれも寂しいのだけれど)と友里がぶつぶつと言いつつ、うんうんと悩む。


「離れるって言葉が、ふたりとも、かけ離れていたね、気付かなくて、ごめん」

「それでも、離れたくないんだけどね」

 友里が一貫して、ぎゅうと優の細い腰を抱きしめるので、優は友里の柔らかな体を抱きしめ返した。

「……あはは、ほんとに自分が、阿呆でイヤになってきた。無理だ、友里ちゃんと物理的にも、もう離れられないよ。頑張るから、見守っててね。お父さんの件も」

「うん」

 頷いてから、友里はハッとした。

「なにか、計画があるなら、言ってね?」

 友里は優の声に含みを感じて、問いかけると優も頷いた。

「うん……。時期が来たらちゃんとお父さんと話し合おうと思っているんだけど、友里ちゃんはその場にいたい?正直、同席してほしくないなあって思うんだけど、どうだろう?」

「え……と」

「それから、すぐに答えなくてもいいけれど、友里ちゃんは、お父さんを、好きになりたいって思っている?」

「…………」

 友里は、優の胸に顔をうずめて、うぐぐと唸る。


「優ちゃんを傷つけたくないから、お父さんと無理に逢わないでほしい。好きに……な、なりたいけど、どうやってなればいいか、わかんない」


「……うん、わかった」


 優と友里が、ぎゅうっと抱きしめ合ったままなので、高岡はチベットスナギツネの顔で見つめた。

「あなたたちね……」

 高岡の声がして、友里と優はハッとして、抱きしめ合っていたことに気付いて、パッと離れるが、高岡が呆れて笑うので、優と友里も笑った。

「なにか悪さを企んでるなら、私も協力するわよ」

「心強いよ」

「高岡ちゃんも優ちゃんも、体第一にね!?」

 友里が、慌ててふたりの心身を心配するが、高岡と優は顔を見合わせた。

「高岡ちゃんは、わたしが守るよ」

「守られているだけの人間では、ないわ」

 同時に喋って、不敵に笑うので、友里は困ってしまう。



「高岡ちゃん、今日わたしたち、紀世ちゃんのお見舞いに行くんだけど」

「それは遠慮しておくわ、さすがに術後に、しらない子が来るのは、尾花先生もおどろくでしょう」

 気遣いに、友里は感心する。

「わたしだったら、優ちゃんの知り合いのお見舞いについていってしまうかも。見習いたいな」

「友里は、私なんかよりずっと良い子よ」

 高岡が、いろんな気持ちを内包した声で、少し照れながら言うと、友里もはにかんで、ふたりで微笑み合った。


「……。もう友里で決定でいいじゃない、友里。今度の土日にデートしましょ!」

「待って」

「今日木曜日で、明日から恋人になったら、金土日月までは恋人ごっこでしょう?」


 友里が慌てて、高岡の肩をポンポンと叩く。

「まだヒナちゃんが参加してないし!」


 こんな時に限って、ヒナは写真コンクールの締め切りで大忙しだ。(時間が合わないというのも、チャンスを逃す要因なんだな)優はチラリと思った。

 ほんの少し目を離しただけで、友里と高岡が優にはわからない話題で盛り上がっている様子を眺めた。ふたりはの呼吸で、突然踊り出して、笑いあってまた別の会話を繰り広げている。会話の内容は聞こえないが、友里の屈託のない笑顔は、優では引き出せそうもない。


 :::::::::::


「ところで友里、いい香りがするわね」

「優ちゃんがねえ、わたしをイメージした香水をプレゼントしてくれたんだあ」

「ふうん、かわいい香り。わたしにも作ってもらおうかしら」

 立ち上がって、友里と踊りながら、高岡が意地悪く微笑んだ。

「え!高岡ちゃん、それは!」

「なに?友里」

「だ、だって……!あの、優ちゃんが、わたしにって……」

「ふふ、うそよ、友里。よかった。実はね、……友里にも独占欲が出てきたら良いなって思ってたから」

 コソコソと耳打ちをされて、友里は真っ赤になった。

「もしかして、恋人ごっこって……わたしにそれを気付かせるため?」

「ううん、もちろん役作りのためが一番。でも、駒井優は最初に友里が、私に「優ちゃんと高岡ちゃんで」って言ったときにわかってたみたいよ。だから、あなたの口説き文句を私に言ったの。愛されすぎてるから大丈夫だよって言うつもりだったのかしら」

