第203話 神さまの子ども
「いらっしゃいませ」「先日の商談の件で」「もう宿題おわったん?」関西のイントネーションだが、喧騒の内容は地元と変わらないなと、友里はどこか他人事のように思っていた。
駅構内のチェーン店、父親と対面席で無言で座っている。
単身赴任は、家族の絆がどうのこうのと、村瀬詠美の母に言われた言葉が、友里の脳裏に駆け巡り、(ある意味正しいな)と、どこか冷たく思った。父親が単身赴任をしてくれたおかげで優と離れないですんだ。優のために、両親が選んでくれた境遇を、感謝しかしてこなかったというのに、いまでは父親への冷たい気持ちが胸をめぐっていた。
背がひょろりと高い痩せ気味の友里の父親は、怯えたようになにもわからないという顔をしている。
「友里が、大人になってしまっていて、やはり戸惑うな」
「6年間で、1回しか、逢いに来ないからじゃない?」
「骨折した時、友里も来るかと思ってたのに」
「……」
お互いに待っていたふたりは、似たもの親子だと思った。母のマコだけが父の面倒を見ていた件を、友里は思い出して横を向く。父親は、いつでも家族を大阪に呼びたがっていたことを、暗に友里に伝えた。
「写真、どうして、見てもくれないの?」
友里は、自分の言葉が強くなっていることを感じながら、どうしても聞きたくて、父親に問いかけた。
「私は、こわがりでね」
父親がポツリと言った。「友里はもう大人だから、この話をしてもいいだろうか」と注意をされた。友里は、自分のことを、大人とは思えなかったが、こくりと頷いた。
「友里が、神様に奪われて当然って思ってしまうんだ、いつでも」
「……?」
「木から落ちたと聞いても、川に落ちたと聞いても。友里はずいぶん、暴れん坊だったから、いつからか、死んで当たり前だ、あの子は、神様の子どもで、借りてるだけだから、って思うようになった。幸せそうにしていると、怖い」
「……」
以前、母親のマコもそう言っていたことを、友里はぼんやりと思い出した。自分は生きていて、当然に感情を持っていて、父親の言う「神様の子ども」という意味は、「ただの入れ物のよう」と言いたかったが、父親の言い分を聞こうと思い、じっと見つめた。
「でも、良い父親でいようと頑張ってただろう?」
「なんか、どっか遠くを見てる感じしかしなかったよ」
友里が言うと、父親はうつむいて「そっか」と言った。
「愛情の裏返しなんじゃないですか?」
3人分の商品を抱えて、優が戻ってきた。父親には、ブラックコーヒーを置き、自分と友里には紅茶を置いた。友里は、アイスで優はホットだ。ガムシロップを友里のために4つ持ってきている。
「友里ちゃんを、大事に思いすぎていて、失っても大丈夫だと、言い聞かせないと怖かったというのなら、納得するのでは」
優の分析に、父親はポカンとした顔をした。友里は優の言葉に、頷いた。それならば、愛情をもって友里を見つめてくれた気がしてしまう。
「そうだったら、いいな」
友里は、ほんの少しだけ期待を込めて、父親を見つめた。
「優ちゃんが友里を、また奪いに来た、とおもったんだ」
「え」
「挨拶にね、来た時も、ずっと賛成しようって思ってたんだ、本当は。だけど、友里が、優ちゃんのモノになるんだと思ったら、途端にいやだと思って」
「お父さん」
「神さまになら、返してもいいけれど、優ちゃんは嫌だと思ってしまった」
『友里が大切だよ』と一言もらえると思っていた友里は、まったく違う言葉を言った父親を見つめた。知らないおじさんのようだが、自分にそっくりなので、残念ながら、父親だった。
「……それは。わたしが、友里ちゃんを傷つけたからですか?」
沈黙が流れた。友里は、優をじっと見つめ、その手を握った。
「そうだよ、友里を殺すような目に合わせたのに、なぜ?と思ったんだ、むしろそんな相手とよくお付き合いを」
優が深々と頭を下げたので、友里は、慌てた。
「すみませんでした」
「え!?優ちゃんは、悪くないんだよ!?わたしが勝手にしたこと」
「友里は黙ってなさい」
父親に言われて、友里はグッと一瞬だけ口を閉ざした。しかし、すぐに、立ち上がった。
「優ちゃんを助けることが出来て、わたしも助かればよかったのに、川に落ちたのは、わたしが悪いんだよ!優ちゃんのせいにしないで」
「友里ちゃん、ごめんね、友里ちゃんは悪くないよ、でも一度謝らせて」
「謝罪して当然だろう」
優と父親に言われて、友里は腑に落ちないという目で父親を見つめた。
「何度も君が謝るから、何度も私は、友里を奪ったのは君だと思った。だから、自分に言い聞かせたんだ、わたしたちの子どもは、死んで当然なのだと。弱いから、そう言わないと、友里がこのまま目覚めなかったら、優ちゃんも同じ目にあわせようとおもった」
「……!」
友里は着席して、優の腕を抱いた。目の前の父親が恐ろしくなって、ぎゅっと目を閉じて優の肩に、顔をうずめた。
「わたしも、友里ちゃんが目覚めなかったらそのつもりでした。やっぱり、お父さんは友里ちゃんをきちんと、愛していると思います。友里ちゃん」
「……優ちゃん」
友里は、優が必死で父親の気持ちを引き出そうとしていることが伝わって、胸が熱くなった。しかし、友里よりも明るい父親のハニーブラウンの瞳は、なにを考えているかわからなかった。
「10歳かそこらの子に、なんて重いものを、背負わせたんだろうね」
自嘲気味に笑うと、父親は腕を組んで、重いため息をついた。
尾花製薬の息子を助けたと後から聞いて、異例の昇進を打診された時、友里の父親はそれを受けて、大阪へ行くかどうか、悩んでいたと吐露した。
