第236話 糸
金曜日。お昼休みに、優に呼び出された高岡は、いやな顔をして校舎裏へ来た。
「あなた、友里になにかしたの?」
メッセージや通話には応じなかったというのに、腰に手を当てた高岡に叱られるように言われて、優は空を見上げた。友里と優が手をつないで登校している事実は瞬く間に2年生にも知れ渡っていて、村瀬や望月にもなぜか高岡が詰問されていることを、高岡は優に伝える。
「でも、あなたと話することなんか、ないわよ。手つなぎ、いいじゃない」
「わたしにはあるよ。もう3日も、友里ちゃん、早朝ランニングに付き合ってくれているんだ」
「可哀想な友里!」
寝坊するよりずっと健康には良いことなのだが、ふたりして早起きの友里の心身を心配するおかしな状況に、気付いていなかった。
「どうせ高岡ちゃんには、友里ちゃん、全部言ってるんでしょう?気持ちを教えてくれたら助かるんだけど……」
優は高岡に甘えた顔で問いかけた。周囲に5人の女生徒、さらに2階の窓にも数名、生徒がいた。高岡との逢瀬に気を遣わない優のせいで、ギャラリーが増えている。
(友里とだったら絶対人目につかないとこを選ぶのに、駒井優め……)
高岡は髪をさらりと後ろへ流して、優を睨みつけた。
「会話を英語にしましょう。友里の件でもあるし、躾のなってない女になら、意味を聞き取れる人は少ない気がするわ」
優は受け入れる。しばらく英語で罵倒しあっていると、ギャラリーはいなくなったが、そのまま会話は、英語で続けた。
「じゃあ駒井優に質問よ、自分が友里になにをしたかどうか、自己分析だけでも私に聞かせてみなさい」
高岡に言われ、優はバツがわるそうに口を開いた。
「友里ちゃんが離れたくないと言ったのに、心でつながってるから離れても大丈夫って言った」
「……バカだばかだと思っていたけど、これほどのばかを、私は見たことないかもしれないわ。地球に申し訳ないから息をしないでほしいし、あなたの足元の草のほうがまだ役に立ってるわ」
会話の中に幾つの罵倒が入っていたかわからず、優は冷気に吹かれた時のような気持ちになった。
「何のわだかまりもないなら、一緒にいてとお願いした。だって友里ちゃんはお父さんとの親愛を諦めてないと思うんだ。友里ちゃんなら、出来る気もするし」
「はあ、バカ……っ。私には明るく微笑んでくれる友里が、どんなに傷ついたか、想像するのもイヤ。もう、手ひどくふったのと一緒よ」
「ふってないよ。ぜったいいやだよ。メロメロ大作戦って言ってるんだけど、ほんとになんなんだ。友里ちゃんには、もう完全に陥落しているというのに」
優は、両手で顔を抑えた。そしてハッとして、高岡を見上げた。
「待って、もしかして」
「そうよ、友里は私になにもお話してくれないわ。……きっと、ヒナに相談したせいで、迷惑をかけたから、自分で何とかしようとしているのね」
優は頼みの綱だった高岡にも、友里がなにも言っていないことを知って、はあと息を吐いた。
「でも、わたしが言うより高岡ちゃんが言ったほうが、伝わると思うんだ。たった3日で、メロメロだからもうやめてって、親友さまにお伝えください」
「……この……」
高岡はギリリと歯ぎしりをするように、優を睨んだ。
「……どうして大阪に行くの、あんなに嫌がっているのかしら。駒井優なら一緒に来いと言ったら行きそうなのに」
「高岡ちゃんならどうするのさ」
高岡に思わず、自分だったらどうするのかと問いかけた。無意味な質問だとはわかっていたが、聞かずにいられなかった。
「私なら、大阪に一緒に行くわ」
優は、さんざん「勇み足を踏むな」と優に言っていた高岡を、信じられない目で見つめた。
「だって私には、なんのしがらみもないもの。親世代から続く大学に進学する必要はないし、羽田バレエスクールの先生になる夢は、支店よ。友里と一緒になら、きっと先生ものれん分けを許して下さるわ。あなたに教わった英語力もあるから、ワールドワイドに、ゴールデンエイジを育てられるし」
「くっ……強い……」