 友里は高岡にくるりとひとりだけ回される。高岡の正面に戻ってきて、友里は高岡をじっと見つめた。

「友里は、駒井優のことだけしか見えてないくせに、みんなで愛してこうね!って思ってそうなんだもの。わたしのことも、駒井優とヒナと3人で愛そうとしてることで確信したわ。そこ、ほんと悪い癖よ。自分だけ愛されることが、不安なの?」

 両腕をそっと伸ばして、くるりと回る。青い空に、高岡が心配そうに微笑んだ。友里は伸ばした腕を曲げて、高岡の胸に飛び込んだ。

「……もっと早く、高岡ちゃんに相談すればよかった」

「いいのよ」

「──なんで、本気で好きって思われるの、不安なんだろう」

「……ほんとうにね」


 優のスマートフォンが鳴った。優の家族用のスマートフォンも鳴ったので、優と友里はふたり、デジャブを感じて見つめ合った。

「また紀世さんの、ブラックジョークかな」


 笑って優はスマートフォンを手に取る。


 しかしメッセージを見て、サッと顔色を変えた。高岡と別れ、友里とふたりで、慌てて駅へ向かい、駒井病院までのバスに乗り込んだ。


 :::::::::::::::::



 友里たちが駆けつけると、尾花駿と、重義航、それから彗に囲まれて、集中治療室の薄緑色のビニールの向こう側で、紀世は、眠っていた。先日のように手を振ることはない。

「危篤なんて、うそだよね」

 青白い顔の紀世をみつめたまま、友里が言うと、駿は首を振った。

「術後の合併症で、手術自体は成功したんだけど、予断を許さない状態」

 友里は息をのむ。先日まで、楽しそうにしていた紀世に向って、声をかける。


「紀世ちゃん」

 友里が声をかけると、駿がすこし涙ぐんだので、嘘ではないと知り、友里は血の気が失せた。優は自分よりも少し背の高い駿の背中に手をやり、宥めた。

「いちど目を覚まして、今朝までずっと元気だったんだよ。でも、こんなことになるんなら、もっと早く友里さんに連絡すればよかった。でも、姉のケータイから、友里さんには通じないし、待ってれば来るからって……」

 友里は、自分のスマートフォンを解約してしまった親を恨んだ。

「わたしに連絡すればよかったのに」

 優がそういうが、駿は目をそらす。

「姉から、連絡したかったんだ」

「……気持ちはわかるけど」

「喧嘩してる場合じゃないよ」

 友里が言うと、優と駿は黙った。友里は、ガラスの向こう側の紀世に声をかけた。


「紀世ちゃん、これでお別れなんて寂しいよ、またお出かけするんでしょ、ねえ聞いてる?」

 友里の小さな声は、分厚いガラス壁と、ビニールシートに阻まれて、紀世に届かない。友里は大きな声で言った。

「紀世ちゃん、みんなが心配してきちゃうよ。素敵な先生だから、起きて、いっぱいアドバイスしなきゃじゃない?そうだ、受験だってまだだよ。先生と同じ大学行くって子もいたんだから、先生として、まだ張り切らなきゃ!」


 治療室まで、友里の声は届くわけはなかったが、誰も友里を止めなかった。


「起きて、お話しして。また遊園地、そうだ、今度は動物園とか行こうよ。ねえ。クリームでパックしてみたよ、今日のほっぺはツルツルなんだから、触ってみてよ」

「友里ちゃん」

 優が友里に声をかけた。ガラスの壁に手をついて叩いたので、赤くなった手のひらをガラス窓から離した。友里が、優の胸で震えるので、抱きしめる。

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