第205話 通話

 日曜日、20時。夕方に友里を家まで見送ってすぐ、旅の疲れから、ぐっすりと眠っていた優は、英会話を続けている高岡の通話で起こされた。


 友里には聞けないらしく、大阪での友里の父親との諸々を根掘り葉掘りと聞かれた。優も、高岡に聞いてほしかったところがあり、友里が抱えている不安や寂しさだけは、優の中にしまって、概要を説明した。


『もしも友里が、大阪へ行くって言ったらどうするの?』

 優は、その言葉に、グッと唸った。会話は全部英語だ。

「友里ちゃんが希望しているのは、東京の専門学校だよ、それに、ずっと一緒にいてってOKしてもらったし」

『東京の大学に通っている間、想いを試されるってことは、大阪と東京で遠距離恋愛しろってことでしょう?親がお金を出すんだから、大阪の専門を希望しろって言われたら、どうするのかって話よ。問題から目をそらすなんて、らしくないわね』

「──英語が上手になり過ぎじゃない?」

『あなたのおかげ』


「おとうさんの悲しみも、理解しているから、単純に答えを出せる問題じゃないよ」


『まあ、あなたは毎週末に、大阪に逢いにいきそうだけどね』

「さすがに……それは」

 優は多少の思案の末、「1か月に2回」と言って高岡が『年24回も逢ってれば充分ね』というので、1年で逢える回数が1ヶ月にも満たないと愕然とした。


『今の友里が向こうで、単純接触効果で好きな人が出来るんじゃないか、なんて心配してるわけ?』

「う」

『優しい私は、友里が駒井優を大好きだから大丈夫じゃない?って言ってあげるけど、友里が他人からの劣情を含んだ想いに鈍感なのは、あなたのせいなのよ。友里はお人よしだから、関係ない事件に首を突っ込んで、その中で芽生える、ラブ。あなたがいなくて、お断りできるかしらね』


 優は、「animal passions(劣情)」の語感にショックを受けて、高岡に向かって、なにか言いたくなったが、なにも言えないでいる。


『しゃべり続ければ、なにか答えがあるかもしれないから、友里パパへの愚痴でも、聞くわよ』

「愚痴なんて」

『そう?高校生の小娘に向けるには、こくすぎるぜ』

 優は、昔ながらのバンカラな雰囲気の英語に、苦笑してしまう。

「高岡ちゃん、スラングで構文を調べてるのかな」

『え?そうなの?気をつけるわ』

 ううんと高岡が唸りながら、辞書を見ている音がする。高岡はぼんやりとすると、友里との過去の話をぽつぽつ話してくれるので、少しだけ待った。


『小さい頃、バレエスクールでね、友里のお父さんが迎えに来た日は、グラタンを食べに行くんだ~って友里が言うの。なかよし家族だったわ。ふたりで柔軟しながら、その話ばっかりになるのよ。夢中になると、他がおざなりなの、いまもあまり変わってないわね』

 高岡の子どもの頃の思い出を、優は一方的に聞いた。驚くほど鮮明に高岡が覚えているので、優は感心した。


「高岡ちゃんは、どうして友里ちゃんを好きにならないの」

 優は子どものような声で、高岡に問いかけた。優は、いつものように『駒井優と違う意味で友里が好きよ』と高岡が言うのを、どこか待っているようだった。高岡の愛し方のほうが、友里に正しい気がしてしまうが、獅子の睡眠を、確認したい気持ちだった。


『もしも、私が友里と、恋人になりたいって言ったら、あなたどうするの?』


 獅子のしっぽを踏んでしまった気がして、優は戸惑った。

『諦めてくれるの?それとも、私と戦う?』

 あっという間に、優がこたえないと始まらないような雰囲気を作られた。

「友里ちゃんの気持ちを、確認してから」

『ぬるいぜ。私の戦い方は、こうよ。友里はあなたのことを忘れられないわ。だから、あなたに協力してもらって、友里をとても残忍に、手ひどく振ってもらう。何年かかっても、あなたさえ友里の前に現れなければ、そうね、うまく行けば、恋人には、なれなくても一緒に暮らすぐらいは出来るかも』

 高岡は、『駒井優のばんよ』と促して、黙っている。


「高岡ちゃんを諦めさせるのは無理だから、一生友里ちゃんの友達の距離から出さないようにする」

『あなたそれ、今の作戦でしょ』

「……う」

『毎回、敵に友里が好きかどうか聞くバカが、どこにいるのよ!』

 すぐに通話を切られる雰囲気だったが、高岡との通話が続いているので、優は高岡の言葉を待ったが、なにも話さないので、優から声をかけた。

「高岡ちゃん、ありがとうね」

『なんのお礼?』

「叱咤激励」

『駒井優は、本当にバカね』

「はい。その通りです」

『あなたは、一途に愛しすぎるから、友里が好きになってくれてよかったわね』

「……」

 しばらく悩んだ声がして、高岡は日本語に戻した。


『ねえ「まあまあ、気に入ってるわ」って、likeを使わない場合どういうの?』

 自分に言ってくれたものだと思って、「ありがとう」と優は言いかけて、「そうだな、…Fair.とか?」と答えた。優に対して、loveもlikeもI can't complain.(愚痴はないというような意味)も言いたくない高岡に、優は迷った末に、”公平”を意味する言葉を取り出した。5段階評価では、下から2番目の、「まあまあ」だ。


