第210話 かおり


「望月のお願いは?」

 高岡は同じ吹奏楽部の望月に、願い事の有無を気安い声で問いかけた。

「なによ、私のお願い聞いてくれるわけ!?皆さんのコスプレが見たい!今日の浴衣姿とっても素敵、最高だったから」

「却下」

「あ!言うんじゃなかった!」

 望月は項垂れたが、高岡に「書いたとしても、ひねりが足りないわ、ドレスアップしてお出かけとかならまだ」とだめだしを言われて、ぎりぎりと睨んだ。諍いは、まだ終わっていないのかと優は少し遠巻きに思った。


「なにヨ、駒井優。あなたのお願いとか、あるわけ?」

 その目線を、自分へのものだと思った高岡に言われ、優は戸惑った。

「書いて、もう入れたよ。選ばないかもしれないけど」

 あらそうと、高岡は友里の肩越しに目をつぶる。

「本当のお願い事は、友里ちゃんにしかないから、本人に言うし」

「優ちゃん、なにかあるの?」

 名指しされた友里は、ワクワクとした顔で、優を見つめた。いつもなら、優に飛びついてくるシーンだが、しかし、高岡を肩に乗せているので、優の元へは移動してこなかった。浴衣姿のせいか、友里と高岡がとても艶のある様子で、優はおとなしく、友里の隣へ移動して、友里の椅子になった。


「さっき言ってたこと、してほしいかも」

 友里に耳打ちするように言ったが、友里がすっかり忘れていたので、優は、しばらく時が止まったようになり、赤い顔で「なんでもない」と言った。水着を着てほしいという件を、優は諦め顔で胸にしまったが、高岡ははっきりと聞いて、覚えていた為、優をひどい顔で見た。

「You are lustful at heart.」

「I ain’t done nothing wrong.」

「なになに、なんて言ったの?!」

 優と高岡は、友里にせっつかれて、顔を見合わせて、口を開く。

「駒井優は清廉ねって言ったのよ」

 ほんとうは「この、むっつり!」と言った高岡が、にっこりと反対のことを言って笑った。

「なにもわるいことしてないよ、って言ったよ」

 優は、「それのなにがわるいわけ?」と高岡に言ったのだが、柔らかでソフトな言い回しに直した。ふたりの虎と竜のようなやり取りに、友里が「仲良しで羨ましい!」と言う顔で見るので、優は困ってしまう。高岡が仕方ないという顔でため息を吐いた。

「友里、聞いて。駒井優があなたに対して、『嫌味がうまいね』とか言わないのは、友里が嫌味を言わないからよ?髪を乾かしてとお願いして、『甘えるな』と一喝される関係も素敵だけど、友里の反応のせいよ、鏡のようなものなのよ」

 友里は、もうひとりの幼馴染の高岡に、言われて、唸った。ちらりと優を見た高岡に、優は微笑みかけた。

「わたしも同じ気持ちだよ。これは、恋人だからだけじゃなくて、幼馴染の気持ちとしても一緒」


 優の言葉に、聞いていた友里も含め、赤い顔になった。皆の前で改めて「恋人」と宣言したのは、初めてのように思った。


「そういえば、あなたたち指輪は、どうしたの?」

 高岡はすこしだけ話をスライドするように逸らして、友里から起き上がると、左手の指にあるはずの指輪の所在を問うた。友里と優は顔を見合わせた。

「うちの母が、普段はしまっておけばいいと言って、家に置いてきたよ」

「離ればなれだと可哀想だから、一緒のジュエリーボックスに入れてるの」

「あら、そうなの……見てみたかったわ」

「写真ならあるよ」

 友里のお花が咲いたような声に呆れつつ、話を逸らすことに成功した高岡が写真を眺める。ついでに、大阪旅行の写真も見る流れになった。


「友里先輩かわいい……!!」

 後ろで見ていた望月が村瀬の撮った写真たちに感動して、思わず友里の背中に縋りつくので、友里はくすぐったくて笑った。

 優が、望月を引きはがして、自分の胸にぎゅっと抱きしめるので、友里が「やだ」と言って望月を自分のお膝に寝かしつけた。膝枕状態の望月を優が抱き起こし、ふたりの間をくるくるとして、最終的に、幸せそうに布団に突っ伏した。


「シャワーお先に頂きました!!!ってあれ?!璃子、死んじゃった?!」


 村瀬が部屋に戻ってきて、幸せの中にいる望月をつついて起こした。

 高岡が、立ち上がって、優と一緒にシャワールームへ誘う。さすがに、優と友里を一緒に行かせるのは、風紀が乱れるというので、優はおとなしく従った。友里は小さく手を振る。

 ヒナがお風呂から戻ってきて、望月が先に浴槽へ向かう。

 ヒナと村瀬、友里が部屋に残され、友里は、髪をほどいて、お風呂の準備を始めた。


 :::::::::::


「友里さん、ばあちゃんが今度また遊びにおいでって」

 村瀬に言われ、友里は頷いた。先日の大阪旅行でお世話になった件を、ヒナに伝える。

「クッカと逢えなくてさみしいってうるさいんで、写真送っていいですか?」

 髪をほどいてしまったが、浴衣姿で、友里は村瀬のスマートフォンに向かってにっこりとほほ笑んだ。数秒で、村瀬の祖母から連絡が来て、「明日こい」と書かれていて笑った。ハニーブラウンの瞳の大型犬の写真が一緒に送られてきた。

