第201話 これからもよろしくね


「まあわかりますよ、そりゃしますよね、あんなロマンチックな光景」


 観覧車から降りた後、優と手洗い場で一緒になった村瀬は、手を洗う優の隣に立ちながら言った。


「キスはまあ、さすがにみえませんよ、ええ。でも、したんでしょ?まじで、こっちが、みえてなかったんですか?駒井さん」

「村瀬、悪い。本当に友里ちゃんしか見てなかった」

「景色を!見てくださいよ!!!」

 しごく正論を言われて、優は手指の泡を丁寧に落とした後、綺麗なハンカチで手を拭いた。

 村瀬は、「ところかまわず発情して!」とプンプンと怒っているが、実際、友里の抱えている父親への寂しさを、払しょくしたくて、友里を抱きしめた優だった。村瀬に、友里が初めて優を頼って言ってくれた不安を、言うわけにもいかず、瞳を閉じて、口を開いた。

「恋人同士なら、当たり前のことだろ」

 キリリと整った顔を向けて優が言うと、村瀬は呆れた顔で13センチ下から、優を見上げた。

「駒井さんが思い付きで行動していること、マジでほかのやつわかってなさそうでムカつく!」

「そうかな、わりとバレていると思うけれど」

 優は高岡などを例に出して、淡々と言った。


「でもまあ、今回も、その思い付きのおかげで、色々上手くいったんで、ありがとうです」

 村瀬が大きな口をすぼめて、唇を突き出してお礼を言うので、優は「素直だな」と顔をしかめた。

「まさか、あの人の心を開くのが、恋バナとか!わかるわけねえっすわ」

 村瀬の母の、「恋」に対する激しい一面を見れて、優と村瀬は苦笑し合った。

「でも、なにもいらない、全部無意味って言っていたくせに、そうじゃないって思ってくれたのは、駒井さんが言った、『もしも俺が、母親の元から離れていっても、必要なものではなかったと、言い切れるか』って言葉っぽいですよ。過去話なんかほぼしない人だったのに、ぽつぽつ教えてくれるし」


 優は、友里だけがこの世にいればいいと思う激しい一面を抱えつつも、積み重ねてきた過去が今の自分を作っていると言ってくれた友里の言葉を思い出して、村瀬に伝えた。

「わたしも友里ちゃんから教わったんだよ」

 微笑むと、村瀬は頬を赤く染めた。髪を掻き上げて、しばらく天井を眺める。

「ごちそうさまです」

 村瀬はにやりと笑って、ため息をこぼした。


「これで、望月に、お土産買って帰れます、キノコ派にしてやりますよ」


 悪い顔で笑うので、優は「ほどほどにね」と声をかけた。

 一見幸せに落ち着いたように見えて、争いの種は尽きないなと優は思った。


 ::::::::::::::



 村瀬家族と別れて、ホテルの部屋に戻った優と友里は、どっと疲れが襲い、身支度をほどいていく音だけが、夕闇のホテルに響いた。月曜日は学校なので、明日の午前中には帰路につく。順番にシャワールームを使った。


 シャワールームから出た優は、下着姿に、かろうじてバスローブを羽織ったところで、力尽きて、ベッドの上で眠っていた友里を見つけた。

(寝つきの良さは相変わらず)

 優は、暖色の光にさらされて、優とお揃いの下着を身に着けている友里に気付いて、(示し合わせたわけではないのに)と、ときめいたが、友里の性格ならそのくらいはするかと、浮かれているのは自分のほうだと、落ち着いた。


 自分の髪を乾かして、友里の髪も、しっかりと乾かした優は、友里の体を持ち上げて、バスローブのまま布団の中に入れた。友里の頬にキスをして、「おやすみ」と声をかけると、抱きつかれて、そのままベッドに押し倒された。


「わ」

 友里が「ふふ」と笑って、優の上にコロリと乗ってきたので、優は起きているものと思って、ホッとして友里の背中に手を回した。しかし、友里はしっかりと眠っていた。すうすうと寝息が聞こえる。

 優は友里を持ち上げて、反対側に転がすことは簡単だったが、友里の温度や、呼吸音、いつもとは違うシャンプーの香りの髪に包まれ、離れがたくなって、髪を撫でた。ベッドのスプリングが、キシリと音を立てた。

 お互いの薬指に、お揃いの指輪が光っていることが、こんなにうれしい。

 以前から、友里が、喜怒哀楽の内、喜びと楽しさしか、見せていないと思っていたが、怒る姿も哀しむ姿も、見せてくれるようになってきた気がして、優は、愛おしさが増していた。

(もちろん友里ちゃんから、なくしてあげたいけれど──我儘だな、わたしは)


「友里ちゃん、大好き。告白を受け取ってくれてありがとう。これからも、よろしくね」

 友里に聞こえていないことはわかっていても、言いたくなって、おでこにキスをすると、友里がくすぐったそうに首をすくめた。優は、友里の首筋の髪を掻き上げ、ラインにそって撫でる。いつもの友里なら、甘い声を出して、頬が赤く染まるところだが、眠っている時の反応を見てみたくなって、そのままゆっくりと、ふわふわの髪を絡めながら、友里の体を走る2本の足のように、指先を滑らせた。


(「すぐに声が出てしまうのが、恥ずかしい」と言っているけど、意識を手放していると、かわいい声は出ないんだな)


 優は、眠る恋人の体を勝手に触ることは、良くないと知りつつも、体を起こして、友里を横にそっとおろすと、耳に、首筋にキスをする。唇は、起きた時にしようと断念した。

「……ふ」

 友里の吐息が漏れた。今にも開きそうな、友里の瞼に指先を伸ばした。濃い蜂蜜色の瞳を見たいような気持と、時が止まればいい想いを錯綜させながら、横たわる友里の眠っている様子を眺めた。そのまま、指先は、頬にたどり着いた。桜色の唇をそっと経由して、友里の体の曲線を、なぞっていく。バレエをもう一度始めた時から、8Kgおちた曲線美は、優以外も魅了してしまう。バスローブから、勝手に豊かな胸が零れ落ちそうで、優は、高くなる心臓の音を抱えて、煩悶した。


