第202話 演じる


 天井の高い美しい部屋で、クイーンサイズのベッドの中でまどろみ、目覚めると、優がそばにいて、友里はうっとりと眠る姿を見つめた。

「優ちゃん、朝、ランニングしたのかな?」

 時計を見ると朝の6時で、ぼんやりと口に出す。眠っているはずの優が眠りにつく前の声で「行ったよ」と答えた。

「受付の人に聞いて」

 ランニングコースを一周してから、部屋に戻って、シャワーを浴びて、友里のベッドにもぐりこんだことを言うと、優は起き上がって伸びをした。

友里は一連の優の所作にうっとりと見惚れて、グッと胸が苦しくなった。今日も友里の淑女が美しすぎて、惚れ直してしまう。


「別れるってジンクス」

友里の突然の言葉に、優は目が覚めたようになった。

「わたし考えたんだけど、悪い縁が切れるってことなんじゃないかな?」

 優は、まだベッドで横たわる友里の近くに、ころりと寄り添った。

「村瀬さんとお母さんの縁だってもう一回結ばれたッポイでしょ?いやな気持ちを、無くしてくれる場所なんじゃないかな!?」


「友里ちゃんの、ポジティブな考えとっても好きだよ」

 優は友里の頬にキスをして、もう少し深く、首元にもキスをした。友里が、キャーと身をよじる。そして、新品のままのベッドをちらりと見た。2泊3日の大阪旅行なので、今日10時にチェックアウトだ。ふたりで一つのベッドを使っている限り汚れることはない。

「あの、…こっち側だけ汚れてるのわかっちゃう……?」

 友里の羞恥の部分に触れたようで、驚く。優は、そういう面に羞恥を感じない。

「チェックアウト後のことは、いいんじゃない?」

「で、でも……!もしも芙美花さんに連絡がいったら?」

 ありえない不安を口に出すので、優は友里の純情ぶりに震えた。そんなことが、あったらホテルの信用にかかわってしまう。


「じゃあ、清掃の人が来る前に、あっちのベッドでも、一緒に眠る?」

 優がすこしだけ本気を交えつつ、冗談のように友里にお誘いをしてみる。いつもの友里なら、優が本気で体をまさぐらない限り気付かないが、今日はすぐに優のお誘い気付いて、顔を真っ赤にしたので、優は(あれ?)という顔をした。

「あ、えっと……、今日はだって、婚約指輪を付けた記念旅行だもんね」

 友里は、父親への挨拶をそっと記憶から抜くように言った。楽しいことだけを、覚えていたいという態度だ。優は、友里の気持ちを汲んで、こくりと頷いた。


「村瀬さんの登場にはびっくりしたけど」

「そうだね、村瀬、元気になって良かった」

「優ちゃんの優は、やさしいの優だね」

「そう見えるのだとしたら、友里ちゃんの影響だよ」


 言うと、友里と優はどちらからともなく唇を合わせた。

「ほんとに、しちゃう?」


 もじもじと、手の指先を触る友里に、優は「それなら、期待に応えないと」と言いながら、ベッドから起き上がると、友里を抱きしめてお姫様抱っこをした。

「きゃあ」

 友里が悲鳴を上げつつ、優に抱き着いた。すぐそばのベッドに、そっと降ろされて、友里は優を見上げる。

「じゃあ、するね。友里ちゃんの大好きな朝食バイキングが、始まっちゃうけど」

「え!それ今言うかなぁ」

 食いしん坊の友里が、言葉だけでお腹をグウと鳴らしたが、優は友里の弱いところを攻めたてる。友里は恥ずかしがって、身をよじった。優が刺激を与えるたびにビクリと震えて、喘ぎ声をあげるが、ぐうぐうとおなかが鳴るので、優は、はじめて友里が演技で夢中になろうとしている気がして、くすくすと笑った。


「残念、ごはんには、勝てなそうだ」


 まったく本気ではなかった優は、すぐに起き上がって、朝食バイキングの為に身支度を始めた。友里はくすぶる体を抑えて、新品のシーツの上で震えて叫ぶ。

「いじわる優ちゃんだ!」

 友里は、もう耐えきれず、アハハと大きな声で笑う優に、それでも「ユウチャンカワイイ」と鳴いた。


 ::::::::::::::



 日曜日の10時、お腹がいっぱいになってからホテルのチェックアウトを済ませたふたりは、新幹線に乗る前に、高岡と約束した「硬い八橋」も購入することが出来たので、友里は高岡に【月曜日に、屋上で渡すね】とさっそくメッセージを送った。


『明後日、休むと思ってたわ!』

 メッセージではなく、通話で掛けてきた高岡に、友里は、驚きつつ答えた。

「休憩中?」

『そう!私は、このまま、火曜日までバレエの合宿よ。4日に、柏崎写真館に行くわ。友里もくるかしら?』

「ヒナちゃんに聞いてみる!」

 ヒナへのお土産は、限定ポッキーだ。真帆と、キヨカには、中古車の手配のお礼も兼ねて、お揃いで美しい箸をあつらえた。

『駒井優は?』

「優ちゃんはロッカーに荷物を取りに行ったよ」

『ふうん、ご挨拶はだめだったのね?うまく行ってれば、いの一番に言うもの』

 友里の声が沈んでいることに気付いていたのか、高岡に先に言われて、友里はただ頷くだけでよかった。村瀬の件などを、高岡に報告すると、高岡は友里をほめちぎった。気をよくした友里は、優が梅田スカイビルで言ってくれた言葉を、高岡に伝えた。

