第213話 ひざまくら
「みんな帰れなくなっちゃったんだ、残念だね」
ヒナに教えられ、きちんとお風呂に行く前にいた部屋とは別の客間まで戻ってきた友里は、優と高岡の顔を見るとホッとしたように部屋の奥へ来て、自分が眠るスペースを高岡の隣に決めた。友里をはさんで、優と高岡が川の字になる。別々のお泊り会になってしまったことを、友里は嘆きつつ、しかし、3人で過ごせることを、別として喜んだ。
「食べたばかりで心配してたけど、湯あたりしてなくてよかったわ」
高岡に言われ、友里は別の意味でゆあたりしそうなことをしでかしたことを思い出して少しほほを赤らめ、手のひらでパタパタと顔を扇いだ。高岡がなにかを察して、優をじっと睨み、優はそっと目をそらした。
「なにしたの?」
「……!」
友里が慌てて、高岡と優の間に入って、手を振る。
「その節は、おさわがせしました。やっぱ3人だと、落ち着くねえ!」
落ち着いていない様子で、友里が言うので、高岡は「ちっ」と舌打ちをした。
「淑女はどこに行ったの?本当に手が早いわね!TPOを考えなさいよ!!」
「優ちゃんは、淑女なんだけど、わたしが、お願いしたの!」
「友里ちゃん、ごめんね本当にもうそのへんで」
優が友里のひいき目に、痛む胸を抑えて、バグったようになっているので、高岡は優の胸に何本も刃をさせた気分がして、その辺りにしておいてあげた。日課の英会話は、友里がお風呂に入っている間に済ませたらしく、気心の知れている3人は、友里のお風呂上がりの熱が取れるまで、今日あったあれこれの話をした。
「私、ちょっと眠いから先に寝るわよ、友里」
高岡が、布団へもぐりこんだ。時間は23時で、眠気が漂い始めていた。優と友里も、布団へもぐりこみ、リモコンで、部屋の明かりを消した。
「もう寝た?ふたりは明日の朝もランニング行くの?」
「行くわよ。寝てるから、友里」
「ごめん……」
友里はしょんぼりした声で、高岡に答えた。
「暇なら、駒井優が、膝枕してほしいって言ってたから、したら?」
「高岡ちゃん!」
優がガバリと起き上がって、高岡に非難の声を上げた。高岡にだけ打ち明けたつもりだったようだ。「優の弱みを友里には話さない」とたかをくくっていた優に、高岡は心の中で舌を出した。
(友里は淑女然としているあなたより、みっともなくても、あがくような愛情のほうを欲しがってるってコト、はやく理解すればいいのに)
高岡は薄手の布団をかぶって、寝たふりを続ける。
「そういえば、いっつも優ちゃんにしてもらってるばっかりだね」
暗闇の中で友里がワクワクした声で起き上がり、優が戸惑っている空気が流れる。
「さあさあ、優ちゃん」
ペチペチと膝を叩く音がする。
(そういえば、友里は、短パンだった気がするわね……生足に乗るのに戸惑っているのかしら、むっつりだから喜びそうなのに。それとも私がいるから?)
