第240話 北風と太陽

「絶対に手を離さない!優ちゃんとなら、つないだままでも転ばないよ」


 優は、友里が優のことを完璧人間だと信じて疑わない叫びに、思わず「さすがに、ちょっと」と、注意した。


「わたしは完璧ではないけれど、転ばないよう努力は、したい。でも友里ちゃんは、きっと離したほうが、楽だよ」


 優こそが、手離したくないというのに、口からは友里の為を思ってという態度でそんな言葉が出てしまう優は、自分自身に焦れた。手をつながないでいられる部分では離そうというだけの話なのに、まるで友里と一緒にいたくないと思われたら困ると思う。

「わたしは……っ、常に抱き抱えていたいようなシーンでも友里ちゃんが自分の足で歩きたいだろうから、手を繋ぐだけで我慢している部分があるから、──手を離さないと、いけないんだ」

 村瀬から友里を隠したくて、抱きしめて走り出した自分を思い出して、優は申し訳ない気持ちになった。友里に、解決を選ばせない自分の我儘を、友里が「かわいい」と受け取ってくれる。


 友里のことが必要で、大事で、心の底から友里だけが欲しいと感じるほどに、その気持ちが友里の全てを奪っているような気がする。


「手をつなぐのも、必要とされて嬉しいのも、可愛い優ちゃんが、そばにいてもいいよって言ってくれた喜びで、同情じゃない。恋だと思い込んでるっていうのは、いまさらじゃない?踏み込む特別さに戸惑うのは当然でしょ、初めてなんだから。大事な部分を知りたい、知ってほしい、触ってほしいって思うのは、思い込みでできることなの?」

「……!」

 本人が言う様に、強風が吹き荒れているようで、優は思わず「北風と太陽」を思い出した。北風と太陽が、旅人の服を脱がす勝負をする話だ。北風の寒さには服をどんどん着込んでしまい、太陽が暖めることで、旅人は水浴びの為に服を脱いで、太陽が勝つという話だ。友里の強い風は、優の心を凍えさせてしまう。


「これが思い込みで、わたしが自分を犠牲にして、コントロールしていることだって言うのなら、理由はなに?優ちゃんのどこを可哀想に思うの?」

 優は、友里の言葉に、眉を八の字にした。(今の状況も、わりとつらい)と優は思った。


「わたし、優ちゃんが宇宙で一番完璧な人だと思っているよ。優ちゃんこそが淑女の鑑で、わたしの理想だし、気遣いは太陽のようだし、一声かけてくれる言葉は木陰で安らぐ時の、あの揺らめく光を見ているような気持ちになるし、わたしのはしたない部分も笑って認めてくれて、清潔なお水を飲んだ時みたいに癒されるし、ダメな部分も良いとこって褒めてくれてときめくし、この世界の全てのきらめきを集めたら、優ちゃんになるんじゃないかな!?って常々思っているんだよ!」


 友里は、優に賞賛のシャワーを浴びせる。優に同情を感じる部分など、なにもないと言い切った。


「こういうの、優ちゃんいつも呆れるから、暴力だって言われたこともあるし、でも、ほんとにそう思ってて……」

 しかしうぬぬと唸って、友里は腕を組んだ。

「そうね、わたしなんかを好きって思ってるコトが同情するかもしんない。なんでわたし!?どうして、どこが?」

 優はハッとする。友里が完璧だと言うたびに胸が苦しいのはそれだ。

「そう……友里ちゃんが好きすぎるわたしを同情して、友里ちゃんみたいな良い子が、わたしを、好きだと言ってくれたんじゃないかって……」

 言いながら、青くなった優は一度目を伏せた。気遣いで恋を叶えて貰った気がしている。そして顔をあげた優が、友里をみつめると、友里は、みるみる真っ赤になって行った。

「うそ」

「……ごめん、やっぱりわたしの好きと友里ちゃんの好きが違って、困ってるよね。嘘じゃない、本当に、そう思っている」

 優もつられて、赤くなっていく。友里は、そんな優の様子を見て、しばらく我慢するが、やはり耐え切れず、ベッドをバンと叩いた。

「カワイイ!!!」

 友里の表情がみるみる蕩けて行って、キラキラと輝くので、優は自分の発言がどこか間違っていたのかと思い、どんどん友里が見れなくなっていった。先ほどまで北風だった友里は、いつの間にか太陽になって、優を照らし出した。