「これが本物のクッカ!かわいい」

(いや似てると言われているのに、それは?)と友里がぶつぶつ言いつつ、村瀬の手のひらにあるスマートフォンに顔を近づけた。3枚ほど見て、そのやんちゃで愛されている様子のゴールデンレトリーバーに破顔する。そばに寄った村瀬から、爽やかな柑橘系の香りがした。

「村瀬さんは、いつも、ちょっと大人の香りがするけど、今日は柑橘系だね」

「お、なんだろ、いつも宏衣に貰った、老舗も老舗の香水つけてます、Diorの。トップノートの俺に会ったのが初めてなんですかね!?」

 村瀬が嬉しそうに言って抱きつこうとするので、友里は困ったようにほとんど胸の中におさまっているような態勢から、少し離れた。

「友里、ワタシは?」

 ヒナが友里に問いかけたので、お風呂上がりのヒナの肩甲骨に、遠慮なしに顔をうずめた。

「ヒナちゃんは、いつも、香りはあんまりしないけど、今日はマスカットみたいな香りがする」

「ひまわりの香りのボディミスト使ってるよ、それのミドルノートが、マスカットだから当たりかも、友里って鼻がいいね、ほんとにわんこだ」

「ごめん、いやだよね」

「ううん、ワタシがきいたんじゃん、嬉しい。少なくとも、いやな香りではないんだよね?」

「うん!かわいいし、明るい香りで、一緒にいると嬉しい!って思う!2年になって初めてできた友達だし!」

 友里とヒナが、キャキャっと手をつなぎ合うので、村瀬があせったように、「友里さん、俺は?いやじゃない?!」と問いかけた。

「大人っぽいなと思います」

「なんで真顔で、敬語……?」


 村瀬は少し、ショックを受けたような顔で、友里を見つめ、ちぇーと言いながら続けた。

「駒井さんには、どんなかおりをかんじてるんです?」

「優ちゃんは、バラ園だよ~、ほんとにいい香りで、特別で、落ち着くの」

「ははあ。ごちそうさまです」

 友里はすこし照れて、しかし、恋人の優の香りが一番好きと言うことに躊躇をしなかった。

「友里さんは、いい匂いしますよね」

「火薬の匂いでしょ。あと今日は、カササギさんに香水つけてもらったから、イチゴの!」

 村瀬に言われて、友里は、すこし照れた。

「バニラエッセンスみたいに感じますけどね」

「ワタシは、あの匂い、ほら、ミルクの飴の…」

「あ~~、わかる気がします」

「ちちくさいってことなのかなあ?」

 友里が、自分の使っているボディソープなどを思い出しながら、ふたりの言い分に首をかしげた。

「そういうことじゃなくて、かわいい香りってことです!」

「わたしが、香水の話はじめたからだね、ごめん!あやまる!」


 友里は、胸のあたりに顔をうずめようとする村瀬から物理的に逃げて、ヒナの後ろに隠れて、借りた浴衣の始末を問いかけた。皆、脱衣所に置いてあるので、友里もそうしてほしいとお願いされ、友里は頷く。村瀬がいなければ、サッと脱いで、部屋着に着替えておきたいところだったが、おとなしくまた座り、髪をまとめた。少しして、望月が帰って来て、優と高岡は戻らなかったが、友里もお風呂へ向かった。



 友里を見送ったヒナが、村瀬の背中を叩いた。

「村瀬~。あんまり友里を困らせるなよ。村瀬甘党だから、友里がバニラエッセンスに感じるんでしょ」

「ガールズバーのお姉さんたちは、いい匂いってぎゅっとしてくれるんですけど」

「まあだめ押しだったねえ、どう考えても、あんたの匂い、怖いって顔してたもん、ワタシは、柔軟剤みたいでいい匂いだと思うけど」

「香水をバラに変更しようかなあ」

 望月は、話の流れはわからなかったが、村瀬からバラの香りが漂うことを想像して、「やめときなよ、きもいって」と真顔で言った。

「璃子は、友里先輩からどんな匂いするの?」

 村瀬が言うと、望月は、しばらく迷って、首をかしげた。

「ケーキ……?イチゴのショートケーキとか」

「おまえ、一番好きなケーキ、イチゴショートだろ」

「なんで!別に、チョコケーキだって好きだよ!?一番とか無い」

「好きな人の香りは、一番好きな香りになるんだってよ」


 言われて、望月は赤い顔をした。

「チョコケーキが一番なんて、いってないんだからね!?」と念を押すように言うので、村瀬が首をかしげる。


「駒井先輩すっごい、ふわあって、いい匂いするけど、あれがバラなの?」

 望月は、まだ少し濡れている髪をくしでとかしながら、自分が今夜眠る布団の上に座った。

「俺にも、駒井さんって甘い匂いするってコトしかわからない。あんな甘いバラがあるのかな?いろんな種類があるっていうし」

「ワタシも、甘い~ってかんじしかないや。友里って、いろいろ詳しいよね」

 さんにんは、うーんと唸った。

「そういえば、香水とかはつけてないそうですよ、駒井先輩」

「え、あれで……?!家がいい匂いなのかな?」

「うーん、優さんこわいな~、匂いが、好きってことになるならさ、みんなけっこう優さんのことも、好きなんだね」

「いや俺は、打倒を貫きますよ!負けねえ」

「負けるにおいしかしないよ、村瀬」


 ヒナと村瀬は、笑い合って、望月だけが、なんだかわからないまま、ふたりを見た。


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