(理性が持たなそう……。自分のベッドに戻るか)

「…ン……っ」

 寝返りを打った友里から、喘ぎ声が漏れて、優はハッとした。立ち上がる先の、右手の平が友里の体にうずもれていて、胸を触っているようだった。付き合う前、友里への恋を自覚した14歳の頃、眠っている友里の胸をはからずも触ってしまったことを思い出して、優はサッと血の気が引いた。


 その時は欲情を感じた自分に驚いて、友里を跳ね飛ばしてしまったが、友里の体を知っている分、自分の腕が、友里のどこに触れているかが分かった。

(まるでやり直しのシチュエーションだ)

 優は、冷静な気持ちになりながら、右手を占領している友里の反対側の柔らかな肩の曲線を撫でてから、そっと下から持ち上げると、ころりと表に向ける。

 バスローブの前合わせをきちんとして、友里の身体を包む。乱れた髪を直して、眠る姿を眺めてから、頬に淡くキスをした。

 いつだって、こんなふうに穏やかに、愛おしい気持ちで友里を見つめられたなら、と思った。


「優ちゃん……?」

 ぼんやりとした声で、友里が言う。(キスで、眠りから覚めるなんてお姫様みたいだ)と、優は友里の濃い蜂蜜色の瞳が開いていく様をじっと見た。

「ンン、カワイイ」

 小さな声で、ねぼけたように、鳥のような声を出して友里が優に抱き着いた。柔らかな肢体が、優の胸にふわりと当たる。


「友里ちゃん」

 ごくりと優が息を飲み込み、ぎゅうっと抱きしめると思わず体をまさぐった、友里は夢心地の様子から、ハッとした。

「あ!優ちゃん……!?」

「ねぼけてた?ごめん、……不可抗力というか」

 友里は、ハッとして、乱れた着衣のまま、優を見つめて、「わたし寝ちゃったんだ」と小さくつぶやいてから、優の胸に顔をうずめた。

「寝てる間に、えっちなことした?」

「!してないよ」

 優は、恥ずかしい気持ちになって、すぐに否定したが、友里がニコニコとしているのを感じて、さらに恥ずかしくなる。

「その顔は、したでしょ」

「……ちょっと、首筋に」

「優ちゃん、素直だ!なんにも気付いてなかったのに!」

 「わたしの首回り好きだねえ」とニコニコする友里に、カマをかけられたことに気付いて、困ったように、どういえばいいか迷っていると、友里から唇を合わせてきて、目を丸めた。

「でも起きたから、ちゃんとして、いいよ」

 へらっと友里が笑って、何度も唇を重ねるので、優は、煩悶した自分が可哀想になった。

「友里ちゃんは、ほんとうに……」

 チュッチュッとリップ音を鳴らして、優を押し倒し、キスを繰り返す友里に、くらくらとしてしまうと、優の反論したい気持ちは消え、友里の背中に手を回した。

「あ、待って、優ちゃん」

 自分の方が強引にコトを起こしていたというのに、友里はそう言って、優を待たせて、起き上がると、優の目線からは、友里の胸がしっかりと見えた。それに驚いて固まっているうちに、友里は自分の荷物から、コホンと優のように咳ばらいをした後、真白い箱を出した。優がそれを開くと、きれいな刺繍入りのハンカチが入っていた。

「6カ月記念の贈り物です!」

 青い小さな小花と、薄緑の蔦……ブルースターとアイビーをかたどってある刺繍に、優は以前、せっせと針を進めていたものだと思って、喜んで受け取った。

「花ことばは、詳しくないから、すごい調べたんだけど、優ちゃんは、花言葉に詳しいからわかっちゃうかな」

 以前も、四つ葉の花言葉を、恋人同士が贈り合えば「あなたのもの」となることを知っていた優に、友里が照れながら言う。

「永遠の愛?」

 サラリと優が伝えると、友里は頬を赤く染めた。

「そう!さすが優ちゃん。あとね、「信じあう心」ってあって、すごい、いいなって。結婚式にも、よく使われるお花って言うから、ベールのモチーフにどうかなって相談もかねて」


 友里は、本当はベールをプレゼントしたかったが、まだ間に合わなくてともごもごと伝えるので、優ははにかんで、ハンカチを胸に抱いた。

「ありがとう、ずっと大事にするね」

「ううん、使い倒して。またいっぱい作るから!」

「わかった」

 友里は、それから、自分でバスローブを半身だけ脱いで胸を隠した。友里の細い肩が露わになって、優は、部屋の調光にぼんやりと産毛が光る健康的な肌の友里に見惚れる。


「大好き、お嫁さんになってね、優ちゃん」

「!」

 ニコリと笑う友里に、ドキドキとして、友里の肌に手をのばそうとすると友里はさらにいたずらっ子のように微笑んだ。少し眠ったことで、すっかり覚醒しているようだった。優はぼんやりとして、友里の誘惑にあらがえずにいる。

「ぜんぶ脱がない方がいいんだよね?」

「!!」

 ふざけたように肩をすくめて言う友里に、優はついに耐えきれず、おあずけから「よし!」とされた犬のような気持ちで、ガバリと覆いかぶさった。きゃあと友里が笑って、優を抱きしめて、キスをする。ふたりでしばらく体をくすぐり合って、笑って、抱きしめ合って、少し追いかけっこのように、しばらく遊びつくしてから、愛し合った。

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