第245話 思いの丈
日曜日、午前10時。屋内プール場で、柏崎ヒナは、真白いビキニを着た後、豊満な胸を隠すように、水泳用のパーカーを着て、パレオを合わせると、待ち合わせた場所へ急いで向かった。紺色のワンピースの水着を着て、いつものロングヘアをゆるく三つ編みにまとめている姿の高岡朱織が、手を振る姿に、見惚れて呆然とする。
「悪いわね、友里がしつこくヒナを参加させたがって」
「友里ってそういうとこあるよねえ、みんな一緒がいい、みたいな!」
「きっと後で、話題を出した際に、説明が面倒なのよ」
はきはきと話してから、高岡は少しうつむいて、ぺこりと頭を下げた。
「ごめんなさい、恋人選び、そこまで本気ではなくて……あの」
「あっはは、でも引き受けたからには恋人を演じて見せるよ、今日は。「行きたかった!」って友里に羨ましがられるぐらい楽しく過ごそう」
朱織の疑似恋人選びと聞いて、いちもにもなく参加してしまったヒナは、浮かれてこの場にいる。友里と優が友人のお見舞いに行くため、急遽キャンセルになるところ、強引に連れ出した。肌を出すことが苦手なヒナは、まさかプールとは思ってもみなかったが、ふたりきりだ。
(デートだわ、これはプールデート!)
片思いをしている身の上で、気分が高揚してしまうは、仕方がないと思った。
ヒナは高岡の手をつなぎ、水の中へふたりで入った。
流れるプールのコーナーでふたりで乗れる浮き輪をレンタルすると、乗りながらフラッペを味わった。
髪が濡れるのを嫌がった高岡だったが、ヒナが頭からびしょびしょになっているのを見て、ふたりで水をかぶって、きゃあと大きな悲鳴を上げた。
ウォータースライダーに乗りたがったヒナに、高岡はしかめっ面をしたが、ひとつのボートにふたりで抱き合って乗れると聞いて、今度はヒナが嫌がった。高岡は、小さなヒナを抱きしめて、それに乗ることを決めた。
最後に水に落ちると、離ればなれになってしまい、ヒナは慌てて高岡を見つけたが、プールの中で笑っている高岡に、胸が熱くなった。
「ううう、たのしい!!」
有料のデッキチェアに腰を下ろしたヒナは、叫んだ。
サンドイッチとミックスジュースをぱくぱくと食べて、焼きそばやたこ焼きを見て、「友里なら確実に行ってたわね」「確かに!」とふたりで笑いあう。別の人たちが写真を取り合っているのを見て、ハタとする。
「カメラ持ってきてるんだった」
ヒナは走って、更衣室の貴重品入れから、カメラを取る。着替えの際に浮かれすぎて、すっかり忘れ、カバンと一緒に入れてしまっていた。表に出ると、高岡が男性3人に囲まれていて、ヒナは写真を撮ってから走り寄ると、パっと高岡の腕を掴んで、そのまま走り去った。
「ヒナ!?」
慌てる声が聞こえたが振り返ることなく、ヒナは高岡の手をつないで、走り抜けた。ハアハアと呼吸をして、高岡を見ると、無事だったようでホッとした。
「大丈夫?男ってほんとやだ。写真とったから警察に」
「あの人たちは、父の会社の方で……たまたま、こちらに来てて、タダ券を」
5人まで無料!と大きく書かれたラミネートカードを高岡がみせた。
ヒナは、じわじわと真っ赤になって、言葉にならない声を出してから、「謝ってくるぅ!」と走りだそうとしたが、高岡に引き留められた。
「大丈夫よ、良い人たちだから。父と同じ年だけど、「俺たち若く見えたのかな?!」と喜んでるわ」
ヒナの断末魔のような悲鳴に、高岡は笑った。
「私が、ナンパなんてされるわけないのに」
「そんなことないよ、朱織は綺麗。すごくセクシーだし、みんな振り返ってるの、朱織だけが気付いていない。友里だって、いっつも高岡ちゃんは綺麗でアスリートでって憧れてるんだから」