優は唸って、12歳までのバレエダンサーを育てる先生になっている、高岡と友里の未来を羨まし気に睨んだ。
「そういう未来を選んだ友里ちゃんと、共に生きて行きたいって思うのは、驕りではないだろ。わたしは、友里ちゃんが自分で選んだ幸せの隣にいたいって言っているだけなのに、伝わらない」
高岡は、「そのきもちはすこしわかるけれど」と呟いて、優から目をそらした。
「あんまり毎日せっせとすべてのことを放置して愛されると、急に魔法が解けるように、友里ちゃんが、わたしを好きでも嫌いでもなくなりそうだし、それをのぞんでいるような気がする自分に気付いてしまって、……こわい」
「……ずっと不満なんだけど、どうしてそんなに不安なの?」
「高岡ちゃんはわかるでしょ?友里ちゃんみたいな良い子が、わたしをあんなに好きなの、不思議だって」
「……顔が好きなんじゃない?」
「顔か……」
高岡は普段から優を罵倒している分、多く否定もできず横を向いた。優は髪をかき上げて、整った顔立ちを露わにして、高岡を見つめた。
「わたしがフったら、高岡ちゃんが友里ちゃんを幸せにしてくれるんだっけ?」
「するわよ」
「……っ」
「明らかにムッとした顔してんじゃないわよ、腹立つわね」
「人のことを、さんざんケダモノみたいに言っておいて、即答だなと思って」
「わたしは、ケダモノ心はないもの。ただ、あなたが捨てるなら、きっと友里は壊れてしまうから、そばにいてあげないと」
高岡は、優よりも存在価値があると言い放った雑草を跨ぐと、ピョンと横にはねた。その仕草が、友里のようで、優は友里に逢いたくなる。けれど逢うと、メロメロ大作戦を実行されるので、胸が痛い。
「友里ちゃんが、どこか遠くで幸せでいるのを見守りたい」
「最低」
「だって、あんなに可愛い良い子、心臓が持たない。でも先に死ぬのはいやだし、死を見守るのも嫌だ。そばにはいたいけど、わたしの意見はひとつも気にかけないで、永遠に好きに生きていてほしい」
「……もう、なんなの?惚気てるの???この一大事に???」
高岡は、優の著しく落ちたIQを叩いて直したい衝動にかられたが、真人間なので美しい人の形をしている陶器のような優を殴る手は、持ち得てなかった。
「ところで私、友里にスマートフォンカバーをプレゼントしたわ」
「え」
突然の話題転換に、優は少し高い声を上げた。今まで優の好きな色の紺色だった友里のスマートフォンカバーが、白地に美しい花々のケースになっていることを思い出す。
「そしてお礼にこのハンカチをもらいました」
見ると、友里の刺繍が施されていて、高岡にもプレゼントしたのかと優はチクリと胸が痛んだ。花はミモザで、「友情」を意味するが、「秘密の恋」とする国もあって、友里がそこまで各国の花言葉を理解して刺繍したとも思えないが、無駄な知識が優の思考を邪魔する。
「嫉妬するでしょ?するって認めて」
「……」
口に出したら醜い気がして、淑女らしく凛とした優に、高岡は、追随する。
「みんな当日はあなたに気を遣って避けてて、早めに渡してるのよね。村瀬は、前に寝具を送って玉砕してたから、消えもののケーキを渡したみたい。それはすごいチョコケーキ!友里の脂肪となってともに生きるわ。望月は、お裁縫に使うかわいい待ち針。使えるものだから考えたわよね。ヒナは、10色ボールペン。友里は、お裁縫をする時にデッサン画を描くから、喜んでいたわ」
「みんな友里ちゃんの喜ぶ、誕生日プレゼント渡してて、カワイイな」
「乾さんは、コスメセット、岸辺さんは、バナナクリップ、あとは、キヨカさんと真帆さんが、メイクブラシ一式をくださって、恐縮してたみたい」
「なんなの、友里ちゃんの仲良しが多いねって話?」
「嫉妬した?」
「……わかった、したよ、だから?」
「大阪にひとりで行かせて、友人が出来たらこの比較にはならないかもよ。だってもう、王子さまにしか見えない駒井優を「淑女だ」と言いふらして奇異な目で見られる事もなく、ちょっとおせっかいだけど明るくて朗らかで、髪がキレイで女の子らしいスタイルと手触りのいい友里がいるだけなんだもの」
