第241話 友里の誕生日


 友里の誕生日は、連日の高気圧の影響で前線が張り出し、朝から曇っていた。猛暑が続いたせいで少しは涼しく感じたが、それでもじっとりとしていて、口々に暑いという言葉が飛び出る日だった。


 水曜日、放課後の教室で、優は友里を招待して、音の鳴らないクラッカーを開けて、友里を笑顔にしたあと、小さな包みを、友里の前に置いた。


「友里ちゃん、お誕生日おめでとう」

「ありがとう!指輪を貰っているから、今年は、ないかと思っていた」

「友里ちゃんが生まれてきて嬉しい日なのに、なにもできないなんて、ありえないよ」

 優がそっと頬を撫でて言うと、友里はポォッとして、優を見た。ハッとして、へらっとほほ笑んで、包み紙を開いてもいいか確認を取ってくるので、優は笑顔で頷いた。包装紙を大切に開けると、見覚えのあるガラスの小瓶が出てきた。パアッと友里の顔が華やぐ。

「そう、マコさんに聞いて、好きな香りだって言うから」

「これ、すごく高いのに!!」

 いつも落ち込んだ時や心寂しい時に、母にハンカチなどに1吹き譲ってもらう優の香りに似ているバラの香水を手にして、友里ははにかんだ。値段で言えば、それよりも高いものをプレゼントしている優だが、多くは語らず微笑む。


 そばに、小さな試験管の形をしているロールオンが付いていて、友里はそちらを手に取った。


「それは。わたしが感じている友里ちゃんの香りを、似せて、調香してもらったもので、……」

「嬉しい!あ、だから?」

 友里はヒナの家でのお泊まり会で、優が友里の匂いの話になった時に、すらすらと香りの名前を読み上げていたことを思い出した。

「そう、予備校の前に、注文に行ったの」

「そんなに前から準備しててくれたの?!嬉しい~」

 友里は胸にプレゼントを抱きしめて、満面の笑みで言う。瓶の中に、デイジーを模した白い造花がアクアリウムのように沈んでいて、銀色の玉がチリリと音を響かせる。

「こっち、つけてみていい?」

「うん、手首に、コロコロとなぞるんだって」


 友里は、わあっと歓声を上げながら、手首に香水をなぞった。最初、アンバーとプルメリアのような花の香りが広がって、すこし甘すっぱいような気持ちになったが、ふわりと消える。

「あれ?わたし、あんまり香らないかも」

「友里ちゃんはきっと、自分と同じ匂いだからじゃないかな、わたしには、強く感じるよ」

 優は、友里を後ろからそっと抱きしめた。友里が、その優の動作にはなにも反応せず、くんくんと嗅いで、桃とミルクのような香りだと友里が優に報告する。

「あ、確かに、あかちゃんみたい。理解したかも、ええ、こんないい香りなんだ。確かに、天国」

「いい匂い」

 優が言いながら、もういちど、ふわっと抱きしめるので、友里はくすぐったがってニコニコした。いつもならお膝に座っているような状況だが、優が椅子に座り、友里は立ったまま、ふわりと抱かれているだけだ。

「こっちをつけてたほうがいい?」

「ううん、好きにして。これは、わたしの我儘みたいなものだから」

 友里は空中をみつめ、思いついたように優に振り返った。

「じゃあ、したい時に、合図みたいに、つける!なんて!」

 友里の下品な冗談に、優が「えっ」と叫んで、真っ赤になって、過剰に反応するので、友里まで照れて、赤くなってしまう。

「優ちゃん、そんなにビックリする?」

「!だって、わからないから、わたしには、同じ香りなんだから!それじゃあ、毎日?みたいなことになるでしょ」

「そんな、なにをする時とは、言ってないのに、優ちゃんのえっち。でも毎日でも、いいよ」

「っ、友里ちゃん」


 からかわれたという顔をした優が、友里の名を呼んだと同時に、チャイムが鳴った。

(こんなぎりぎりの話してるけど、えっち、してないんだよね)


 友里は思った。


 一応の仲直りをして、「友里を父親たちのいる場所へ」とは、優はもう言い出さなくなっていた。なにか、優なりにたくさんの人と相談をしあっているらしい空気は感じていて、それを、決まった頃友里に言ってくれるだろうというような、信頼だけはあった。