「駒井さんから、優ちゃんのために友里たちを置いて行ってくれと言われた時、ホッとした。でも、すぐに友里や、マコまでを手放したような気持ちになって後悔した。けれど、失ったものを直視することが出来ず、戻ることはできないまま、7年も経ってしまった。自分の中に、愛情があると、言っていいのか、まったくわからない」
項垂れたまま、友里の父親は続けた。
「友里を一度、返してくれないか?」
「……!」
友里が、驚いて身を硬くした。優も、言葉の意味をどうとらえていいか、迷った。
「優ちゃんが大学を卒業するまででいい。気持ちが本当なら、そのぐらい待てるだろう?失った7年の、家族の隙間を埋めたい」
「……お父さん」
友里は、その提案に、淡く首を横に振った後、優にしがみ付いた手をぎゅうっと強めた。
「いや。優ちゃんと離れるなんて、絶対いやだ」
「友里ちゃん」
優は、友里を一度見て、友里の瞳に涙が溜まっていることに気付き、息をのんでいる。友里は、優が離れていても、大丈夫な自信が欲しいと言っていたが、友里自身、優から離れるなど、考えたくもなかった。負けない自信が消えそうになったところで、友里が握った手のひらを優が乾いた手のひらで、握り返した。
「そうか、それなら、いいんだ。すまなかったね」
友里の父親が、ふわりと微笑んで、そっと席を立った。友里は「演技っぽい」笑顔だと思ったが、演技を取り払った父親のことをなにも知らず、なにも言えなかった。ふたりは、取り残されたような気持ちになり、友里の父親の後姿を見送った。
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新幹線で、今度は早めにアイスクリームを買った友里は、「リベンジだ!」と言ってかちかちのそれをじっと待った。名古屋駅あたりで、見かねた優が、熱伝導タイプのスプーンを友里にプレゼントして、友里はようやくアイスを征服した。
優は友里にひとくち貰っただけで、その甘さに、胸がいっぱいになった。
「優ちゃん、お父さんの言葉、まだ気にしてる?」
友里に言われて、優はパチンと風船が目の前で弾けたような顔をして驚いた。
「あ、ううん、考えてはいるけれど」
「それを、気にしてるって言うんだよ」
カラ元気でも元気でいようとしている友里に言われて、優はニコリと笑った。「確かに」と付け加えて、友里の肩にそっと寄り掛かった。初めて、自分を真正面から、叱咤してくれた人に出会って、優はむしろ、ありがたいとすら思った。誰も、友里ですら、優の罪を罰してくれる人がいなかった。
「アイスをお父さんだと思って、えいえいすると、少し気が晴れるよ」
「あはは、すごい、えぐれてる」
「優ちゃんがアイテムをくれたから、立ち向かえる!」
カチカチすぎるところは、ダメだが、食べれないものでもなくなったので、優は感心した。
「いつだって優ちゃんが、わたしに困難に立ち向かうための勇気を、くれるの」
「そうかな、半分くらい、敵がわたしじゃない?マッチポンプだ」
父親を呼んだのは、悪手だった気がして、優はうらぶれていた。話し合っても、傷をつけるだけの相手がいることを知って、次からは気を付けようと思った。村瀬の件がすぐにかたがついたのは、嘘のようだった。やはり村瀬の母は、村瀬のことをとても大事に思っていたのだろう。そうなると相対的に友里のことを父親が大切に思っていないとなってしまいそうで、優は憂鬱な気持ちにまた逆戻りした。
「友里ちゃんを愛してくれる人は、たくさんいるんだからね」
「なに、優ちゃんまたその話?だからあ」
「それでも、友里ちゃんがわたしを選んでくれて嬉しい」
「それ!!わたしが選んだんだから、優ちゃんは優ちゃんらしくいて」
友里は、アイスと戦っている間は、優には目もくれず、そう言った。しかし、もう一口くらい、優に食べさせたい顔をして、チラリと見つめるので、優は体が冷えるからと断った。
「愛してもらうのは当然嬉しいけど、わたし、どうやら自分が好きにならないと、全く興味がわかないみたい!」
父親の件も含めて言うので、優は額をおさえた。
「友里ちゃんのそういうところ、ほんとに……、大好きだよ」
優は、自分が友里に興味を向けられない世界もあり得ることに少し怯えながら、小さな声で言うと、友里は優に耳打ちをした。
「アイス、食べられないのはわかってるんだけど、あーんってしたいだけなの、キスしてるみたいでしょ、今、キスしたいけど、できないから!かわりに!」
「は」
優は友里の考え方に驚いて、目を丸めた。いつか、ペットボトルを共有するだけで、間接キスだと照れていた友里を思い出して、(それでその発想になるのか、おもしろいな)と感心してしまった。
「あとで」
「はあい」
しかし、新幹線の座席で、するわけにはいかないと淑女然とした優の申し出に、友里はイイコの返事をした。
優は、友里が、アイスのカップを支えている左手を取ると、指にキスをした。
「予約」
「っ!」
友里は赤い顔で戸惑って、アイスへの目測を誤ってしまう。
「も、もう!そういうこと!できるのに、なんで?」
戸惑いつつも、友里は、なにかに閃いて、いたずらっ子の顔で、優が口づけをした自分の指に自分の唇をそっとつけた。
「予約、うけたまわりました!」
「……!」
優と友里の羞恥の幅が違いすぎて、ときおりすれちがいが起こる。
それの最たるものだなと、優は赤い顔で、カラ元気の友里に寄り添って、困ったように笑った。
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