「だから、わたしの気持ちが邪魔をして、友里ちゃんが他の事に目を向けるのを、躊躇するのではないかと思ってる。気遣わなくて良い、でも好きでいてっていう……」

「かわいい……っ」

 かわいいと唸るだけの友里に、優の煩悶は、友里には届かないと思い、優は赤い顔で唇を突き出し、横を向いた。

「メロメロじゃん!」

「!」

 優は、友里に驚いて目を剝いた。しかし、すぐに意味を理解して、頷く。

「だから!言ってる、ずっと……友里ちゃんに夢中だって。もう、やめてって」

 しどろもどろになってうつむく優の肩を掴んで、友里が優をじっと見つめた。蜂蜜色の瞳から目をそらせず、ごくんと優が喉を鳴らした。

「友里って呼んで」

「……友里ちゃん」

 意味も分からず、優は友里の名前を呼んだ。


「なにか、特別な言葉をくれなくても、名前を呼ばれただけで、ときめくの。これって、同情なの?恋じゃないなら、なんなんだろう、優ちゃん」

「……!」


「優ちゃんの中にね、ケダモノがいるんだって高岡ちゃんが言ってた」

「高岡ちゃんめ……」

「それは、優ちゃんって言う陶器の中に入ってて、わたしが壊さないと出てこれないんだって。今、優ちゃんを壊して、そのケダモノだってなでなでしてあげたいって思ってたけど、優ちゃんを壊すのは、違うね」

 優の頬を撫でながら友里は穏やかな微笑みを優に見せた。

「優ちゃんの心にドアを付けて、そのケダモノさんも、自由に出入りできるようになればいいんだよ」

 友里は手のひらをドアがわりに、胸の前でパタパタと動かした。

「確かに、雨には濡らしたくないけど、手をつないで一緒の傘に入ったり、新しい傘を買ったり、その時々で、一緒にいようよ。時々は、また濡れて帰ったりしても楽しいよ」

「……っ」


「どうしてひとつしか、方法がないって思うの?いろんなことを、いっぱい考えて、持ち寄って、光も闇も、愛していこうって、約束したでしょう」


 優は、やはり口では友里には全く敵わないと思った。長年、優を苦しめる醜いケダモノが、友里の光に小さくなっていくが、それを閉じこめるために優がどれほど胸を痛めたか、友里には永遠に、わからなそうだと思った。


 優は、友里を手放し、友里の幸せを遠くで見つめていればそれでいいと口に出して、友里を苦しめて、自分も苦しんで、不幸のるつぼに入りたい衝動にかられる。自分を痛めつけたかった。

 ──幸せ過ぎて、こんな幸せを、友里に怪我を負わせた自分が、友里から甘受してもいいのだろうかと、友里の父親からも、責められた言葉を、いつでも自分がそう思っているというのに、それすら友里は、甘やかそうとする。


「……くるしい」

「あ!ごめんぎゅってしすぎちゃった」

 いつの間にか友里に抱きしめられていた優が言うと、友里がパッと離れようとするので、優は抱きしめ返した。友里が、壊れてしまうぐらいぎゅうっと抱きしめるが、友里はむしろ嬉しいというような仕草で、優を抱きしめ返す。

「優ちゃん、このぐらい、ぎゅうっていつもして。すごく気持ちいい」

「……ほんとに?」

「うん、大好きって思う」


 優は、泣きたいような気持ちになって、友里の肩にきゅっと顔をしずめた。しばらく、そのままでいさせてもらって、友里の顔は見ずに、声を出した。


「……、たがいの現状が分かっただけで、今からわたしたちがどうするか、相談しなきゃなんだけれど」


 優が友里の耳に手を当てて、小さい声で言う。

「キスしたい」


「……っ」


 それが解決にならないことはわかっていても、昂った感情を、どうしたらいいかわからず優は言ってしまったことを、友里に吐露するが、友里がなにも言わないので自重したように笑った。