 それらのいざこざが終われば、きっと優と、幸せなキスがまっている気がしていた。


 友里は歩き出した優を置いて、振り返った。


「どうしたの?友里ちゃん」

「ううん、なんか、紀世ちゃんの香りがした気がした」

「あ、すこしゼラニウムも入れたんだよ。好きみたいだったから」

「ううん、高貴な香りだなって思うだけで、わたしが好きなのは、優ちゃんだけよ」


 優の淡い嫉妬を見抜いて、友里が凛としてはっきりと言った。紀世と、仲直りの方法を相談し合ったことを思い出した。(なにも上手くはいかなかったことを、明日お話、聞いてもらおう)と思った。友里は、まだ明るい5月25日の夕方の空の輝きにも勝る、恋人の笑顔を見上げる。


「わたし、優ちゃんがすごく好き。時折驚くけど、行動のすべてが可愛いし、いつまでも一緒にいたい。どんな優ちゃんだろうと愛せる自信があるし、いつも優ちゃんのことしか、考えられない」

 突然告白をしてきた友里に、優がカアっと赤くなった。

「本当に、生まれてきてくれてありがとう。お誕生日、おめでとう友里ちゃん」

 グッと涙目になる友里を、優は抱きしめた。

「友里ちゃん」


 友里が名前を呼ばれて、胸をおさえた。優が、親指の先で友里の唇をなぞる。口づけをする合図かと思って、じっと見上げ、息を止めた。優が、はあと深呼吸をして、口を開いた。

 ガラガラと教室のドアが開いて、トランペットを抱えた高岡が入ってきた。

 友里と優は、ササっと遠くに離れていたが、気付いて、少し手を上げる。

「なにしてるの?駒井優」

「高岡ちゃん」

「友里!あ、お誕生日おめでとう」

「何度目よ~」

 友里が駆け寄ると、高岡はホッとしたような顔をした。

「今からバイトなの?」

「うん!そうだ、今夜は駒井さんちで誕生日会だよ。9時以降だから、高岡ちゃんも呼びたいけど遅すぎるよね」

「そうね、残念だけど明日は平日だし、父が良く思わないかもしれないわ」


 友里が抱き着くようにして高岡が、友里の腕をそっと撫でている状況を見ながら、優が何か言いたげにふたりを見ている。高岡が「なに?」というと優は言った。

「そうだ、なにか相談があるんじゃない?高岡ちゃん」

 友里もハッとして、高岡の顔を見た。高岡は、友里とだけ話したいのにという顔で、優をじっと睨んだ。


「私と恋人になってほしいの、友里」


「は?」

 優は思わず、その言葉を放った高岡に対して、およそいつもの数倍低い声で問いかけてしまった。

「「なに言ってるの、高岡ちゃん」」

 優と友里の声がハモって、ふたりで高岡を見つめた。真顔で「仲がいいわね」というので、友里と優は、互いの顔をみやった。


「実はね、あなたたちが揉めてるから言い出せなかったんだけど、ジュリエットの気持ちがわからないから、友里に、ロミオになってほしいの」


 高岡は次の舞台のジュリエットの感情がわからないと言って、講師の羽田に相談した所、恋愛をしてみるのが一番だと言われて迷っていたのだという。しかしその為だけに相手を見繕って付き合うわけにもいかず、友里に疑似恋愛をしてみないかと相談を持ち掛けた。優は、高岡の話に目を白黒させる。


「確かに高岡ちゃんには、恋する気持ちなんて、わからないかもね」

 優が憎まれ口をたたくと、高岡はちらりと優を見た。

「駒井優はわかるっていうの、彼女の気持ちが?」

 話をふられた優は、高岡をじっと見た。

「わか……るよ、ロミオが死んでるのを見たジュリエットが、もうこの世界にいたくないってなるところは、すごくわかる」

「それって愛なのかしら」

 高岡が唸る。


「わたしは、友里ちゃんがいない世界に、生きていたくないって思うだけ。愛じゃないと言われたら、そうかもしれない。わたしにとって、友里ちゃんは、生きて行くための全部だから仕方ない。すごく不健全だということは、認める」

