第225話 限界

 土曜日、教習所。蔦木は友里に、頭を下げて、もう一度チャンスを欲しいと、受講をお願いした。

「でも、出来なかったら、判子おさないよ」

「こらぁ!」

 小波渡に後ろから殴られて、蔦木は振り返った。

「友里さん、もう事務所にかけこんで!」

「ま、まって!」

 友里は、蔦木を信じて、講座を受講した。蔦木は今までの様子はなんだったのかというほど、丁寧で、親切で、まさに、受講する前に口コミで見た『やさしい先生の多い教習所です』の看板を背負う人のようだった。

 念願の判子を貰えた友里は、ピカピカの笑顔を見せる。

「ありがとうございました!!」

 友里が、事務所に判子がもらえたことを報告へ行った後ろ姿を、小波渡と蔦木が見送る。後部座席で様子を見守っていた小波渡は、蔦木の肩を叩いた。

「友里さん、出来る子だろ。悪意に対する懐がでかい。紀世さんが一目おくわけだ」

「でも認めたくない!紀世さんの傍にはふさわしくない!」

 小波渡はイラッとして蔦木を見た。

「ああホント、蔦木はバカすぎて、地球に申し訳ないけど、穴があったら埋めたい」

 はあ〜と、小波渡は深いため息をつきながら、顔を抑えた。

「蔦木、お前、わたしがいなきゃ、懲戒解雇だからな」

 さすがに真剣に謝る蔦木を一瞥して、小波渡は、次の授業のために立ち上がった。


 友里が教習車の横に立っていたので、さっそく授業を開始する。ある程度の点検と、諸々をこなし、すっかり慣れた教習所の運転をやすやすとこなしていく。滞りなく済み、やはり友里と小波渡は、運転に関して相性がいいと言い合った。

「今日は3コマ全部、よろしくね」と小波渡が微笑み、友里は了承する。


「あとさ、蔦木が落とした分の受講料、わたしが肩代わりしてもいいかな、さすがにあれはひどい。ドライブレコーダー見たよ」

「え!?いや、でも」

「所長も了承済み。タダにはできないから、こういう形になるけど」

「申し訳ないです、でも、どうして蔦木先生からじゃないんですか?」

 友里が問うと、小波渡はキョトンとした。蔦木に貯金などないことを言うが、たしかになぜ小波渡がと、友里が疑問に思うように、小波渡も思った。

「──それは、持ち帰り案件ってことで。まじでごめんね」

 友里は頷いて、3回分の受講料を受け取った。「これで、和解、と」と言われ、心臓がどきりとした。


「適宜に、免許とれるまで、がんばりましょ」

 友里はカバンに封筒をしまい込み、「はい!」と返事をして、小波渡との授業を、真面目に楽しんだ。


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 ペーパームーンで16時に優と待ち合わせた友里は、そんなわけで浮いたお金で、優とどこかにお出かけしたいと優に身を乗り出した。

「浮いたわけじゃないでしょ、貯金から切り崩したんだよね」

 優に正論で言われ、友里はしょんぼりした。

「だって。だって、優ちゃん最近お勉強ばっかで、息抜きも必要かなって」

「それは……」

「優ちゃんがお勉強している横顔はまるでお月様みたいで、何時間でも見飽きないし、いつまでも眺めていたいくらいなんだけど♡」

 友里が色っぽくため息をつくので、優はなにも言い返せなくなった。


「おふたりさん、今日は何食べてく?」

 土日、ペーパームーンでバイトをするようになった村瀬に声をかけられて、友里と優はようやく、メニュー表を見た。

「和風パスタと、ニューミートグラタン、と言いたいところだけどまだ16時だから、紅茶だけ飲んで帰るね」

「お、残念。俺の自信作なんですよ、それ、今度はぜったい食べてください」

「ニューってとこが、村瀬っぽい名前だと思った」

 優に言われて、村瀬は少し睨んで笑って、手を振った。お店は、まだ教習所の客がすこしいるくらいで、静かなジャズが聞こえる。すっかりお気に入りの喫茶店になった優と友里は、最後の紅茶を飲み干した。

「あ、待って、良かったらケーキ食べて行かない?」

「この後予定があって」と一応友里は言ったが、ケーキの一言に友里のしっぽが振れたように見えた優が、頷いて答えた。


「俺のグラタン食べてけばいいのに」

 村瀬に言われながら、友里はにへっと笑う。ニューミートグラタンは、大量のミートソースがホワイトソースに絡んだ、ラザニアのような、パスタの代わりにごはんの入ったものだった。

「うう、おいしそ。でも、2kg痩せなきゃなの、わたし」

「アハハ、太ってください」

 優と友里の前に、長方形のチョコレートケーキが並んだ。

「オペラなんだけど、どちらかというとカルターフントみたいな」

 クーベルチュールチョコレートで、バターたっぷりの硬めのスポンジを三層でまとめた硬めのケーキは、甘くしびれるような味だった。

 友里と村瀬が「あんずのお酒!」だの「有塩バターで作ったクッキー寄りのスポンジ!」だのと甘党軍団の掛け声で盛り上がる。

「ぜったいみんな好きな味!コーヒーのお酒味も作って」

「友里さぁん♡でも、コーヒーの邪魔になっちゃったら宏衣に悪いスわ」

「別にいいよ、詠美が2種類作るの、面倒じゃなければ」

 友里に褒められて、でろでろになっている村瀬を、優が冷たい目で見るが、宏衣がまあまあとなだめてくれるので、優は落ち着かせるために、紅茶を飲んだ。ケーキは優には甘すぎて、ふたくちでギブアップしたが、紅茶をひとくち飲むとちょうど良いことだけ、宏衣に伝えた。