「!」
「あなた、現実が見えてないんじゃない?あの素敵な笑顔の、横顔や、後ろ姿だけ見てて、満足するわけ?」
優が、胸をおさえた。またオーバーキルされた気がして、深呼吸をする。
「くっ……」
高岡はひとしきり罵倒し終えて、ふうとため息をついた。
「さて、本題に入るわ。あなたが約束してくれるなら、あなたの味方になってもいい」
優は、ずっと敵だと思っていた高岡の申し出に、思わず目を見張る。罠だと思って、慎重に進んだ。
「なにを対価に?」
「友里の幸せ」
「……そんなの、いつも考えてるけれど」
「どうかしら?」
優は、胃をおさえると、どうしたらいいのかわからず唸った。すると高岡がニコリと妖艶な笑みを湛えた。
「その前に確認、あなたの味方って具体的に、なに?はっきりと決めて。本心では、ひとりで大阪に行かせたくないんでしょ」
「わたしと友里ちゃんを、ことあるごとに別れさせようとしないで」
優はいつも感じている悩みを、打ち明けたが、高岡にバッサリとNOを突き付けられた。
「進路に合わせて、東京で、ふたりで住みたい、これでいいわね?」
「……あくまで、友里ちゃんがわだかまりなく、それを選んでくれるのなら」
「あ~~~!!うっとうしい!!!」
しかし高岡は、優の味方になることを約束してくれた。
「心強いよ」
「まあ、私は獅子身中の虫なんだけどね。私も虫の仲間入りよ、駒井優」
高岡のことを眠れる獅子と思っている優だが、それは口に出さない。
「早速の裏切り発言、頼もしいよ」
高岡は、グンと伸びをした。
「友里と話をしてくるわ。放課後の時間を、ゆずってくれる?」
凛とした高岡がふわりと微笑んで、優はドキリとした。高岡は本当に友里のことを何と思っていないのだろうかといつも不安だ。彼女を、親友の位置に置いておけるのは、あくまで高岡が、友里の幸せを願ってくれているからで、優がいなければ、高岡と恋に落ちたのではないかと思う。そもそも、優よりも、高岡のほうが友里のタイプに近い。スレンダーで女性らしい丸みを帯びていて、サラサラの長い黒髪が良く似合う。優は、高岡のようになりたかった。
「うん、嫉妬するけど……」
「ばか。誕生日まで、あと5日よ。1カ月と言わず、それまでには仲直りしなさいよ、ほんとに、どうしようもないバカだけど、友里は、あなたが──~~~~!!言いたくないけど、あなたしかいらないんだから。せいぜい頑張って口説き落としなさい!!!!」
高岡は、優に向って、深いため息をついた。お昼休みを終えるチャイムが鳴って、高岡はまだ話がしたい優を置いて、教室へ戻って行った。
(わたしだって、友里ちゃんしか、いらないのに)
優は額に握りこぶしを当てる。
いますぐ友里に逢って、キスをしたかったが、その行為だけでは、友里は不安を募らせるのだと思って、ため息を吐きだした。商業科に駆けこんで、「友里ちゃんが好きだ!」と叫べばいいのだろうかと考えてから、さすがに友里に迷惑が掛かると思い、二の足を踏む。好きと言う言葉に、あまり効果がなくなっている気もした。
素直に高岡を味方につけられたことにホッとしていた。優の友里への気持ちを、もしかしたら、友里よりも、深くわかっているのは高岡だけかもしれないと優は思った。高岡という淡い糸に縋るしか、なさそうで、優は思わず、芥川龍之介の「蜘蛛の糸」に登場するカンダタの気分になった。
細い糸にぶら下がって、煉獄から極楽への細い糸を這い上がる自分を想像した。お釈迦様である高岡と、蜘蛛の友里が垂らしてくれた一筋の光る糸を、「わたしだけの糸だ」と言い張って、ひとり占めして、亡者の群れを追い払う優に幻滅して、いつ糸をプツンと切ってしまうかわからない。
「はあ」
思わずため息を吐くと、隣の男子が、優の5時間目のテスト結果を覗き込んで「満点のどこが不満なんだ……」と心配したように言った。
”放課後15分”を譲ったことを思い出して、優は胸が苦しくなった。
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