真剣にヒナが言うので、高岡は驚いた。ずっとドキドキとしているだけのヒナだったが、高岡がふいに陰りを見せたので、顔を覗き込んだ。高岡はハッとして、ごまかしたが、ヒナが手をつないでくるので、笑顔になった。
「そうね、恋人が変な様子だったら、心配するわよね。ヒナありがとう」
恋人ごっこをしていると思い込んでいる高岡の思い込みに便乗して、ヒナは首を横に振りながら、高岡の小さな手を握ったまま、言葉を待った。
「わたしね──友里が好きなの」
ヒナは噴き出しそうになりながら、高岡を見た。
「朱織、友里が好きなの!?」
「人間の中で一番好きよ。しらなかった?」
「知らなか……いや、知ってたけど、お付き合いとかそういうの?」
「いえ、セックスをしたいとは思わないわね」
「せ」
ヒナは、すこし固まる。高校2年生の高岡に、高校3年生のヒナは負けっぱなしで、お姉さんらしいところはひとつも出せてない気がした。
(こんなのいつもなら、全然平気な単語なのに。でも優さんすら朱織には敵わない感じなんだから仕方ないか)
「友里に、信頼されてないのかしらって思う出来事があって」
ポロっと高岡から涙が零れ落ちて、ヒナは心臓が破裂するかと思うぐらい驚いた。
「あ、ごめんなさい、驚くと涙が出ちゃうだけなの。私も大概しつこいなと思っただけ。悲しいとかじゃないから、心配しないで」
「心配するよ、あ、ちょっと、まって」
ヒナは近くの売店で、タオルを購入してくると、高岡に手渡した。高岡はスンと鼻をすすって、それを受け取る。
「タオルって新品だと水を吸い取らないけど、これはすぐに水を吸い取る加工がしてあるんだって」
ふわりと手触りの良い真っ白いタオルに、高岡は顔を付けた。
「気が利くのね、ヒナ」
褒められて、ヒナは「気が利くのは、ここの運営さんだよ~!」としどろもどろに言う。指先を組んで、高岡をじっと見つめてヒナは泣く高岡を抱きしめた。
「ロミジュリの詳しい内容も知らないけど、ワタシが思う、恋人にしたいことを、するよ」
高岡の涙がまたポロポロとこぼれるので、ヒナが「ひゃ!」と慌てた。
「それは、驚いたからってことでいいの?」
「ええ、そうよ。だってヒナが、とってもやさしいんだもの」
ヒナは、高岡の話を整理する。(朱織の役作りのための恋人役を、引き受けてくれなかった友里に対して、「信頼されてないから」と落ち込んで、今日のドタキャンも、もしか避けられていると思っている、と……)
ヒナは、瞳を閉じる。
(ごめん、朱織。友里は多分、ワタシの為に動いてくれたんだわ)
ヒナは自分の高岡への片思いを知っている、友里を思った。しかし、すべて話すことは、自分の恋心を暴露することになるため、ヒナはうぐぐと歯ぎしりをした。
(でも友里、もっとうまくやってよ!?優さんが歯切れ悪かったの、コレか~)
しかしここでヒナまでヘタを打って、「やっぱり友里にやって貰うわ」と役目を奪われる事だけは、避けたいと思った。
(友里が素敵なのは、知ってる。だって好きだったもん)
しかし今のヒナには、高岡のほうが光り輝いて見える。ほんの少しでも、こちらを向いてくれる機会を大事にしていきたい。
「泣いてる様子も綺麗」
「あら、ふふ、泣き止みたいから、恋人ごっこはちょっと待ってて」
「いいよ、泣いてて。好きな子の涙なんて、いくらでも待てる」
ヒナは、高岡の背中を撫でながら、真顔で言った。
「駒井優に聞かせてやりたいわ。すぐ好きな子の涙を止めたがるんだから」
「今度は優さん」