目をつぶっている高岡の耳に、ごそごそとなにやら音がして、友里が歓声を上げた。どうやら優が、観念して、友里のひざにおさまったようだと気付いて、高岡はそのまま頭をそちらには向けず、眠る。
「優ちゃん、髪がサラサラ。なにかしてほしいことある?」
「このまま、撫でてくれてれば……それで……」
遠慮がちな優の声に、高岡は噴き出しそうになる。友里はいたって普通なのが、またつらい。ちいさな鼻歌は、アニメ映画の美女と野獣の『愛の芽生え』。高岡はスッと眠りに落ちた。
「優ちゃんこのまま寝る?」
友里のこっそりした声に、高岡もハッと覚醒した。優が反応して、衣擦れの音がする。
「起きてるよ」
「みんながね、わたしの香りが、ちちくさいっていうの」
「……赤ちゃんみたいな香りってことかな」
暗闇の中で、高岡が眠りについたと思って、そっと話をしているふたりの会話を、高岡はぼんやりと聞いていた。
「友里ちゃんはね、甘い、プルメリアローズの香りと、ストロベリー、アンバー、それから確かに、バニラの香り、桃の香りがする」
「えー、南国っぽい」
「天国みたいな香りだよ、うっとりする、大好きな香り。友里ちゃんは、天使かもしれない」
「天使は優ちゃんだから!」
友里が困ったように照れた声を上げた。高岡は、噴き出しそうになって、優の甘い発言に、震えて悶える。友里がさんざん惚気る様子をいつも聞いているが、希釈されていたのかと、どこか納得したように思った。
しかし恋人同士の会話を聞いていいものか、高岡ははたとした。
(本気で毎秒、惜しむように友里を口説いているのね……)
それにそのまま、もしも、なにかが始まってしまったらと思うと、気が気ではない。完全に眠ってしまえば、いいとも思い、眠気に体を預けた。
「あとときおり、美味しそうなにおいもする」
友里が笑いながら、ハンバーグやステーキなどガッツリとしたメニューを上げる。
「さすがにお肉ではなくて、果物だけど」
「食べたいの?」
「だめ?」
「もう~……」
友里が、優に抱き着いたような音がして、高岡はハッとした。聞き耳を立ててしまう。(なにか、音がしたらどうしよう)と震えるが、しかし、バッと起き上がった。
「ごめんなさい、起きてるわ!」
思わず叫んで起き上がり、部屋の電気をつけると、優と友里は、穏やかな顔で、別々の布団にぐっすりと眠っていた。
(えっ、まさか、今の会話、夢?!)
高岡は、どこまでが夢で、どこまでが現実かわからなくなり、友人たちの甘い夢を見てしまった罪悪感で、ひとりで顔を赤くして、もう眠ることが出来ず、客室を後にした。
::::::::::
「あれ」
「あら、いつかの再来ね」
以前も、午前3時に雪見窓で月光を見た高岡とヒナは、再会に笑顔で向き合った。あのときよりはまだ早い時間だが、もう0時だ。
「ねむれないの?朱織。ワタシは明日の朝の分のお米を研いでたよ」
「あら、お疲れ様。ええ、変な夢を見ちゃって」
高岡はヒナに、台所でお水を貰った。
「ねえ、ヒナちゃんのお布団で寝かせてもらえない?」
ヒナが飲んでいた水をバシャバシャとこぼしながら、高岡をまじまじと見つめた。
「え!」
高岡は驚いて、キッチンペーパーで辺りを拭きながら、「ヒナちゃんは、もちろん自室で眠ってちょうだい、場所を交換しましょう」と言った。
「あ、そっちかあ」
ヒナが、状況をよくわかっていないようだったので、高岡は場所をシェアし合うのではなく、トレードしようともう一度言い直した。
「わかった、ごめん、こっちがわるい」
「いえ、言い方が悪かったわ。お泊り会ですものね、誰かと一緒にいるのが普通だと思うわ」
高岡が言うと、ヒナは一度リスの様な瞳を閉じて、パチリと開いた。
「さっき優さんが、熟睡できないんじゃないかって気付いたのもそーなんだけどさ、朱織って、すごいよね」
ほとんどの水が大きな胸に落ちたので、それを拭きながら、ヒナは言った。
「なにが?」
「やさしい」
「あら、……ただ、気付いたことを黙っていられないだけなんだけど、そう取るヒナちゃんの感性が、柔らかなんじゃないかしら」
高岡が不敵に笑うので、ヒナは少し顔を赤らめた。
「あ、そうだわ、その柔らかくおおらかな気持ちで、駒井優と友里が、なにかしでかしてもゆるしてあげてね」
