第221話 おとこのこおんなのこ

 教習所のそばのペーパームーンで、優は問題集を解いている。

 土曜日、9時から教習所へ出かけた友里に合わせて、16時まで予備校の自習室で勉強後、教習をしている友里と、18時に待ち合わせをしていた。

「どーぞ」

 ホットの紅茶が来て、優は目を丸める。

「2杯目は頼んでませんよ」

「珈琲は苦手なんでしょ、今度から紅茶の種類を増やすことにしたから、お味見してよ」

 マスターの宏衣が、ウインクして、小さなチョコレートのキューブをふたつ、紅茶のソーサーの上に置いた。

「ウバ茶ですか?あっさりしてて好きです」

「正解。コーヒーは詳しいんだけど、紅茶ってまだわかんないから、日本人好みの!って言われたの全部仕入れちゃった」

 にこりとほほ笑む宏衣に、優も笑顔で答えた。

「あのさ、詠美のこと、ありがとうね」

 ポツリと言われて、優は首を横に振った。

「詠美というか、愛実というか。あの子たちまとめて、お世話になっちゃって。ちょっと大変な子達だったでしょ」

 村瀬詠美の親であるマスターは、大阪での件をまるっとひとつにして、美しい顔に皺を刻ませて微笑む。しかしお勉強の邪魔をしてごめんねと、カウンターに戻って行った。そろそろ教習所が終わり、一斉に客が押し寄せる時間帯だ。


 カランとベルが鳴って、友里が入ってきた。笑顔になる友里に、景色が色づく気がする優も、手を振って応えた。

「また雨で、大変だったあ」

 友里は、待たせた優へ労いの後、雨の運転がいかに大変かを語った。

「もう梅雨なのかな、雨が多いね」

「ね~、髪の毛もぺちゃんこだ」

 ネコのように柔らかな髪の友里は、前髪を気にしてしょんぼりと唇を尖らせた。

「どんな友里ちゃんもかわいい」

 毎秒口説くのはやめにしようと思っていた優だったが、戒めを破って友里のおでこを撫でた。友里がポオッとうっとりとして、優を見つめるので、優もしばらく友里を堪能するように見つめた。

 息をするように恋を囁いてしまうのは、我慢がすぎたせいかもしれない。


「今日も一個ハンコ落としちゃったの。ショック」

「残念だったね」

 友里は器用にこなしている方だが、先生との相性が悪いようで、ある先生に当たると、威圧感に緊張してしまい、課題をクリアできないことが多いと愚痴った。判子を貰って先の課題へ進むのだが、先生から判子を貰えないと、その60分を延々と繰り返すことになる。その授業料は、毎回加算されていく。

「自分の不手際で、課金が増えるの、胃がいたいヨ~~!!」

「よしよし」

 友里の頭を撫でて、優がふざけたように笑う。

「もしかして美人なの?」

「わたしが綺麗なお姉さんに、弱いからと思ってるの!?弱いけど!」

 赤い顔の友里に言われて、優は慌てて謝ったが、先生が美人なことは否定しない友里に、苦笑した。


「他の先生が、○○してっていう場面で、全部無言で、失敗するたびにボソっと「あ」っていうの。すごい怖いんだよ……威圧感~って感じ」

 友里はその先生がいかに恐ろしいかを続ける。先生は多少は選べるのだが、自分が取りたい授業を持っている先生の空き時間が、上手いこと合致しないと、いつまでも苦手な先生で授業を取らないといけなくなる。友里はタイトなスケジュール調整をしている為、アタリがきつく、なかなか判子を押してくれない、不人気の先生に当たることが多い。


「誕生日までに取るの、諦めたらどうかな」

「うううん、もちろん、自分が出来ないんだから、判子を貰えないのは、あたりまえなんだけど、そこは頑張りたくて~~」


 カランとベルが鳴って、ドアが開く。ペーパームーンの中がざわついた。

蔦木つたき先生」

「お、荒井さん、さっきは残念だったな」

 ワンレングスの髪に緩い手巻きのウェーブがかかっている、大きく胸の空いたⅤネックのサマーニットを着た迫力美人に、客の全ての視線が奪われたのではないかと錯覚した。面々が、一様にハートマークを飛ばしてくる。一直線に友里の元へ来たので、優はぺこりと頭を下げた。


「これで3回指導したけど、いちども判子押せないから、他の先生は甘いのかな?」

 谷間を強調するように、頬杖をつく。

「う、いえ、ご指導のおかげで、次は、成功してるんです」

「ええ?じゃあ、2回目も私を指名してくれたらいいのに」

 友里から聞いてたボソリとした口調ではなく、セクシーで妖艶な声で、友里の隣に座ろうとするので、優が咳払いをした。


「友里ちゃん、そろそろ」

「あ、お夕飯、食べていかない?」

「今日はうちで食べようよ、ほら、母とリフォームの詰めだろ」

 優がにっこりと誘うので、ポッと頬を赤らめて、頷いた。友里の母親が大阪に行っているので、またプチ同棲を楽しんでいるところだ。蔦木は、優を上から下まで眺めて、「ふふ」と笑うので、優はぺこりと頭を下げる。


「彼氏?」

 蔦木に問われ、友里は思い切り怒った声で、優がいかに美しい女性か叫びたい気持ちで「女性です」と言った。

「え?本当?ちょっと良く見せて」

「見ないで下さい!優ちゃん、帰ろ!!!」

 友里は、シャーッと毛を逆立てた猫のように怒って、優をそれ以上見られたら減ってしまうとでも言いたいような態度で、マスターにだけは丁寧に挨拶をして、ペーパームーンを後にした。

