第218話 幸せな勘違い
「どんな人なの?相手は」
引き続き、写真部部室。高岡が、ヒナの恋の相手を、なんの気負いもせずに聞いてくるので、ヒナは、胸が痛むような、しかし、自分のことを気にしてくれている高岡に、ときめくような心臓の鼓動を体感した。
「それは、内緒の方向で」
精一杯大人ぶって応えた。
「あら残念、友里には相談してあげてね。友里はきっと、喜ぶから」
ヒナよりも、大人の対応の高岡に敗北して、ヒナは胸を打ち抜かれた。
(気遣い……すき!!!)
ヒナの頭の中の友里が、『好きって思った時に好きって言おうよ!改まった告白じゃなくても、意識してくれるよ』と、笑顔で言ってくる。それと同時に、アンニュイな優が『気付かれたらどうするの?友人としてすべて失ってもいいのか?』という。
「んなぁ~~!!」
思わず叫んで、頭をくしゃくしゃにして、ハッとして髪を直した。
「恥ずかしかった?」
高岡に言われて、ヒナは赤い顔でこくこくと縦に頷いた。
「ヒナ先輩の好きな人、あてっこしようぜ、朱織」
村瀬が急に言い出して、ヒナはピャ!っと飛び跳ねた。
「村瀬は知ってるの?」
「俺も知らねーの。ヒナ先輩の反応見て、推理しちゃおうぜ☆」
「悪趣味ね」
「1回だけ、ひとりだけ上げよう、な!」
村瀬は軽い嘘をついて、ヒナを見て、ウインクをした。何を考えているのかわからず、ヒナは後輩ふたりの遊びに使われることになった。
「……ヒナが好きなのは、
美しい黒髪で有名な、同じクラスの乾萌果を出されて、高岡の推理に、(それなら、朱織もだよね!?)とヒナは心臓がバクバクと踊った。
「髪がストレートなの羨ましいって、何度も言っていたから」
「やっぱそこなんだ!」
ヒナはお花畑の中にいるような気持ちになりつつ、乾の件は否定した。
そして村瀬の番になって、村瀬は言った。
「駒井優」
高岡は嫌な顔をして眉を寄せた。
「それはあり得ないわ、ヒナが友里を悲しませるような恋を、するわけないもの」
「いや、恋は、落ちるもんって言うじゃん?理性でどーにかなるもんなわけ?朱織は」
ヒナがこたえる前に、高岡がこたえた。村瀬が、高岡の反応を見るために言ったと気付いたヒナは、なるほどと思った。(友里のために、理性で押さえているのだとしたら切ない、じゃないか)と、思いながら高岡を見ると、高岡は恋する乙女の顔ではなく、端正な顔立ちを、チベットスナギツネのような虚無の顔にしてから、ハンと手を叩いた。
「っていうか、あんなのにヒナが落ちる!?」
高岡の、どちらかと言えばヒナを心配している叫びに、目を丸くする。
「すぐこちらを茶化すし、除外するし、まあちょっとは良いところもあるけど、友里のことばっかのくせに、友里を大事にしないし、我儘ばかり、甘ったれで、自信が無くて、怖がりで……!素敵で思いやりのあるヒナに、合わないわ!」
「お、おう、その辺でやめてやれよ、悪口は本人の前で言えよ」
村瀬が思わず、優に同情した。
「言ってるわよ。その都度、『新鮮!』って顔して喜ぶんだから。友里に自己肯定感爆上げされてるのも腹立たしい!」
「待って朱織、泣いちゃう。でも確かに、ちょっと褒めてもらえるだけで頑張れるのに、あんなにいつも、大好きな相手に褒めてもらえてたら、そりゃ」
村瀬が、優に対してというより、友里に感心した。
「もしもヒナが恋に落ちたというなら、良い所を教えてほしいわ……。そのすべてを論破する自信があるけど、『顔』って言われたら、なにも言えないわね」
「はは!!」
村瀬は手を叩いて喜んで、涙をふく。
「は~、想像以上の答え。ありがとな、朱織」
「なによ、お礼を言われる筋合いはないんだけど」
「で、でもそういうところがかわいいって、友里ならいうんじゃない?」
