第208話 片思いの機微
柏崎写真館の台所で、優はグラタンの焼き加減をみて取り出すと、一足先に居間に届け、すぐに戻ってきて、残りの唐揚げを揚げた。浴衣姿の友里はニコニコ顔で優のサポートに回っている。優は、つやつやのチークを塗ったような頬に、お礼のキスをしたいような気持ちになった。
「ねえ、考えてみたら高岡ちゃん、ヒナちゃんに優しい気がしない?」
「友達だからでしょ、高岡ちゃんは友里ちゃんのお友達に優しいんだし。やり過ぎじゃないかな、ヒナさんの中でも、まだ、想いが確定しているわけではないんだよ」
だが、強い気持ちで、自分の欲を押し込めると、友里に注意した。(周りから片思いが暴露されるのは、良くないことだ。当時の自分が、友里ちゃんにそれをされたら)と考え、震えた。
友里はいちど謝って、「それでも」と続ける。
「でも、好きな人とは、そばにいたいよね」
優にたいして、友里は先ほどまでのニコニコ顔をおさめて、意味ありげに言うと、優の背中に抱き着いた。玄関先で抱きしめただけでは物足りなかったと言いながら、抱き着いている。優は、引き剝がすこともできず、揚げ油の跳ねから、友里の手を守るようにそっとその上に手を重ねた。
しかし、先ほどの高岡への対応を考えるに、ふとした瞬間に「ヒナちゃんはどう?」なんて聞いてしまいそうで、片思いの機微がわかっていなそうで、みんな幸せになればいいと本気で思ってる友里がとても可愛く愛おしいが、高岡の為にも、たしなめなければならないと思った。
優は背中の暖かさに、少し心が動きながらも、言葉を続けた。
「だけど、片想い中は色々あるんだよ、ちょっと離れたところから、見てるくらいがちょうどいい時もあるんだ。なにも思っていない高岡ちゃんにも、いやな感じに伝わったら悪いだろ」
片想い歴の長い優は、思わず力説した。
「わたしだって、片想いしてたからわかるよ、優ちゃんが抱き締めてくれたりすると、ちょっとだけ悲しくて、でも、嬉しかった」
友里が言うので、優は思わず、ぐうっと息を飲んだ。高岡にさんざん注意された、友里への仕草がここへ来て難しく作用した。唐揚げを一度皿にあげて、層を成した黄金色の衣を軽くお玉の底で叩き割ると、また揚げ油の中へ戻した。
「それは……。わたしが悪い。どうしても、離せなかったのは、好きだったからで……。でも、想いを受け取ってもらえないのに、抱きしめられたり、笑いかけたりされるだけで、苦しかったりする場合もあって」
「ぜんぶ嬉しい!なにも思ってないなら、ずっと抱きしめられたままには、ならないでしょ?」
お腹に回された手を組み返して、友里がそっと背中に付けた頬を、すりつけた。優はドキリとした。
「でもそれは……相手が嫌がるかもしれないっていう、不安も、ともなっていて」
「そうだよね、わたしだって、優ちゃん以外にされたら、すごく怖い」
スリスリと、背中に友里の感触がじんわりと広がる。優は、また心音を聞かれている気がしたが、自分ではどうしようもなかった。片想い中も、友里が、優を好きだと自覚したという頃も、普通以上のスキンシップを優にしていた友里の気持ちを聞けている気がして、優は胸が苦しくなった。
「不安になった時、こうやって自分から抱き着くと、自分が大好きなだけでいいって思えるの。でも、贅沢な話かな、本当なら、こんなふうに抱き着くのだって、大ごとだよね、幼馴染じゃない優ちゃんに、こんなことできなそう」
優は、友里の言葉にうずうずとして、抱きしめたい欲と戦った。友里が優から離れて、ピョンと跳ねながら、優の胸の中に飛び込んできた。
「あぶないよ」
「優ちゃん、味見で1個食べていい?」
「もちろん、熱いから気をつけて」
揚げ上がった唐揚げを猫舌の友里がフウフウと息を吹きかけて冷ましてから口に当てては、「あちち」と言ってまたフウフウしている。
「いつ食べるの」
「熱くてー!」
優も思わず、一緒にふうと息を吹きかけ、友里に見つめられてハッとした。
「あ、いやかな?」
「ううん、かわいい」
なにそれ、と優は言いつつ顔を赤らめた。
「優ちゃん、キスしたいなあ、だめ?」
友里がじっと見つめる。キスの距離に、自分から近付いてきたのが、優にもわかった。つまり友里は、先ほどから誘惑をしている。友里は「わたしはお誘いがヘタ」と優に言うが、優はいつでも、(もしかして)と思っては手を出して、友里に驚かれているため、二の足を踏んでいるだけだ。友里は優に対してかなり
「……人様のお家だよ」
「淑女さま、ちょっとだけ。両想いの特権」
「……もう」
取得するまで長くかかった特権の位置にジンとして、優はあっという間に負けた。「ん」と友里が唇を付き出して、キスをねだる。片思い中の自分からしたら、まるで夢のシチュエーションだった。
揚げ油の火を消し、優は、友里の顔の輪郭に指先を添えて、唇を……──。
がらがらと台所の引戸が開いて、ハッとした。
「友里〜〜」
ヒナだった。優は、友里の唇そばからパッと離れた。ヒナがズンズンと、怒りとテレにまみれた顔で友里に近づいてくると、友里も赤い顔のまま、ヒナを見つめた。
「あんな風にしたら、ワタシが、朱織になんかあるってわかっちゃうでしょ?普通にしててよ、普通に!」
ブンと手を掴んで振られて、友里は、困ったように顔を赤らめた。
「今、優ちゃんにも、怒られたよう。でもだってわかった方がいいと思って!もしかして好きなのかな!?って感じた方が絶対良いって!優ちゃんとばっか話してたら、優ちゃんが好きかも!って思うよ~」
