第226話 時間
元気な紀世をお見舞いし、まだ明るいうちに帰宅した友里は、早めのお夕飯を頂いたあと、お風呂で、水滴を浴槽の淵にあつめて遊んでいる。
今週ずっと、優は、夜遅くまで勉強をしている。眠る友里のために、スタンドライトだけで勉強しているので、優の視力が悪くならないか、心配だ。
(でも優ちゃん眼鏡姿もかわいいかも)にへっと笑う。
紀世にもらったクリームセットに、お風呂用も入っていたので、それを試してみることにした。説明書に、「泡をピンポン玉大に手のひらに出したら、顔に伸ばす」と書いてあり、その通りにする。
(なにも考えない)
生まれ育った土地を、というより、優と、離れるかもしれないという不安は、友里の中にはなかった。優と離れる選択肢が、もともと存在しない。
それよりも、優が、1週間も友里に触れてない問題のほうがずっと気になっていた。キスで気付いた。友里がすれば、その百倍のキスを返していた優が、天使の微笑みで友里を手放すので、友里はおかしいと思っていた。
(まさか、大阪行きを勘づいて?……優ちゃん色々考えすぎると、わたしに触れなくなるから……、それとも、他に好きな人が?神さま……)
友里は、考えて、悲しくなった気持ちを洗い流すように顔のクリームをおとした。もやもやした気持ちとは正反対の、ピカピカの頬になり、少し気分が上がった。
もう一度浴槽に浸かり、今度こそぼうっとする。
(優ちゃん……いつもこうして……)
お風呂のなかで、自分を後ろから抱きすくめる優を思い出した。胸の先端を指の間にはさんで、優のように少し動かす。いつもなら、なにも感じないのに、今日に限って体が痺れて、友里は声がでそうになった。
(っ、なにこれ)
ひとりでしたことがなかった友里だが、好奇心が沸々とわいてきて、優がしてくれるように、指先を滑らせた。お湯のなかで、脇腹から、太ももへ、また胸に戻って、しっかりと胸を下からつかむ。
(優ちゃん……)
ちゃぷんとお湯が波打った。お湯が汚れてしまうかもと思ったが、快楽のほうが勝って、それも興奮の材料になった。
「んあ…っ」
思っているよりも、浴槽に自分の声が響く。脱衣所を出てすぐの机に座る優に聞こえたらいけないと思い、友里は拳を唇に当てた。
(どうしよう)
おへそあたりに手を置いた、指をピアノを弾くような仕草で、そこに停滞させる。もう片方の手は、優の口づけのように鎖骨辺りで、レミファと弾いた。友里は、ふうと息を吐いた。下にさわったら、ダメな気がした。
(今、優ちゃん、呼んだら、来てくれるかな……)
優を想うと、びくんと体が跳ねた。
「あ」
胸の先端が硬くなっていて、友里の指は惑いつつ、そこに戻った。まるで優を抱こうとしている時のような気持ちになっていた。
「優ちゃん……っ」
体をくねらせて、奥へ触れようとした瞬間、口にお湯が入って、慌てて起き上がった。すこしむせたが、水を飲むことはなかった。
「あっぶな……!」
(お風呂でおぼれる理由が、ひとりえっちとか!)と友里は、恥ずかしいやら、怖いやらで、脳内に花火が打ちあがっているような状態だった。
すこしずつ落ち着いて、自分がしていることに、やはり恥ずかしくなり、深呼吸をした。お湯から出て、タオルで濡れた全身を拭いて、下着姿で髪を乾かしてから、キャミソールと短パンをはいた。
:::::::::::
脱衣所から出ると、優はこちらに背を向けている状態で、ノイズキャンセリングの付いたヘッドフォンをして、予備校の講座を受けていた。
友里はサっとベッドへ移動した。なんとなく優に合わせる顔が無くて、振り向いた優に軽く手を振って顔をそらすと、教習所の教材を開いて、問題を解くふりで、優の横顔を眺めた。
「友里ちゃんどうしたの?」
そんな態度をおかしく思ったのか、優がそばに来た。(いつもなら勉強から手を離さないのに!こういう日に限って勘がいい〜!好き)
ひとりでしたことが頭をよぎって、顔がみれない。パッと目をそらすと、優の手のひらが友里の頬を優しくつつんだ。
