第216話 バラ色の頬


 金曜日。やはり今日も、登校している者の少ない校舎内は、まだGWの余韻が残っている。

 友里は眠さと戦いながら、簿記の授業を受けたが、ハッと気付くとお昼休みだった。萌果にピンクの手鏡を渡されて、「その鏡あげるよ」と言われた。友里がポカンとすると、「誕プレ」とにこりと笑う。戸惑いつつも、お礼を言って、ハタと、高岡とランチの約束をしていたことを思い出して、お弁当を持って立ち上がった。裏庭は争奪戦なので、ヒナと連れ立って、高岡にスマートフォンで連絡を入れる。

 すると、すでに高岡は裏庭にいて、木立の下のベンチを確保していた。ふたりで「さすがだねえ」と笑った。


「よく眠れた?」

 高岡の質問に、頬に電卓の跡がつきっぱなしなことに気付いた友里は、萌果から貰った鏡を見て「うぐぐ」と唸る。『友里は素材はいいんだから、ちゃんとしな』と鏡に付箋で貼られていた。素敵な誕生日プレゼントだ。肝に銘じた。


 友里が校舎をハッとして見あげたので、全員で見ると窓のそばに優がいた。友里が手を振ると、優も美しい所作で振りかえす。裏庭でランチをすることを知っていたからだろう。高岡が、プイと横を向くのを合図に、優ははにかんで、手を振って行ってしまった。その後に、女生徒の姿が見える。

「また女ぞろぞろ連れて……、別れたら?」

 高岡の声に、友里は「にゃ!」と猫のように飛び跳ねた。

「や、でも今日は!ほら電卓の跡ついてるし、消えるまで優ちゃんに見られたくないから、ちょうどいいよ~」

「あら、そういう気持ちも出てきたの?駒井優に、かわいく見られたいの?!駒井優が可愛いだけで、満足なんじゃないのね!?ふふ、よかった!!」

「もう、高岡ちゃん!!」

 高岡は立て板に水の勢いで友里に問いかけたあと、心底楽しそうに笑った。真っ赤になって戸惑う友里のフォローはせず、ヒナに視線を向けた。

「ヒナ、昨日はありがとうね」

 友里は、モダモダと高岡とお話をしたいが、なにも言葉を作り出せないヒナを横目に、いつも通りの和食のお弁当ではなく、サンドイッチに向き合った。

「ヒナちゃんちで食べたケータリングのサンドイッチが美味しくて、パンにハマっちゃった」

 高岡が羨ましそうにしたので、友里は「へっへへ、中身を当ててごらん」と自慢の卵サンドを高岡に贈呈した。

「ゆで卵とクリームチーズだわ、贅沢……!」

「ちょこっとマヨネーズと、コンソメも入れるよ」

「友里は冒険家ねえ!」

 高岡がニコニコと卵サンドに喜ぶので、何を張り合ったのか、ヒナが高岡のPFCバランス完璧なお弁当箱に唐揚げを入れた。

「え、いいの?そういえば、駒井優の唐揚げ美味しかったわね、ヒナちゃんのもまた醤油が濃厚で、好きだわ」

 高岡は昨日のお泊り会がよほど楽しかったのか、会話の端々に思い出を語るので、3年生ふたりは嬉しくなって次から次へとお弁当の中身を追加していく。途中で高岡に怒られた。


「友里ちゃん」

 鼻にかかった甘い声がして、友里が振り向くと、尾花紀世がいて、友里は手を振った。

「紀世ちゃん、教育実習、お疲れ様」

「まだ来週の真ん中まであるのよ。GWかぶったから」

 髪をかき上げて、紀世は資料を抱えなおした。数学指導室と教務室が離れていて大変だと言いながら、友里の友達にもぺこりと頭を下げた。

「お昼ご飯、一緒してもいいかしら。このままだと食べ逃してしまいそう」

 友里は、ふたりに問うと、ふたりも曖昧に返事をして、ベンチに腰かけた。


「ところで友里ちゃんの頬についてるのは、なに?格子状」

 紀世の声に、高岡とヒナは噴き出した。緊張していたのか、紀世の遠慮がちな発見にすごく笑ってしまう。

「先生、友里ってば居眠りして、電卓の跡が付いちゃったんですよ」

「え!やだ~。姫、リンパマッサージしてあげるわ」

 尾花がそう言って、「本当は蒸しタオルが一番効くんだけど」と、カバンの中から、小さなバラが刻印されたクリームを取り出した。消毒タオルで手を拭いたあと、友里の化粧っ気のない頬も軽く拭いて、それをゆっくりと友里の顔に塗り、首までグググっとマッサージを繰り返す。