「優さんを好き!?そんなふうに見えたの!?」
優は、友里が、ヒナとふたりで過ごしていた時間に、嫉妬を感じていたせいで、先ほどから甘えているのかもしれないと思い、赤い顔を追い払うためにコホンと咳払いをした。
(いや友里ちゃんに限って、まさか)
自分が、それをされたら少し、──かなり気になってしまう優だったが、友里はどちらかと言えば、そうではないと思っていた。真意が掴めない友里に、ぐるぐると思考してしまう。
「でもだってじゃないの!それは友里たちみたいに、相手もこちらを好きってわかってる場合の駆け引きでしょ、朱織はそう言う感情、こっちにないから!片思いってそういうことだから!」
「好きなんて、わかってなかったよ!?」
「はたから見たら、バレバレだったはずだよ!」
ヒナは、ふたりが付き合ってからしか知らない上に、愛情の確認ばかりを目にしているので、言うが、優の気持ちを隠している様子を見たらどう思うか、優は少し気になった。──が、すぐにわかってしまいそうだとも思った。
優の気持ちが乱れていることには気付かず、友里とヒナが言い争いをやめない。
「気持ち悪がられたら、どうするのよ!」
「高岡ちゃんは、そんな子じゃないよ。気持ち悪いとかないよ。──ひどいことはしないってヒナちゃんのことも信じてるし、高岡ちゃんも絶対、ヒナちゃんのことは気に入ってるから、真面目に考えてくれるはず!!」
友里に言われ、ヒナはグッと息をのんだ。確かに、そういう律儀さを気に入った。
「友里は、私が朱織を好きでもいいの?親友でしょ……」
恐る恐る気持ちを問いただすヒナを、優は見守った。
「なんだかちょっと寂しい気持ちも、あるんだけど、高岡ちゃんも、ヒナちゃんも、大事で大切な友達だから、誰かの好きを、否定するなんて、わたしには、むずかしいよ」
友里が言うと、ヒナは少しうつむいて、ぎゅっと手を握った。優は、ヒナの気持ちが手に取るように分かった。──そういうところが、好きだと思った。
「それにね、高岡ちゃんはいつも恋はわからないって言ってるから、自分が誰かに好意を向けられるような人なんだよって意識してもらわなきゃじゃない?いっぱい大好きっていって、いっぱい良いところをみせて、わたしだけを見てっていわないと、好意も伝わらなそう。わたしの友達だから高岡ちゃんといる、と思われてそう」
「えっそういうもの?!」
友里の蜂蜜色の瞳がくるりと輝いて、ヒナと優は、聞き入ってしまう。
「大好きだよ!っていう気持ちを言って初めて、相手が意識してくれる気がする。思い切って手を握ったり、抱きしめてみたり……?いやだったらビシッと断るから、ショックを受けるかもだけど……。優ちゃんなんかずっと、わたしが幼馴染みの好きだと思ってたんだから、告白してるのに、伝わらなかったし、優ちゃんと高岡ちゃんはどこか似てるから、きっと、そう」
「そうなの?優さん」
思わず優を非難めいた顔で見つめたヒナに優は、慌てていいわけをした。
「だって小学校の頃から、友里ちゃんは、ずっと好きって言って抱きついてくるから、まさか、いつの間に違う意味に!?ってなるだろ」
「あー、……」
たっぷりと時間をとって、「可哀想」とヒナは同情した。膝に座って、「好き好き♡」と言いながら耳にささやいたり、抱き着いていた友里の姿を思い出し、自分が高岡にそれをされたら、優のように無表情でいられる自信が無い。
「言わないで」
優が、同情を欲しないような声で、ヒナに言う。
「意味はずっと同じなんだけどなあ」
友里は言うと、優の腕にそっと寄り掛かって、優を見上げてにっこりとほほ笑んだ。
「友里ちゃん……」
優はうっとりと、思わずヒナの存在を忘れて、先ほどの続きをしたくなった。
「まって、こんな目の前で、確認しあわないで。とりあえず話、戻すよ」
ヒナにいわれ、優と友里はハッとして、おとなしく頷いた。
「いまでどおりでいいから、友里はなにもしないで」
戦力外通告をうけた友里はしょんぼりした。
「でも、さっきの意識させる作戦は、すごく良いから、相談はのって。優さんも」
ヒナにいわれ、友里はこくこく、嬉しそうにうなずいた。
「ワタシね、姉貴たちが好きだのきらいだのはっきりしなかったのがすっごいいやだから、自分の好意は、すぐにちゃんと自覚しておきたいんだ。なんて、言いつつ、告白は、難しいけど」
ヒナが照れて困ったように、言った。
「でも、朱織が嫌がることは絶対しない」
「うん!でね、びっくりしたら泣いちゃうような繊細な子だから気を付けてあげてね。あとアスリートだから、心身を守ってあげて。昂ると、きつい口調になっちゃうけど、あれは、相手を思いやるばっかりに、自分を悪者に仕立てようとしてて──」
友里が一気に高岡の取扱説明書を読み上げてくるので、ヒナは慌てて「わかった!とにかく無茶しません!」と手を振った。
「あ、あと、優さんとふたりきりには、ならないように、気を付けるわ」
ヒナも友里が自身では気付いていなかった淡い嫉妬に気付いていたようで、反省をつぶやいた。優が赤い顔をして、「お願いします」というので、友里はようやく自分の嫉妬に気付いて、ヒナと優を交互に見た。
3人は、出来上がった唐揚げをもって居間に向かった。
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