第237話 貸し

 友里が屋上へ向かうと、鍵が開いていて、高岡がトランペットを吹いていた。長い髪をなびかせて、トランペットだけを携えて、ドアが開いたので、そちらを見たという動作で、しかし友里に気付くと、ロングトーンの練習をやめた。

 高岡は友里の自分を呼ぶ声を聞いて、ドアのところまで歩いてくると、顧問の林に頼んで開けてもらったという。開放日とは違い、誰もいない屋上に、友里はドキドキとして、高岡を見た。ふわりと微笑むので、合わせるようにニコリと笑った。

「駒井優との時間なのに、ありがとうね、友里」

「びっくりしちゃった、優ちゃんが高岡ちゃんに逢っておいでって言うんだもん」


 友里は優が買ってくれたレモンティーを2本とりだして、1本を高岡に手渡した。キンと冷えたペットボトルが、午後16時の日差しに透けてキラキラと輝く。5月の空は高く澄んでいるが、気温が暑すぎるので、ふたりして日陰に逃げた。

「ありがとう」

 お礼を言って高岡はそれを受け取り、まだ蓋は開けず、地面に座った。思い悩むように高岡が黙り込むと、友里はレモンティーのペットボトルではなく、イチゴミルクの紙パックを取り出し、ストローを刺して嬉しそうに飲みだした。

「あなた、ダイエットは……?」

 高岡の低い声に、友里は紙パックをつぶしそうになり、飛び出した液体にゴホゴホとむせた。

「えー……っと」

「朝走ってるんですってね」

「そう!そうなの。優ちゃんちにお世話になってて健康的な食事だし、痩せていくと思うよ」

 イチゴミルクもそうだが、友里のかばんから零れ落ちる小さなお菓子の箱を見て、高岡はそれらを睨みつけた後、ふっと笑った。自分が贈ったスマートフォンカバーを使っていることに気付いた。

「スマホカバー、つかってくれてありがとう」

「すごいキレイ。ありがとうね!」

「ところで先ほど、友里に連絡したんだけど、通じなかったわ」

 友里は驚いて、スマートフォンを確認するが、電波が入っていなかった。しかしさほど慌てることもなく、時間だけ見てカバンに押し込めた。

「基地局がこわれた?」

「まさか。友里、基地をキャッチするチップが壊れたか、停止されてるわ」

 首をかしげている友里に、高岡はすぐにお店に行きなさいとアドバイスをした後、うつむいた。


「ねえ友里、私は友里の信頼を失ってしまった?」


「え!?」


「スマホの停止の理由、心当たりがある顔してる。駒井優に、メロメロ大作戦なんてものをしているのも、心が不安定だからでしょ──お父様の件も、駒井優のことも、相談、してくれないの?」


「んあ!え!?優ちゃん、高岡ちゃんに言ったの?!んもう、ふたりは、仲良しなんだから」

「仲はよくないわ」

 高岡は真摯に、ふざけようとしてむせた友里の背中を撫でる。

 真面目な顔で友里を見つめる高岡に、友里は唇を尖らせた。これ以上、話をしたくないという優の癖を、真似してしまうが、高岡に通じるわけもなく、口を開く。

「メロメロ大作戦ね~……すっごい手ごたえがないよ」

「え!?」

 高岡の驚いた声に、友里は戸惑う。

「ルールを決めててね、えっちなお誘いはナシ、出来れば好きとか愛してるもナシで、優ちゃんが必要だと思うコトを、率先してやってるの」


 友里は、この3日の出来事を高岡に説明した。

 駒井家で早朝ランニングの後、一緒にお弁当を作り、手をつないで、2回ぎゅっとするのは、大好きのサインと決めてみた。手をつないでの登校は、優の時間に合わせている。友里は、教習所には行っているが、喫茶店で愛を囁き合うのも忘れない。

 家では、普段は各々好きに過ごす時間も、一緒に優の勉強動画みてみたり、いつもは優が友里に合わせて派手なアクション映画ばかり見ているが、しっとりとした映画を、優の腕を抱きしめながら見たと、友里は言う。


