番外編⑨ よびかた
高校2年生最後の期末テストも大詰め。友里は優の作成してくれた必勝英語をまとめたノートと睨み合い唸りながら、自分のノートに書き記していく。
優は、テスト勉強を終え、発売したばかりのハードカバーの描きおろし小説を、読み進めている。
「優ちゃん、余裕すぎない?」
「適度な気分転換は脳が活性化すると先生も言ってたから、大丈夫」
物語に没頭している優は、ぼんやりとそう答えた。確かに商業科の英語をテスト範囲だけとはいえ要領よくまとめ、(友里の友人の乾萌果などは「絶対勝てる気がする」と絶賛していた。)自分のテスト範囲も普段からしっかりと予習復習をしている優にとって、テストは乗り越えるものではなく、成果をみせる場で、リラックスして臨むものと思っているのかもしれない。
「んんん……」
「わからないところがあったら、書き出しておいて先に進んで。あとでまとめてやろう」
「はあい、優ちゃん先生♡」
友里は、パラパラと教科書を読みながら、単語を調べる。まとめて単語が載っているページに、コラムが載っていることに初めて気づいて、目をやる。
『英語圏の恋人の呼び方』
11月に付き合いたての友里にとって、なんとも心くすぐる見出しで、つい読みふけってしまう。12月の終わりに体を重ねて、それからは、もうずっと週末にはいちゃいちゃと過ごしている。平日は、今日のようにお勉強ばかりだが、いちゃいちゃの延長線上に、恋人の呼び方があることには、気付いていた。
(優ちゃん、「先生♡」って呼ぶと、クールな顔しながらすごい嬉しそうにしてる気がするし、優って呼び捨てすると、ぐって息をのむんだよね)
恋人のしぐさを思い出して、友里はバタバタと足をばたつかせたい気持ちになったが、本を読みふける優が、テスト中の監督のように友里の仕草で、友里が勉強をしているかしていないかを察知していることに気付いているので、お勉強をするふりで、コラムを読んだ。
『シュガー ワイフィー エンジェル、これらは、英語圏で実際に使われている恋人を呼ぶ呼び名。甘いお砂糖を示すシュガーは、まさに甘い関係。ワイフィーは、ワイフ(婚姻関係にある妻)を現す単語から派生したもので、妻にしたいという意思が明確にあらわされています。エンジェルは、天使のように美しいという意味です』
『羽はどうしたの?いま天国から降りて来たんだろ?』といっている白人男性の挿絵があって、友里は思わず笑いそうになるが、ぐっとこらえた。
(どこの国の人も、恋人には甘くなっちゃうんだな)
友里も優を一意専心に褒めたたえてしまうところがあるが、自分だけではないのだと、気分が高揚した。チラリと優を眺めると、長いまつげが伏せられていて、物語の中に入り込んでいるキラキラとした黒い瞳だけが、サラサラと輝く黒髪の合間から見えた。内容はあとで聞くとして、その姿だけで、友里の中で、言いたい愛の言葉がたくさんあふれてきそうだった。
優の部屋で、勉強をさせていただいている手前、集中しなければいけないことは、わかっているのに、友里はうずうずとして、優に話しかけた。
「恋人を呼ぶ英語って、いっぱいあるんだね、シュガー、ワイフィー、エンジェルだって。優ちゃんは、推しの呼び方とか、ある?」
「友里ちゃん、もう勉強に飽きたの?」
優が、ハードカバーの単行本を閉じて、呆れ顔で言ったので、友里は慌てて教科書をちゃんと読んでいたからこそ気付いたのだと説明した。優が英語を得意としていることは、知っていたので、希望とする呼び名があるなら、聞いてみたいと思った。
しかし、優に呆れられるのは本意ではないので、友里はさきほど確認する予定だった単語に目線を戻した。優が、本を本棚に戻し、また椅子に戻ってくるのを横目に見ながら、鼻歌を歌って、気にしていないそぶりを見せた。