『あなたたち、プロポーズを何回するのよ!』

「え!?初めてだよ!?」

 沈黙が横切る。高岡が、スマートフォン越しに大きくため息をついた。

『そう……、ちょっと駒井優に同情したわ。続けて』

「夜景の見える素敵な場所でね、優ちゃんの髪がサラサラってゆれて、まっすぐに見つめてくれる瞳は、夜景よりもずっと輝いてて、ほっぺは、ほんのり桃色でね、穏やかな声で、言ってくれたの……!」


「光の中でも闇の中でも、一緒に幸せを見つけていこうね」

「優ちゃん!!!」


 荷物を抱えた優が、友里の背中から耳のそばで言うので、友里は思わず耳をおさえて真っ赤になった。


『よくそんな歯の浮く台詞を、何度もいえるわね』

 呆れた高岡に、遠くから言われた優は、「要約しているので恥ずかしくない」と付け加えた。

「優ちゃんはカワイイ!!」

 照れている友里が、慌てて高岡に物申す。あわあわしているので、優はくすりと微笑んだ。

『じゃあ、キモかわいいってことで。私そろそろ、レッスンに戻るわ、またね』

 高岡がそう言って、通話を切った。友里は、何か言いたげな顔で優を見つめたが、優の荷物を半分持って、友里は言葉を切った。


「友里ちゃん、お父さんにもう一度会わなくていいの?」


 優の問いかけに、友里は、戸惑ってうつむいた。昨日から、何度も連絡をしているが、父親からの返信はない。そんな人間に、逢ってどうするのかと友里は喉までで掛けて、首を横に振った。

「ううん、どうせまた、別れろって言われるだけだし」

 友里がそう言って、歩き出すので、優は友里の腕を掴んだ。


「わたしたちのことじゃなくて、友里ちゃん、お父さんとちゃんとお話ししてないんじゃない?」

「おはなし?」

 優の言葉に、友里は首をかしげた。

「3年ぶりに逢ったお父さんに、寂しいってちゃんと言っていないんじゃないかな」

「……」

「もっと言えば、お父さんがひとりで大阪に行ってから、碌にお話ししていないんじゃない?だから、どこか不安で、いやなことばかり、考えちゃうんじゃないかな」

 友里は、考えてみた。優の言う通り、父親と話をしたのは、数分に満たない。父親が避けているから、友里も避けてしまっていた。


「やっぱり、事故で失った子供だと思っているのだったら、幸せになってほしいなんて言わないと思うんだ」

「優ちゃんが、死んで当たり前って言ったの、聞いていたでしょ」


「うん」

「あれで確信もったんだもん」


「やっぱりそうだったか、ごめん」


 優は、素直に謝った。

「これは、わたしのせいでもあるよね、わたしが、友里ちゃんのそばにいてほしいってお願いしたから。わたしが、そばにいたいって思う分、お父さんを友里ちゃんから引き離してしまった」



「友里」

 友里の背後から、声がして友里は振り向いた。父親がいて、一度優を見つめる。「ダメもとで、マコさん経由で連絡した」というので、友里は「やっぱり今日は、いじわる優ちゃんだ」と、すこしだけ困った顔をした。これが優の言う「闇の中」ならば、幸せを探すのは少し難しいと思った。


 父親が、駆け寄ってきて「ごめん、今日帰るのすっかり忘れていて」と、友里に言うので、仕方なく友里も父に目線を合わせた。


「お仕事で忙しいんだから、来なくてよかった」

「いや、1時間ぐらいなら、抜けられるから」


 支社長の仕事はそんなに忙しいのかと友里が問いかけると、友里の父親は困ったように、頭を掻いた。友里と同じような猫っ毛を、固めている分、老けて見られることが多いようだった。苦労が透けて見えた。

「……あのね、お父さん、わたし優ちゃんとは、別れないよ」

「友里、いまする話じゃないぞ」

「うん、今の話じゃない、未来でも。何十年後も、優ちゃんと一緒にいるの。その先が、見えなかったとしても、困難がまってるとしても、死んだときに、あの時優ちゃんと別れなくてほんとよかった~~!って思うよ」


 友里がはっきりと言うと、友里の父親は表情を変えず、「じゃあ、お父さんが反対することはなにもないな」と口の中で呟いた。


 まるで、演劇のようで、友里は口角を上げようとして、無理だった。

「お父さん、もう演じなくていいよ」

「え?」

 友里が言うと、父親は、目を丸めた。

「いいお父さんぶってるだけでしょ、わたしが、事故に遭ったから……。わたしから、目をそらしてるのを、隠したいんだよね?水族館、お父さんと行けばよかった」


 人ごみの中、友里は思わずそう言って、本当は言いたくなかったと口をぎゅッと閉じた。

「なにを」

「あるよ、死んで当然って言ったの、皆が覚えてるんだよ」

「それは……」


 蒼白になっていくのがわかって、優は、友里の父親を支えた。友里が、そちらの味方をするのかと、すこしショックを受けたような顔で優を見やったが、優は、友里をちらりと見ただけで、近くにあったチェーン店の喫茶店へ促した。


「わたしはずっと、友里ちゃんだけの味方だよ」


 優の言葉に、友里は、信じられないというような目で、初めて優を見た。しかし、すぐに、首を振って、自分の味方だと言ってくれた優を見つめる。ふたりの後をついて、喫茶店へ入った。



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