「かっこつけ……」


 高岡が、優の言葉には納得しないように、唸った。

「優ちゃんは、わたしのどこがそんなに……」

 言いかけて友里はハッとして口を押さえた。高岡も優を見つめる。

 友里は、優に言われた『愛と錯覚しているんじゃないか』という言葉がぐるぐると回って、しかし、一応の決着を見せたのに聞きだすのもと、躊躇する。


「ポジティブで、わたしの悪いところを吹き飛ばしてくれて……笑顔が可愛くて、元気な時は一緒に元気になる気がするし、悲しいと、わたしまで悲しくなる。わたしの感情の全てなんだ、友里ちゃんは」

「……優ちゃん」

 友里は、初めて優が自分の好きなところを言ってくれた気がして、ポッと心に灯がともった。今までも毎日好きだと言っていたが、どこか他人のことを褒めているような気がしていた。

「わたしが必要って、そういう意味だったの。今まで、優ちゃんが言ってた、わたしへのことば、全部、怪我をする前のわたしへの言葉だと思っていたのかもしれない」

「そんな」

 優は驚いて、だから伝わらない感じがしていたのかと、腑に落ちた。確かに、こうしてほしいという願いばかり口にして、あとは、外見を褒めるくらいしか、言葉に出来ていなかった気がした。


「駒井優は、友里が好きすぎて、泥臭いのよ。放って置くと、教室に乗り込んで告白とかするわよ、考えが古臭いのよ、そういう意味では、淑女ね」

「優ちゃんはどんな意味でも、淑女だよ。でもそれはさすがに!」

 友里が慌てたようになるが、高岡とふたりで優を見上げると、優が赤い顔をしているので、困ったように眉を寄せた。

「ほら、しかねない顔してる」

「優ちゃん」

「……」

「沈黙を貫くのね、いいわ。『友里ちゃんが、どこか遠くで幸せでいるのを見守りたい。だって、あんなに可愛い良い子、心臓が持たない。でも先に死ぬのはいやだし、死を見守るのも嫌だ。そばにはいたいけど、わたしの意見はひとつも気にかけないで、永遠に好きに生きていてほしい』ですっけ」


「高岡ちゃん!それは」

 優がいやそうに、高岡を見やる。別の言語で話した言葉を、そのまま日本語に翻訳されて、だいたいの意味が合っていたので、高岡は翻訳家になればいいのではないかと、優は思った。


「いつもそれ言うけど、やっぱり離れていたいってこと?」

 友里が言う。そう取られても仕方がない気がしたが、優は友里を見つめて、そっと肩を抱いた。やはり高岡に、任せず自分で言わないといけない気がして、優はじっと友里を見つめたあと、コテンと友里の肩に寄り添った。

「どこへでも、連れて行って」

 優の頭を撫でて、友里は問いかけた。

「……だって、東京の大学に行きたいでしょ?」

「どこでも学べる。今から進路を変更すると先生方には迷惑をかけるかもだけど、きっと、頑張ってくださるよ。友里ちゃんに、ついていくよ」

「それは優ちゃんにとっては、良くないんじゃない!?……!」

「ちゃんと考えてのことだよ」

 

 友里はハッとした。優が行く先に、友里がついていくというたびに、今友里が感じたことを、優が思っていたのだと気付いて、グッと息をのんだ。

「わたし、こんな気持ちを優ちゃんに味あわせてたんだね」

「嬉しいけど、困るでしょ」

「うう、確かに!」


 高岡は友里と優を見つめて、はあとため息をついた。


「まったく、話し合ったって言ってたけど全然じゃない、友里、それに駒井優」


「……高岡ちゃん、ほんとだ!全然話合えてなかった!」

 友里が謝ると、優もぺこりと頭を下げた。


「まったく世話が焼けるわね」


「高岡ちゃん、さすがだけど、解決方法がアグレッシブなんだよな」


 優がため息をつきながら高岡を見た。突拍子もない申し出のおかげで、気持ちが伝え合えて、感謝をしつつ、本気で思ってないからこそ言い出せるのかもしれないと思った。本気で友里を恋愛として好きならば、嘘でも「付き合おう」だなんて言えないと優は思った。


「なんだ、そういうことだったの!?びっくりした!疑似恋愛なんて言い出すから」

 友里が微笑むと、高岡はふうとため息をついた。


「それは、してもらうわよ」


 高岡ははっきりと言った。


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