「お勉強中にごめん、熱とかないよね?」
優の律儀さに、友里は(やっぱり淑女なんだから)と惚れ直してしまう。
「熱なんかないよ、いちだんらくしたの?今夜は一緒にねむれる?」
「先に寝てて、まだ今からだから」
「優ちゃん、5時半に起きてランニングもしてるんでしょ、体壊しちゃう」
「何年もその生活だから、全然大丈夫だよ」
「前は、10時には寝てたもん」
22時を過ぎるとウトウトし始める優の可愛さを、友里が滔々と言うので、優は照れたようにはにかんだ。友里は笑顔に見惚れながら、そっと、優の腕を撫でた。
「ねえ優ちゃん、大好き、今日だけは、一緒に寝よう?」
「──っ、友里ちゃん、どうしたの?」
しっとりと触った友里の気持ちは、確実に、優に届いているのに、『しかしなにも起こらなかった!』とテロップが出るようだ。優が、パッと離れて机に戻ろうとしたので、友里は背中に抱き着いた。優の体がビクリとした。やはりわかっていて、拒否していることがわかって、友里は涙目になった。
友里は、思い切って、優をベッドに押し倒そうと、ぐいぐいと引っ張った。しかし、優のほうが筋肉質で背も高く、それは叶わない夢だった。優が、その気になってくれないと、押し倒すことは不可能だ。
「わかった。わかったから、いったんはなれて」
呆れたような声の優に言われ、友里はしょんぼりしながら離れた。優が、おとなしくベッドに腰を下ろし、「おいで」と友里を膝に招いた。
「どうしたの?寂しくなっちゃった?」
優の甘い声に、友里は、背筋がゾクリとしたが、いますぐしたい気持ちを抑えて、優の胸に飛び込み、気持ちを吐露した。
「あのね、ひとりでしてみたの、おふろで」
「な……っ友里ちゃんは、いつも突然なんだから」
優の心臓がバクバクと高鳴った。友里はそれを聞きながら、「なにを」と説明しなくても、ちゃんと意味が分かったのだと気付いて、恥ずかしさで優の胸に顔をうずめる。
「気持ちよかったけど、溺れそうになってあわてた」
「え!大丈夫?水はのんでない?」
優が過保護に心配してくるので、友里は、頬が熱くなる。
「……どんな風にしたの?」
優の声が、甘い気がした。友里は、優の胸から顔があげられなかった。
「優ちゃん、して見せろって言ってる?や、淑女な優ちゃんが、まさかね?」
「……」
思いのままが口から飛び出て、友里は勝手に照れた。しかし優は無言で、そこまでしないと、もしかして、「お誘い」に乗れないのではないかと、どきりとした。甘く重い空気が流れている気がした。友里は、キャミソールの上から、自分の胸をそっと撫でた。
(優ちゃん、ひとりでするのは普通のことって言ってた。間違ってないか教えてくれるのかも)
煮え上がる寸前の体で、友里は優を見た。優の表情が曇っている気がして、体を触る手を少し止めた。手が汗ばんでいる。
「あの……こう、して、後ろから、優ちゃんが撫でてくれる感じで」
優の顔がみれない友里は、実況しながら言ってみた。今、優がどんな顔をしているのか、優フリークとしてはみたい気がしていたが、どうしても自分のはしたなさを淑女な優が軽蔑していないかが不安だった。
「えっと……それで」
お腹に手を滑らせて、そこから先は触れなかったと説明する一歩前で、優に両手をつかまれ、ベッドに押し倒された。
「な、なんか間違えてた?」
乱れた髪のまま、問いかけるが、優は険しい顔をしていて、友里は(険しげな顔も麗しいな)と明後日の方向をみながら、優を見上げたままみつめた。
「あっごめん、はしたないよね。でもね、やってみて、やっぱり優ちゃんとがいいって思ったの」
「友里ちゃん……」
「だめなら、優ちゃんを抱きたい」
「………!」
優は、たっぷりと迷ってから、友里を抱きしめた。
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「友里ちゃんはズルい、選択肢がひとつしかないことを、選ばせるふりをする」
