第230話 エスケープ


「待って、待って、優ちゃん?」

 友里が言うと、優は無言で友里を抱きしめた。

 優に唐突に「大阪へ行け」と、言われた友里は慌てた。優はいつでも、友里のためを思って考えてくれる。優の感情のどこかがかけ間違えていることに気付いた友里は、気持ちだけでなく、体も常に優の傍にいたいことを、必死で訴えた。


「優ちゃんと、触れてたい、抱きしめたい。ほんとは、毎日だってキスしたいって思ってる。欲張りでごめんね。離れても気持ちは変わんないけど、離れたくないの!」


 友里は起き上がって、優の腕を掴むと、座る優をじっと見た。


「親に、逢いたいって思ったらあえる距離にいるから、恋に落ちたって言われたの」

「──うん」

「でも、芙美花さんに、なにがあっても恋に落ちたって言われたから、嬉しくて。やっぱうちの親とは違うなって。出会ったら、離れたくないのは、正しいでしょ?優ちゃん、わたしは、離れたくないって言っている」


「友里ちゃん……。友里ちゃんと、出会えてなかったらと思うと、胸が苦しい」

「うん。わたしも」

「想いあっていれば、距離が離れても、なんてことない」


「~~~~!やだあ」


 喧嘩しようと思っていた友里だが、あまりにも優が『離れて当然だ』という態度をとってくるので、泣くつもりもないのに、涙があふれてきてしまった。

「友里ちゃん、ごめん」


(なんで、いつもみたいに、ふざけられないんだろう)


 冷静に、泣く自分を見つめている友里は、優を見上げた。泣いてしまったせいで、話合いというよりも、友里をどう慰めるかに方向転換しているような優に、気付いてときめいた。心がすこし穏やかになり、ごしごしと涙を撫でつけて、精一杯笑う。


「ユウチャンカワイイ。優ちゃんと離れる人生なんて、わたしじゃないよ!おばあちゃんになって死ぬとき、少しでも、離れてたことがあるって走馬灯に流れるたら、死んでも死にきれない!って、うぐぐって歯を食いしばると思う」

 しかし優は、友里のふざけた空気には一切乗る気がないようで、真摯で凛とした佇まいで、友里を見やった。


「友里ちゃん、いつから悩んでたの?」

 優が問いかけるので、友里は、「もう」と言いつつ、言いよどんでから、GWのヒナとの花火大会の日からと言った。


「2週間も、友里ちゃんが悩んでいたことに気付かなかったなんて、本当に情けないよ。友里ちゃんのこと、なにもわかってないんだ、わたしは。いや、むしろ、友里ちゃんに、本気で隠されるとわからないことが分かって、良かったのかもしれない」


 優は、ぎゅうとさらに強く、友里を抱きしめた。抱かれながら、友里は優をどこか遠くに感じた。そんな気持ちになったのは、初めてだった。


「遠距離になったら、むしろ、ちいさな問題だから、わざわざ言うまでもないとか、友里ちゃんが思っていること、今よりずっとわたしに言いやすくなる気がする。わたしだって、そう。今よりずっと、相談し合える仲になれるんじゃないかな」


 友里をじっと見つめ、優は続ける。

「わたしが、相談しなかったから、そう思ったってコト?」

「大丈夫。離れても、大好きだってことを証明して、ご両親からも、友里ちゃんとわたし、祝福されようよ。皆に、祝福されたいって、いつか、友里ちゃん言ってたでしょう」


「!」

 友里の瞳から、またボロボロと涙が零れ落ちて、優を突き飛ばすと、ふたりの部屋から飛び出していった。


「友里ちゃん!?」

 優の声がしたが、友里は必死に走った。パタパタと猫の足を模したスリッパの音をさせて走ったので、音が反響して、優が追いかけてくる音と反対の方向へ、必死で走った。


 ::::::::


 部屋を飛び出した優は、友里が階段を降りたと思い、慌てて1階へ駆け下りた。すでに芙美花が帰宅していて、友里の所在を問うた。母親はまったりとした風体で、スマートフォンを一度ちらりと見てから、「玄関から出て行ったけど」とのんびり言った。

 優は慌てて家を飛び出した。角を曲がったところにある、友里の家は、人の存在を感じなかったが、チャイムを鳴らしてみるも、返事はなかった。


 インターフォンに向かって、優が話しかけようとした後ろを、車のヘッドライトが照らした。振り向くと、芙美花のセダン車の助手席に、泣いている友里が乗っていた。


「え!」

 驚きの声を上げるが、車は走り去ってしまう。


(そうだ、友里ちゃんが泣いて飛び出したのに、妙に冷静だと思った!)


 駒井家は友里の味方ばかりだということを、失念していた優は、悔しさから車を追いかけそうになったが、自宅へ戻り、待っていた彗を捕まえた。


「友里ちゃんが泣いて飛び出てくるから、何事かと思った」

「……」

 とりあえず落ち着きなさいと、暖かい紅茶を差し出されて、優はダイニングテーブルの椅子で小さくなった。


 あらましは、こうだ。


 ふたりの部屋から、泣いて飛び出した友里を、ちょうど帰宅した直後の彗が、階段前で発見。彗の部屋へそのまま押しやって、彗が友里のように階段を降りたふりをして、優が友里を追いかけて1階へ行ったことを確認したのち、芙美花にスマートフォンで連絡、口裏を合わせてもらった上で、優が飛び出た後、芙美花に友里を渡した。