ヒナは、村瀬が無理やり、高岡が駒井優への片思いはあり得ないと確認をとってくれた気がしたが、(そういうところが可愛いと、高岡も思っているのでは)と、怯えながら聞いた。
「そうなのよ、友里ってば女の趣味が悪くて。まさか、ヒナもそうって言うの?!」
化け物でも見るかのような目線を向けられて、ヒナは思わず吹き出した。
「なんでそんなに、優さんが苦手なの……?」
「なんでかしら……どうしてもムカつくのよね」
「強い感情は、恋じゃねえの?」
村瀬がもう一度踏み込むので、高岡は心底嫌な顔をした。
「これが恋というのなら、村瀬にも恋をしていることになるわね」
「いやん!」
「あとで一応、駒井優には謝るわ」と高岡は鳥肌を立てた腕を撫でながら、心にもないことを言ったので、3人は、一瞬の間に、思わず「ふふ」と笑った。ヒナも優に謝りたい気持ちになった。高岡を好きすぎて、優へ嫉妬した自分に気付き、ダンゴムシのように丸くなりたくなった。
(もしかして、優さんみたいになれたら、朱織に好かれるかも!と思ったのかもしれない)
ヒナは、素直に恋心を出せる優しか知らないため、憧れがあることに気付いた。
村瀬が、手に持っていた写真をちらりと見て、話題の中心の優を見る。
「んん~~、花火か友里さんしか見てないっすね、やっぱ友里さんなんじゃないっすか?」
まるで優のことのように、村瀬が、高岡の視線の先を、ヒナに知らせる。ヒナは、村瀬が、ぺろりと好きな子を追う目線を探していることを言ってしまいそうで、慌てて短く答える。
「ない」
「その信頼ぶり、イカス」
「なんの話?」
高岡がふたりの会話に、問いかけた。村瀬に預けて、ヒナは黙り込む。
「いやこれ、駒井さん参戦してからと、する前の友里さん見てくださいよ、駒井さんも。ふたりともお互いばっか見ちゃって」
村瀬は、浴衣姿の友里の表情に、優が来てから、明らかに笑顔が増えている友里の写真を並べ、高岡の思考を反らした。
「写真は雄弁ね」
高岡がニコリと笑った。
ヒナは、高岡が紫陽花の紺色の浴衣姿で、どこか遠くを眺めている写真を手に取った。この視線の先に、誰がいるかは全く分からなかった。まつ毛一本一本が光っている。長い髪が一筋、風に攫われ、煙がうまい具合に、高岡を覆う光の環のようだ。キヨカが撮った写真で、フォーカス具合も、完璧で、全てどう撮ったかはわかるのに、この瞬間を切り取ることは、自分には無理だと思った。
「姉貴は天才」
「天才が身近にいると、大変よね」
高岡に言われて、ヒナは複雑な気持ちで笑った。
「でもヒナの写真も、私は好きよ。すごく素敵」
自分が、ツンとした様子ではなく、友里とはにかんでいる写真を見て、高岡は笑顔になった。
「ワ、ワタシの写真って、わかるの!?」
「わかるわよ、ぜんぜん違うもの」
高岡が、スイスイと写真を寄り分けていくので、ヒナは体の中に気泡が出来て、溶けて空気になりそうなくらい体が震えた。
「なんで?!下手だから!?」
「なに言ってるの、上手いわよ。素人が撮った写真だったら、ここまでの差はきっとわからないわ。ヒナは被写体に柔らかなフォーカスが入っていて性格や人間関係を見せるのが好みなのかしら。キヨカさんは、人物のうぶ毛まで見せる感じね」
どちらが評価されるかは、わからないけれどと高岡は続けて言う。ヒナは自分のことを単純だと思った。本当の自分を見つけてくれた気がして、高岡のことをもっと好きになった。
「朱織は、やだ。そこは、『ヒナの写真のほうが好きだから』とかいってくれたらいいのに」
「ふふ、だからいつも、おいくら?って聞いてるじゃない」
「友里と笑い合っている、この写真が欲しいわ」という高岡に、ふざけるのが精いっぱいで、ヒナはくせ毛の髪をクシャリとさせながら笑いかけた。