「あ!ああ~そうだね、恋人だもんね。ふたりっきりになったことに気付いたら、そっか。まあでも、汚すまではしないでしょ」
「え。なにかが汚れるものなの?」
ふたりがキスをする程度だと思っていた高岡が、それ以上をしても大丈夫だと言っていたヒナに、真剣に聞くので、ヒナは「しらないヨ~~」と慌てて顔を横に振った。
なんとなく察して、高岡は汗を出した。
「私、知らないことばかりだわ」
高岡がすこし熱くなった頬を、手の甲で冷やす。ヒナがそれを眺める。
「まだ高2なんだし、しらなくていいと思うよ」
「──たしかにそうね、あの子たちがおかしいんだわ」
高岡はニコリとほほ笑んだ。
「じゃあ、眠くなってきたから、部屋に行くわね」
「うん、そだね」
「……」
高岡が立ち止まるので、ヒナは高岡を見上げた。
「どした?」
ヒナが問いかけると、高岡は、言いよどんでから、口を開いた。
「さっき、私がやさしいって言ってくれたでしょ?そんなこと、ほんとにないのよ」
「……うん?」
高岡は、ヒナの横に戻って、腕を絡めた。
「本当は、駒井優に、大阪でお父さんに冷たくされた友里を、守ってくれてありがとうって言いたかったのに、憎まれ口をたたいてしまったの。当然のことでしょう?って態度で。しかも、離ればなれになるかもって不安に思っている駒井優に、私が友里を奪ったらどうするの?とか聞いちゃうし」
「うん」
ヒナは、高岡にぎゅうと抱きしめられている腕に意識が集中していて、高岡の気持ちに寄り添えない自分にショックを受けた。
(せっかく相談してくれてるのに、上手い返しが浮かばない!ちょっと待って、何で抱き着いてきたの!?友里が、なにも思ってなければしないって言ってなかった!?)
「それは、でも、普段の関係性もあるんじゃない?優さんだって、朱織に叱咤されること、すごい大事って言ってたから、怒られて良かったんだよ」
ヒナは、記憶を総動員させて、なんとかかんとか答えた。
「……ほんとうにそう思う?」
自分よりも背の高い高岡に見つめられて、ヒナはドキリとした。
「うん、イイコってすごい褒めてたよ。律儀だし、気は効くし、頭が良いし」
途中から自分の意見になっているが、優も同意したので嘘ではないと思い、ヒナは続けた。高岡が、ホッとしたように微笑んだので、正解を引いた気がした。
「駒井優は、偉いのよ。秒ごとに友里に愛をささやくし、大事にしてる。ただ友里には、当たり前すぎて届いていなかったりするのが不憫だけど……」
「毎回言うの、良くないよね。ここぞと決めればいいのに、なにか不安なのかな?」
「確かにそうね、あんなに思い合ってるのに、不思議よね」
にこりと笑い合う。高岡が、するりと腕を離すので、ヒナは名残惜しい気持ちで、自分で腕を抱きしめた。
「友里が可愛いからって、私みたいな可愛げのない女まで、褒めてくれるのよね、あの人」
「いやそれは、それはもう、友里は関係なく、朱織を気に入ってるんじゃないかな。朱織は、本当にいい子だもん」
「ヒナちゃんも、ほんといい人。やっぱり一学年先輩だと、大人だわ。ありがとう」
高岡が、しかしヒナと同学年の優と友里に対してはそう思えないと、にやりとヒナを見つめた。
ヒナはうっとりと、照れる高岡を見つめて、手を取った。友里が好きだった時も、そうやってスキンシップをして、こちらの気持ちに気付いてもらう手段をとっていたことを思い出した。ほほにキスをしたら、どう思うだろうか。恋をするたびに、手段や段取りを忘れてしまう気がした。
「……きいてくれて、ありがとう。ヒナ。そろそろ、寝室に戻るわ」
冷静な声の高岡に、名前を敬称を付けずに呼ばれた。ヒナが握った手のひらを高岡が握り返して来たので、ヒナは高岡の中で何が変わったのか、測りかねて、瞳を探る。
なにも気付いていない表情に、ホッとしたが、それはそれで胸が痛んだ。ヒナは、高岡の後姿を、客間のふすまを開き、部屋へ入るまで、見送った。
「あー……」
ヒナは、すこし息を吐くと、壁に助けを求めるように、もたれ掛かった。
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