『なるほど、今後に期待!みたいな意味なのね、それよ』


「いつか、友里ちゃんを好きな人には、甘い高岡ちゃんの一番を目指してみるよ」

『まあそれは一生無理ね。無駄な努力、お疲れ様』

「罵倒はどんどんうまくなるね!」


 優は明るい声で高岡に答えた。今度こそ、高岡はプツリと通話を切った。たいてい怒って切るというのに、毎日律儀に優に通話をかけてくる真面目さを、優は気に入ってしまっている。

 もしも本当に、手酷く友里を振って、高岡へわたす未来を考えて、──あまりのつらさに、心臓をおさえた。以前は、結婚式のスピーチを話す未来を考えて気持ちを抑えたりしていたというのに、まったく考えられない。


 スマートフォンを眺めて、きっと友里も疲れから眠っていると思いつつ、いつもの【あいたい】というメッセージではなく、通話を押してみた。少し疲れが取れ、彼女のいない寂しいベッドに気付いてしまった。もしかして、もう大阪へ逆戻りしているかもしれないと、不安が横切る。3回めのコールで、(なにをしているんだか)と冷静になって、優は通話を切ろうとした。


『優ちゃん?』

 スマートフォン越しの友里の声が、いつもと変りなく、くすぐったい。

『今お風呂から出たところで、まだ髪も乾かしてないし、キャミしか着てないから、ちょっと待って~』

「ごめん、かけ直すよ」

『大丈夫、はいた!』

 あまりにもあられのない報告に、優はこっそり顔を赤らめた。

「さっき別れたばかりなのに、声が聞きたくなって」

『ユウチャンカワイイ』

 ドクンドクンと心臓の音がたかまって、優は友里の声を聞いているだけで、愛おしい気持ちが募った。家に帰ったらお土産のお煎餅を、マコが全て食べきっていた話に笑って、友達に配るお土産の数に驚いてみたり、友里の笑顔が見えるようで、嬉しかった。


『あっもう、明日のために寝ないとだね』

 なんでもないが、大切な話をしている間に、お別れの合図が来たようで、優は明らかにしょんぼりとした。

『一緒にベッドに入って、眠くなるまでお話しする?優ちゃんはお勉強かな』

「今日は、勉強しても頭に入らないから、おやすみする」

『おやすみする……っ言い方、カワイイ……』

 友里が優の発言の何を気に入ったのかわからない優だったが、友里が髪にドライヤーをかけるために通話を閉じて、ベッドに入ってから、もう一度つなぎ直した。

 友里は、寝言やいびきの心配をしきりにしているが、もしもそうだったとしても聞きたいと言って、友里にとても嫌がられた。


『優ちゃんの名前を呼ぶときは、だいたい優ちゃんの夢を見てるから』

「そちらのわたしも、友里ちゃんにやさしいといいのだけど」

 優は、以前感じた嫉妬などはおくびにも出さず、そう言った。


『普段とあんまり変わらな……あ』

「なに?」

『うううん、あの、わたしの願望が出ちゃってるのかもだけど……──本物の優ちゃんより、さらにえっちかも』

「……!」


 友里は言い訳のような言葉をたくさん並べているが、優は、小さくため息を吐いた。友里が、素直でとても羨ましかった。優が見ている夢の一端を、友里に伝えたら友里はどういう反応をするのか、とても怖かったが、以前高岡が、「優が友里を好きだと思っていることを、たくさん教えてあげてほしい」と言っていたことを思い出して、意を決して伝えてみることにした。

「わたしの夢の中の友里ちゃんも、ちょっとだけえっちだよ」

『えッ』

「幻滅した?」

『ううん、ううん!うれしい。優ちゃんもわたしの夢を見るんだね』

「それは。──そう」

 むしろ夢は、友里の夢しか見ないぐらいだと追加で伝えそうになって、優は言葉に詰まった。想いが、重すぎるのではないかと思って、友里の声色でしか判断できないことが、少し怖かった。そばにいて、瞳の色や頬の熱さを確認して、体に触れながら話をしていれば、想いのほとんどを受け取れるのにと思い、いますぐ広いベッドから抜け出して、逢いたい気持ちになった。


『優ちゃん、そろそろ眠いかも。夢で逢えたらいいね』

 気持ちを押し殺しながら、優は頷いた。

『ちょっとえっち同士で!』

「それは……、困るかも、明日友里ちゃんの顔が見れない」

『あはは、はずかし』

 友里が、よくやっている、頬をパタパタと手で扇いでいる仕草が優の脳裏に浮かんで、「ふふ」と笑う。

『あ、優ちゃん笑ってる。優ちゃんだって恥ずかしいくせに~』

「すごいカミングアウトした気分」

『そうなんだ、なんでもないことみたいに言っちゃった』

 友里の奔放さがうらやましいと、優はいつも思う。明るく朗らかな友里に、優は魅了され続けている。それは、友里の美徳だと思った。けれど弱いところを隠さず支え合って、生きて行きたいという気持ちが芽生えて、これがもしかして、愛ということなのかもしれないと感じた。


「友里ちゃん、旅行、一緒に行ってくれて、ありがとう」

『うん、またいこうね』

 友里の感情が少し動いた気がしたが、ウトウトしている。寝つきの良さは、友里の持ち味だ。クウクウと寝息が聞こえて、優はしばらくその寝息を聞いた。


「おやすみ」

 優は友里に向かって声をかけた。スピーカーからは、何も聞こえないが、心が温かくなった。


 いつの間にかお互い、夢も見ずに眠っていて、期待していたような寝言も、なにもなかった。次の日の学校は、ほとんどの生徒がお休みの中、眠さと気怠さを振り払いつつ、何とか乗り切った2人だった。


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