高岡の口から、優の名前が出るのが、ヒナは気に食わないので唇をふさぎたくなった。姉になら、キスでふさぐところだが、高岡にそれをすることが出来なかった。
パシャリと写真を撮る。
「!」
高岡が驚いて、ヒナに手を振ると、もう一度撮られて、今度は苦笑した。
「びっくりした。撮るなら撮るって言って」
「今、すごくきれいだったから、なにを言うより、見てわかると思って。見て、こんなに友里のこと、心配してる人のこと、あの友里が、信頼ナイ!なんていう?なにか……事情があるんだよ、信頼してるから特に!」
ヒナがカメラ画面の中で、高岡が屈託のない様子で微笑んでいる様を見せる。
「私、ヒナにはいつもこんな顔しているのね」
高岡の瞳に、キラキラと宝石が輝いたようで、ヒナは目を奪われた。
「ありがとう」
「あ……!違うよ、恋人ごっこだからじゃなくて、え、ッと」
ヒナが慌てて、自分だけがそう思うのではなく、一般論としての高岡だと説明をし直す。高岡もそれを信じてくれたようで、くすりと笑った。
「朱織は、綺麗だよ」
ヒナが、思いを込めて言うので、高岡は黙り込むと、人差し指を高く掲げ睨んだ。
「キレイ禁止!」
「え!」
「最初はときめいたけど何度も言ってると、それしかないのかしらっ。恋人に送る言葉としては、二流よ」
ヒナが、一瞬立ち止まってショックを受けているが、すたすたと高岡は歩いて行ってしまう。その後を、またついて歩いた。
「ええ~。綺麗!って思ったらどういえばいいの!?」
「カメラマンっていろんな言葉があるんじゃないの」
「っていうか朱織はああいうのがいいの!?──いいね。その顔、罵倒してみて。最高のお肉食べた時みたいに恍惚としていて、──みたいなやつだよ!?ちょっとキモくない!?」
「どうして、すぐできるのにしないの?」
呆れたように高岡が、ヒナを見下ろした。ヒナが叱られたポメラニアンのようになっている。
「……言葉がきついかしら?」
「ううん、朱織の言葉は、脳に響いていい!!」
「それって、きついってことでしょ、ほんとは嬉しかったのに、照れくさくてきつい言葉を吐いたわ。ごめんなさい、私っていつもそうなの」
はあとため息をつく高岡に、ヒナは、次の言葉が分かったような気持ちになって、先に声に出した。高岡の声で、名前を聞きたくなかった。
「また優さんの話」
「……ああ、わかってしまう?」
「そりゃ、ね。今日だって、友里と優さんに、約束を反故にしたのが申し訳ないって思われたくなくて、ご足労頂いているんでしょう?」
「ご足労の使い方、違わない?あなたこそでしょ?」
ヒナは、高岡を近くのベンチに座らせて、手をぎゅっと握った。高岡は瞳をくるりと輝かせた。また、涙が落ちるかと思ってヒナは慌てて手のひらを受け皿にして差し出したが、高岡がぷうっと噴き出すので、「なにさ」と言った。
「だってヒナ!素敵なんですもの!ありがとう、あなたの恋人になると、こんなにやさしくしてもらえるのね」
「あー!今は完全に、その役忘れてたからね!?心の底から、言ったやつだから!」
「そうなの?」
高岡は、プールの光を見つめて、ヒナに弱音を吐いた。
「でも私、……心配なの」
「どうして?」
「おたがいしか知らない同士が、お互いを大事にしすぎてて、偏って見えるの。ひとりで、立てるけれど横にいるみたいに、ならないものかしらね」
高岡の声に、ヒナはううんと唸る。
「無理じゃん?あのふたり、ひとつになれたらいいのにね、朱織の心配も1個分になって楽ちんだし」
「!」
高岡は目を丸めて、すぐに「アハハ!」と大きな口を開けて笑った。
「そうね、ひとつになってくれたらいいのに!」