「詠美が、甘党には絶対ウケるっていうから、おいてやろーっておもってさ」

 常連らしき客が、自分にもケーキをと注文するので、村瀬は接客に戻った。


「それ食べきったら、紀世さんのお見舞いに行こうか」

 優に微笑まれて、友里はうっとりと「うん♡」と言って、顔をパタパタと仰いだ。

「優ちゃんが、いつもの1000倍可愛く見える……!お酒で酔ったのかな」

 優は、まさかと首をかしげたが、村瀬と仲の良い様子を見せつけられて、いつもよりも友里が自分を見てほしいと思っていた分が出たのかもしれないと思い、顔を赤く染めた。

「それとも最近、……してないからかな」

 友里が小さく囁くので、優はドキリとした。


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 数日前、火曜日。放課後、友里との”放課後15分”を終えた優は、ヒナが指定した階段の踊り場に行くと、高岡も待っていて、驚いた。

「どうしたの」

「どうしたもこうしたもないよ。友里が悩んでるの、気付いてないの!?」

 ヒナに言われ、優は驚いた。友里の相談相手は、自分と高岡だけだと思っていた。

「嫉妬とかは、置いといて、聞いて。駒井優は、友里と帰れなかっただけで、そこまで不機嫌にならないでほしいわ」

 全くいつもと変わらない優の表情を指摘した高岡に、ヒナが思わず突っ込んだ。

「え!?全然いつも通り、顔が良いだけだけど!?」

 高岡に指摘された優は、素直に感情を吐露する。

「……火曜は、友里ちゃんのバイトが無い日で、教習所だけだから、送って、喫茶店で18時まで勉強して、友里ちゃんと、そのままご飯を食べて帰る日で」

「デートの予定だったのね、それは失礼しました。でも友里の事を、知らないまま一緒に過ごすよりいいでしょ、間に合うわよ18時には」

「……!」


「友里が、ヒナに相談したそうなのよ」

 優は、襟を正した。


「もしかしたら、大阪の学校しか、受験させてもらえないかもって」

 優はドキリとして、思わず、目を丸めた。

「どうするんだっけ、駒井優は。週2で逢いに行く?」

「……」

「朱織、そんなの、今言ったって仕方ないでしょ」

 ヒナに言われ、高岡は憎まれ口を閉じた。

「優さんに、相談できなかったのは、優さんを傷つけずに伝えるにはどうしたらいいか、ワタシに意見が欲しいって感じだったんだから、朱織が傷つけてどうするの」

「信頼されてないのかな、わたし」

「そんなわけないでしょ、バカ」

「でも」

「友里が、あなたの人生設計を変えたくないって思ってるのが、わからないの?」

 高岡の言葉に、優は手のひらをグッと握る。

「でもヒナさんにだけ、相談したのは」

「フラットな状態で聞きたかったんでしょ、私もあなたも、友里が大阪の父親と仲たがいしているのを知っているし。生まれ育った土地を、自分の意思に沿わない形で離れるかもしれないと思うだけで、不安なのに、友人に、自分のことより、あなたを傷つけない方法を相談するなんて!」


 優は、高岡が怒っている理由にようやく気付いて、まるで刀が背中まで貫通したかのように、胸をおさえた。

「友里はこんな自分ばっかの女の、どこがいいのよ!」

「ううっ」

「朱織、すごい。でもオーバーキルだよ~!」

 高岡に対して、ヒナの目がハートになっていることに、優だけが気付く。


「友里に、『自分は行きたくない』ってことと、『そういう話になっているってコト』を、伝えても『優さんなら支えてくれるよ』ってアドバイスしといたよ」

 ヒナがそう言い、優は、お礼を言う。高岡が、腕組みをしてため息をついた。

「友里が、「大阪に行かなきゃかも」と言い出しただけで、急に怒りだして、父親の元へ走ったりしないとイイと思って、こうして前もって、言ってあげたわ」


 ヒナに相談を受けた高岡が、気を利かせたことが分かった。優は急に熱があがったような気持ちになって、おでこを大きな手のひらで抑えた。


「優さんはとっくに気付いてて、心配してるのかと思ってた」

 ヒナの優への期待過剰な信頼を浴びて、優は、自信が無くなる。

「理性が無いから、心配なのよ」

 憎まれ口を叩く高岡にも、反論が出来ない。

「優さん、普通よ!恋人の悩みを人から聞いたらショックなのは、フツー!」

 ヒナの優しい声に、優は口を開いた。

「なんだか元気がないのは、教習所がうまく行ってないからかなと思ってた。いま、一緒に暮らしているのに」


 優は額を抑えたまま、ため息をついた。

「一緒に生活してるからこそ、友里は気が張って、言えないのかもしれないわ。ひとりになって考える時間があれば、あなたにどう伝えるか、考えられる子なのに」

「……ひっつき虫でごめん」

 ヒナが撮った写真で見事に、優がそばにいる証拠を撮られた件を言って、優が高岡を見やる。高岡は、伏目がちになって、小首をかしげた。


「また先んじで、色々画策して、友里の考えを止めないであげてね。あなたは、友里と、想いあっていて幸せだってことを忘れないで。彼女の決めたことを最後までちゃんと聞いて、自分の気持ちを考えておきなさい。そうすれば、こたえるだけでいいんだから。あなたも、ちょっとは、離れなさい!」


 高岡にくぎを刺されて、優は頷いた。


 :::::::::::


(離れろと言われて、体を重ねないことしか思いつかないなんて)


 優はそれ以来、禁欲を課していた。まだ明るい、初夏の帰り道、友里が周りの目を気にすることなく、腕にしがみ付き、ムニムニと体を押し付けて「お誘い」をしてくる。ちらとみやると、蜂蜜色の瞳をふんわりと細めて微笑み返してくれるので、優はもう、限界を感じていた。

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