 高岡が、無言で首を縦に振るので、友里は、少しだけ自分のひざに目線を送って、その時々の優を思い出した。

「優ちゃんはいつも通りなの。冷静で余裕で涼し気で麗しくて♡…コホン。いつもみたいに、桃色の美しい頬をしていて、穏やかに微笑んでいて、「あ!うれしそう」って瞬間はあるんだけど、どこか無っていうか……それなら、普段のほうがよっぽど嬉しそうだし、ちょっとふざけて、お茶目な感じもあるのに、そういうのも封印しちゃってるかんじなの」


 なにか、秘密のアイテムとか必要なのかなあと友里がぶつぶつというと、高岡がようやく口を開いた。

「嬉しすぎて、陶器になってるんだとおもうけれど」

「陶器?」

「駒井優って、友里への感情を隠すのが、趣味……いえ、日常になっているのよ。そういう時は、陶器になるの。壊れやすいけど友里が壊さないことを知ってるから」

「へえ?」

 友里は、優の知らない顔を高岡が知っている気がして、少し高岡をじっと見た。

「壊してもいいのかな?」

「……中からケダモノが出てくるから、友里は触らないほうがいいんじゃない?」

「ええ?なにそれ」

 友里は苦笑して、高岡に優がなにを言っていたか聞きたくなったが、それを聞くのはフェアではない気がして黙り込んだ。


「友里はどんな気持ちで、それを……したの?」

 先に高岡に聞かれて、優に伝えられてしまう気がして横を向く。


「優ちゃんと離れたくないだけなの」

「それは聞いたわ、今、友里の現状だけ、おしえて」


 友里は高岡をじっと見た。

「……もしも優ちゃんに伝えるなら、自分で、が良いなって思った」

「それは、──やっぱり」

 友里は慌てて手を振る。

「高岡ちゃんに信頼がないなんて、そんなことはないよ。わたしの気持ちを、わたしが思うよりもずっとすてきに優ちゃんに伝えてくれてて、優ちゃんは、喜んでるし」

「友里は、駒井優の為を思って、行動しすぎじゃない?あなた自身、いやなら嫌でいいのよ、そうたら駒井優がどんなに聞きたがっても、もう教えたりしないわ」

 友里は、困ったようにポニーテールの髪を両手で掴んだ。もにもにと揉んで、気持ちを落ち着かせるが、赤い顔で下を向く。

「……わたし、すごく、はしたないの」

「友里?」

「えっちもしたいけど、……それだけじゃ、いやって思っちゃってて」

 高岡は、優と友里の深い関係には、気付いているが、いつも友里がその話をするとハッとして目を伏せる。友里は、気持ちを静めた。

「ごめんね、生々しい話、やだよね」

「いいえ、わかったわ、友里は今、駒井優に対して──」


 バンと屋上のドアが開いて、友里と高岡はそちらを見た。

 涼し気な優が、ズンズンと友里と高岡の元へ歩いてきた。友里が赤い顔をして、立ち上がると、優は、高岡から友里を引き離した。友里を抱きしめようとして、しかし躊躇した優に、友里がそっと優の頬に手を伸ばした。めずらしく優が、すこし汗をかいていて、居場所はわかっているのに、全力で走ってきたことに気付いて、友里は驚いて、くすりと笑った。

「優ちゃん、さみしくなっちゃった?カワイイ」

 メロメロ大作戦を続けてみるが、やはり優は、ひとつ瞬きをしただけで、憂いの影を瞳に落として、なにも言わないので友里はしょんぼりする。

(これを壊したら、なにかが出てくるの?本当に?でも、こんなに可愛い存在、殴ったり叩いたりは出来ないよ)

 友里は、優の中になにかが入っていることは、少しだけ気付いていた。それすらかわいいと抱きしめたくて、いつか、優自身が紹介してくれることを願っていた。

 無理やりこじ開けて、優が嫌がったり、むしろ逃げてしまっては困るとも思っていた。優が入ってもいいと言った線の中に、一歩踏み出したばかりで、何をしたらいいか全くわからない。


 そこは迷路のようで、いつか行ったお化け屋敷のようだと思った。


(自分で歩かないとゴールにたどり着けないパターンだ、ゴールがわかってれば楽しいけど、なにもわからないと、すごくこわい)