「ハニー」
友里は、乗ってきた優に、思わず指さし確認のように人差し指を向けた。
「はい!ハニー、可愛い!!他には!?」
優が、「ぐ」という顔をしたので、思わずその膝に飛び込み、優に抱き着くと、友里は続けた。優の口から「ハニー」という言葉が出たことが可愛すぎて、その胸や頬、首筋をそっと触った。
「ハニ~♡って呼び方、すごい可愛いね、甘くてかわいい、優ちゃん」
「友里ちゃんは、別の呼び方でいいんだよ」
「え?」
優は鼻先を友里にちょこんとつけて、瞳をじっと見つめた。
「だって友里ちゃんの瞳が蜂蜜色だから、ハニーって、呼んだんだよ」
優の甘く低い声で言われて、友里は今、自分が「ハニー」と呼ばれたことを理解した。優がただ、「そういう呼び方もある」とコラムの続きの言葉を出してくれただけだと思っていた分、頭の中に電流が走ったようになって、慌てて優の膝から降りたくなった。
まさか、優が自分の瞳の色を把握していると、思ってもみなかった。友里は髪も茶色に近く、色素が薄い。ハニーブラウンの瞳の色は、父方譲りだった。
「なんで目の色なんて、知ってるの」
「なんでって、当たり前でしょう?いつも見つめてるし、幼馴染なんだから」
優が、友里を包み込むように言った。
優が腰を支えていて、自分から飛び乗った優の膝から、友里はなかなか降りることが出来ず、「あ」だの「あの」などしか言葉が出せない。友里は、優が自分の事を知っていることに、いつも不思議に戸惑ってしまう。自分が、優を把握していることは当然で、大好きだからだと言い張れるのに、優が、友里を把握している意味を考えるたびに、脳内がパニックになってしまう。付き合っているのに、それは、全く慣れない。
「友里ちゃん」
優の問いかけも、どこか遠くに聞こえて、友里は、自分の頬が真っ赤に染まっていることに気付いた。
「ハニー」
優が、耳元で言うので、友里はビクリと体が跳ねた。
「やっ」
「友里ちゃんのお勉強の監督なのに、ごめんね」
優は言うと、友里の唇を奪った。あっという間に、溶けて、友里は優の胸におさまって、ハアハアと息を荒げている。
「甘い。本当に、はちみつみたいだ、友里ちゃんは」
恥ずかしいセリフを優が言うので、友里は、唸るしかない。こっそり食べたチョコレートの味が残っているのだろうかと友里が思っていると、優の黒い瞳が、くるりと光をまとった。瞳がうるんでいて、先へ進みたい顔だ。友里もきっと同じ顔をしていると思った。
「優ちゃんは黒曜石だな、英語でなんて言うの?」
「オブシディアンかな」
「オブ・・・…長い」
優はくすりと笑って、友里を抱きしめた。
「友里ちゃんがわたしを呼んでくれる声が好き。何度でも、呼んで」
友里に期待していないような気がして、友里は、うぬぬとない頭をひねった。優が口づけを繰り返すので、くらくらと星が舞った。
「優」
呼び捨てると、優の動きがピタリと止まり、唇が震えた。友里は正解を導き出したような顔で、そのまま、もういちど「優、大好き」と言って、抱きしめた。満足したように、友里は勉強モードに戻ろうとしたが、優が友里を持ち上げて、ベッドへ押し倒した。
「……ごめんね、我慢ができないや」
「え」
「友里、愛してるよ」
「っ」
友里は、呼び方の威力はすさまじいと思った。ひとつのきっかけで、お勉強どころでは、無くなってしまったのだから。
友里の期末テストは、それでも優のノートのおかげで、ほどほどの出来だった。優はいつもよりずっといい点数で、「よい気分転換が出来たようですね」と担任から、はなまる赤ペンを貰った。
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