村瀬が、持っていたペットボトルを手にして、ごくりと一口飲むと、キヨカの撮影した高岡を端に置き、山積みにしてあった写真からごそごそと数枚を取り出し、並べていく。優、岸辺たちが並んでいる端に、高岡が佇んでいる場所に近い背景を横並びに置いて行く。友里と、ヒナがわあっと団子になって笑い合っている様子を、高岡が見ている構図になった。
「!」
友里がヒナのそばにいるので、正確には違うかもしれないが、写真とヒナを交互に見た後、キヨカの撮った浴衣姿の高岡の写真の裏に、『ヒナ先輩を見ている』と高岡に見えないように書いて、ヒナにそっと渡した。
「都合良いように、解釈しちゃっていいと思いますけどね、確認もできませんしね」
「!」
ヒナは、いつも確認作業に余念のない優と友里を思い出しながら、写真を胸に抱いた。幸せな勘違いをして、生きて行くほうが楽しいと思ってしまいそうになった。
「つらいけどっ」
「そこは、我慢してください」
村瀬が、にんまりと笑った。
アルバイトへ行く時間が迫り、村瀬はカバンを斜めに背負った。高岡も、一緒に出るというので、選別した写真を、封筒により分ける仕事をするヒナを残して、2年生は写真部部室から退散することにした。
村瀬は、ペットボトルを忘れたふりで、ヒナの元へ戻ってきて、アルバイト先で逢う友里の写真分だけを受け取りつつ、「朱織に告っても、いけそうな気がしますけど」と呟いた。さすがに、そのワルノリには乗れる気がしないヒナは、ハイハイと手を振った。
「とりあえずその写真は、どーするんですか?」と村瀬の問いかけに、ヒナは「お財布にしまおうかな……!」と笑った。
問題は、実はなにも解決していないのだけれど、ヒナは暖かい気持ちで、そっと写真をお財布に入れ……ようとして、冷静な顔つきになる。
(このままだと汚れちゃうし、落とした時にバレちゃうから、小さくしてパウチして、定期の裏に仕込もう)という顔をして、ササっと作業を始めた。
「そういう、余念がないとこ、結構気に入ってます」
村瀬はヒナの作業ぶりに思考を読んで、ククと肩を揺らして笑った。
「なにしてるの?」
高岡が戻ってきて、ドア越しに小さな顔だけ出して、問いかけた。ヒナは笑顔で、はじまったばかりの恋をかみしめるように、高岡に小さく手をふった。
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バイト先のファミレスのバックヤードで、村瀬は「ヒナから」と友里に写真を渡した。友里が、わあっと喜んで、数枚の写真を眺める横顔を、ぼんやりと見つめた。
「友里さん、この写真、俺が撮ったんですけど、友里さんと駒井さんへの愛が伝わるようでしょ?!」と村瀬はおどけて言った。友里はコクコクと頷き、ヘラっと蕩けたように笑う。
「──今の、俺だけに笑いかけているところ、写真に撮りたかったです」
思わず出てしまった独占欲のような村瀬の言葉に、友里はまた冗談かと首をかしげた。しかし村瀬が、戸惑ったように口を押さえて、赤い顔になるので、友里は本心からだと気付いて、ムッとして、プイッと逃げた。
一部始終を見ていたホールスタッフの
「片思いの醍醐味中?」
「いやいまのは、踏み込みすぎました。この苦しみ、マジ癖になりますわ」
「強メンタルすぎて、逆に応援したくなってきた」
保科の気持ちの変化に、村瀬は力なく笑う。
「友里さんを悲しませるのは、NGなんで、それはナシで、大丈夫です!──まだちょっと、勘違いしてたいだけなんです」
「なけるじゃね~の!」
バンバンと背中を叩かれて、イテテと村瀬は笑った。
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