友里をベッドに押し倒し、優がそう言うと、友里はふたつ用意したはずだがという顔をした。
「結局、友里ちゃんの時間を奪うことになるじゃないか」
「……わたしの時間?」
優は、高岡とヒナと約束した通り、友里がひとりで考える時間を、作ろうと思っていた。夜、起きているうちに友里が言い出してくれれば、一緒に相談をして、そしてわだかまりが無い状態で、友里を抱きしめることが出来ると、どこかで想っていた。
「悪い時なんて、あんまりないよ?」
あっけらかんとした様子で言われて、本当に悩んでいるのか、優はふしぎに思った。もしかして、友里の中でとっくに結論が出ていて、それを『優に言うまでもなかったこと』とされたのかもしれないと、胸をよぎった。
(ヒナちゃんには相談したのに)
くだらない嫉妬を感じて、優は多少乱暴に、友里の首筋にキスをした。ひとりで触ったと言う場所に手を伸ばす。
(実演をするなんて、いくらなんでも我慢できない。友里ちゃんは残酷だ)
「あっ」
久しぶりに聞いた友里の声は甘く、優はジンと背筋に熱いものが通った気がした。じんわりとそれは広がり、汗となって伝わる。
「友里ちゃん」
名前を呼ぶと、友里が体をくねらせて、優にしがみ付いた。友里も、久しぶりで興奮にすぐ溺れたのか、いつもなら少しはふざけたりするような空気も無く、すでに夢中な様子のようだった。口づけを交わすと、舌が混ざり合う。
「んっ……っ」
友里の声をもっと聴いていたくて、優は友里から唇を離し、弱い部分をまさぐった。友里が悶えて、喘ぎ声を上げるので、さらにさらにと追い詰めていきたくなる。
「ぁっっ、ぁん!ゅ……っ」
下に手を伸ばす。友里がどんな風に触ったのかわからないが、めちゃくちゃにしたいような乱暴な気持ちが、優を支配していた。
──スマートフォンのバイブが鳴った。最初に優のスマートフォンがしばらく鳴り、続いて友里のスマートフォンが鳴った。そして、家族用のスマートフォンが鳴ったので、さすがに友里が、優を促して、出てもらった。
優は不機嫌に輪をかけたような声で、家族用のスマートフォンを手に取る。
「彗にい、なに、こんな時間に……」
まだ20時台だというのに、優は思わずそういう。声と同時に、悪い知らせが飛び込んできて、慌てて優は、友里の方へ向き直った。
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タクシーで病院へ駆けつけると、紀世が「はあい!」と満面の笑みで手を振った。
「危篤だっていうから……!紛らわしいこと、しないで」
優が、彗を思いきり叱りつける。
友里は、ホッとして紀世に駆け寄った。
「よかったあああ!ほんとほっとしたああ!!」
赤い顔で汗だくの友里に抱きつかれて、紀世は友里の頬を撫でた。
「あれ、パックしたて?でもその後のケアしてないでしょ?優ちゃんといちゃいちゃしてたの?」
紀世はそう言うと病室に取り付けられているチェストから、スチーマーとクリーム一式を取り出して、友里をお手入れした。
「紀世ちゃんは、こんな夜遅くなのに、お化粧してて偉いね」
友里は憧れのお姉さんを見つめる目で、美形の紀世を見つめて、ポオッとして言うので、優は少しムッとした。
「今から、ちょっと彗さんとおでかけするからね♡デート、デートよ!」
「え!」
「ホントは明日も検査だから、ダメなんだけどね」
「あら、さっきは『紀世のためだから』って優しかったのに」
彗が、困ったように腕を組んで怒ろうとするが、紀世に体をぐりぐりとこすりつけられて、真っ赤な顔で固まっている。優は、(
「どうしてわたしたちが呼ばれたわけ?」
「そんなの!ダブルデートしたいからに決まってるでしょ!?」
紀世に言われて、優と友里は、顔を見合わせた。
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