第239話 はなさない


 駒井家に戻り、お風呂や様々な身支度の後、ふたりの部屋に戻ってきた優は、友里に茶封筒を渡した。

 茶封筒の中には、尾花紀世おばなみちよによって調べつくされた優と友里、ふたりの身辺調査書類を、弟の駿しゅんが渡してきたことを友里に報告した。アルバイト先で見た茶封筒の正体を知り、友里は驚く。

「紀世ちゃん、そんなこと言ってたっけ」

 すでに楽しかった部分だけになっているような顔で、友里が言うので優は、攫われたのは先月の月末の話だと、苦笑した。

「……友里ちゃんがホテルにさらわれた日、わたし、早良さんに足止めされたんだよ」

「早良さん?」

 優は、自分が家庭教師をしている早良美好さわらみよしが、尾花製薬の関係者で、紀世によって友里がさらわれる時間に間に合わないよう、足止めを受けていた話を友里に初めて言った。

「紀世さんは、わたしたちのみに限らず、友人知人、家族に至るまで相当周到に、自分の友人足りえるかと調べていたみたい」

 優はくすりと笑う。

「おかげで、いろんなことが知れてよかった」

「わたし、変なことしてなかった?!」

 友里が、慌てて言うので優はまだ友里や、自分の項目は目を通していなかったことを正直に言った。優は、あとで、それらを一緒に見ようと友里に約束した。

「わたしが見たかったのは、友里ちゃんのお父さんのこと」

 友里がハッとして、優を見る。

「こちらに異動するオファーを、断ってるよ」

「じゃあ、お父さん……本当に、わたしたちから、ずっと逃げていたんだね」


 友里にその報告をして、優は少し胸が痛んだ。少なからず友里は、父親からの愛情を感じていて、それを返したいと思っていると、やはり思ってしまう。しかし、知れば知るほど、父親のそばに、友里を置くことは、やはり考えられない。


 優は、友里が、待っている気がして、謝罪以外の言葉を探して、まずは今の気持ちを、まとめようと思った。


「友里ちゃんが、お父さんと仲直りするために、お父さんたちが住むところへ転校することになっても、わたしの気持ちは、永遠に友里ちゃんだけが、好きで、大好きだから、我慢できるって思ってた」


「と、突然だね!?なんかもっと……、ううん、良いけど」

「そうしたい?」

「あ、ううん……、どうぞ」


 友里が促すが、優は少し考えて、友里に問いかけた。

「こんなふうに証拠を集めなれば、身動きが取れなくなるわたしで、ごめんね、友里ちゃん。友里ちゃんの気持ちが、どこにあるか、わかっていなかった」

「いつだって優ちゃんのそばよ!!!──ううん……でも、そう、お父さんのことになるととたんに、自分で、自分のことぜんぜん、わかんなくなる」

「いかないで、わたしのそばに、いて」

「ずっと、そう言ってるよ優ちゃん」


 いつものキャミソールに短パン姿で、ベッドの上に腰かけて、片足を折りたたんであぐらのような恰好になる友里の横に、紺色のパジャマの優は、姿勢正しく腰かけ、友里を胸に抱いた。


「そういえば、友里ちゃんからおとうさんの話って、あんまり聞かなかったな」

 友里はいやそうな顔をしたが、ゆっくりと迷路を歩く様に、話し始めた。


「……昔っから、家にいないから、話す思い出も少ないよ。グラタン食べに行くぐらいが、愛情だって思ってたんじゃないかな。わたしは猫舌だから、大変だったけど、お父さんはあっという間に食べて、見守っててくれるの。ゆっくりで良いって」


「友里ちゃん、自分がごはん終わってても、一緒にいてくれるのって、そういうことかな?」

 友里は、優の言葉に頷く。

「そうかも。なんか嬉しいから。だから、お父さんの愛情の欠片が、ないとは言い切れないから、向こうのこと気にしてみてと言われると、確かに、不器用なだけなのかなーとか、仲良くなれるきっかけがありそうとは、思うの」

「……」

 優が黙り込むので、友里は言葉を止めて、優を覗き込む。優は、感情が高ぶって、自分がすこしだけ涙ぐんでいる気がして、友里から目をそらすが、友里がニコリと目を細めるので、その瞳の輝きや、所作の一つ一つに、うっとりと見惚れて、なにを言おうとしたのか忘れてしまった。


 いつもなら、友里が父親の話をするたびに、「お父さんも友里ちゃんへ愛情があったんだね」と言って、友里を手放す決意の様に言っていた自分を思い出し、それらについても、話そうと思った時、友里が優の膝に手を置いて問いかけてきた。