「うちのみたい、荒井さん」

 それを見ていた宏衣は、「猫をからかうものじゃない」とたしなめた。



「んね!?最悪な先生でしょう!?」

 友里の様子に、優は思わず笑ってしまう。

「わたしが男に間違われるのなんて、今にはじまったことじゃないのに」

「今日は、わたしの作った服を着ててすごーくフェミニンなのに……!こんな腰のたかさみたことある?!美の女神に祝福されてるとしか思えない美少女なのに!?所作が、目に入らないのかなあ!?」

 友里の胸辺りのある優の腰に手を当てて、友里はまだぶつぶつと言い続けている。

「友里ちゃんにだけ、カワイイって思われてたらいいよ」

 笑顔の優は、バス乗り場で、友里のポニーテールをそっと撫でた。

「わん……」

 いいこの犬のように吠えて、ぎゅうっと腕に絡みついて、友里は優を抱きしめ、手をつないだ。隣にいたサラリーマンが、無遠慮に見てくるので、優は目をあわせて、ぺこりと頭を下げた。


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 駒井家に着くと、夕食はグラタンだった。優の父の智宏ともひろの手作りで、母の芙美花はリフォームの図案を見ていた。諸々の相談のために、優と友里も芙美花の元へ行き、彗と智宏は楽しそうに、夕食を作っている。

「ヤンソンさんの誘惑にはやっぱり身をゆだねられないんだよね」と、じゃがいもとアンチョビと生クリームだけで作る『ヤンソンさんの誘惑』とよばれるグラタンではなく、じゃがいもやアンチョビが入りつつ、お野菜たっぷりのグラタンに、友里は微笑む。

「もうこれが、家庭の味だなあ」

 友里は、食べながら、外食でグラタンを食べた父との思い出が、ふとよぎった。

「あの、エビとウィンナーとブロッコリー、ごはんとショートパスタが入っているグラタンドリア?が出るお店って、この近所にありますか?」

 友里は、父親との思い出を、智宏に詳しくは言わず、問いかけてみた。智宏はわからなかったが、彗が水を飲みつつ、手を上げた。

「俺知ってるかも、赤いドアの喫茶店じゃないかな?玉ねぎとかも入ってなくて、ホワイトソースにチーズたっぷりの」

「赤いドアの脇に、綺麗なランプが」

「あるある!今度行こうよ」

 食事を楽しみつつ、思い出話に花が咲いた。


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 優と、すでに2人の部屋として用意されている元客間へ戻って、友里はハァとため息を吐いた。

「ちっさい傷がたくさんついた気がするから、今日も一緒に、お風呂に入って」

 優に、そう言っておねだりをする。ふたりきりでいると、友里は大胆に甘えてくる気がした。

 友里は、バッと上着を脱いでキャミソール姿になった。優は、思わず目をそむけたが、何度見ようと、何度体を重ねようと、ドキドキとする心臓を抑え、背中を見つめる。友里の傷が、すこしだけ赤くなっていて、疲れているのかもしれないと気づいた。友里は、お風呂のお湯を溜め始め、自作の鼻歌を歌っている。


「ごきげんだ」

 傷を負ったというので心配していた優だったが、友里の様子に、ホッとする。

「ねえ、優ちゃんは、わたしにとって特別なお姫様だよ」

「うん?どうしたの、ありがと、お礼に今日は、マッサージをするね」

 優が言うと、友里はすこし戸惑いつつ、こくりと頷いた。

「あ、あのね、今日はわたしが優ちゃんを抱いていいかな?」

「!」


 突然の宣言に、優は驚いて、首をかしげて、赤い顔で「いいよ」と言った。

「どっち、していい?いらない?」

「い。し、していいよ。どうしたの、恥ずかしいよ」

「今日、ペーパームーンで、教官にも、知らないおじさんにも、男の子に見えてるっていうの受け容れてるから、優ちゃんは淑女で、かわいい女の子ってことを、優ちゃんにわかってもらいたくて」

「別にそんな、いいのに」


 優は毒気を抜かれたような気持ちで、友里を見た。

「友里ちゃんに抱かれても、抱いても、自分は女だって思ってるよ」

「うん、そうなんだけど……んんん!もどかしい!!!」


「男だったら、好きになってなかった?」


 優に聞かれて、友里はおかしな顔をした。悩んだ。男性の優と、幼馴染みとして仲が良かったかどうか、わからなかったからだ。優は、友里ならどんな自分でも愛してくれると思い込んでいたぶん、迷う友里に驚いた。

「わたしは、友里ちゃんが男の子でも好きになったかもしれない」

「ええ」

「同じことを、してくれたらね。泣いていたら、柔らかく包んでくれて、楽しいことを一緒にしようと誘ってくれて、わたしという個人を、とても大事にしてくれた。大好きだといつも伝えてくれて、愛情を、貰ってばかりだから、友里ちゃんにも、ちゃんとわたしからの気持ちを、渡せてたらいいんだけど」

「貰えてるよ!?」

「ホントに?」

 優は足りない気がしていて、反省をこめて問いかけた。友里は、そんな優の手をとって宝物のようになでる。

「うん、すごく大切にしてもらってる……。だから、わたしを大事にするのと同じくらい、自分のことも大事にしてほしいの。わたしの大好きな優ちゃんを、大事に」

「男の子に見えるって言われるたびに、女ですって言うの、面倒だなって思っているだけだよ。わたしは、わたしだから」

 優が言うと、友里は優にそっと抱きついた。

「そうだ、優ちゃんは、優ちゃんだから、大好きなんだった」


 友里はかみしめるように、優をぎゅうううっとして、「大好き」と体をこすりつける。

「でも、やっぱ女の子の優ちゃんがすき」

 言いながら腰や胸を撫でられて、優は「お風呂の後でしょ」と笑った。

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