ヒナは笑顔の高岡の写真が撮りたくなったが、カメラを下ろした。ファインダー越しに見つめて、それを永遠にするのがカメラマンの業だと思っていたが、その笑顔を、自分の中におさめたくなって、ヒナは(自分はカメラマンになるのは無理かも)と少し思った。
「キ……じゃない、素敵すぎ」
ヒナが言うと、高岡はクスリと笑った。
「キレイ禁止を守ってくれてるの?」
「恋人に送る言葉として、二流とまで言われたらね?そりゃね」
「……いいわ、言って。ヒナ」
高岡はすこし悩んで、瞼を伏せると、両手を膝に置き、まるでキス待ち顔でヒナの言葉を待つ。
「う、はい。とてもキレイ、です」
「もっとしっかり!思いの丈をどうぞ?」
ヒナは心臓が飛び出そうなほど、ドキドキしていた。今なら、なにを言っても高岡が、「ふり」をしていると思ってくれると思った。
「朱織、大事な子のために泣いたり笑ったりできる、そんな朱織が、好き。そのうえで、ワタシのこと、少しだけ、見てくれたら、……すごく、うれしい」
ぎゅっと、ヒナは高岡の手を両手で握った。じっと見つめて、高岡と目線が合うまで、しばらく待った。
「ねえ今日は、ワタシのことだけ考えてよ」
プールが人工太陽の光を受けて、キラキラと輝く。ふたりは、その光を受けながら、しばし見つめ合った。
「うん、じんわりくるわね。ありがとう」
そう言って高岡は立ち上がり、自分たちがキープしているデッキチェアへ帰ろうとヒナを促した。ヒナは、地面に転がって、わあわあと叫びたい気持ちを抑え、高岡の後ろを歩き出した。
:::::::::::
夜。友里は高岡に尾花紀世の容体などを説明してから、ヒナとの話を聞いて、(あとでヒナちゃんからも聞こう)とうっとりとした。
「私だけをみて、ってすてきね、高岡ちゃん」
『ヒナはロマンチストね、うっかり1日中、本当に私が好きかとドキドキしたわ』
「じゃあじゃあ、疑似恋人は、ヒナちゃんにきめた?」
『ううん、私には早いってことだけは、わかったわ』
「そっか、まだ10月の公演までひにちがあるもんね」
「……」
机に向かいながら、友里と高岡がスピーカーフォンで話している様子を聞いてた優は、なにか言いたくなるが、黙っていた。
ヒナが言った、「優と友里がひとつになればいいのでは」と言う話を、友里は蒸し返す。
「でも、ひとつになっちゃったら優ちゃんと、手が繋げないよ」
『駒井優の中のケダモノも、いろいろ困りそうよね、ヒナにはそんなこと言えなかったけど!』
「きゃー高岡ちゃんってちょっとえっちだよね!?」
『駒井優のせいよ』
「優ちゃん?優ちゃんは淑女なのに」
『友里はもしかして、騙されてるんじゃないかしら?』
「ねえ。その辺で、明日、競歩大会だし、もう寝ようよ」
耐え切れなくなった優が、ふたりに叫ぶように、提案した。
『友里、あなたの恋人がうるさいから今夜は寝ましょ。今度は一緒に行ってね』
「ありがとう。うん、遊びにいこうね。おやすみなさい」
約束をして、電話のケースを、パチリと閉じた。
「高岡ちゃんも大概鈍感だよね。でも、ほんとにいい子だ」
「うん、友達がイイコでうれしい!」
友里が、優を見つめていった。
パチンとスタンドライトを消して、机からベッドへ来て、優は友里を抱きしめた。
「……高岡ちゃんには、かなわないけれど、わたしを好きでいてくれる?」
優の言葉に、友里は「ユウチャンカワイイ」と鳴きたくなるような表情をしてから、「わたしこそ、だよ!」とぎゅうっと優の首に絡みついた。
しばしベッドの上で、ふざけ合って、明日のためにゆっくりと眠った。
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