「どうして……そう、とっさの連携が上手なの……!」

 優は、痛む頭をおさえた。


「だって、友里ちゃんが優の胸で泣かないなんて、よっぽどだろ」

 彗が、ため息をついた。

「勘が鋭い……」

 普段ポンコツのくせにと言いかけて、今は自分の方がよほどポンコツだと思った優は、口を噤んだ。


「伊達に、ふたりのおにーちゃんを何年もしていないので!お互いに泣くときはそばにいるのにさ、これはなにかあったなあって」

「思ったなら、わたしに、返してくれたらいいのに」

「だって、友里ちゃんが優の胸で泣かないって、よっぽどだろ」

 2度同じことを言われて、優は「ああ」と頭をおさえた。


「友里ちゃんが、お父さんとお母さんの意思を無視して、わたしのために、こちらに残る決意をしてくれて」

 早口で説明をすると、彗はキョトンとした。

「優が小さいころから、ずっとそうだろ」

「それは、……周りの大人が、わたしのために友里ちゃんの意思は関係なく決めたことでしょ。今回は、友里ちゃんが、自分の気持ちでそうしてくれるって言うから、わたしは……、わたしは、友里ちゃんが、両親よりも、わたしを選んで本当にいいのかなって、もっとよく考えてほしいと思ってしまって」


 彗は、妹の瞳を見つめた。優は、少し目をそらして、手をテーブルの上で組んだ。

「婚約したんでしょ」

「……うん」

「結婚って、そういうことじゃない?戸籍を抜けて、ふたりで、新しい家庭を作ること」

「でも、それは祝福の上で、でしょ」

「別に誰かれ全部に祝福なんて、優だって甘いって思っているでしょ。自分のことになると、わかんなくなっちゃうのかな」

「……」

「それとも、優も自信がないの?」

 彗の言葉に、優は、少し首をかしげた。

「も?彗にいも、自信が無いの?」

 彗は手のひらで顔を覆うと、はあと息を吐きだした。


「自分のことになると、そうだよなと思って。両親全部、いや、もう全人類に祝福されて、結婚したいって、なんで思っちゃうんだろうな?」

 彗と紀世のことだと、優はすぐに気付いた。

「紀世さん、だめなの?」

「ん、まあ、あっちの親はニューヨークから帰ってこないから、治療が終わったら、こっちにこいの一点張りなんだよ」


「ネグレクトする親って、どうしておとなしく、自分のところに子どもが来るって思うんだろうね?」

「ほら、優だって、他人のことだとよくわかるだろ?それだよ」

 彗が、思わず苦笑すると、優は、ハッとした。

 友里にとって、苦しい選択をさせてしまいそうなところだということに、ようやく気付いて、青くなった。


「わたし、なんてことを言ったんだろう」

「謝ろうな、兄ちゃんも、一緒にあやまってあげるから」


「なにそれもう……」


 優は、彗に子ども扱いされて、肩の力が抜けた。

 彗が芙美花にすぐ帰るよう、連絡をするために、スマートフォンを眺めて、ぎょっとした顔をした。


「──優、お母さんから伝言。『友里ちゃんは預かった、返してほしくば、明日、18時に思い出の地に来い』だって」


「思い出?!なにそれ……!」


「あと、『優は必ず学校へ行くこと』だそうです」

「は?友里ちゃんはお休みするの!?……!」


 優は、自室に戻って、友里のスマートフォンを手に取った。友里は着の身着のままで、連絡手段は一つもない。芙美花に電話を掛けるが、出ようという素振りすらないので、優は、彗にOKの伝言を託した。


 まんじりと夜が更けていく。


 :::::::::::::


 彗が、翌日、学校までの送迎を買って出て、睡眠不足の優を少しの時間、眠らせることにした。

 優は眼だけ閉じて、深いため息をついて、彗のSUVの助手席で、昨夜からずっと同じ思いを巡らせていた。


(友里ちゃんとの思い出の土地って?)


 ふたりで行った、ショッピングモールや、アスレチックがあるピクニックコース、もっと小さい頃、友里が見つけてくれた、花火が美しく見える小高い丘。

 公園は、いつもふたりで待合せているが、家から近すぎるので、芙美花が指定した場所とは思えなかった。


 友里の通う、清掃のバイトの温泉施設まで深夜に迎えに行ったこと、茉莉花に連れまわされた湘南や箱根、ふたりの気持ちが通じ合った気がした沖縄も、想いを伝え合った豊穣高校文化祭も、不安をぶちまけた空港も、プロポーズした大阪、思い出と言えば、すべてが思い出の土地だった。ただ、そのすべてを芙美花に把握されているとしたら、恥ずかしさでどうにかなりそうで、優は、「ああ」とため息を漏らして、眠っていると思い込んでいた彗にビクリと怯えられた。


「優、大丈夫?」

「選択肢が多すぎて、絞り切れない」

 彗の質問に、優は唸った。

「もう一回、母さんに連絡してみるから、18時まで、優も大人しく、学校へ行くんだよ」

「18時って、母さん、友里ちゃんのバイトも休ませる気なのかな」

 優が、友里のスケジュールを把握していて、彗は苦笑した。

「ねえ、どうする気なんだろうねえ」

 優の肩をポンポンと叩いて、慰める。


「……わたし、ピンチの時ほど頭が冴えるんだって思ってたけど、ぜんぜんだ」

「あんまり無理しないでね」


 彗は、学校の前に優を下ろして、なにかあれば連絡することを約束し合って、職場へ向かった。優は、カバンを脇に抱え、踵を返すと、学校とは別方向へ走り出した。


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