 優というトロッコに身を任せて、最後まで行くのは楽でいいが、自分の足で、一歩一歩、優を知っていきたいと思っていた。


 高岡は、はあと息を吐いて、優に向かって立ち上がった。

「いま、話をしていたところなのだけど」

「ごめん、やっぱり自分で言う。高岡ちゃんに、任せてはいけない気がした」

「この……わがまま!」

 高岡は、色々な気持ちを内包して、優に噛みつくように叫んだ。

「ひとつ貸しだからね!」


 友里は、優と高岡を交互に見た。

「友里」

 高岡が、友里の名前を呼んだので友里は高岡を見つめた。まだ話がしたい気がして、こくりと頷くが、高岡は友里を通り過ぎて優を見つめたのち、心底面倒くさそうに髪を掻き上げた。

「……私、友里の信頼を取り戻せるよう、頑張るわ。じゃあ私、行くわね。友里もバイトでしょ?」

 高岡の声に、友里は慌てて時間を見た。優も一緒にバイト先まで、ふたりで道すがら話をすることにした。


「高岡ちゃん、わたし、高岡ちゃんを信頼していないわけじゃないよ、ほんとだよ」

 友里が必死に言うと、高岡が微笑んで、首を横に振った。


「ねえ、私も悩んでいることがあるの、友里。あなたたちのわちゃわちゃが終わったら、話を聞いて。駒井優がいても良いけど……、できれば、ふたりきりでたくさんお話をしましょ!」


 友里は、高岡にお願いをされたのが嬉しくて、こくこくと頷いた。高岡が優を少し睨んだ。


「ねえ、友里のスマホ!あなたも気づいてるんでしょ!なんとかして!」と、友里が優には隠しておきたかったことだけ、優に報告されてしまって、友里はぎゅっと肩をすくめた。


 :::::::::::::


「友里ちゃん、スマートフォン……」

 優にぽつりといわれ、友里は話題から逃げようとするが、高岡に暴露されているので、会話に乗った。「まだスマホが壊れただけかもだし」とごまかそうとしたが、優に無言でじっと見られ、友里は白状した。


「……お父さんと、昨日、「そのスマホだって、親がすぐに解約できるんだぞ!」とか言ってたからかな、とは思う……」


 友里は、優に向かって申し訳なさそうに顔をしかめた。

 優が友里の両親に静かに怒って、時間を見る。未成年者がスマートフォンを復帰することはできないので、優は、自分が使っている家族用のスマートフォンを、友里に貸し出した。

「彗にいからしか、かかってこないから、安心して」

「ありがとう優ちゃん」

 友里はお礼を言って、父親と戦っていることを優に悟られたくなかったと言って、目を伏せた。

「わたしも色々調べているよ」

 友里が内情を言いたくないことを悟った優に、そう言われて、友里は顔を上げた。

「家族を引き離すことが本当に良いことかまだ悩むけど……。この問題の根本はすでに、遠距離をするかどうかではなく、わたしが、友里ちゃんをどんなに愛していて、必要としているか、友里ちゃんにわかってもらうことに変化しているから」

「そうだっけ……?違うよ、優ちゃんが、わたしのことを真の意味で必要としているのかどうかだよ!」

「あはは」


 優は乾いた笑いで、友里に向き直った。

 友里は、解せないという顔で、首をかしげた。

「でもねきっと、お父さんが普通にわたしたちのことを祝福しててね、せめて学生のうちは、こっちで暮らそうっ、優ちゃんとは、一生一緒なんだから、もう少し、お父さんやお母さんの娘でいてって言ってくれたら、わたしも少しは、悩んでいたかもしれない」


「……友里ちゃん」

「まあ、うちの親がそんな感じじゃないのは、とっくにしってたけど。こんな面倒な親がいて、いやじゃない?優ちゃん、ごめんね」


「ううん、友里ちゃんを産んでくれてありがとうしか、ないよ」


 にっこりとほほ笑んで、優がそういうので友里は「それ、いつもわたしが優ちゃんに思うことだし」と赤い顔で前髪を撫でた。なんとなく胸がざわつくような気配を優から感じて、友里は優を見上げた。


「優ちゃん、無理してないよね?」

 問いかけると、優がいつものような微笑みで友里を見返すので、友里はホッとしたが、それでも、優がなにか言いかけたので、ちゃんと、耳を傾けようと思った。


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