「こういうところが、不安にさせるんだよね、ごめんね」

 友里は、優の言葉に首を横に振った。


「あのね、優ちゃんがすっごく怖いお化け屋敷みたい!っておもってたんだ」

「え!?」

 優は、自分が苦手とするものに例えられて、サッと青い顔になった。


「最近の優ちゃんは、余裕しゃくしゃくで、わたしを怖がらせてばっかいる!って。でもいま、考えたら、優ちゃんなんだから、わたしを楽しませたり、喜ばせるものしか用意していないに決まってるよね。そしたらわたしは、楽しんで、考えながら自分で歩かなきゃいけなかったのに」


 普段からお化け屋敷を楽しむ友里が言うが、優は首をかしげた。


「わたしが余裕に見えるとしたら、それはもう、内側が忙しくて、必死過ぎて、外見を繕っていられないだけだよ」

「?」

「本当は表情筋が、死んでいるんだ。友里ちゃんに可愛く見られたくて、笑ったりしてる」

「えー、そんな、こんなに麗しいのに!?」

「あはは」

 優がまた乾いた笑いをするので、友里はシンジラレナイという顔で優を見上げた。室内ライトの逆光が、ふたりを美しく縁取る。

「わたしにだけ、美しい表情を見せてくれる努力をしてくれるの?……ありがとう、だいすき」

 優の髪をそっと撫でる友里に、優は感謝と少しの申し訳なさも覚えた。

「こわがらせてごめんね」

 また謝罪した優に、困ったような笑顔で友里は言った。


「優ちゃんが、なにも飾らず、わたしのそばで、生きていてくれたらいいな」

(好きな人の前でカッコ悪いところばかり見られてるのに)優は思って、笑顔を返した。

「友里ちゃんこそ、最近、わたしに、可愛いところを見せようとしているの、すごく感じる。普段からかわいいのに、もっと可愛くなってくれて、ありがとう」

 優がお礼を言うと、友里は、慌てて手を振ったり、横を見たりして赤くなった。

「ううん、でも優ちゃんって、わたしがよだれ垂らして寝てたり、ちょっとだらしない時すごくうれしそうな顔してるから、無意味だったのかなとも思っているよ」

「え!?そんな顔してる!?」

 表情筋が死んでると自己申告した優の表情が、ぐわっと赤く染まったので、友里は「ユウチャンカワイイ」と小さく鳴いた。

「どんな友里ちゃんも、かわいいんだけど、……無防備な友里ちゃんが、わたしに、気を許してくれている感じがして、すきなんだ」

「……!」

 思い切り照れた表情で言った優に、友里にまで照れが移った気がしたが、友里がすぐに凛々しく微笑むので、優はどきりとした。

「じゃあ、自然体でいること、これを第1のお約束にしようか」

 友里が、提案したが、すぐにムニムニと口元を手のひらで揉む。

「でも優ちゃんには、カッコいい感じだけ見せてたい」

「わたしだって、友里ちゃんにはかわいいって思われてたいんだけど」

 恋をしているから仕方ないのかもしれないと、くすりと笑いあった。


「どんな優ちゃんも特別。わたしの、光」

 手をつないで、優を見つめる。なにかを決意したようなこの瞳に、優はいつも恋をする。


「手を、離しても良いって意味、分かるよ。危ない時は、ちゃんと離さないとだものね。でも全部が終わったら、またつなぎ直して、優ちゃんがわたしを抱きしめてくれたら、ただ安心するの。本当は、それだけで、いいの」

「それは……、わたしもおなじだよ」

 優が、少しだけ呆然とした声で、素直に言って、友里も、ふたりでくすりと微笑み合った。


「好きすぎて、けんかしたね。優ちゃん」

「今度こそ、仲直り、できたかな」

「うん、大好き」


 優と友里は、ただ、愛しい恋人同士の気持ちで、柔らかく抱きしめ合い、ベッドに倒れ込んだ。そのまま、連日の緊張からか、夢も見ないで眠った。


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