「ネックレスは、いちど取るわね」

 友里は、優からのプレゼントを丁寧にハンカチにしまって、ポケットへ入れた。鎖骨辺りまでクリームを伸ばし、軽くふき取ると、友里の頬はバラ色の艶をまとう。

「うそみたい、すごい」

 萌果から譲ってもらったピンクの鏡をみた友里が、喜びの声を上げた。軽く粉をはたかれて、友里の頬はさらに輝きを増した。

「このクリームがすごいのか、先生がすごいのかわからない」

 ヒナが唸って、バラの刻印のクリームを見る。薬局では見たことが無い高級ラインの化粧品のように思えた。裏面に書かれた『尾花製薬』の名前に、「ん?」となりつつ、ヒナは深く追求しなかった。

「これは、友里ちゃんにあげる。いつでも美しくいてね、姫」

「んもう、紀世ちゃん、姫ってやめてよ。でもありがとう」

 友里が遠慮して受け取ろうとしないので、紀世は嬉しそうにはにかみつつ、クリームを友里のカバンの中へ入れる。

「いつでも姫の為に駆けつけるからね」

「わたしより、自分の体を大事にして。ちゃんと病院に行ってるの?先生って大変なんでしょ」

「はあい」

 友里の手を握って、紀世はニコニコとした。そして、もっていたおにぎりをパクパクとほうばると、スックと立ち上がった。

「もういくの?」

「うん、次の授業のOKまだもらってなくて!またね、連絡する!」

 資料を持って、お礼を言うと、慌てて駆けだす尾花紀世おばなみちよの背中を、3人は手を振って見送った。

「友里、尾花先生と知り合いなの?」

 高岡とヒナに問われて、友里はこくりと頷いた。

「友達」

「ええ、すごいわね、いや、なにがスゴイのかはわからないんだけど」

 高岡は自分で自分の言った言葉につっこみつつ、会話を着地させた。


「でもこれで、いつでも駒井優にあえちゃうわね」

「う、もう……からかわないでよ、高岡ちゃん」

『いま、優ちゃんにあいたい』とぴかぴかの顔面に書いてある友里に向って、高岡はおどけたように、友里の肩を、ツンと自分の肩で押した。友里が「仕返しだ」と高岡を抱きしめて、マッサージされたばかりのムニムニの頬を押し当ててくるので、「ばかね、効果がうすれるわよ!!」と高岡は笑う。そして、照れ隠しのようにパプリカのソテーを友里のお弁当へぽいぽいと入れた。

「友里、ちょっと太ったでしょ、お野菜を食べて」

「う。でも優ちゃんが、ムニムニしてる方がいいっていうから」

「自分の体に、恋人の意思は入れないで頂戴。足首、痛めるわよ」

「はあい、高岡先生」


 友里と高岡の一連の動きを、うっとり見ていたヒナは、ハッとした。


「え、もしかして、朱織ってマジでもう先生なの?」

 ヒナが言って、友里と高岡は目を合わせた。羽田バレエスクールで、大人向けバレエレッスンを、行っていることを説明すると、ヒナが手を上げた。

「それって、ワタシも。は、入れる!?」

「もちろん」

 ヒナは思い切ったように言ったが、高岡にあっさりと承諾されたので、気が抜けた炭酸水のようになった。

「あ、でもワタシ、胸がでかいから、バレエには邪魔かな」

「体型の悩みはもちろん、みんなあるけれど。ヒナが、したいと思ってくれる限り、応援するわ。みんなが、バレエが楽しいって思えるコースにしたいから、入ってくれたら嬉しい」