「優ちゃん、これ以外に、お父さんのことでなにか調べたりしてるの?」

「……ん?」

「例えば、そう、尾花駿くんに、お父さんのあっちでの生活を調べさせてるとか!」


 友里は、ふざけるように言って、優を見つめた。

 優は、答えず、友里に笑顔を向ける。友里はすこし赤い顔をして無言になるが、笑顔ひとつで騙されてくれるわけもなく、少しだけ首を振ってから、優を睨むように見た。

「優ちゃん?駿くんに無理させてないよね?」

「本人が、先に言い出したんだよ」

「!」

 優は、観念したように驚き顔の友里を見つめて、言う。


「友里ちゃん、わたしのことを淑女だって言うけど、わりと策略も好きだし手を汚さないで色んな事をするのも好きだよ」

 意を決したような声で言うが、友里はその瞳に恐怖も恐れも抱かず、優がどうしてそんなに怖がって言ったのかまるでわからない声で、答えた。

「手を汚さないのなら、やっぱり淑女だよ!」

 友里が「ユウチャンカワイイ」と言って顔を赤らめるので、優ははあとため息をついた。

「どの辺りまで、カワイイって赦してくれるのかなあ」

「いちど試してみる?」

 真面目な顔をして友里が言うと、優は、恋人の手をぎゅっと握った。友里は蜂蜜色の瞳を、少し滲ませて、優をみあげた。

「今のは訂正。優ちゃん、完璧淑女だから、わたしが思ってる百倍のことやらかしそうで心配になってきた」

「しないよ」

 優は、笑い出しそうな自分を感じて、しかしその時ではないと思い、口角を上げるだけで友里を見つめた。


「わたしね」

「うん」

 話だした友里に、優はこくりと頷く。友里は、やはりやめようかと一度口を閉じるが、優が待っていると、ようやく唇を開いて、話始めてくれた。


「わたしが優ちゃんを愛しているだけだから、反応なんてどうでもいいって、今まで思っていたの。でも、優ちゃんも、わたしをちゃんと愛してるって、知ってしまった頃から、いろんな優ちゃんの反応が、すごく気になりだしたの。知らなければ、不安になんてならなかったのに」



 友里は赤い顔で、自分で口に出しておいて、優に聞かれたことを妙に後ろめたく思った顔をした。優は、友里を見つめたまま、じっと待った。


「髪型はちゃんとしてる?一緒にそばにいて大丈夫かな、とか、自分自身も、気になりだしちゃったし、今日、「完璧美男美女と仲良しだね」って言われて嬉しかったけど、昔ならきっと、優ちゃんが綺麗でかわいいでしょ!?って言ってた気がする」

 優は、友里の悩みどころがわからず、首をかしげた。友里の可愛さはだれをも魅了するので、自分の比ではないと思っている。


「ちゃんと愛してくれてる、だから、離れても大丈夫だって、一緒に悩もうって言われるたびに、きっと、完璧な優ちゃんが、わたしの数倍の力で、優ちゃんだけ頑張る気がして、いやだったんだ」


 嫌だった、と言ってから、友里は手を振る。

 早口で、「そんでいろいろすっとばして、優ちゃんが「なら離れよう」と結論付けるのがイヤなんだよ」と付け加えて、友里は優の手を、大好きの気持ちを込めて、ぎゅっと2回手を握った。優は、(そんなことは言わない)と思ったが、口を挟むよりも、(きっとわたしの態度がそう思わせた)のだろうと自戒した。


「確かに……友里ちゃんにひとつも苦労をさせないようにばかり、いまも考えていた。自分は、一緒に悩みたかったと言っていたのに、勝手な話だね」

 優は、「でも」と続けた。

「恋人になってしまってから、友里ちゃん、わたしの様子をうかがってばかりいる。された分のことを返さなければと思っていたり、悲しいことも、可愛いという言葉で、全ての感情を内包している気がしているんじゃないかって心配なんだ。わたしが、全部気付いてあげることは出来なくて、ごめんね」


「本心から言ってるよ!」

「感情はドーパミンとセロトニンの生理現象だから、汗や涙と、一緒。コントロールしてしまえば、全部、思い通りになるって言うだろ。大好きで一生一緒にいたくて、婚約までしたけど、能力以上に頑張ろうとしているわたしを、慰める為に、友里ちゃんがわたしへの感情を、喜びと楽しさだけにして、愛と錯覚しているんじゃないかとか……後悔、しているんじゃないかと、いつも、不安に思っていることは、事実」


「涙も汗も、ぜんっぜんコントロールできないよ、わたし!」

 友里が叫んで、優は友里の中に隙を見つけようとした。尾花駿が言うような、怯えや感情の起伏が見えた時に、上手く友里の心に入り込めれば、良いと思ったが、優は友里をコントロールすることが、そもそも苦手だったことを思い出し、グッと息をのんだ。

(そうだ、友里ちゃんが思うとおりに生きてほしいんだ、わたし。そんな単純なことすら、忘れて……)


「……じゃあなぜ、友里ちゃん、わたしに、離れよう言われてどうして、そんなに傷ついているの?恋人じゃなくなるわけでもないのに」

「え」

「そばにいてほしいと、必要とされていると思っているから、わたしを好きになろうとして、頑張っているんでしょ?離れてもいいと言われて、傷ついたのは、──例えるなら、雨の日に相手を思って自分の傘を譲ったら、キミが濡れるなら、いらないと言われた時のような感情じゃないのかな」


 友里は優の例えがピンとこず、「ちょっと待ってね」と言って青天の空から、雨が降り出した想像をしてみる。

「優ちゃんが濡れていたら、わたしは確かに傘を差しだす。友達だったころって、ふたりで、雨の中をきゃあきゃあ言いながら走って帰ったよね!でも、今、確かに、優ちゃんを濡らさない方法をいっぱい考えちゃうかも」


 友里が優を見つめると、優は友里へ向かって、まだ言葉を続けた。


「幼馴染だったらできていた俯瞰ふかんを、わたしも友里ちゃんも、恋人だから、手をつないだまま走らなければいけないと思い込んでいるのかもしれない。そんなことをしたら、必ず転ぶのに」


 友里も優も、胸が苦しくなっていった。恋人になったからこそ、恋心だと思っていたものが、互いを慰めるためのモノだという結論に達しそうで、黙り込んだ。「いちど関係をリセットしてみたら?」とふたりの中の共通の高岡が、言い出しそうで、友里は、頭の中が真っ白になったが、空想の高岡に対して首を横に振る。


「やだ」

 グッと友里は握りこぶしを作る。


「ぜったいに手を離さない」

 友里は、優を睨むぐらいの強い瞳で見た。友里は、優の腕を掴んで、「優ちゃんの中にある、黒い感情、全部吹き飛ばす強いなにかになりたい」と叫ぶように言った。


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