 にこりと笑顔で言われて、ヒナが躊躇する理由はなにもなくなった。


 浮足立った様子で、ヒナは、高岡から詳しい資料を貰うことを約束して、友里にも笑顔を向けた。友里が(よかったね)という瞳でにっこり微笑むので、より嬉しくなる。

 高岡がまだ時間があるというのに、教室へサラリと戻るので、友里とふたりで手を振って見送り、しばらく廊下で、「どんなおかずが白米に合うか」と話していると、見送ったはずの高岡が、走ってくるので、友里とヒナは顔を見合わせた。


「友里、そこに駒井優がいるわ」

「え!ほんと?」

 ふたりで手をつないで、優のところまで走ると、3人の女生徒に囲まれて、優が窓辺にいた。購買から帰ってきたあとらしく、女生徒はいくつかパンを購入していた。

「優ちゃん」

 友里が、小走りに優の隣に行くと、優がパアっと笑顔になったので、女生徒もヒナと高岡も嫌な顔をした。

「あからさますぎない?」

 女生徒が優に言うので、高岡も同じ気持ちになる。

「放課後まで逢えないと思っていたから。友里ちゃん、今日ってバイト?」

「うん、ファミレス」

「そっか、予備校に行くから、一緒に帰ろ」

「うん!うれしい」

「あれ?」

 優が見つめ合ったまま、そっと友里の頬を触る。今、紀世みちよに綺麗にしてもらったばかりなので、なにも憂いが無いはずだが、友里は、思わず目をつぶった。

「あ、ごめんね、急にさわって。なにかついてるって思ったけど、友里ちゃんが光ってるだけだった」

「!」

「いやあ!」

 高岡が悲鳴を上げて、ぽかんとしている友里を自分の元へ隠した。

 女生徒も赤い顔をして、「駒井くん……!それ!私にもして」と叫ぶ。

「?」

 優は戸惑って、いつもしていることだったので、友里の頬から手を離して、なにがだめなのか高岡に目で助けを求めたが、「反省しなさい」という顔で友里をお預けされたので、余計に戸惑った。わからないまま、3年の教室へ戻るため、手を振って分かれた。



「学校は危険だわ」

 高岡は、友里と優を逢わせたい一心だったことを言いながら、反省して友里に謝ったが、友里もなんのことかわからず、とりあえずのように高岡に首を横に振る。

「気持ちを口に出せとは言ったけど、毎秒口説くのはダメって言わなきゃだわね」

 高岡は愚痴のように言ったが、友里はいまさら優の言葉を反芻しているようで、聞き耳持たないので、あきれ顔で友里を見つめる。


 ヒナは、友里と優がいつでもどこでも確認のように愛を伝え合っていると思っていたので、(学校では気を付けてるんだ?)と不思議な顔で高岡を見やった。

(優さんはいつもの調子で気持ちを隠さなくて、偉いのに、朱織ってばどういうことなんだろう?)

 付き合ってると詳らかに宣言せずとも、友里をこよなく愛していると表現する優が、ヒナにはとても素敵に見えた。


 足元に、濃い紺色の皮のお財布が落ちていて、よく、高岡がヒナの写真に対して「おいくらかしら」と取り出す財布だと気付いて、サッと拾った。中身がポロリと落ちて、ヒナはそれも拾う。

「あ」

 駒井優が描いた、似顔絵がそこにあって、ヒナはどきりとした。

 優の、イラストをお財布に入れる理由、それは。


 ──(もしかして朱織……!……だから、なの!?だから優さんが、友里に愛をささやくと引き離すの?!)


「あら、ヒナ、ありがとう。良かったわ、気付かなかったら大変だったわ」

 高岡は、なんでもないことのように、ヒナの手から財布を受け取り、優の絵が描かれた紙を札の側へぽいとしまい入れると、笑顔で友里に「午後は眠らないようにね」と釘を刺してから、教室へ戻って行った。



「どしたの?」

 友里に問われ、ヒナは首をぶんぶんと横に振り、なんでもないと繰り返した。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る